作品タイトル不明
02 就職することになりました
それから二時間ほど。
顔を洗って身支度を整え、お湯を沸かしてインスタントのスープを飲みながらトーストを食べているあいだも、玄関外にはおそらく誰かが居た。
はっきりとは聞こえないけれど会話している。
一番おおきく聞こえる男の声は、おそらく鎧コスのひとだろう。昨日視聴したアニメの最新話にも登場したキャラクターの声優さんに似た声なので、妙に耳心地がいい。
頭部を覆う全身甲冑コスのせいで顔はわからないけど、イケボだからきっとイケメンにちがいない。顔が見えるまではそう思っておくのが吉。
シュレーディンガーの猫。
見えないかぎりはいるのだ。猫が。
だから彼もきっとイケメン。
「あーもう、それはともかく、出かけらんないじゃないのよー」
昨日の今日で職が見つかるとは到底思えなかったこともあり、しばらくは籠城できるように食料は買い込んである。懸賞で当たった新米10kgもある。数日は引きこもっていても問題ないとはいえ、そういうことではない。自主的に出ないことと、出られないことは、精神的な意味でも状況が異なる。
仕方がないのでノートパソコンを開く。
届いているメールの件名には『当選おめでとうございます』とあった。
趣味の懸賞にまたなにか当たったかと開いて、「んあ?」と、我ながら怪訝な声が漏れる。
聖上成美様
このたびはご登録いただきありがとうございました。
審査の結果、聖上様がスラン地区の聖女に当選いたしました。
就業可能日は〇日からということですので、取り急ぎ先方との接続だけは実施しております。
時空間の完全接続の完了まではお時間を頂戴いたしますので、ひとまずは書面、口頭にてご対応ください。工事完了次第、ご連絡差し上げます。
それではよい聖女生活を。
「なにこれ、迷惑メール?」
昨今の迷惑メールは奇抜な件名をつけ、とりあえずメールを開かせるのが目的なのかもしれない。しかし。
「登録、ねえ」
じつのところ、心当たりはないこともない。ぼんやりした記憶ではあるが、就活を考えてリクルートサイトに登録だけはしたのだ。酔った勢いで、つい。
寝落ちしてしまったため、ブラウザには件のサイトが開いたままだった。
明るい陽の下で見ると、とてつもなく胡散臭い。
異世界カンパニー
あなたも別の世界で働きませんか?
私たちは、さまざまな世界のさまざまな職業とマッチングをおこなう会社です
年齢、経験、問いません! お気軽にご登録を!
「深夜の、酔っ払いのテンション、怖いわー」
素面では、とてもじゃないが登録する気にならない。
どう考えても冗談にしか思えないし、昨今流行りの異世界の物語にかこつけたファンサイトのようなもの、かもしれない。
登録自体、メールアドレスと名前のみだったし、個人情報といえるものはたいして入力していない。よくあるカード情報だの、電話番号だのは問われなかったのだ、たしか。
「えーと、退会退会」
お問い合わせはチャット形式で入力すれば表示されるらしい。
成美は、なにかの幻獣っぽいキャラクターが出している吹き出しに『退会するには』と入れてエンターキーを押すと、その幻獣がにゅるりと動いた。
「退会なんてとんでもない。すでに選ばれてるんだから、すぐには無理だよー」
「音声式!?」
「成美は聖女に選ばれたんだ、おめでとう!」
「いや、あの、だからそれをなかったことにしたいんですけど」
「そうは言ってもすでに転移中だしぃ」
「はい?」
転移ときた。これはずいぶんと凝った仕掛けをしている。
異世界に行って冒険する系の物語を模しているのかもしれないが、成美はそろそろ三十路である。読み物としての異世界は楽しいけれど、それを己の実体験にしたいとは思わない。
(しかも、あなたは選ばれし者です! とか。そういうのはもっと子どものころにやってほしかったなあ)
酔った両親の口論と暴力から逃れるために、四畳半の自分の部屋に引きこもっていた子ども時代を苦く振り返る。
あのころは、押し入れがお友達だった。見えない誰かと襖越しに会話をするイタイ子どもであった。眼鏡の少年に猫型ロボットがいるように、成美にも、寄り添ってくれる誰かがいると思っていたのだ。
