軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

146話 幸せを呼ぶスイーツ

デトモルト男爵家は重い空気に包まれていた。

当主がフバーレク家に連行されたという連絡以降、まだ戻ってきていないし、前当主クライエスがいよいよ臨終の淵に立つほど病が悪化しているからだ。

「ノヨルエス様」

「何だい?」

そんな中で、男爵家が一応の秩序を保っていられるのはひとえに、前当主の息子で、現当主の甥にあたるノヨルエスのおかげだろう。

長らく領主補佐にあり、領政を取りまとめてきた実績は大きい。そもそもデトモルト家は彼でもっていると言っても過言ではない。

「お客様がお見えです」

「そうか。ならば客間に通してくれ」

「それがそのう……」

そんな彼がいつも通りに執務を行っていた所に来客の報せ。

これまたいつも通りの対応を指示したところで、部下の方がバツの悪そうな態度を見せる。

「ん?」

「お客様というのがモルテールン家の方々でして。本当にお通ししてもよろしいのでしょうか」

モルテールン家とデトモルト家の確執は、それぞれの家中でも良く知られている。別に隠してもいないのだから噂が広まるのは止められない。というより、圧力を掛けてきていたリハジック子爵などに潔白を訴える為、デトモルト家の家中では産まれたばかりの赤ん坊にさえ語り継ぐ勢いで流布している。いや、流布していた、と過去形で語るべきだろうか。

「来られたのはモルテールン男爵か? それともペイストリー殿か」

どちらが来るかで対応も変わる。

ペイストリーは先日言葉を交わし、ある程度自分たちの事情にも理解を示してくれた。過去のいざこざには直接関与していないし、カセロールとは違って自分たちと血が繋がっている。故に会うことにはまだ抵抗が少ない。

カセロールならば、向こうが恨んでいる可能性がある。自分たちにだって言い分はあるが、相手の立場からすれば愛する恋人と無理やり引き裂かれようとしたという話なのだ。

結婚相手は親が決めるという貴族の論理、理屈としては自分達に理があると思っているが、人としての感情ならば相手の方が筋が通る。恋愛は理屈ではないのだから。

理屈と感情がぶつかったなら、折り合いは絶対に付かない。

故に恨まれていたとしても不思議は無い。カセロールがデトモルト男爵家をどう思っているのか、二十年以上も一切会話が無かったので、正直分からない。会うにしても躊躇の一つや二つはするだろう。

男爵家を支えてきたノヨルエスといえど、躊躇う気持ちが無いといえば嘘になる。

「ペイストリー様です。あと……アニエスお嬢様、いえ、モルテールン男爵夫人がお越しで」

「何!?」

だが、予想外の名前を聞かされる。

ノヨルエスは思わず椅子を蹴り倒す勢いで立ち上がった。

「アニエスがうちに?」

「はい」

「どういう理由で訪ねて来たか、聞いたか?」

「御病床のクライエス様を見舞いたいとのことです」

部下に来訪理由を聞かされ、ノヨルエスは、はたとペイストリーに父親の病気を伝えていることを思い出した。それに、父が妹と会いたがっているということも言った覚えがある。

どういう話し合いがモルテールン家の家中で為されたかは不明だが、恐らく最初で最後になるであろう見舞いをしたいというなら、兄として断れない。断りたくない。

「そうか……ならば通してくれ」

「よろしいのですか? 後で御当主様がお知りになられると、ノヨルエス様がお叱りを受けるのでは?」

「構わない。そうなったら私が全ての責任を負う。数年前ならいざ知らず、今は状況も変わっている。文句を言ってくる他所の家もさほどあるまい」

二年前ならば、リハジック子爵が相当な権勢を誇っており、レーテシュ伯に代わって南部のトップを 窺(うかが) うほどの勢威を持っていた。南部の陸上交易に絶大な影響力を持ち、或いは交易独占に手を掛けていたほどの実力者。

軍事的にも精強な一軍を擁し、政治的にも新興派のリーダー格として確固たる地位を築いていたリハジック子爵。

過去に先代の子爵と因縁があり、デトモルト男爵家としては敵対して狙われれば勝ち目のない相手だった。

しかし、今はリハジック子爵家も没落し、借金まみれと聞く。借財の利払いだけでも領地の収入が吹っ飛び、蓄えも無く、冠婚葬祭の度にあちらこちらに借金の申し込みで頭を下げて回る有様。かつては国軍以上の精鋭と称えられたリハジック家の私軍も財政難から解散したと聞く。

