軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第五話  悔いが残らないように

「寒天、イカ墨、砂糖……全部揃ってるな」

ソラは道具を確認して作業の開始を伝える。

場所は大樹館の端にある魔法技術室。サニアが監督する魔法の研究室だ。

今ソラとサニア、ラゼットがいるだけのこの部屋には高圧密木材やドライアイスの製造につかう魔法など子爵領の重要機密とされる技術情報が詰まっている。

火炎瓶から新型船の設計まで幅広く扱うリュリュの科学技術室と双璧を為す重要施設だ。

その責任者でもあるサニアは不機嫌そうにかびの生えた羊皮紙を見つめていた。ソラがわざわざ持ってきたものである。

「カビ臭い」

サニアが唇を尖らせて抗議する。

「一週間は我慢してもらう」

無慈悲なソラの言葉に彼女は肩を落とした。

ラゼットがサニアに同情的な視線を送りつつもソラの目的を聞く。

「それで何をするんですか?」

「先ずは寒天とイカ墨と砂糖を水に溶かせ」

ソラが分量を書いた紙とフラスコを渡す。

ラゼットが作業を始めるのを横目にサニアに向き直ったソラは別の指示をだす。

「三十度で一定に温度管理する魔法陣を描いてくれ。俺は百二十度の魔法陣を描く」

サニアの半分以下の時間で魔法陣を描き上げたソラはラゼットから材料が入ったフラスコを受け取って蓋をし、魔法を使って百二十度に熱した。

しばらくそうしてから魔法の発動を止めて空気にさらす。

手に持てるくらいに冷えたところでガラスの器に中身を移した。

「イカ墨の寒天ゼリーですか?」

ラゼットが嫌そうに聞く。寒天ゼリー自体は昨日コルが作った物を美味しく頂いたが、今回のイカ墨寒天ゼリーは絶対にお断りだ。

「後はこれにカビを植え付けて、三十度で一週間放置する。王都までのんびり行けば時間は稼げるだろう」

ソラは肩を回して凝りを解す。

彼がやっているのは羊皮紙に生えるカビの培養である。

寒天培地に炭素源の砂糖と窒素源としてアミノ酸を多く含むイカ墨を加えて栄養にする。

「上手く行かなかったらヨウ素だけで切り抜けるが、これがあると成功率が増すからな」

準備を整えたソラは培地にカビを植え付けてからサニアが作った温度を一定に保つ魔法で培養を開始した。

「サニア、後は任せた」

「はいはい。任されたよ。任されましたよ」

ぶつぶつと愚痴を言いながらもサニアは請け負った。

ソラとラゼットは魔法技術室から執務室に向かう廊下の途上でメイドの一人に声をかけられて足を止める。

クラインセルト伯爵領から出身の村ごと移住してきた過去を持つ着せ替え好きなメイドはウッドドーラ商会長のツェンドが訪ねてきたことを伝えた。

「流石は商売人、動きが早いな」

ソラがニヤニヤと笑い、応接室へと足を運ぶ。

応接室には恰幅の良い商売男とその右腕のミナンが待っていた。

「クラインセルト子爵、お久しぶりです。先の取引では儲けさせて頂きまして、我が商会一同感謝の念が絶えません」

ツェンドがぺこぺこと頭を下げる。

下手に出ているにも関わらずさり気なくソラの様子を伺っているのは商売人の癖なのだろう。

「ところで、今回のお招きはどういったお話でしょうか?」

着席を促されたツェンドは座るなり商談の体勢に入る。

ソラはラゼットに目線で金の用意をするように合図すると口を開いた。

その内容にツェンドが顎を撫でる。

「それは前回失敗したのではありませんか?」

「前回とは状況が劇的に変わるから問題ない」

「うむ、しかし……。」

ツェンドはソラの目を覗く。その奥に自信を見つけた彼が承諾しようとした時、傍らのミナンが先に口を開いた。

