作品タイトル不明
第4話 サディア④
それから、別に、ハードウィック子爵令息と親しくなったわけではない。
わたしから声をかければハードウィック子爵令息もわたしと同じように、周囲からの評判が悪くなってしまうかもしれないから。
だから、偶然、学院の廊下などですれ違うとき、わたしは小さく会釈だけをした。
ハードウィック子爵令息も、わたしに小さく頭を下げてくれる。
ただ、それだけで、つらい学院生活も耐えられた。
嬉しかった。
話すことなんて望んでいない。
ただ、顔を見られるだけで、わたしはしあわせを感じていた。
迷惑にならないように、そっと。遠くからでいい。
それだけでよかったのに……。
わたしは、うっかりと欲を出した。きっと、浮かれて……油断をしたのだ。
***
貴族学園では秋のお祭りのときに、ちょっとした催し物がある。
催し物と言っても、強制参加させられるものではない。
数年前から流行っているだけもの。
ただ、その催し物に対してソワソワする生徒は多い。
数年前、第三王子殿下が『真実の愛』を唱えて男爵家令嬢と婚儀を結んだことがあった。
その第三王子殿下と男爵令嬢が恋仲になったきっかけ、それが秋祭りのときに、男爵令嬢が刺繍をして渡したハンカチ。
第三王子を思っているという意味を込めて、赤いチューリップの花と第三王子殿下の名前のイニシャルを刺繍した。そう、赤いチューリップの花言葉は「愛の告白」だ。
お二人にあやかって、ハンカチに花と思う相手の令息のイニシャルを刺繍して、恋の告白をする……。
令嬢は、婚約者や秘めた恋の相手に贈るために。
令息は、婚約者や誰かから恋を告白でもされないかとか期待して。
学院中の誰もがソワソワと、ウキウキとして。
わたしも、きっと、その空気に当てられたのだ。
白いハンカチを買って。刺繍をした。
ロバート様のイニシャルの「R」と、それから……花の刺繍。
もちろん告白などする気はない。
感謝を、言葉に出して伝えるだけではなく、形にしたい。
ただ、それだけ。
ううん、嘘。
恋仲になることまでは期待していない。
ただ、わたしという人間が、ロバート様を思っていると、少しだけ意識してくれたらそれで……。
少しだけの、欲。
でも、愛の告白では恥ずかしすぎるし、ロバート様のご迷惑にもなってしまうかもしれない。
だから、刺繍する花は紫色のアイリスにした。
花言葉は「尊敬」や「感謝」だ。
形として、伝えたかった。
それで……受け取ってもらえたらよかった。
なのに。
受け取ってもらうことすらできなかった。
わたしの刺繍したハンカチは……エリオット様に取り上げられるのだ。
そんな未来のことは知らずに、わたしは一生懸命刺繍をしていた。
どうか、受け取ってもらえますように。
どうか、気持ちだけでも受け取ってもらえますように。
両想いになることなんて、大それたことは考えていない。
ただ、年を取って、お互いに誰かと結婚して、学生時代の頃を思い出した時に、そういえば、秋まつりでハンカチをもらったっけ……と、思い出してくれさえすれば。
ロバート様……ハードウィック子爵令息のお心……思い出の一画に、私が居ることが出来たら……。それだけで、わたしはしあわせだ。
願いながら、ひと針ひと針に、思いを込めて、完成した刺繍。
渡そう。
返事なんて、求めていない。これは感謝の形。
このくらいなら、きっと、ロバート様……ハードウィック子爵令息のご迷惑にはならないだろう。
そう思って。
受け取ってもらえることを期待をして。
その場面を想像して、頬を緩めて。
そんなしあわせは、その秋祭り当日に、壊れて消えた。