作品タイトル不明
第十九話 生死境の人形達
──諦めさせてやる。
耳に飛び込んできた言葉は、迫力と説得力を伴ってアイクの心理を揺さぶった。
──来る。勝負手が……。
アイクは額に嫌な汗が浮かんでいる事を自覚しながら、面を上げる。
降りしきる雨が見える窓を背景に、アイクの間近でソラが瞳をガラス玉のように輝かせた。
ガラス玉に映るアイクの顔には、張り付いたような笑みがあった。
こんな状況でも笑みを浮かべていられる自分を誉めるべきだと思うが、頬の筋肉は凍り付いて動かない。
全てお見通しとばかりにソラは瞳を瞬き、酷薄な笑みをアイクの記憶に刻みつけてくる。
「面白い物を見せたい、と手紙にも書いただろ?」
くすりと笑うソラに問いかけられ、アイクは視線をさまよわせる。
応接室の中にめぼしい物はない。
その時、扉が音もなく開かれた。
「準備が出来たようだな。アイク、ついて来い」
ソラがアイクを促して扉に向かった。
慌ててアイクはソラの後を追う。
廊下に出て左右を見回すが、扉を開けたであろう人物が見当たらない。
何故か、来る時にはなかった子供くらいの大きさの人形が壁にもたれていた。
「どうした? 早く来い」
ソラが振り返って、アイクを急かす。
いま行きます、とアイクが言葉を返した刹那、人形からカチリと音がした。
人形を見ると、ガラス玉と目があった。
──あの人形、さっきまで窓を見ていなかったか……?
記憶との食い違いに薄ら寒いものを感じたが、勘違いだと思い直してソラの背中を追う。
大樹館の廊下を歩き、中庭を見ながらさらに敷地の奥へと進む。
雨音に混じって、聞き覚えのある音が聞こえてくる。
大樹館に到着した時にも耳にした音だ。
──これは、織機の音か?
音の正体こそ分かったものの、何故、領主が住む館の中で聞こえてくるのかが分からない。
ソラが言う見せたい物が織機とは考えにくかったのだ。
アイクが訝しむ内に、音は徐々にはっきりと聞こえるようになる。
近付いているのだ。
──本当に、織機を見せるつもりなのか?
ソラが大樹館と別の建物を繋ぐ渡り廊下に出た。
アイクも後に続き、正面に見える建物に目を凝らす。
石造りの重厚感溢れる建物は倉庫にも見える。
だが、倉庫にしては大き過ぎた。
壁の幅は七十メートル弱、高さから判断すると二階建てだろう。
窓は二階部分に申し訳程度の明かり取りがあるだけで、雨の進入を防ぐためか今は閉め切られている。
外観からもわかる密閉された建物は、中身の機密性を浮き彫りにしていた。
ソラは建物の前まで来ると、アイクを振り返る。
不意に落ちた雷が周囲を照らし、刹那の間、陰と光の境界を創りだした。
圧密木材で作られた重い扉に手をかけて、ソラが口を開く。
「この中で見た事は他言無用だ」
ソラの手によって、重い扉がゆっくりと開かれる。
開かれた暗い入口が日常と非日常の境界に思えて、アイクはゴクリと生唾を飲んだ。
アイクの反応を楽しむように薄ら笑いを浮かべながら、ソラが入口に向き直る。
「もっとも、他言した所で誰も信じないだろうけどな」
呟くような言葉に引かれて、アイクはソラと共に建物へ入る。
入ってすぐに壁があり、階段が左右へ伸びていた。
入口から覗き込まれないようにしてあるのだろう。
ソラが無言で階段を登り始める。
外の雨音は遠ざかり、代わりにギリギリ、カタカタと妙な音が響いていた。
織機の音が混じってはいたが、異質な音の種類が遙かに多い。
階段を登り切った先には、一階を見下ろす形で廊下が作られていた。
ソラが手すりに両腕を置いて、アイクに笑いかける。
「下を見ろ」
ソラに指示され、アイクは手すりから一階を見下ろした。
広い空間を埋め尽くす織り機と人影が、薄闇の中で動いている光景をアイクは見つめた。
「暗くて済まないな。あいつらは光を必要としないから」
ソラが気持ちの籠もらない謝罪の言葉を口にする。
アイクは眉を顰めた。
明かり取りの窓は閉め切られ、ろうそくの明かりもない。
一階にいる者達を見る限り作業に支障はないようだが、建物の密閉性も相まって、まるで牢獄だ。
人を働かせる環境ではない。
──奴隷を使っているのか。
そう考えて、アイクは階下に目を凝らす。
規則正しく動く織機と職人の動きに注目すると、違和感があった。
──速い……速すぎる。
熟練の職人も真っ青の作業速度だった。
奴隷どころか、一流の職人でも有り得ない作業効率だ。
アイクは一階の隅々まで見下ろし、個々の動きを確認する。
どの織機も異常な速度で布を織っていた。
──有り得ない。どうなっている!?
神速の手を持つ職人の顔を拝もうと、アイクは手すりから半ば身を乗り出した。
細めた目に職人の顔が映った時、アイクは危うく手すりから転がり落ちそうになった。
「……に、人形」
よろよろと後退りながら、アイクは布を織る人形を指差した。
うっすらと紅を引いた唇、朱を差した頬に白粉を塗った顔、動きやすい半袖の服を着た──物言わぬ人形の群れ。
ギリギリと異音を奏でながら、独りでに手を動かし、布を仕上げていく。
生と死の境界をさまよいながら、人形達がひたすらに布を織る様は、アイクに原初の恐怖を突きつけた。
「──どうだ、面白いだろ?」
ソラが冷たい笑みを浮かべて、小首を傾げる。
──面白いわけがあるか、こんな、こんなもの……。
有り得ない、とアイクは頭痛すら覚えながら否定する。
いくら目の前にあろうと、信じられるはずがなかった。
必死で否定する材料を探すアイクは、ふと気付く。
──中に人が入っていたとすれば、どうだ?
一階で織機を動かしている人形は等身大、陶器の頭を除けば子供が中に入って動かすくらいは造作もない。
一流の職人が裸足で逃げ出す、布を織り上げるあの速度は気にかかるが、一応の説明はつく。
正体を見破った、とアイクが笑みを浮かべる直前、カチカチと軽い音が近付いてきた。
「──おぉ、気を利かせて紅茶を入れてくれたのか」
ソラがにこやかな笑顔で話しかける相手を見て、アイクの笑顔は凍り付いた。
メイド服を着た人形が、上下左右をこまめに確認しながら、紅茶を載せた盆を持って歩いてくる。
壁の半ばに取り付けられた木の板を足場に、メイド服の裾から白く小さな足を交互に出し、アイクに近付いてくるのだ。
アイクの傍で独りでに停止した人形が盆を捧げる。
人形は小さかった。赤子でも入りはしない。
「喉が渇いているだろう?」
ソラがアイクの分の紅茶も人形から受け取り、手渡してくる。
「なぁ、アイク、まだ布の安値競争なんて続けるのか?」
ソラがメイド服を着た人形の頭を柔らかく撫でながら、アイクに問いかけてきた。
疲れを知らず、飲み物も食べ物も睡眠さえも必要ない。文句を言わず、昼夜を問わず働いて、給料を受け取らない。挙げ句、熟練の職人が相手にならない早さで布を織る。
人件費を掛けずに布を量産できる。
そんな人形を抱える相手に安値競争をするのか?
──それこそ、有り得ない。
紅茶を受け取ったアイクは、一息に飲み干した。
味など、分かるはずもなかった。