既に脅威にはならない以上、彼の家やその周囲に遠慮する必要も無くなった。

今ならば、妹を家に迎えたところで、多少の外圧は跳ね除けられると思い、ノヨルエスはアニエスを歓迎すると部下に伝えた。執務室で最上の待遇で接するようにと言づけて。

ノヨルエス自身は、いそいそと上等の服装に着替えて応接室に出向く。

「お兄様、お久しぶりです」

「本当に久しい。会えて嬉しいよアニエス。心から歓迎するよ」

二十数年ぶりに顔を合わせた兄妹。アニエスなどは既に孫が居るし、今日だって成人した 息子(ペイス) が傍に居た。

お互いに最後に顔を合わせた頃と比べれば、大分年を重ねている。口元の法令線や目じりの皺、或いは肌の張りが年相応の面貌を作っていた。髪も、兄の方には白髪が大分ある。妹だって白髪が無いとは言わない。

お互いがお互いに、かつてに比べて変わってしまった様子に驚く。

それでも、面影は変わらない。

兄は年を重ねても妹のことがすぐに分かったし、妹も兄の顔を見て兄であると確信できた。

二十数年経っても尚、お互いに顔を覚えているものだとの感慨もある。

「元気にやっていたのか?」

「ええ」

「そうか」

「お兄様もご健勝のご様子で」

お互いの会話は乏しい。何を話していいものやら、お互いに分からないからだ。

ただただ無言。両者の間に横たわる静寂の森は広くて深い。二十年で勝手に育った原生林だ。

「とりあえず、父のところに案内しよう」

沈黙に耐えかねたのは兄の方だった。アニエスとその息子がお茶を飲み終えたところで、早速とばかりに立ち上がる。妹の方も、それに黙って付き従う。

ノヨルエスは妹が何をしに来たかは先ぶれで知ったが、父親の元に案内するあいだ、兄妹の間の会話はやはり、殆ど無かった。

だが、歩き出せば気まずさは無くなっている。アニエスからしてみると、昔と変わらない家の中にも年月を感じさせるものが多々あり、懐かしさと同時に、過ぎし日が確かに存在したことを自覚させられたからだ。

懐かしい。そう思うこと自体、やはりどこかで生まれ育った家に愛着を残していたのかもしれない。

「父上、入ります」

前デトモルト男爵の寝かされている部屋に入った瞬間、アニエスやペイスは病室の臭いを嗅いだ気がした。

薬草をすり潰したような青臭い匂いと、弱った身体から発する独特な臭い。

「父上、起きておられますか」

ノヨルエスが老人に声を掛けた。

意識がうつろなのか、ぼうっとした様子で目を開ける病人。

「アニエスが見舞いに来てくれました。起きられますか?」

息子の言葉の中に娘の名前を聞いた時、今まで病人然としていた老人が、起き上がろうとした。

「げ、元気だったかアニエス」

老人の声は息も絶え絶えだった。

顔には深い皺が数えられないほど走り、髪はまばらになり、歯も抜けている。やせ衰え、二十数年前には自分よりも遥かに逞しかった父が、めっきり力を無くしている姿を見た時。アニエスの中では、何かが溢れた。

「今まで済まなかったな。来てくれてありがとう」

父の声だけは昔と変わらない気がした。

昔と変わらない家族へ向けた言葉だった。

「父様、今まで我儘な娘でごめんなさい」

そう、自然と声が出ていた。

涙が溢れ、ぐっと堪えようにも零れてしまう。

幼き頃から育ててくれた愛情も、夫との結婚に反対されて反発した思い出も、疎遠になっていた二十年も。複雑な思いは未だに沢山積み重なっている。

本当は、もっと早くに仲直りが出来ていたのかもしれない。そう思うと、涙が止まらなかった。

「伯父上、少しのあいだ二人きりにさせてあげませんか」

「良いだろう」

ペイスが伯父と呼んだことが、ノヨルエスには嬉しかった。

二人そろって、部屋から出て扉の前に待つ。聞き耳を立てるような野暮なことはしない。

「父も、これで思い残すことなく旅立てると思う。感謝している」

「旅立ちですか」

「ああ。父はもう長くは無いだろう。出来る事なら、心安らかに最後を迎えさせてあげたかった。ただの一人の息子として、父の最後の願いを叶えてもらえたことに礼を言いたい」

