作品タイトル不明
第八話 銀の影さす
アイクは大樹館を後にし、待たせていた馬車に乗る。
すぐさま御者が馬車を進めた。
「商会長、首尾はどうでしたか?」
「残念な事に、交渉は決裂だよ」
言葉とは裏腹に、アイクはにやにやと笑う。
御者も似た笑みを浮かべて肩を竦めた。
「悪い人ですね。元々、子爵様の話を聞く気なんてなかったでしょう?」
「当然だ。どんな利益を提示されようと、やめられるはずがない」
御者の問いに答え、アイクは腕を組んだ。
カラカラと馬車の車輪が回る音が聞こえてくる。
「すでに引き返せる地点を過ぎている。ここで引けば、何人も解雇せねばならん」
伯爵領の乞食共のせいでな、とアイクは吐き捨てた。
当初の計画とは裏腹に、伯爵領の住民が転売目的で買い付けていくため、布の在庫を増やす必要があった。
子爵領の住民がいつ大量に買い始めるか分からない状況で、在庫を切らす訳にはいかない。
安値競争の相手であるロジーナ商会より布を多く確保しておき、子爵領民が布を買い始めた時、ロジーナ商会の客を一人でも多く奪うためだ。
しかし、伯爵領の住民が布を買っていくため、ロジーナ商会の在庫の見当がつかなくなっていた。
仕方なく、アイク商会は布の備蓄量を増やすが、ロジーナ商会も同様に大量に買い付けた。
考える事は一緒、という所だろう。
しかも、ロジーナ商会が買い付けた物は布だけではなかった。
羊糸も買い付けていたのだ。
布の製造から行う事で、僅かでも安く仕上げる腹積もりだったのだろう。
アイク商会は出遅れたが、羊糸を輸入して布の製造を開始した。
輸入した布には品質で劣ったが、それでも売り物になった。
しかし、人が増えたため、人件費も増えた。
人を雇えば、売上に関わらず決まった金額の給料を支払わねばならず、赤字に弱くなる。
アイクは、安値競争に勝ったと思った。
同じ事をしている限り、始めから多くの資金を持っている自分達が有利なのだ。
もうすぐ、ロジーナ商会の商圏を奪えるこの状況で和解など、馬鹿馬鹿しくて笑えてくる。
ロジーナ商会の資金も底を突きかけていると、先程のやり取りで見当が付いた。
後は追撃に次ぐ追撃あるのみ。
「例の話を進めねばならん。早く帰るぞ」
この一撃で相手は諦めるだろう、とアイクはほくそ笑んだ。
同じ頃、ロジーナは馬の上で神経質に身体を揺すっていた。
乗せている馬は慣れているようで、落ち着きのない乗り手を気にした様子がない。
「交渉は決裂、交渉は決裂、交渉は決裂……ッ」
呟きながら親指を口元に持っていった時、ボロボロの爪が目に入った。
癖で噛もうとしていたが、諦める。
我慢したせいで余計に行き場のない不安で胸が一杯になり、振り払うように頭を振った。
「大丈夫、手は打ってある。早く進めれば、間に合う。まだ、間に合う」
ぶつぶつと独り言を零すロジーナに、すれ違う人が怪訝な顔をした。
キッと睨みつけると慌てたように去っていった。
「──ロジーナ商会長ですね?」
聞き慣れない声で名を呼ばれ、ロジーナが怪訝な顔を向ける。
そこには茶褐色の外套を羽織った男が一人、静かに佇んでいた。
男は重たそうな眼鏡を人差し指で押し上げ、背中を向ける。
ついて来い、と言いたいらしい。
ロジーナはやや遅れて馬を歩かせる。
しばらくして、どうやらクロスポートを出るつもりらしいと気付いたロジーナは、町を振り返りつつ口を開く。
「護衛を町に置いてきてるから──」
「時間の無駄です。後にして下さい」
反論を受け付けるつもりはないらしく、眼鏡の男は歩調を緩めない。
ロジーナは諦めて従った。
クロスポートの外に出て、森に入る。
少し開けた場所、倒木に銀髪の娘が腰掛けていた。
「ご機嫌よう」
感情を含まない空虚な笑顔を浮かべ、銀髪の娘はロジーナを出迎える。
ロジーナの顔を一目見ると、銀髪の娘は笑顔のまま口に片手を当て、首を傾げた。
「──あら、怖い。荒れてますのね?」
鈴を転がすような明るい声で、銀髪の娘は面白がった。
ロジーナは悔しさに顔を背ける。
「交渉は決裂よ」
交渉において、ソラからいくつかの和解案が提示された。
だが、アイク商会は条件を飲むつもりが最初からなかった。
アイクのふてぶてしい顔を思い浮かべて、ロジーナは苛つく。
「でも、演技はしてきた。こちらが資金不足に陥っていると、アイク商会は勘違いしたはず」
ロジーナが伝えると、銀髪の娘は笑顔のまま「よくできました」と頷いた。
投げた小枝を犬に取りに行かせて遊ぶような、誘導する事を楽しんでいる動作だ。
しかし、顔を背けていたロジーナは気付かなかった。
「アイク商会が勘違いしているのなら、必ず勝負を仕掛けてきます。付き合ってあげましょうね」
銀髪の娘の言葉を聞き、ロジーナは不安そうに横目で睨む。
「本当に、大丈夫なのよね? 資金的な余裕がないのは事実なんだから、一刻も早く──」
「焦っちゃ駄目よ。アイク商会が攻勢を掛けてきた所を叩く計画なのだから、今は獲物の振りをしないと」
銀髪の娘は両膝に頬杖を突き、諭すように言い含める。
それでもロジーナの不安が消えていない事を察したのか、銀髪の娘は残念そうな声を出す。
「仕方がありませんね。近い内に会談の席を設けましょう。もちろん、秘密の、ですよ?」
銀髪の娘の提案にロジーナはようやく人心地ついた。