軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

145話 ポルボロン

夜遅くのこと。

モルテールン家の王都別邸にて、親子の語らいで言葉が交わされていた。執務室のソファーに向き合って座り、それぞれの前にはお茶が置かれている。

向かい合う親子とは、モルテールン家自慢の息子ペイストリーと、当主カセロール。話す内容は、勿論デトモルト男爵家とのやり取りと、アニエスの態度について。

「なるほど、アニエスがそんなことを」

「はい。まさか母様があそこまで思い詰めているとは思いませんでした」

息子の言葉に、父はお茶を一口飲んで口を湿らせた。

喉まで出かかった言葉を飲み込むようにして、お茶をごくりと嚥下する。

はあと溜息と共に、呟くように父は言う。

「色々、複雑な事情があったからな」

どこか遠くを見るような、過去を見つめる目。カセロールの哀愁漂う様子を見ても、息子は同じ目線には立てない。知らないことが多すぎると、疑問をそのまま口にする。

「複雑な事情?」

「ああ。色々あった。例えばそうだな。お前が生まれる前の話だが、ビビが熱を出して寝込んだことがあった。発疹が出てな。医者に見せるにもその時に限って金が無かった。親として出来る限りのことをしてやりたくて、あちこちに頭を下げて回ったな。恥を忍んでデトモルト男爵にも医者の都合と借款を頼みに行った。どんな屈辱に甘んじてでも助けて欲しいという覚悟でな」

モルテールン家にペイストリーが生まれる前となると、最底辺の貴族だった時である。カセロール自身は魔法を使えるにしても、個人の稼ぎだけで家族や家臣を養うのには限度があった。

領地も貧しく、赤字運営が続いていた頃。冬備えで年を越す準備をしていて、薪や塩や肉を買い溜めていた時に、長女が熱を出して寝込んだ。

ただの風邪ならば暖かくして寝かせておくだけでも治るだろうが、その時は娘の体中に発疹が出ており、只の風邪ではないと思われた。老人連中の見立てでも、自然治癒する病気ではなさそうだと言うことで医者に診せる必要に迫られる。だが、折悪く冬備えで蓄えを吐き出したばかりだったのだ。医者に診せるにしろ、薬を買うにしろ、金が要る。

カセロールとしては、自分のプライド程度は捨て置いて、娘を助けたいとあちこちに助力を乞うた。デトモルト男爵家にも、頭を下げに行ったという。

「それで?」

「門前払いだ。会ってもくれなかった。アニエスは激怒していたな。それまでは、幾らなんでも本当に困った時は助けてくれるかもしれないという淡い期待があったんだが、それが幻想だと気付かされた」

「ビビ姉様は助かったんですよね?」

「当たり前だ。その時は偶々、レーテシュ伯が融資と医者の手配をしてくれてな。ビビは一命をとりとめた」

レーテシュ伯は南部閥の取りまとめをしている家柄。派閥の人間が困っているならば助け舟を出すことも領袖としては当然のこと。モルテールン家が本当に困っていると知ったレーテシュ家が、レーテシュバルに居る医者の手配と、医療費の貸し付けを行ってビビの命を助けた。

勿論、自家に利益の無い相手には助けることも無いし、タダで金を恵んでくれるわけでも無い。

その後はカセロールも二度ほどタダ働きさせられたし、融資は三倍返しという暴利を要求された。娘の命には代えられないとカセロールは受諾したわけだが、弱小貴族の悲哀とはこういった搾取の構造にある。

「結局デトモルト男爵をそのまま許したんですか?」

姉が大病の時にも無視を決め込んだデトモルト家に対して、何もしなかったのかとペイスは問うた。

「今でも許してはいない。だが、行動について理解は出来ると思えるようにもなった。今となっては、だがな。前デトモルト男爵にも肉親の情が残っていたがゆえに、会うと情に 絆(ほだ) されてしまうと思ったのだろう。それで会いもせずに追い返した。今ではそう思える」

カセロールは、デトモルト家について過去の対応を許してはいないという。

だが、その頃には既にアニエスの父には実権は無く、また情で動くには切り捨てられないものが多すぎたのだと理解は出来た。

大貴族を敵に回してまで孫を救い、自家に抱える大勢の人間の生活を危うくさせることは、貴族としては出来なかったのだろうと。

実際、本当にモルテールン家を嫌っているならば、弱り目に追い打ちをかけ、会うだけ会って徹底的に貶すぐらいはやったはずだ。やろうと思えばモルテールン家を潰すことだって出来た。それが無いのは、やはりアニエスとその娘に対して、積極的に危害を加えるまでは出来なかったのだろう。

