作品タイトル不明
第六話 不当廉売
「不当廉売とはな。正直、ここまでするとは思ってなかった」
木の香りがする大樹館の廊下を踏み鳴らしながら、ソラは舌打ちする。
大手商会の商圏拡大に端を発する布の安値競争は、激しさを増していた。
話し合いの場を持とうとした事で、ソラが事態を知ると共に収束を願っていると分かったのだろう。
各大手商会は横槍を入れられる前に商圏拡大を成功させようとしたのだ。
中小商会の抵抗も激しく、布価格は低下の一途を辿った。
日々安くなる布を見て、早く買おうと考える客は多くないはずだった。
本来なら需要が追い付かず、市場に布が溢れただろう。
しかし、事情を知らないクラインセルト伯爵領の領民が布を買い上げ、伯爵領に舞い戻り転売する事態となった。
中途半端に売れてしまうが故に在庫を補充せざるを得ず、輸入を行う。
安値競争は継続され、原価ギリギリにまでなった。
これ以上は下がりようがない、と誰もが考えた。
人々がホクホク顔で原価ギリギリの布を買い始めた時、更なる異常が発生する。
布の価格が原価を割ったのだ。
文字通り赤字覚悟の販売である。
短期的に赤字を出してでも、その地域から商売敵を追い出したかったのだろう。
そして、安値競争は再燃した。
どの商会も赤字を出しながら、布を販売する。
敵わないとみた商会は布事業からの撤退を余儀なくされた。
しかし、今後も伯爵領からの難民が増え、布の需要も増えると予想できるため、引き際を誤っている商会も多い。
この安値競争に勝てば、商売敵のいない布事業で好きに価格を設定できる。
──欲に目がくらんだ馬鹿共が。
ソラは心の中で毒吐いた。
このまま事態が深刻化すれば、雇用減少どころか多数の失業者を出しかねない。
「──ソラ様」
廊下の先から小走りに近付いてきたサニアが、ソラの前で止まる。
「やっと来てくれたよ。アイク商会の会長さん」
サニアは報告しながら、ソラに羊皮紙を手渡した。
軽く目を通すと、アイク商会について簡単にまとめられた資料だった。
来客を応接室に案内した後、資料室に寄って来たのだろう。
「助かるよ。しばらく休んでいてくれ」
ソラに頷いて、サニアは食堂へ歩き去った。
秘書代わりに付いていたリュリュが不思議そうにソラを見る。
「最近、サニアの耳を触ろうとしないね?」
ソラはニヤリと笑うと、よくぞ聞いてくれました、と胸を張る。
「押して駄目なら引いてみろ、とラゼットに助言されてな」
ソラが返した理由を聞いて、リュリュは微妙な顔をした。
「それ、自分がいない間に何も起こらないようにするための、ラゼット姉の作戦じゃ?」
「……言われてみれば、そんな気もするな。いや、しかし、最近はサニアの警戒が薄くなってきている。効果は確かにある、はずだ」
自信がなくなってきたソラがしどろもどろになる。
リュリュは苦笑して、サニアが向かった食堂を振り返った。
「確かに、態度が柔らかくなった気はする」
「やっぱりそうだよな! 方向性はあってるんだ」
ソラは自信を取り戻し、嬉しそうに口元を綻ばせる。
リュリュは少し考えて、ソラに同意した。
「確かに方向性だけはあってる。問題はソラ様の我慢がいつまで続くか」
「……別の方法を考えよう」
「言うと思った」
五、六ヶ月で効果が出ると聞いていたソラだが、冷静に考えるとラゼットの出産日と被っている。
リュリュが言う通り、自分がいない間の保険としてソラに“助言”したのだろう。
──あのものぐさメイドめ。なんという罠を張りやがる。
「危うく騙される所だった」
「恋は冷静さを失わせるね」
「リュリュが言うと説得力があるな」
ソラが噛みしめるように頷く。
リュリュは不思議そうに首を傾げた。
「恋なんかした事ないけど?」
──人とは、な。
ソラは気を取り直して資料に目を向けた。
「アイク商会、か」
アイク商会といえば、子爵領東部の街グラントイースから中央の町ジーラを結ぶ町と村に商圏を持つ大手商会である。
トライネン伯爵領から布を輸入し、子爵領内で販売している。
アイク商会が不当廉売を仕掛けている地域も、グラントイースからジーラを結ぶ線にある規模が大きな村だ。
商圏を広く、分厚くしていく腹積もりだろう。
「アイク商会の競争相手はもう着いているのか?」
「ロジーナ商会なら、待合室に通してあるよ」
中規模の商会の名前を口にして、リュリュは呼んで来ようか、と首を傾げる。
「あぁ、頼む。まとめて応接室に通してくれ」
客の案内をリュリュに任せて、ソラは先に応接室に向かった。
応接室の扉を開け、上座に置かれた革張りの上等な椅子に腰を下ろす。
人差し指の先でこめかみを叩きながら、ソラは考えを巡らせる。
──何故、布を扱う商会だけで商圏拡大が始まったんだ?
子爵領では様々な品を輸入しているが、商圏拡大を図る商会はどこも布を扱っている。
他の分野では、多少の値下がりはあっても、布に見られる熾烈な安値競争が起こっていない。
腑に落ちない物を抱えながら、ソラは何かを見落としていないかと記憶を探る。
「“銀の娘”くらいしか、思い当たるものがないんだよなぁ」
しかし、銀の娘の目撃証言はおぼろげで、布を扱う商会以外にも出入りしている痕跡がある。
直接的な原因とはいまいち思えなかった。
特に頻繁に出入りしていたらしい大手商会がジーラに集結している。
──銀の娘の正体は恐らく……。
ソラは一人の女の顔を思い浮かべた。
「商会をそそのかした奴が別にいるとは思うんだが……。まぁ、鎌を掛けてみるしかないか」
廊下からの足音を耳にして、ソラは尊大に足を組む。
扉がノックされ、押し開けられた。
「ソラ様、アイク商会長とロジーナ商会長をお連れしました」
よそ行きの声で告げて、リュリュが扉の脇に寄る。
そして、二人の商会長が現れた。