作品タイトル不明
第四話 活火山
ソラとチャフは近衛隊士に案内され、王城の廊下を歩いていた。
リュリュ達はベルツェ侯爵の屋敷に置いてきており、今は貴族の二人だけだ。
石造りの廊下は、春先にも関わらずひんやりとした空気に包まれている。
奥へと進む内にすれ違う人影も減っていった。
「こちらの部屋です」
近衛隊士が扉の前に立ち止まり、手で示す。
ソラはさり気なく周りを見回した。
──人がいない。あまり利用されてない場所か。
厄介事の臭いが増して、ソラはげんなりした。
近衛隊士が扉をノックする。
硬質な音が短く響いた。
待ち構えていたように、中から扉が開かれる。
扉を半開きにして、近衛隊副長が顔を出した。
「クラインセルト子爵、チャフ・トライネン様、お待ちしておりました」
小さく会釈して、近衛隊副長はソラ達を中へ招き入れる。
ソラは足を踏み入れると共に、室内で待ち構えていた五人の顔を確認した。
近衛隊副長が扉の脇に立っている。
長方形の室内に、横長の机が置かれていた。
ソラを呼び出した張本人であるベルツェ侯爵は、机の左に座っている。
ソラはベルツェ侯爵と一瞬だけ目を合わせ、自身の正面に座る人物を見る。
──なぜ、国王陛下までいるんだ。
窓と近衛隊長を後ろにした国王は太陽の光を背負いながら、ソラとチャフを観察していた。
戸惑いは一瞬、ソラはすぐに臣下の礼を取る。
しかし、チャフは思考が追いつかなかったらしく、呆然と立ち尽くしていた。
「……チャフ、御前だ。礼をしろ」
視界の端にチャフの有様を捉えたソラは、小さな声で呼びかける。
ハッとしたチャフが、慌てて動くが、時すでに遅い。
部屋にいた最後の人物がやおら立ち上がり、轟音とすら形容できる大声でチャフを怒鳴りつけた。
「なんじゃ、その情けない顔はッ!」
石造りの部屋だというのに、ソラが足の裏に揺れを感じる程の大声。
──あぁ、なるほど……。
ソラは達観しつつ、納得する。
目をやる暇がなかったが、特徴的な声量からある言葉を連想し、その枕詞を持つ貴族を聞き知っていた。
──この爺さんが“活火山”のシドルバー伯爵、か。
一人納得するソラだった。
その時、活火山の大喝を受けたチャフが、耳を押さえてよろめき、ソラにぶつかる。
臣下の礼を取っていたソラには、とっさの出来事でもあり、体格差も手伝ってチャフの体を支えきれなかった。
結果的に双方ともバランスを崩し、チャフの下敷きになって、ソラは床に潰れる羽目になった。
頬に冷たい石の感触。
ソラは次に起こる未来を即座に予測し、耳を塞ぐ。
ソラの視界には、慣れた動きで無表情のまま、同様の仕草をするベルツェ侯爵の姿があった。
「チャフ! どこまで無様を晒すつもりじゃ、貴様はッ!」
耳を塞いでも十分以上に聞き取れる怒鳴り声。
──御前だろ。誰か、この爺さんを黙らせろよ。
ソラはベルツェ侯爵に目配せする。確かに眼はあったはずだが、逸らされた。
内心でため息を吐き、ソラは背中の上から未だに動かないでいるチャフを肘でつつく。
「そろそろ、退いてくれ。この格好はあまりにも失礼だ」
チャフは自分が誰の上にいるかに気付いて、急いで体を起こす。
ソラに手を差し伸べて、立ち上がる手伝いをしながら、チャフは謝った。
「すまない。クラインセルト子爵」
ようやく床を二本の足で踏めたソラは、チャフの後ろに立つ人物を見る。
白髪の老人である。
七十を越えているのではないかと思えるが、背筋は真っ直ぐに伸びており、衰えを感じさせない。
溶岩のように赤い瞳は大きく、鋭い眼光を放っていた。
「……クラインセルト子爵だと?」
チャフの後ろで、シドルバー伯爵が片眉を跳ね上げた。
まさか飛び火して来るのかと、ソラは身構える。
ジロリ、と視線をソラに移したシドルバー伯爵は、値踏みするように観察する。
「脂豚の子か。決闘にて、チャフを破ったそうじゃな」
シドルバー伯爵は足音高く近付いて、ソラの顔を覗き見る。
数瞬の間を置いて、シドルバー伯爵はいきなりソラの頭を鷲掴みにした。
「生意気な悪ガキの眼をしとる。ベルツェの若い頃がかわいく思えるわ。大物になるじゃろう」
──誉められた……いや皮肉か?
胸の内に困惑を抱えたソラの頭を、シドルバー伯爵はグリグリと押さえ込むように撫でる。
「ところで、ソラ卿に聞きたい事がある。普段、チャフをどう呼んどるんじゃ?」
「どうと言われましても、先程通り、名前を呼び捨てに」
ソラの頭に置かれたシドルバー伯爵の手に、力が込められた。
──軽く痛い。呼び捨ては不味かったか……?
シドルバー伯爵は口端を吊り上げ、眼光の鋭さを増した。
「逆に、チャフがお前さんを呼ぶ時は、どうじゃ?」
「……クラインセルト子爵、と──」
ソラの言葉は、カッと開かれたシドルバー伯爵の口から飛び出た噴火音に、かき消された。
それは最早、声と呼ぶ事がはばかれる巨大な音。
ソラは悟った。
──あぁ、これがあるから、奥に案内されたのか。
事実は多少違っていると、ソラは後に知る事になる。
余りに巨大な声であったため、間近にいたソラには内容が聞き取れなかった。
しかし、シドルバー伯爵が続けた言葉で理解する。
「チャフ、貴様はソラ卿を何時まで他人行儀に呼ぶつもりじゃ! まさか、決闘に負けてから一年も経っとるのに、ソラ卿と対等になっとらんのじゃなかろうな!?」
両の眉を吊り上げ、シドルバー伯爵はチャフの襟首を掴み上げた。
見事に事実を言い当てられ、チャフの眼が泳ぐ。
チャフの態度で全てを察したのだろう。
シドルバー伯爵はチャフを丸飲みできそうな程に口を開き、声を張り上げる。
「負けたなら、勝つ。勝てぬなら、己を鍛えて勝つ。まだ勝てぬなら、教えを請うて勝つ。忘れたとは言わせんぞ! 貴様が泣くまで言い含めておったはずじゃッ!」
チャフの頭をガクガクと揺さぶっても、シドルバー伯爵の怒りは収まらなかったらしい。
軽々とチャフを肩に担ぎ、シドルバー伯爵は扉を開けて廊下へ出る。
反転して室内に体を向けると、チャフを担いだまま頭を下げた。
妙に優雅な動きだった。
「陛下のお役に立てるよう、不肖の孫を鍛えて参ります」
シドルバー伯爵が扉に手をかけると、音もなく閉まった。
「……孫?」
ソラが困惑顔で室内を見る。
疲れた顔で目頭を揉むベルツェ侯爵と、痛む耳を押さえて顔をしかめる国王がいた。
「やっと出て行ったか……」
国王がぼそりと呟いた。