名前もあった。『うーくん』だ。もっと別の名前だった気もしなくもないが、簡略化して愛称をつけた。
男の子だと言っていたので、うーくん。
ちなみに成美は『みー』だった。猫みたいで可愛いと思っていた小学生の自分、もっとしっかりしろ。
たまに思い出して床を転がりたくなる黒歴史を、成美はふたたび封印した。
「窓の外を見てごらんよ」
画面の中から幻獣に言われて、なんとなく立ち上がってカーテンを開けて凝固した。
成美の部屋は一階にあるため、窓から見える景色はアパートを囲う塀と、その向こうにある月極駐車場。
しかし今は、白く濁った 靄(もや) が広がっており、判然としないのだ。なんだこれ。
「あー、開けないほうがいいよー、時空の狭間に引き込まれてどうなるかわからないから」
「ひいぃ、こわいこと言わないでよ」
あわてて距離を取り、パソコンの前へ。ディスプレイにはあいかわらず幻獣が動いている。
「ぼくは聖獣だよー、聖女さまのサポート役」
「……聖女」
「成美がそう希望したんじゃないか」
希望する職種にあった聖女を選んだ昨夜の自分を殴りたい。
「なんなのこれ、異世界転生ってやつ? あれの死因って事故とか病死じゃないの?」
ほぼはじめてお酒をがぶ飲みして、結果アルコール中毒で死んだとか笑えない。
「転生じゃなくて転移ねー。成美は成美のままでしょー?」
「まあたしかに」
鏡に映った顔はいつもの自分の顔。着ている服も然り。そもそも部屋が、就職してからずっと住んでいる賃貸安アパートである。
異世界転生なら、上流階級の家に生まれたお嬢様スタートのはず。
酒浸りの毒親から給料の大半を搾取されて、四畳半のアパートの一階にしか住めない三十路女でリスタートにはならないと断言できる。だって夢がないじゃないか。
がっくりと膝をつく成美のようすを見て、さすがに「なんか喜んでないぞ」と理解したのか、画面の幻獣――否、聖獣とやらがおそるおそる問いかけてきた。
「会社が倒産して嘆いている成美に、なるべく楽な就職先を斡旋しようって思ったんだけど、異世界はダメだった……?」
「いやべつに働ければどこでもいいけど、聖女ってなにするの? 不思議なちからとか持ってないよ。それとも異世界らしくチート特典みたいなものを付与してくれるわけ?」
「誤解されがちだけど、聖女は安定役なんだよねー。居ないと世界が澱むから定期的に派遣してるんだけど、スランの聖女はなぜかみんないやがってさあ」
「ブラックな雇用形態なんじゃないの?」
「そんなことないよう、ホワイトなはずだよー」
「ブラック企業の経営者はみんなそう言うんだよ」
知らんけど。
ジト目を送る成美に、聖獣は告げる。
「就労先は聖堂なんだけど、ちょっと手狭で。ちょうどいま成美が暮らしているこの部屋ぐらいなんだー。聖女の仕事は住民の願いを聞いて神に捧げること。神さまは民の願いを聴くことで格が上がっていくんだけど、民の前に姿を見せることができない。だから聖女が仲介役として存在する」
「神さまぁ?」
「いるよー、うちの社長だよー」
パソコン画面の下部を示される。
代表取締役:創世神
とあった。あやしすぎる。
「たのむよう、ほんとうにこまってるんだって。部屋はこのまま使えるし、ネットはつながるからお取り寄せもできるよ。日常生活そのものが聖女の仕事だから、それらは経費にもなる。成美はこの部屋でいつもどおり暮らせばいい。ただ――」
「ただ?」
「――体が地に馴染むまでは聖堂の外へはたぶん出られない。つまり、その、強制的に引きこもって生活してもらうことになる、んだけ、ど」
聖獣のしっぽが垂れ下がり、耳もペタリとなった。
しおしおと元気のない、落ち込んだ犬のような状態になった聖獣に反して、成美のほうは胸に熱いものがこみ上げてくる。
公認で部屋に引きこもって暮らしていい。
食費も光熱費も会社持ち。
ネットも繋がるということは、気になっていたサブスクに契約して、動画も漫画も小説も見放題、読み放題。
なんだそれは、神か! いや、神なのか雇用主は。
「聖女役、お引き受けいたします」
ビバ、引きこもり生活!