作品タイトル不明
第十六話 道標は輝き出す
イレーネオが出て行った後、一人の老人が紅茶を運んできた。
老人はチャフの前に紅茶を置き、無言でチャフの対面に腰掛ける。
にこにこと好々爺然とした笑みを浮かべて、チャフを見つめている。
特に名乗りもせず、話しかけてくる様子もない。
「……なんだ?」
居心地が悪くなって、チャフは老人に訊ねた。
「いえ、安心しただけですよ」
意味深長に言い残し、老人が席を立つ。
フェリクスに目を留めると、すっと目を細め、ポケットから封筒を取り出した。
「この手紙をソラ様にお渡しください」
怪訝な顔をするフェリクスに押し付け、老人は満足げな笑みを浮かべて去っていった。
何がなんだか分からなかったが、独特な雰囲気に流されて口を挟めなかった。
──変な奴ばかりだな。
大樹館よりはマシかと思い直し、チャフは紅茶に口をつける。
「不味い……」
素人が淹れたとしか思えなかった。
一口で懲りて、紅茶のカップを置いた時、今度はメイドが顔を出した。
「お待たせしました」
応接室へお連れします、とメイドは一礼してから申し出る。
フェリクス達をちらりと見たメイドの言いたい事を察し、チャフはフェリクスだけを連れていく。
護衛一人くらいは見逃してくれるらしく、メイドが扉の前から退き、廊下への道を開けた。
「頑張ってくださいよ、若様」
護衛達に次々と発破を掛けられ、チャフは笑みを返した。
フェリクスを後ろに従え、メイドを追う。
廊下にイレーネオの姿はない。すでに帰ったのだろう。
応接室は少し離れたところにあった。待合室の前からは死角になる位置だ。
予想通りに飾り気がない応接室のソファに、くすんだ銀色の髪を結わえた娘が座っている。
部屋に入ったチャフに険のある眼差しを注いでくる娘、イェラが口を開いた。
「本日のご用件をお聞かせください」
距離を感じる口調で言葉をぶつけられ、チャフは小さく深呼吸した。
「ソラ卿との対話を願いに来た」
イェラが不愉快そうに顔をゆがめた。
「対話の余地があるとお思いですか?」
イェラが言う通り、ジーラ商会連合には対話に応じるメリットがないように思える。
座して待ち、金を蓄え、王家に話を持って行けば利益が確定するのだから。
だが、チャフは気にしなかった。
チャフの前にいる交渉相手はジーラ商会連合ではなく、イェラなのだから。
「交渉の余地は十分にある」
「戯言を披露するのが趣味なのですか?」
イェラが皮肉げに口端を上げる。
チャフは怯む事なく、イェラの向かいに腰を下ろした。
「帰りが遅くなると、ソラ卿に心配を掛けてしまう。持って回った言い方は無しだ」
「どうぞ、ご勝手に」
チャフの言葉に素っ気なく返して、イェラはソファにもたれかかった。
イェラの態度を咎めるどころか、チャフは苦笑する。
余裕を感じる反応を見て、イェラは不機嫌に唇を尖らせた。
ますます苦笑が深まるが、チャフは真面目な顔を取り繕う。
「まず、本音を聞かせてほしい。ソラ卿をまだ悪徳領主だと思うか?」
「当たり前です。実の父すら罠に掛ける相手を、悪徳以外の何だと言うんですか?」
イェラが不快感も露わに眉を寄せる。
チャフはまぶたを閉じる。
浮かんでくるのは荒れ果てたかつてのクラインセルト領だ。
「故人の悪口は言いたくないが、クラインセルト伯爵は悪政の限りを尽くした。この土地が荒廃した元凶だ。そして、ソラ卿は領地を建て直した」
「──論点が逸れています。如何なる悪人であっても、犯した罪によってのみ裁かれるべき。濡れ衣を着せるなど、倫理の欠片もない所業です。それとも、邪魔者を排除する事は許されるとでも?」
イェラの質問に、チャフは息を吸って力強く答えを返す。
「許されはしない。だが、目的が正義なら、人々の幸福であるのなら、悪徳ではない」
チャフはイェラを正面から見据え、曇りのない瞳で鋭い視線を突きつける。
「イェラ、子爵領で布の廉売騒動がなぜ起きたか、分かっているのか?」
「それは……」
イェラが苦しそうに瞳を逸らした。
だが、チャフは追撃する。
「廉売騒動の背景には、ジーラ商会連合の成立があった。従業員を守るため、大手商会は必死で活路を探したんだ。……イェラには予想がついていたはずだろう?」
確信を持って、チャフはイェラの返事を待つ。
イェラは商会連合設立の立役者だ。
規模の大きさが武器になる事を理解していなければ、商会を連合させるという発想は浮かばない。
そして、弊害にも気付いていたはずなのだ。
未来が見えていて、あえて目を瞑った。優先航行権を得るための交渉材料、失業者を生み出すために。
だからこそ、イェラは自身を唾棄すべき拝金主義者と呼んだのだ。
イェラは何時までも答えを返さず黙秘を続ける。
それが、ソラとの根本的な違いだった。
チャフはため息を吐く。
「イェラ、君がソラ卿に向けている感情は──同族嫌悪だ」
チャフはイェラの感情を言葉にする。
イェラが身を守るように俯き、自らを抱くように腕を交差させた。
──ソラ卿は胸を張って見せたが……。
覚悟の違いだと言い捨てるのは、酷な気がした。
だが、人を率いるならば胸を張っていなければいけないのだ。
チャフはソラを見て、そう学んだ。
「イェラ、このまま商会連合が拡大したなら、貴族との闘争が待っている。傭兵を集めているからには、気付いているんだろう?」
チャフは静かに問いかける。
イェラが悔しそうに唇を噛み締めている事に気付き、チャフはフェリクスに目配せした。
護衛として、あまり良い顔はしなかったが、フェリクスは素直に応接室を出ていってくれた。
チャフは再び、イェラに話し掛ける。
「貴族と争えば、遠からず武力衝突が起こる。結果として勝つ事はできるかもしれない。だが、民が不幸に見舞われる事は間違いないだろう」
チャフが語る未来予想図は、多くの者が描き、責任ある者達が回避しようとしている不幸だ。
今ならばまだ、回避できる不幸なのだ。
イェラが回避するために動けば、必ず避けられる。
イェラが行動しないのは、同族嫌悪で目を曇らせ、目標を見失っているから。
目標を見続け、共に先頭を歩む者がいないから。
「イェラ、王都でオレが取れなかった手を、もう一度伸ばして欲しい」
唾棄すべき拝金主義者の頭上に輝く星として、チャフはイェラに手を差し出した。
イェラは俯いたまま、ゆっくりと口を開く。
「……あなたは、私の味方ですか?」
か細い声での質問にチャフは首を振る。
「オレは正義の味方になりたいだけの──」
困った顔で笑いながら、チャフは続ける。
「ただの偽善者だ」
聞きようによってはあんまりな言葉だと、チャフも思う。
イェラがクスリと笑った。
「……本当に、あなたはお人好しな偽善者ですよ。人をこんなにやり込めて、私の前を歩こうとするんですから」
少し潤んだ瞳でチャフを見つめ返し、イェラが差し伸べられた手を取った。