親からすれば子を助けて欲しかったとの思いがあるが、貴族としては必ずしも間違っているとは言えない決断。物事は単純な話ではない。

「母様もそのことには気づいて……」

「聡いアニエスのことだ、当然気付いていただろう。父親にもかつての愛情が残っていることを確認できたことと、娘をないがしろにされたことと。どちらも真実だ。門前払いにされたことに怒る感情が有りながら、それでいて理由が別れたアニエスへの愛情。あいつにとっては、愛憎が入り混じる複雑なことになったのだろうと思う。他にも色々あったのだが、デトモルト家に腹立たしく思う気持ちと、捨てきれない情と、過去の仕打ちに対する怒りと、貴族としての常識と。色々な思いがあるのは確かだ」

カセロールが言い難そうにしているのも、デトモルト男爵家とアニエスの関係がここまでこじれた原因の根本が、自分との結婚に有るからだ。

アニエスのことは心から愛しているし、家族を持てたことには幸せを感じている。それだけに、結婚が間違っていたとは思わない。

だが、当時は若かった。今ならばもう少し、両家に配慮した形での結婚が出来たのではないかと思えば、過去を悔いる気持ちもある。

もう少し自分たちの方に歩み寄って欲しかったという思いもあるし、自分たちが歩み寄っていく余地もあったのではないかと後悔もする。総じて複雑な心境なのだ。

「父様は、母様が御爺様に会いたがらないと分かっていたんですか?」

「薄々気付いてはいた。これでも夫だからな。妻のことも多少は分かるつもりだ」

カセロールが、更にお茶を飲む。

彼には、なんとなく妻の気持ちが分かる気がするのだ。

「ではどうされるおつもりですか」

「私の想いとしては、アニエスには最後ぐらいは親兄弟と和解して欲しいと思う。向こうが詫びたいと言っていることも知っているし、アニエスだって詫びたいことの一つもあるだろう。そして、詫び以外にもお互い言いたいことが沢山あると思う。この機会を逃せば、今後一生、話をする機会は訪れないのだから、躊躇してはならない。幸いにしてお前が両家の垣根を相当に低くしてくれた。目下の問題は、アニエスの気持ちだけだ」

「母様の気持ちですか」

今までは、両家の間に政治的な問題や、体面の問題があった。

しかし、ペイスの活躍によって、少なくとも体面は取り繕えた。デトモルト家が公式に絶縁の非を認めて謝罪したわけで、それを受けてモルテールン家として動くことは可能。カセロールとしても、向こうが謝ってくれたのならば、ひとまず過去のいざこざを棚上げするぐらいの政治決断は出来るのだ。

後は、当事者の行動だけである。

「二十年以上も顔を合わせていないのだ。何を言っていいか分からんだろうし、踏ん切りがつかないのだと思う。これが仲直りする最後のチャンスだ。だからこそ、仲直り出来なかった時の怖さがあるのではないか? ここでもう一度喧嘩してしまっては、今度はアニエスが神の下に召されるまで、親兄弟と仲違いしたままの結果になるのだから。アニエスにもまだ父や兄に対して、仲が良かった時の情がある。だからこそ、決定的な決裂を恐れているのだろうな」

