作品タイトル不明
第43話
* *
ユナト海軍の軍船「ウィルベルニル」が大きく帆を膨らませ、海を滑るように走っていく。船名の由来はもちろん、王家所蔵の名剣だ。
ウィルベルニル号の後ろには、大小さまざまな船が二十隻ほど続いている。
それを船上から眺めているのは、ユナト王オルバだった。フィオレの父でもある。
「まこと壮観よな」
目を細めているオルバとは対照的に、ウィルベルニル号の船長は落ち着かない様子だった。
「よろしいのですか、陛下?」
「何がだ?」
オルバの母方の従弟でもある船長は、額の汗を拭いながら答える。
「フィオレ殿下のことでございます」
「うちの娘がどうかしたか? もう十四になったぞ、久しぶりに顔を見てやるか?」
「そういうことじゃないんだよ、オルバ兄ちゃん。オルフィン兄ちゃんに相談したのかって……いえ」
うっかり昔の癖が出てしまい、船長は慌てて咳払いをする。
「失礼いたしました。テルダムの包囲をフィオレ殿下に一任なさったと聞いておりますので」
「おお、うん。それぐらいはもう任せても大丈夫であろうからな。案ずるな、オルフィンにも話は通してある」
王弟オルフィンの名前が出てきたので、船長は少しだけ安心したようだ。
「それならば私などが口を挟むこともありますまいが……」
するとオルバは小さくうなずいた。
「確かに敵地での包囲攻撃は、後背を衝かれる恐れがある。それゆえに王太子であるウルリスを使う訳にはいかん。かといって余が包囲攻撃の指揮を執れば、今度は艦隊の指揮を執る者がいなくなる。他に方法がないのだ」
「さすがに王太子殿下やフィオレ殿下には、海戦の指揮はまだ無理でしょうからな」
「陸戦とは何もかも違うからな。余も戦術については提督や船長たちに頼らざるを得ぬ。オルフィンは多少できるようだが」
王の言葉に船長がうなずく。
「オルフィン殿下は若い頃に万舟湾でやんちゃされていましたからな。しかし今回はティゲルの方で陽動をなさっていますし」
船長もうなずいたが、まだ不安そうな顔をしていた。
「ただそうなりますと、早くテルダムを攻略なさった方が良いのではありませんか?」
「いや、主力艦隊は海上封鎖に専念する。テルダムへの入港は一隻たりとも許すな」
オルバはそう言い、水平線をじっと見つめた。
「フィオレからの報では、テルダムへ通じる街道は全て封鎖できたそうだ。おそらくテルダムの守備隊はフィオレの軍に向けて盛んに砲撃を行っていることだろう」
「そうでしょうな。あそこの砲台は強烈です。特に海側が」
実感を込めて船長がうなずくと、王もそれにうなずき返した。
「もし今テルダムを海上から攻めれば、海側の砲台も火を噴く。だが貴重な軍船を喪う訳にはいかん。テルダムに備蓄された火薬と砲弾は、陸側に向けて使ってもらう」
その言葉に船長が絶句する。
「それでは……フィオレ殿下を弾除けに使うと?」
「そうだ。なに、フィオレ自身に当たりはすまい。ひたすら守り、耐えておればよい。簡単なことだ」
船長は不安そうに訊ねる。
「しかしあの子に……いえ、フィオレ殿下にできるでしょうか?」
「できてもらわねば困る。耐えるだけなら凡将にでもできよう。それができぬのなら凡将以下。兵を率いる資格はない」
その言葉に船長はふと疑問を呈する。
「もしかして陛下は、フィオレ殿下の資質を見極めようとなさっているのですか」
「うむ。フィオレはルマンデの戦いでは見事に先陣を切って戦った。しかし一軍の将たる者、進む勇気だけでなく耐える勇気も必要だ。それがあるのかを知りたい」
オルバの言葉に船長はうなずいた。
「仰る通りですが、その……ぶっちゃけ、あの子には厳しいんじゃないかな、オルバ兄ちゃん? 赤ん坊の頃から短気で気性が激しかっただろ? オルバ兄ちゃんにそっくりだ」
するとオルバは目を細めて笑った。
「いかにも。だが今のフィオレは人を使う立場になった。本人の至らぬところは、周囲の者が補ってくれるであろう。そうでなければならぬ」
「そりゃそうだけど……」
船長は三角帽を脱いで前髪を撫でつけると苦笑してみせた。
「しょうがねえな。では我らのフィオレ殿下をお待たせせぬよう、さっさとやりますか」
「ああ、頼んだぞ」
船長は三角帽を被り直すと、口元に不敵な笑みを浮かべた。
「我らユナトの船乗りにお任せあれ」
* *
「だーっ! もう面倒だ、総員突撃せよ!」
魔剣ウィルベルニルを振り回して姫が叫んでいるので、俺はスコーンをそっと差し出す。
「姫、おやつをどうぞ」
「おーまーえーはー!」
姫がキッと睨みつけてくるが、この状態の姫は俺の制止を聞いてくれるから大丈夫だ。たぶん。
「これは姫のために特別に焼いてもらったパン菓子です。兵士の中にはパン職人も多数おりまして」
前世の英国風スコーンに似ていて、甘さは控えめ。正直、お菓子としては物足りない甘さだ。
