作品タイトル不明
49話 ないものねだり
テーブルに並べられた昼食にフィービーは思わず青の瞳を子供のように輝かせた。遅めの昼食とあってガッツリとしたメニューではないが夕食まで空腹を訴えない程好い量。キノコがたっぷりと入ったとろとろなクリームスープには、パスタが入っていた。少し前、パスタの美味しい食べ方をヴァレリアに聞いたフィービーがきっと食べたいだろうと料理人に指示を出してくれたのだ。
「ふふ。フィービーが喜んでくれて良かった。さあ、食べて」
「はい!」
パスタをスープのボウルで食べるのもこれが初めて。スプーンでクリームスープとキノコを掬い、何度か息を吹きかけて食べた。クリームとキノコの味がしっかりとスープに溶けていて美味しい。昼食の時間だったら、きっとお代わりを望むくらいに。
フォークに変えてパスタを頂きつつ、フィービーは御者に扮して昼食を頂いているアルドルを見やった。アルドルもきっとスープパスタは初めてだったのか、黒眼鏡を掛けていて分かりにくいがフィービーと同じで初めて食べた料理に感心している。味も好みに合っていたらしく、素直に美味しいと口にしていた。
「オルドー様、お口に合いますかな?」
「ああ。とても美味しい。この間の陛下の誕生日パーティーでは、あまり食事は摂らなかったので却って有り難い」
「そうでしたか」
祖父母世代もリーンハルトとオルドーの確執を知っている。先帝の黄金の髪を受け継いだオルドーを異常に敵視するリーンハルトだが、オルドーが帝都に戻らないとビアトリスを連れて北の教会支部に乗り込んで来る。人の心が読める道具があれば、是非使ってみたいと言うのがオルドーの心の声だ。
「ローウェル公爵は同席しないのか?」
ジークとヴァレリアの二人は既に昼食を済ませている為、三人の食事風景をお茶を飲みながら眺めているのに対し、クリストファーは不在。大きいキノコをフォークで半分に切っていたフィービーも気になっていたと参加すると「今、屋根の上で雪掻きをしていただいております」とテーヴが答え、三人は思わず手を止めた。
「こ、公爵本人が雪掻きを?」とアルドル。驚いていても声は若干上擦るのを忘れない。
「はい。世話になっているのでこれくらいはさせてほしいと」
「私達が止めても他にすることはないと押し切られてしまってね」
怪我をしないのであれば好きにしていい、と結局ジークが負けて雪掻きを任せているのだとか。帝都にいれば、雪掻きの体験は出来なかった。北の教会支部では、雪が積もると毎日神官や孤児院の職員や子供達と一緒に雪掻きをしている。フィービーは屋根の上での作業は一度も体験がない。初心者にはやらせられないとオルドーに禁じられた為。
「雪に覆われた屋根の上って危なそうだな」
「ですね。ただ、高いところで歩くのは意外と楽しいですよ」
「その口振りだと、フィービー嬢は経験者?」
「小さい頃、よく屋根の上を歩いたり、ウェリタース家の庭で一番高い木に登っては侍女を困らせていました」
青い顔をして「お嬢様ー!!」と叫んでいたハンナの顔が浮かぶ。あの頃は、ハンナも高いところにいる自分を見て喜んでいると勘違いしていた。実際は、フィービーが落ちないか気が気じゃなかったのだ。今更ながらハンナには申し訳ないことをしてしまったと反省している。
「今度、春になったらおいでなさいな。サンディス領にある一番大きな木の天辺まで行くと領地を広く見渡せるわ」
「お祖母様は木登りの経験が?」
「今は歳を取ってしまって出来なくなったけれど、若い頃は旦那様に助けられながら登って二人で景色を眺めていたわ。ふふ、私の若い頃の思い出よ」
柔く笑むヴァレリアの視線がジークに向くと照れくさいのか、ジークは微かに頬を赤らめながらもヴァレリアと目を合わせた。
歳を取っても穏やかで良好な関係を築く祖父母の姿と……自分とミゲルの姿は限りなく遠い。冷めない内にスープパスタを食べ切ろうと食指を動かすフィービーだった。
——遅めの昼食が終わり、ついでだからとデザートも御馳走になると与えられた客室に戻ったフィービーは亡き母ダイアナの日記を手にベッドに腰掛けた。
「お母様が使いそうな四桁の数字……」