「なるほど」

ペイスには、親や姉と仲違いしたまま疎遠になった経験が無い。

どんな気持ちかなどとは想像するしかできないが、仲直りしたいと思っているからこそ、一歩を踏み出すのに勇気が必要なのだと父から聞かされ、頷くものがある。

修復しかかっているものが、大切であればあるほど、もう一度壊してしまう事への恐怖がある。それはペイスとしても理解できた。

「やはり母様の背中を押す必要がある……という訳ですか」

「こればかりは、アニエスが自分で決めることだ。我々に出来ることは無い」

「そうでもありません」

「ん?」

「母様の幸せのために、僕がもう一肌脱いでみたいと思います」

「何か考えがあるのか?」

「ええ。僕は僕なりに、母様を勇気づけてみます」

そう言って、少年は微笑んだ。

◇◇◇◇◇

一人の女性が、屋敷の一室で溜息をついていた。

彼女こそモルテールン家の慈母、アニエス=ミル=モルテールン。

椅子に腰かけ、何をするでもなく窓の外の景色を眺め、はあと溜息をついたかと思えば、またぼーっと外を眺める。心中が如何なるものか、察するに余りある姿。

「母様」

そんな女性に、声を掛ける者が居た。

「ペイスちゃん、まだこっちに居たの?」

「ええ。ちょっと母様にプレゼントを用意したので」

「あら、何かしら」

息子が元気づけようとしてくれていることが分かったのだろう。少し笑顔が戻った顔で、母は息子に向き合った。

折角の息子との時間。アニエスは侍女にお茶を用意させ、ペイス自身はプレゼントの披露を準備する。

彼が母を元気づけようとして贈るもの。それは勿論スイーツだ。

「これを母様に召し上がっていただこうかと思いまして。僕の手作りですよ」

そう言ってペイスが用意したのは、一見するとクッキーのようなお菓子だった。

程よく焼き上げられた香りが鼻孔をくすぐり、甘いというよりはお腹がすくような香ばしさ。

アニエスとしても、ペイストリーがお菓子作りが好きなことは承知しているわけで、そこに不思議は無い。自分の為だけにお菓子を手作りしてくれたことには、素直に喜ぶ。

「嬉しいわ。ペイスちゃんが作るクッキーはいつも美味しいから」

「どうぞ召し上がってください」

「ありがとう。頂くわ……あら?」

一つ手に取って口に入れたアニエスは、まずクッキーとは違うアーモンドとラードの香りに驚いた。てっきりいつもと同じクッキーだと思っていたら、全然違うものだったのだ。

気が付けばもう一つを手に取り、口に入れていた。

そこで気付くのは、このお菓子の異常なまでの食べやすさだ。

「凄いわ。こんな食感初めてだもの」

口に入れた瞬間には、もう既にさらりと溶けて無くなっている。まるで最初から形が無かったかのように、あっという間に消えてなくなる焼き菓子。それでいてしっかりと舌に残る甘さと旨み。取り立てて変わった味でも無く、奇抜な材料は使っていないように思えるのに、食感だけが実に小気味いい。

女性の敵。ダイエットの仇敵である。そう思うほどに、ついついもう一つと手が伸びてしまう。

「気に入っていただけましたか?」

「美味しいわペイスちゃん。こんなに美味しいお菓子、今まで初めて食べたもの」

「それは良かったです」

ペイスは母親の反応に満足げに頷き、更に説明を続けた。

「このお菓子はポルボロンと言いまして、とある国では不思議な言い伝えのあるお菓子なんですよ」

「不思議な言い伝え?」

「ええ。このお菓子を口に入れて、溶けてしまう前にポルボロンと三回唱えることが出来れば、願いが叶うそうです」

「ポル……あ、駄目だわ。三回どころか一回も言えない」

「僕もやってみましたが、とても三回は無理ですよね」

あははとペイスが笑ったように、ポルボロンが溶ける前に三回名前を唱えるのは至難。よく似たお菓子では卵ボーロのようなものもあるが、これはそれに輪をかけて良く溶ける。

アニエスも何度か試してみたが、やはり三回も唱えることは出来ない。

「やっぱり無理だわ。残念。折角ならかなえて欲しいお願いもあったのに」

そう呟くアニエスには、やはり親兄弟との仲直りを願う気持ちがある。どこか躊躇している。だからこんな些細なおまじないにも人より真剣になっている。

ペイスにはそう思えた。

「母様、実はポルボロンと唱えなくても、願いが叶う方法もあるんですよ?」

「あら、それは何?」

「勇気を出すことです」

ペイスの言葉に、アニエスは食べようとしていたポルボロンをそっと置いた。

「母様にも、色々と想いや葛藤があることは分かります。ですが、今ここで、最後まで親子が喧嘩したままというのは、不幸だと思います。母様だって、御爺様に会いたいのでしょう?」

「……ええ」

「ならば、勇気を出すことです。本当に大切なものは、あっという間に無くなってしまう。消えてしまってからでは遅い。僕はそう思います」

「そうね。そうかもしれない」

「……明日。僕と一緒に出掛けませんか。デトモルト男爵家に。いえ、御爺様のところに」

ペイスに促され、アニエスは溜息を一つついた。

「分かったわ。ペイスちゃんにここまでしてもらったら、私も情けないところは見せられないわよね。だって私は、ペイスちゃんの母親で、モルテールン男爵夫人ですものね」

「ええ。その通りです」

「行くわ。明日、ペイスちゃんと一緒に。父様のところに」

「それでこそ僕の母様です」

パン、と両手で膝を叩いたアニエス。

ペイスの説得で、ようやく踏ん切りがついたらしい。

「でも最後に、一つだけお願いしていいかしら」

「何でしょう」

母親のお願いに耳を傾けるペイス。

そんな息子をアニエスは思いっきり抱きしめ、そのままお願いを口にした。少し涙を浮かべつつ。

「お代わりってあるかしら?」

「勿論です」

アニエスはポルボロンをとても気に入ったようだった。