しかしこの世界では、砂糖が入っているというだけでもとびきりのお菓子になる。精製された砂糖はとにかく高いのだ。
「むう……」
本職の職人が焼いたスコーンに、ちらちらと視線を向ける姫。
「とりあえず、これを食してからにするか。よこせ」
「はい、姫」
これじゃ紋章官じゃなくて執事だよ。
ドーンドーンと大砲の音が響く中、天幕では優雅にプリンセスのスコーンタイムだ。
ちなみに兵士たちの中には大砲の音ですっかり参ってしまい、食欲の失せている者も多いという。姫はそこらへん、全く頓着していないらしい。
「うむ、甘いな。甘いのは良い」
「ええ、甘いのは良いですね。紅茶をどうぞ。フォージの特級です」
ユナトの半島部で栽培された茶葉で作られた、最上級の紅茶だ。本来は敵方との交渉などで接待に用いるものだが、少しぐらいなら飲ませてもいいだろう。
「あっち!」
「慌てて飲むからですよ」
小さな舌を出して熱がっている姫に、素焼きのカップに入った果実水を差し出す。気化熱のせいで常にひんやりとしており、冷蔵庫のないこの世界では何よりの清涼飲料だ。
姫が俺を見上げる。
「至れり尽くせりだな」
「女の子には甘いものを与えておけと、メステスが申しておりました」
「そういうことは言わんでいい」
ふくれっ面の姫だったが、おやつを食べて少し冷静さを取り戻したようだ。
「さすがに突撃はナシだな。城壁に張り付く前にマスケット銃の一斉射撃を受ける」
「そうですね。弓兵はいないようですが、銃と弾薬は潤沢にありそうですから」
マスケット銃は女性や子供でも扱えるので、その気になれば市民を徴用して射手にできる。弓では絶対にできないことだ。
俺はスコーンに塗るジャムを出しつつ、姫に言う。
「陛下の御命令は、テルダムを包囲することでしたよね?」
「うむ。だがそのせいで毎日毎日砲撃を受けておる。初日ほどではないが、兵士が毎日死ぬのは面白くないな」
被害としてはせいぜい数人程度なので、この世界の戦争としては「ほぼ被害なし」と言っていい規模だ。なんせ命が軽い。
むしろ野営で体調を崩す者の方が多く、大砲なんかよりもそっちの方が問題になっている。
「砲弾の飛んでこない位置を把握しましたので、被害はかなり小さくなりました。一発撃った後はしばらく飛んできませんので、その間に移動するようにしています」
どの砲台にも死角があり、死角が重なる場所には砲弾が飛んでこない。
「後はダミーの天幕を張って、敢えて砲弾を撃ち込ませています。案外律儀に撃ち込んできてくれるので、やりがいがありますね」
「おぬし、いろいろやっておるのだな」
「暇なもので」
誰でも思いつく程度の小細工だが、紋章官としてやることがないので暇潰しに小細工を弄している。
「このまま敵には弾薬を浪費してもらいましょう。海上封鎖がうまくいっているのなら、じきにテルダムの弾薬は心許なくなってくるはずです」
紅茶を注ぎながら俺が言うと、姫が表情を曇らせる。
「そのように悠長にしておって良いものであろうか。陸路から救援が来れば、我々は挟み撃ちにされるのだぞ」
「救援の可能性はありますが、挟み撃ちにされるかどうかはわかりませんね。テルダムの駐留軍に騎兵や槍兵はあまりいないでしょうから」
事前の調べでは、テルダムの陸戦兵力は衛兵隊しかいない。治安維持部隊なので基本的に軽装であり、規模も小さい。それに大砲や銃が主な武器なので、野戦はあまり得意ではないだろう。
姫はスコーンをまふまふ食べながら、難しい表情をしてつぶやく。
「つまりこのまま耐え続けるのが最善、という訳か」
「はい。少なくとも俺はそう考えています」
待ってるだけで手柄が転がり込んでくるんだから、国王も娘には甘いよな。
もちろん、ここで姫が変な勇み足をしないかはきっちり見ているだろう。馬鹿な真似をすれば、預けた軍勢を取り上げられてしまう可能性もある。
「姫が軍才に長けておられるのは承知ですが、今は陛下の命令を守ることが何よりも優先されます。艦隊を率いておられる陛下の御苦労を無駄にしないためにも、今は耐えるしかありません」
「わかっておる。本当におぬしは口うるさいのう。これで塞いでやる」
やけスコーンを頬張りつつ、姫は俺の口にもスコーンを突っ込んできた。
「もがもが」
「わかっておると申しておる。陸と海で連携せねば、テルダムは落とせぬ。それゆえ、事前の申し合わせと違う行動を取ってはならぬ。そうだな?」
「もがもが」
「ふふ、何を言っとるのか全くわからん」
さっき、わかってるって言ったじゃん。
でもまあ、姫が笑っているからいいか。この様子なら無茶はしないだろう。
もし姫がどうしても戦うつもりなら、別の策で引き留めるつもりだった。
「もがもが」
「なにっ!? 一兵も用いずに状況を動かす策があると申すのか!?」
なんでここだけわかるんだよ。