作品タイトル不明
(20)伯爵家の人々
「あらかじめお知らせいただければ、もっと良い席を準備しましたものを!」
オーフェルス伯爵は満面の笑顔を浮かべていました。
でも、どこか声が硬い気がします。私が知っているオーフェルス伯爵は、似た笑顔を浮かべていてももっと高圧的でした。それに、儀式が終わってすぐに、こんな端の席まで来てくれるような人ではありませんでした。
丁寧な物腰といい、なんだか知らない人を見ているようです。
密かに首を傾げていると、フィルさんが立ち上がりました。
「気にしないでくれ。オーフェルス伯爵。それより、今日は僕は個人的に来ているのだよ。あまり騒ぎにしないでもらえると嬉しい」
「は、しかし……」
「そうだ。今日はフィルと呼んでくれるかな。ルシア嬢のエスコート役に専念したいからね」
軽やかにそう言ったフィルさんは、愛想良く微笑んでいます。
でも、オーフェルス家の方々は、さらに笑顔を引き攣らせながら私に目を移しました。
従妹のイレーナさんだけは、可愛らしい笑顔を浮かべつつ、猛烈な嫉妬の目を向けています。
勝ち誇った顔か、敵意剥き出しの笑顔か、そのどちらかを予想していました。なのにイレーナさんに嫉妬されるなんて、想定外すぎます。
……これはどういう意味なのでしょう。
ふと、アルベス兄様の青を通り越して白くなっていた顔を思い出しました。お兄様はこういう事態を予想していたのでしょうか。
……私も胃が痛くなってきました。
アルベス兄様。あの時はうっかり笑ってしまって、ごめんなさい。
「では、この後の宴では少しゆったりした席をご用意しましょう。ルシア嬢も、以前から堂々として見栄えがするとは思っていたが、今日は実にお美しい! 背が高いので神々しいくらいだ。すぐに帰ってしまうのはもったいない。もっと皆さんに見てもらうべきですよ!」
オーフェルス伯爵に褒めていただきました。
しかも、全開の笑顔です。
もちろん、伯爵様に褒めていただいたのは初めてです。
……でも空々しいと全然嬉しくないものですね。正直言って、うわぁ……と言う感想以外ありません。
絶対、宴には出たくないです。
いろいろな意味で。ストレスで料理の味がしないのは確実です。
そんな私の心の声が届いたのでしょうか。
フィルさんは断ってくれました。
「せっかくだが、この後、ルシア嬢は別の用事があるそうだ。宴は遠慮しよう」
「そうですか。それは残念です。では……ルシア嬢には、こちらで護衛を用意しましょうか? 我がオーフェルス家の名にかけて、目的地まで安全にお送りしましょう。ラグーレン領までお送りしてもいい。それならば、フィル……フィル様がこちらで少し羽を伸ばすことも可能かと」
予想外の、すごい提案が出てきました。
至れり尽くせりすぎて、耳を疑ってしまいました。
そこまでして、フィルさんを引き止めたいのでしょうか。
ゴルマン様も驚いたようです。整った顔を歪めながら父親を見ていました。
……今ならゴルマン様と気が合いそうですね。こういう素直なお顔、昔はよく見ていたなと少し懐かしくなりました。
イレーナさんはふんわりとした笑顔のままではありますが、いつもより余裕がないようにも見えます。
そういえば幼い頃、こういう顔のイレーナさんと人形の取り合いをしたことがありました。本質は私と同じくらい猛々しいんですよね……。
私が逃避気味に考えている間も、オーフェルス伯爵は見事なほど貴族的な愛想笑いを保っていました。
そして、こほんと少しわざとらしい咳払いをして、急に声を潜めました。
「聞いたところによると、フィル様は、最近はとてもお忙しくお過ごしだとか。息抜きも必要でしょう。……北方の地ではなかなか味わえないような娯楽も、色々とご用意しますよ?」
なんだか意味ありげな口調です。
……あ。
もしかして、女性が聞いてはいけない領域ですか?
わかりました。
今のは何も聞かなかったことにしてあげます。今日はフィルさんには十分すぎるほど助けてもらいましたし、娯楽とやらを堪能してください!
そういう内容を、貴族令嬢らしい言い回しで伝えようと口を開きかけた時、フィルさんがにっこりと笑いました。
「オーフェルス伯爵」
静かな声でした。
なのに、抜き身の剣のように冷ややかでした。
「ルシア嬢の前では、その手の冗談は謹んでいただきたいのだが」
「……こ、これは失礼しましたっ!」
オーフェルス伯爵は青ざめ、深々と腰を折りました。
さらに数歩下がって片膝を突こうとしたようにも見えました。
でも膝を床につける前に、伯爵様の腕をフィルさんが掴んでいました。
「オーフェルス伯爵。そういうことはやめてほしいと、先ほど言ったはずだよ」
「は、はっ! お許しくださいっ!」
オーフェルス伯爵はさらに青ざめ、体を震わせました。
ゴルマン様もガタガタと震えながら、父親と同じように深々と頭を下げています。イレーナさんは父子と私たちを交互に見ていましたが、ぐっと唇をかみしめて同じように頭を下げました。
祭壇の間は、いつの間にか静まり切っていました。
まだ人は残っているのに、全員が動きを止め、息を殺し、成り行きを見守っています。
よく事情がわかっていない私も、あまりに冷え切った空気に、思わず息を止めてしまっていました。
フィルさんは、ちらりと私を見ました。
たぶん強張ってしまっている顔を見つめ、ふと下を向いて長いため息をつきました。
「……もういい。我々はこれで失礼する。それでいいよね、ルシアちゃん」
「え? ええ、そうね」
私に声をかけた時だけ、いつものフィルさんに戻っていました。
だから私は、いつも通りに頷いてしまいました。
ゴルマン様が、信じられないものを見たような顔をしています。
……対応を間違ってしまったようです。
失敗しました。
でも、私が密かに焦っているのに、フィルさんはとても嬉しそうな顔になりました。
「では行こうか。ルシアちゃん、お手をどうぞ」
恭しく、でもどこか楽しそうに、フィルさんが手を差し出します。
正直に言って私は迷いました。
来た時のような「あれ」を再現するのは、私には気恥ずかしいものがありました。柄にもないと羞恥心が騒ぎます。
でも……周囲の視線の圧力に負けて、私は顔を引き攣らせながら手を預けることにしました。