作品タイトル不明
第十三話 ポーンは今、
会議を終えたソラ家臣団は、忙しそうに動き始めた。
朝食の準備など各々の朝にやるべき仕事を済ませようというのだろう。
そんな中、チャフは席を立ったソラに対して真剣な顔で話しかける。
「ソラ卿、先ほどの議題に一つ、抜けている物がある」
「抜けている物?」
歩きだそうとしていたソラが怪訝な顔で問い返した。
チャフは静かに深呼吸した。
退室しかけていた家臣団が、成り行きを見守るために揃って立ち止まっている。
チャフは覚悟を決め、口を開く。
「ジーラ商会連合に最終通告を出すはずだろう?」
穏やかな交渉は最後だとジーラ商会連合に示す、半ば宣戦布告とも言える最終通告。
「そんな事か。後でゴージュと一緒に火炎隊から人を選ぶつもりだ」
ソラがゴージュに仮面付きの顔を向ける。
了解、とゴージュが言葉を返した。
しかし、チャフは異を唱えた。
「最終通告を届ける役目を──オレに任せてもらいたい」
チャフの言葉が会議室の面々に静寂をもたらした。
一瞬の内に張りつめた空気の中、場を代表するようにリュリュが腕を組む。
「冗談を聞いていられるほど暇じゃない」
チャフはソラと家臣団を見回した。
場の空気に息が詰まる。
──諦める訳にはいかない。
チャフは内心で堅く拳を握る。
「冗談を言ったつもりはない」
「それこそ笑えない冗談だね」
リュリュは心底から詰まらなそうに言い放ち、壁に背中を預けた。
とりあえず、聞くだけは聞いてくれるのか、とチャフが安堵した、刹那──
「おい」
仮面越しでも分かる冷たい声にハッとして、ソラに顔を向ける。
チャフの目に飛び込んできた物は、拳だった。
細い腕から繰り出されたとは思えない鋭さで迫るソラの拳。
不意を打たれて回避が間に合わないその拳に、チャフは瞼をきつく閉じた。
しかし、予想した打撃音を響かせる事なく、ソラの拳はチャフの鼻先で制止した。
「……チャフ、俺がこの拳を振り抜けば、それだけでトライネン伯爵との外交問題に発展する」
腕をおろしたソラが、諭すように語りかける。
「チャフが考えているほど、お前の身体も命も安くないんだよ」
「……分かっている」
チャフは絞り出すように応えた。
ソラが首を振る。
「ジーラ商会連合は倉庫番の名目で傭兵を多数雇い入れている。武力を持った敵対勢力の本拠地にチャフを送り出せるわけがないだろ」
今までも細心の注意を払い、ジーラ商会連合へ手紙を届けていたのだ。
しかも、今回は宣戦布告の意味合いもある最後通告である。
「考慮に値しない」
ソラが結論を出し、チャフの横を抜けて会議室の扉に向かう。
ソラの結論を当然の物として受け入れた家臣団も、特に反論する事もなく部屋を出ようとした。
──ダメか……。
チャフは下唇を噛む。
痛みで焦りを打ち消しながら、チャフは懐に忍ばせた手紙に手を伸ばし掛け、止めた。
手紙を渡せば、ソラはチャフの申し出を断れないだろう。
だが、それは余りにも卑怯で、尊敬する者達に顔向け出来るものではない。
──そう、言葉で説得できなければ、この事態を打開できるはずがない。
チャフは緊張と焦りがうねり狂う心の中から、本心を掬い上げ、言葉を紡ぎ始める。
「──オレはソラ卿を尊敬している!」
突然何を言い出すのかと、ソラが肩越しに振り返った。
背中にソラの視線を感じながら、チャフは続ける。
「ソラ卿に決闘を仕掛けたオレは、相手の言い分も聞かない視野狭窄の愚か者だった。周囲の言葉だけで人を判断し、自ら接して知る事をしない愚か者だった」
化け物隊と呼ばれる嫌われ者達を堂々と引き連れ、真っ向から対峙したソラの姿を思い出す。
あの日、掲げられた木剣の列は清廉として、誰に恥じる事もない人間性を知らしめた。
「ソラ卿に連れられて訪れたクロスポートの薪不足が解消された時、人々の笑顔を見て、領民の幸せこそが正義だと知った」
当時はまだ、理解する余裕がなかった。
「麦角の騒動を収めるためのソラ卿の手段は、今でも悪だと思う。人は犯した罪によってのみ裁かれるべきだからだ。しかし、導いた結果は間違いなく正義だった」
フェリクスと勝負するまで、目を逸らし続けた事実。
今なら分かる。
正義を結果として導く悪の手段。
それは──
「偽善というのだろう。だが、価値ある偽善だ。……為すために覚悟が必要な、価値ある偽善だ」
チャフは言葉を切り、ゆっくりと振り返る。
いつの間にか、ソラは身体ごとチャフに向き直っていた。
家臣団も真剣な顔で静かに耳を傾けている。
「王都でイェラに会った際、彼女は話していた」
少しずつ、冷静さを取り戻しながら、チャフは記憶の糸を手繰り、思いと寄り合わせる。
「金がなければ客ではない、客でなければ人ではない……金がなければ、人ではない。ある行商人から言われたそうだ」
そして、イェラは反発するように宣言していた。
「ならば、金をばらまきすべての者を人にしてみせると。事実、イェラはジーラ商会連合を築き上げ、金を集め、多数の労働者を抱えている」
イェラは結果を出しているのだ。
そして、イェラは自嘲気味に語っていた。
「自身は唾棄すべき拝金主義者だと。偽善である事を百も承知で、イェラはジーラ商会連合を築いた。オレは、彼女も尊敬している」
「──だが、イェラはやり過ぎた」
ソラが冷や水を浴びせるように言葉を放った。
チャフは否定しなかった。
小さく頷いて、口を開く。
「そうだ。このままでは貴族との権力闘争になる。それはイェラの目的に相反する事のはずだ。だが、イェラには未来が見えていない。誰も歯止めをかけないからだ」
目標が見えている者は少なく、先頭に立つ者が自分だけだと、イェラは言っていたではないか。
誰か、目標だけを見据える者が傍にいて欲しいと、イェラは手を伸ばしていた。
劣等感に駆られて、チャフはあの時イェラの手をはねのけた。
「今更かもしれないが、手遅れではないはずだ。ソラ卿、イェラを必ず連れてくる。一度だけでいい、話し合ってくれ」
そして、チャフは頭を下げた。
しばらくの静寂の後、ソラが短く答えを返す。
「──駄目だ」