身近な人の誕生日でも、好きな行事でもなかった。一番可能性のあったクリストファーの誕生日でもなかった。母がどんな思いを日記に込めているのか、知りたい。ふと、母の部屋に行こうと日記を横に置いて部屋を出た。何時でも入っていいとは事前に許可は貰っている。鍵は掛かっていないと言われていて、最後に来たのは随分と前なのにフィービーの足は母の部屋が何処かしっかりと覚えていた。祖父母の部屋の二つ隣。一つ隣は伯母ゾイの部屋だ。
母の部屋に入ると——懐かしさに目を細めた。
「変わってない。何も」
此処で療養していた頃と何も変わっていない光景がフィービーの視界に広がる。真っ白なカーテン、丸いテーブルと椅子、二つの小さめの本棚。壁紙は母の好きな薔薇の花が描かれている。定期的に掃除はされており、ホコリ一つ落ちていない部屋に足を踏み入れた。
病に伏せてベッドの住人と化していた母。領地に戻ると回復傾向にいき、時折外へ出ては少女時代に戻ったかのようにはしゃいでいた。
天蓋付きのベッドに近寄った。
「お母様に駄々を捏ねて一緒に寝たいって騒いでたな」
片時も母の側を離れるのが嫌だった幼いフィービーに負け、母は一緒に寝てくれた。母のぬくもりを感じて眠ったのはサンディス領に滞在していた期間が最後。帝都のウェリタース家に戻って以降は出来なかった。
「お母様。お母様がアリアージュ夫人に私とミゲルの婚約を頼んだのは、きっと私の将来を心配して下さったからですよね。ごめんなさい……お母様の意思を尊重出来ず……」
仮令フィービーが我慢強い性格だったとしても、心の中に別の女性がいる相手と幸せになれることは決してなかった。ミゲルの事情を知ったからと言えど、簡単に割り切れるものじゃない。ただ、フィービー自身もミゲルへの言葉が足りていなかったのは確か。早々に諦めたのもフィービー自身だ。
「フィービー嬢?」
「皇太子殿下」
偶然前を通ったらしいアルドルが声を掛けて来た。
「おれも入っていい?」
「はい。どうぞ」
扉は開いていると言えど、部屋はフィービーの亡き母の物。律儀に許可を取ったアルドルは天蓋付きベッドの側で立ち尽くすフィービーの側へ来た。
「考え事?」
「お母様が療養をしていた頃を思い出していました。病を経て元気をなくしていたお母様が、サンディス領に戻ると子供みたいにはしゃいでいました」
「フィービー嬢はそれを見てどう思った」
「吃驚はしましたよ。ですが、お母様が活き活きとしている姿はとても綺麗で……可愛いなって」
内緒ですよ、とフィービーは恥ずかし気に微笑む。黒眼鏡を掛けているアルドルの表情に変化はないが少し言葉を詰まらせた。
「そうか……おれなら、叔父上の側が一番安らげるな」
「オルドー様の?」
「おれにとって陛下は父親というには情がなくて、母上は母親という情はあってもそこまでの関心はない。おれにとっての安らぎは叔父上だけ」
「……」
二人きりなのを理由に黒眼鏡を外したアルドルの横顔は、迷子になって途方に暮れた子供の顔をしていた。
社交界で目にしていたアルドルは、常に自信に溢れ、不敵な笑みを崩さない絶対の皇太子であった。ミゲルという信頼の置ける友人を持ち、帝国で最も敵に回してはならないフィデスからの信頼も篤い。皇帝との関係が険悪だろうと間違いなく次期皇帝はアルドルただ一人。帝国民共通の認識といっていい。
「なんだか……帝都に帰りたくないな」
「殿下……」
「叔父上といたいのもある。ま、無理だけどさ」
皇太子という立場がそうさせる。御者に扮して付いて来て良いことばかりだとアルドルは言い、最たるはフィービーの変化だと挙げた。
「わ、私、ですか?」
「帝都にいた頃より、明らかに表情が明るくなってる。ローウェル公爵も北に来てからの方が健康的だって言ってたじゃないか」
「は、はい」
顔や身体に肉が付いたと言われ、恥ずかしくて穴があったら入りたい勢いだったものの、よくよく聞くとフィービーが健康的になっていると指摘していたのだ。フィデスだってそうだった。
「おれも同意見。今のフィービー嬢の方が何倍も可愛い」
「え!?」
平然とアルドルが言ってのけた台詞はフィービーを大層驚かせる破壊力を秘めており、素っ頓狂な声を上げる様を不思議そうに見られた。
「おれの見た感想をそのまま言っただけなんだが、そんなに驚くことなのか」
「お、驚きますよ。皇太子殿下にそんな台詞を言われて驚かない女性はいないかと」
「なら、ミゲルは? ミゲルだったら、フィービー嬢は驚いてなかった?」