「……最後の願い。旅立ちには心残りがあってはいけませんね」

「ああ」

ペイスと伯父の会話は、肩書を外しての個人と個人の会話なのだろう。

並んでいる二人は、どこか似たような雰囲気があった。

しばらくすると、アニエスが目を赤らめて出て来る。

それに真っ先に気付いたのはペイスだ。

「仲直り出来ましたか?」

「ええ。何だか胸の中の 閊(つか) えが無くなったみたい」

部屋の中でどんな会話を交わしたのか。自分の父親と二十数年ぶりに交わす言葉とはなんだったのか。ペイスはそのことには一切触れない。

だが、その顔には慈しみの笑みが浮かぶ。

「なら、最後の一仕事は僕の出番ですね」

そう、彼の笑顔は慈しみの心からであるはず。

◇◇◇◇◇

モルテールン領に笑い声が響く。

「坊、ありゃ一体何なんですかい?」

「前デトモルト男爵ですね」

従士長の問いに、領主代行の少年が答える。

「そうじゃねえです。何で、死にかけのくたばりぞこないがウチでピンピンしてて、お嬢や領主夫人と仲良くお茶会なんぞしてるんだって話です。棺桶の蓋を蹴とばして飛び出してきそうなぐれえ元気ですぜ?」

「死にかけのくたばりぞこないなどと、シイツは酷いこと言いますね」

「どの口で言ってんで? いや、そんなことより、ありゃ何なんですかい」

「政治決着の為です」

「あん?」

説明するペイスの顔は涼しげだ。

いっそその頬をつねってやりたいと思わせるぐらいに平静で、訳が分からず慌てているシイツがいっそ滑稽に思えるほどに。

「デトモルト男爵家は、正式に過去当家と絶縁したことを過ちだったと認め謝罪しました。当家としては幾つかの誠意を見せることを条件に、それを受諾し、本件を以後一切問題としないという手打ちを行ったんです」

「あの爺さんがその誠意ってんですかい?」

謝罪代わりに娘を差し出すような話は聞いたことがあるが、ジジイを差し出すなんて聞いたことが無いとシイツは不思議がる。

「原因を作った当時の責任者をデトモルト領から追放すること。これが相手方の誠意です。うちとしては、行く当ての無かった御爺様を療養の為に引き取ったということです」

「療養って割には元気ですぜ。ありゃホントに病気ですかい? 俺が聞いてたのと随分違うんですが」

少なくとも、死にかけていると聞いていた割に元気そうだ。あと数年は生きそうなほどには元気。

「実に不思議ですね。モルテールン領で美味しい料理やお菓子を食べて栄養をつけ、ゆっくりと療養したら、病気が治ってしまったようなのです。これはモルテールン産のお菓子を売るのに使えますよね。偶然とは恐ろしい」

「……坊、例の盗んだ魔法を使ったんで?」

「ええ。僕が知っている病気で良かった。知らない病気は流石に治せませんので」

ペイスは、レーテシュ伯が聖国の治癒魔法使いを出産の為に呼んだ際、こっそりとその魔法を【転写】して自分の物にしている。モルテールン家でもトップシークレットに類する機密だ。

この治癒の魔法は、病気は殆ど治せないというのが聖国での通説。しかし、それは病気の原因が分かっていないからだ。栄養の知識や、病原菌の知識を多少なりとも持つペイスが使えば、オリジナルよりも効果が上というのだから、機密にもなる。バレれば聖国が国を挙げて攻め込んでくること間違いなし。ペイスを取り合って世界を巻き込む大戦が起きるだろう。このことは口が裂けても言えない。

「宣伝に効果的ってなあ分かりましたが、あんなの一人預かって……食費もタダじゃねえんですぜ?」

「デトモルト男爵家から、療養費だけは頂きました。それは大丈夫。それに伝統派として当家に無い外交的な太いパイプも持っていますし、居て貰えるだけでも価値はあるでしょう」

「抜かりねえこって。あ、まさか、あの爺さんが生きてる間ずっと搾り取ろうってんじゃ……」

シイツは気付いた。悪童の狙いに。

ペイスが侮れないことは重々承知していたはずなのだが、それにしたところでまだ見込みが甘かったらしい。

「療養費なんですから、療養が続く限り支払うのは当然でしょう。“末期の重病”ですから、それ相応に負担して頂く必要がある。しかし、シイツは何を言ってるんです。絞りとるだなんて人聞きの悪い。それじゃあまるで僕がデトモルト男爵を騙したみたいじゃないですか」

「そう言ってんでさあ」

シイツとペイスのモルテールン領トップ会談。

その目線の先には、クライエス、アニエス、ジョゼの三世代が仲良くお茶会をして会話に花を咲かせている。

「ま、母様が幸せそうならそれで良しってことで」

お茶会のテーブル。その傍では、ジョゼが早口言葉に挑戦している姿が見られるのだった。