作品タイトル不明
05:暖かな灯火
手の中にある小さな霊珠は、ほのかな光を放っている。
(暖。暖かい。あの字を)
前世はスマホ時代で手書きの文字を書く機会は減っていた。
それでもこのくらいの漢字であれば、まだはっきり覚えている。
暖という文字と、前世の暖かな部屋を思い出す。
寒い冬の日でも、狭い部屋で暖房をつければすぐに温まった。
娘と息子が小さかった頃は、一緒のお布団で寝たっけ。子供体温がぽかぽかしたのを覚えている。
懐かしい、でも二度と触れ合うことのできない暖かさ。
寂しさをぐっと堪えて集中を続けた。
(……暖!)
両手で握って強く文字をイメージすれば、霊珠へ向かって力が引き出されるような感覚があった。同時にまたしてもぐらりとめまいがする。
そして。
霊珠が一瞬だけ強く光ったかと思うと、手の中に温熱が生まれた。
熱すぎる熱ではない。ほどよくじんわりと暖かな熱。
私はおそるおそる手のひらを開いてみた。
ビー玉のように小さな霊珠には、今ははっきりと文字が刻まれている。
――『暖』。
それは揺らめく小さな炎のように、優しい熱を放っている。
不思議なことに、手で握っていると全身が温まってきた。
カイロやストーブのように熱に当たっている部分だけではない。全身、というよりも岩に囲まれたこの空間そのものの温度が適度に上がっている。
「わあ。すごい」
今までの冷気が嘘のように、辺りは暖気に包まれた。
あとはどのくらい霊珠が砕けないでいるかだ。
私は心の中で数を数え始めた。一秒と思われるペースで数えていく。
五分経過、まだ霊珠は残っている。
十分。まだ暖かい。
三十分、まだまだいける。
一時間に達した辺りで、私は数を数えるのを諦めた。桁数が大きくなって覚えきれなくなったからだ。
そういえば前世でも算数は苦手だった。子供たちの勉強を見てやるのも、小学生いっぱいでギブアップしたっけ。
そうして暖かい中で座っていると、だんだんと眠気が強くなる。
こんな魔物がうろつく森の中で眠るわけにはいかない。
分かっていても睡魔は強かった。
今日は朝から色んなことがありすぎた。疲れ切っている。
大人ならもう少し我慢できたはずだが、この体は十歳なのだ。
どうしようもなく強い眠気に引きずり落とされるように、いつしか眠ってしまっていた。
◇
かくんと頭が下がって、ハッと目が覚めた。
見れば、空は既に薄っすらと白み始めている。夜明けが近い。
私は手の中の霊珠を見た。
まだ砕けていない。
暖の文字はぼんやりと光って暖気を生み続けている。
昨夜から早朝の今までだから、少なくとも六~七時間程度は続いている計算だ。
「『殴』は一瞬で砕けたのに。この違いは何だろう?」
声に出して呟いてみる。
殴は動作だからだろうか? 動作を完遂して効果が発揮されたから、砕けてしまったとか?
(分からない。まだ確かめ方が足りない)
私は立ち上がった。
とりあえず一晩を生き延びたのだ。何とかして王都に戻って祖父母へ助けを求めなければならない。
眠ったおかげで体力は少し戻っていた。めまいはもうしない。
「お腹すいたし、喉かわいたなぁ」
最後に飲食したのは昨日の朝のこと。いつも通りの黒パンと具のないスープの粗末な朝食を食べたきりだ。
父と継母と妹は、朝から豪勢なオムレツと厚焼きベーコンを食べていたというのに。
というか、同じ鍋のスープなのにわざわざ具を取り除くとか、意地悪にしても手間がかかっている。
もちろんやったのは指示された使用人だ。余計な仕事を増やされて気の毒である。
横目で見た食事を思い出すと、お腹がぐうと鳴った。
あぁいけない、ムカつくと余計にお腹が減る。
まだ飢え死にするほどではないが、子供の体は大人よりも消耗が激しい。せめて水が飲めるといいのだが。
(そうだ。霊珠、また作れないか試してみよう)
何となく感覚は分かってきている。
まず右手をぎゅっと握る。握った右手をさらに左手で覆うようにする。
それから集中だ。
あの小さくて不思議な玉を思い描きながら、私自身の体の熱を移すように凝縮させる。
するとズズ、と、体から力が引き出される感覚がした。
「……う」
またしてもめまいがした。思わず座り込む。
けれどその代わりに、私の手のひらの中には小さな霊珠が一つ生まれていた。
◇
「どうも霊珠を使うには、体力? を使うみたい」
まだ何も文字の入っていない霊珠を空に透かしながら、私は呟いた。
そのせいか連続で作るのは難しい。さっきみたいにしばらく休んだり眠ったりする必要がありそうだ。
また、文字を刻む時も似たようなめまいを感じた。きっと体力、もしくは魔法があるこの世界らしく魔力を消費するとみた。
つまり、霊珠を使う手順はこうだ。
最初に霊珠を作る必要があること。
作り方は何となくだが分かってきた。手を握り合わせて、何かしらの力――魔力? を凝縮させるようにする。
次に出来上がった空っぽの霊珠に文字を刻む。
これはイメージするだけでいい。
多少難しい漢字でも、書けなくても読める程度のイメージで大丈夫そう。
漢字の形と意味を強くイメージしながら霊珠を握ると、空っぽの霊珠に漢字が刻まれる。
最後に効果を発動させる。
少しの魔力を込めると、漢字の意味に応じた効果が出る。
『殴』が一撃で消えたのに『暖』は一晩経っても残っているとか、まだまだ分からないことはあるが。
基本的な使い方は間違いなさそうだ。
「喉がかわいたな……」
もしも『水』の文字を刻めば、霊珠から水があふれ出すのだろうか。それは飲める水だろうか?
私の頭の中に、いくつかの選択肢が思い浮かんだ。
その一。
この霊珠は温存して、すぐさま町へ帰る道を探す。
その二。
この霊珠に『水』の文字を刻み、飲んでみる。
その三。
霊珠は温存しつつ、森の中で川を探してみる。
しばらく考えた結果、その一を選ぶことにした。
まだ体力を消耗しきっていない今であれば、森を抜けられるかもしれない。
私は再度立ち上がった。めまいはまだ少しするが、歩けないほどではない。
それよりも飲まず食わずでいる時間が長くなるのが怖かった。
岩場から外に出ると、東の空が美しい朝焼けに染まっている。
そう、この世界も朝日は東から登るのだ。
月があって星があり、天の川もある以上は、ここも地球のような惑星なのかもしれない。まあ、そんなことは今はどうでもいい。
(ええと、町の方向は……)
私が住んでいた王都は、森の西側にあった。
つまり森から西を目指せば、町に着くはずだ。
昨夜は獣道のような道を歩いて、この岩場に出た。まずは道を探してみよう。
私は一晩を過ごした岩のくぼみから出て、西へ、朝日の方向の反対側へ向かって歩き始めた。
(西側。確かこの辺に)
獣道を探して、森の縁を歩く。
しかし私はすぐに途方に暮れた。
西の方角を探しても、目に入るのは同じような森の木々ばかり。それらしき道が見当たらない。
「嘘でしょ」
何度探しても、昨日ここまで来たはずの道がどうしても見つからなかった。
昨日は夜の暗闇の中で、無我夢中で歩いてきた。そのせいで完全に見失ってしまっている。
「どうしよう……」
そして困り果てている私の少し先、藪の中で。
ガサリと何かが動く音がした。