「それは……」
途端言葉を詰まらせ、俯いた。
ミゲルが容姿について言及した回数はフィービーの記憶上指で数える程度だ。顔を合わせる時、ミゲルはいつも感情を表に出さなかった。ダイアナの具合が悪くなったと報せを受けた時だけ、感情を露にしていた。何も言えなくなったのを見て悟られたのか、頭上から小さな溜め息が降りた。
「フィービー嬢は……もしも、このまま北の教会に居続けるとしよう。誰かと一緒に暮らす自分を想像したことは?」
「ありません……でも、オルドー様がそんな時が来れば仲人くらいは務めてやると仰っていました。私は……誰かと暮らす未来を想像出来ません。出来なくても、そんな風に思っていいのだと初めて知りました」
ずっと一緒にいるのはミゲルだと思っていた。他に目移りをしたことは一度もない。ダイアナにばかり目を向け、フィービーには背を向け続けるミゲルとずっと一緒……有り得ていた未来を想像し、常に心を殺す自分がそこにいると感じた。まるで……父の前では淑女の仮面を付け続けた母のようだと、母の過去を知って至った。
「これだと、ミゲルがどんなに頑張っても期待薄かな」
「え」
「フィービー嬢に振られたミゲルが使い物にならなくなるのが嫌、っていうのがおれの個人的意見だが、この程度で使い物にならなくなるなら却って切り捨てる選択を取るのが一番に見えてきた」
「皇太子殿下……」
懐に入れた相手と言えど、不要と判断すれば即切り捨てる。心を許す数少ない友だとしても。
「……殿下の決断力が羨ましい……私には無理です」
「おれは君が羨ましい。不仲になってしまったとはいえ、フィービー嬢にはウェリタース侯爵と家族としての思い出がある。……おれには、陛下とそんな思い出は一切ない」
「……」
母が亡くなるまで幸福な家族四人の生活を送っていたフィービーには、父との楽しい思い出は沢山残っている。
対してアルドルは、待望の皇子だというのに、リーンハルトに目を向けてもらえなかった。
互いにないもの強請りをしている。
「……」
部屋の外でフィービーとアルドルの会話を聞いていたオルドーは眼瞼を上げた。二人とも、互いにないものを持っている。オルドーは……二人が欲するものを両方持っていた。
決断力の速さも父親の愛情も。
「……ぼくが入るべきではないな」
気になって何時入るか悩んでいたが、これだと行っても気を遣わせてしまう。
「オルドー殿下」
客室に戻ろうか、と考えが過った直後、屋根の上の雪掻きをしていたクリストファーが邸内に戻っていた。訝し気に声を掛けられたのでダイアナの部屋にフィービーとアルドルがいると話すと納得された。
「声を掛けないのですか」
「ぼくが掛けたところでどうもならない。……公爵、一つ訊いても?」
「なんなりと」
壁に凭れるのを止めて姿勢を正し、真っ直ぐクリストファーを見つめた。
「公爵のフィービーへの気遣いは、愛する女性に瓜二つの娘の為。……にしては、些かお節介が過ぎる。他国へ移住する紹介状がそれだ。フィービーを気遣うのは、ダイアナ=サンディスの娘以外に理由があるとぼくは見ている」
「オルドー様の考え過ぎかと。……まあ……強いて言うなら……」
憂いを帯びた深緑の瞳がダイアナの部屋を映した。
「ダイは……幸せとは言い難かった。せめて、娘のフィービー嬢には、幸せな人生を歩んでほしかった」
言葉が出そうになったオルドーは口を強く閉ざした。ここでレティーシャやダイアナの暴走を止めなかった件を詰っても、あの二人——特にレティーシャは、止められればよりフィービーへの嫌がらせに力を入れていた。敢えて放置することでクリストファーは味方なんだと勝手に思い込ませ、好き勝手させていた。
密偵として送り込んだ侍女はフィービーを気遣っていたと言う。侍女経由で情報を得ていたからこそ、他国への移住を勧めようとした。表立って動けない代わりに裏で手を回していた。
「私が願うのは……あの子の幸せ。ただ……それだけです」
「……」
小さく頭を下げたクリストファーが背を向けて歩き出した。呼び止めず、黙って背を見送るオルドーはまたあの既視感に襲われた。
「……やっぱり、ぼくの勘は当たっている……のか?」
本当に、本当に、そうだとするなら、ウェリタース侯爵がフィービーを屋敷に留めておきたかった理由に納得はいく。