「先払いで受けます」

「ミナン、ちょっと待ちなさい。商会長が誰か言ってみなさい」

ツェンドが慌てて自身の右腕でもある女性に命令する。

ミナンは呆れ混じりの視線をツェンドに向けた。

「仮にクラインセルト子爵の計画が失敗しても、商会の利益になるこの商談にいちいち迷うような馬鹿なら会長職を降りなさい」

「……。」

一瞬で言い負かされたツェンドが目に見えて落ち込んだ。

ソラは苦笑しつつも契約書を交わした。

ウッドドーラ商会の二人を見送って、ソラは執務室へと戻る。

チャフから情報がもたらされて既に十日経っていた。

しかし、王都からの召喚命令はまだ到着していない。ベルツェ侯爵とチャフが上手く遅らせているのだ。

逆に、伯爵領には召喚命令が届いたらしく、クラインセルト伯爵とサロン・クラインセルト、教主レウルが出立したと知らせを受けている。

彼らにしてみれば命令書を遅らせてもメリットが無いので当然ではある。

暗殺を警戒した伯爵達はベルツェ侯爵領を通らず海路を使って中立派や同じ教会派の貴族領を経由して王都に赴くだろう。

あの魔の海で魚の餌になってもらえれば嬉しい限りだが、残念ながらそう上手くはいかない。

ソラは執務室の椅子に座り、計画を見直す。

可能な限りの準備は整えた。ソラはそう自負している。

それでも失敗した場合に備えようとソラはラゼットに話し掛ける。

「俺が子爵位を剥奪された時にはため込んだ技術情報を持って行くのを忘れるな」

子爵領の技術は他領のそれとは格が違う。どれか一つでも手に入れれば、多額の金か他にない戦力を手にしたも同然である。

軍を相手取る武力を魔法で実現するなら数時間かかる詠唱を一字一句間違えずに唱えるか、巨大な魔法陣を寸分の狂いもなく描く必要がある。

この世界における魔法は直接的な武力になかなか繋がらないのだ。

だが、子爵領の技術には火炎瓶やドライアイスなどの武器として使える物や高等数学により大幅に縮小された魔法陣が存在する。

血の気が多い者がこれらの技術を手にしたら、楽しく小粋に戦争を始めるだろう。

王国を火の海にされても困るので、技術は全て隠す必要がある。

それらを説明するとラゼットは頷いた。

「でも、子爵位を剥奪された程度でソラ様が諦めるとは思いませんけどね」

「諦めはしないが、どうせ父上は俺を殺そうとするからな」

生かしておいてもデメリットしかないから当然である。毒でも飲ませて自殺に偽装する程度の体裁は整えるだろうが。

「死ぬ前にサニアの耳をお触りしたいよな」

「なに縁起でもないこと言ってるんですか」

しかも、死ぬ前の願いがそれなのか、とラゼットは呆れた声を出した。

「よし、悔いが残らないよう揉みしだいてくるッ!」

一念発起した様子でソラが執務室を飛び出した。

疾風のようなその速さにラゼットの反応が遅れる。

「ソラ様!? ちょっと待って下さい!!」

廊下に飛び出したソラをラゼットが慌てて追いかける。

しかし、ソラはすでに十五歳、その速さはもちろん幼少期の比ではない。

引き離されたラゼットがソラを見失ってしばらくした頃、大樹館に悲鳴が響いた。

手遅れらしいと判断したラゼットが速度を緩めて歩きに転じるとリュリュが顔を出した。

「ソラ様か。最近大人しいと思ったらため込んでただけだったんだな」

「そうみたい。とは言え、ソラ様は獣人の身体能力を甘く見すぎてるのよ」

肩を竦めたラゼットにリュリュが苦笑する。廊下を曲がると外から声が聞こえた。

窓から覗いてみるとサニアがソラを投げ飛ばすところだった。

どうやら、また触りそこねたらしい。

それから三日後、ソラの下に王都への召喚命令書が届いた。