作品タイトル不明
9. 望まぬ婚約(※sideマチルダ)
タウンハウスの自室で、受け取った手紙を読んだあたしは、怒りのあまりそれを破いて床に叩きつけた。
「何よ……! 人のこと馬鹿にして……!」
その手紙は、王立学園時代の先輩の、とある伯爵令嬢から届いた返事だった。
卒業したばかりのあたしは、社交界に顔の利く人を選び、何通も手紙を書いていた。
在学中、高位貴族の殿方と縁を結ぼうとずっと頑張っていたのに、結局全部空振りに終わってしまったのだ。
『たしかに君はすごく可愛いけどさぁ……、結婚となると、やはりうちの家格と釣り合いのとれる相手じゃないとね』
『男爵家のお嬢さんと結婚したいなんて言ったら、僕は下手したら勘当されてしまうよ。ははは』
あたしが近付いて甘えたら鼻の下を伸ばしていた令息たちは、結局最後にはこんなことを言って去っていく。六年間、それの繰り返しだった。
もう後がない。
卒業する時に婚約者のいない子女なんて、よほどの訳ありの子だけ。あたしと兄のアントン以外、ほとんどいなかった。
そもそも、あたしたちのように田舎に小さな領地を一つ持つだけの男爵家の子女なんて、王立学園には他にいなかったのだ。
その兄は、最近になってようやく婚約が決まった。お相手は、長年にわたり他の令息と婚約していた過去がある子爵家の次女。両家の間でトラブルがあり婚約が破談になったという訳あり令嬢だ。結局嫡男の兄でさえ、そんな相手しか見つからなかった。
(だからといって、どうしてこうなるの!? あたしより可愛い子なんて、学園に一人もいなかったわ……! 皆澄ましかえった、愛想のない女ばっかりだった。なのになぜ、あたしが選ばれないわけ!? 男爵家の出身ってだけで、ここまで侮られなきゃいけないの!?)
これが現実なのだと薄々理解していても、諦められなかった。
豪奢なタウンハウスを持つ、裕福な高位貴族家の令息と結婚して、王都で贅沢な暮らしがしたい。貧しい生活や、見栄を張り続ける苦しさから脱却したい。
せっかくこんなに美しく生まれたんだもの。華やかな社交界の中心にいたい……!
そのうち、父がよその男爵家嫡男との見合い話を持ってきて、あたしはますます焦った。詳しく聞いてみたら、うちとほとんど条件の変わらない家だったのだ。冗談じゃない。
もうなりふり構っていられないと、あたしは恥も外聞も捨て、思いつく限りの伝手を当たった。
けれど、『お力をお借りできましたら嬉しいです。どなたか素敵な殿方をご紹介いただけましたら……』と丁寧に懇願する手紙の返事は、誰も彼も同じ。
『もう皆様、ご婚約がお決まりで』
『お家柄の釣り合いを重んじる方ばかりですので』
『このようなご縁については、ご両親がお決めになることでしょうから』
返事が一通届くたびに、あたしはそれを握りしめ、怒りを滾らせた。
(その辺の男爵家の男に嫁ぐなんて、この類まれなる美貌の持ち腐れだわ。絶対に絶対に嫌よ! どうにかしなきゃ……!)
焦りと苛立ちで、頭を掻きむしりたくなるほどだった。
そうこうしているうちに、ある日父から改まって「話がある」と呼び出された。
嫌な予感がしながらも執務室へ向かうと、父は淡々とあたしに告げた。
「マチルダ、お前の婚約が決まった。お相手は、リングレン辺境伯だ」
「……は……? リ、リングレン……? 嘘……」
その名を聞いた瞬間、脳が理解を拒み、頭が真っ白になった。
リングレン辺境伯のことは、学園でも何度か噂で聞いていた。
このベルティア王国の北側にだだっ広い領土を持つ、国内有数の大貴族。とはいえ、その領土は雪に覆われた鉱山ばかりで、娯楽など何もないド田舎だとか。
父親である前当主も王都に出てくることはほとんどなかったが、現当主のリングレン辺境伯に至っては、ただの一度も王都に顔を出したことはなく、王宮での式典や社交の場にさえ代理人しか寄越さないという。
その理由は様々噂されていて、一番よく聞くのは、その容貌の醜悪さ。なんでも戦争大好きな暴君であるリングレン辺境伯は、ある戦に加わった際に顔面に大火傷を負い、片目や鼻が爛れ、一層恐ろしい風貌になったのだそうだ。
体は普通の男性よりはるかに大きく、彼の機嫌を損ねた使用人たちは、これまで何人も姿を消したという。
もう三十に近い歳なのに、いまだに正妻を持つ気はなく、夜のお相手は取っ替え引っ替え。屋敷に呼ばれ相手をさせられた女たちは、皆一晩でボロボロになり、朝になると屋敷の外に打ち捨てられるのだとか……。
しばらく呆然と父を見つめていたあたしは、我に返り全身を震わせる。
「ねぇ、嘘でしょう!? お父様……! その男にどんな噂が飛び交っているか、まさか知らないはずはないわよね!?」
「話を聞きなさい、マチルダ。辺境伯の噂については、王都にいるとたしかにいろいろと耳に入る。だが、辺境伯ご自身が書簡の中に書いておられた。自分に関する悪い噂が飛び交っていることは知っているが、それらはほとんどが嘘だと」
「ほとんどって何よ!! そんなの、方便に決まってるでしょう!? ひどいわ、お父様! 大事に育ててきた愛娘を、怪物のもとに嫁がせるつもりなの!?」
父に食ってかかりながら、涙が溢れた。学園の令嬢たちが笑いながら話しているのを、何度も聞いたことがある。
『お屋敷からは、夜毎女性の悲鳴や辺境伯の怒鳴り声が響き渡るんですって。恐ろしいわ。一生王都には来ないでほしいわね』
『本当ね。私の婚約者って、浮気ばかり繰り返しているのだけど、見目は普通だし暴力も振るわないから、まだマシなのかもしれないって思うわ』
『王都から遠く離れた寂しい北の地で、怪物のような男の慰みものとなって生きるなんて、耐えられないわ。そうなるくらいなら、修道院に入った方がいいわよね』
『まぁ、究極の選択ですわね、それって。ふふふふ……』
ご令嬢たちに話を合わせ、あたしも一緒になって嘲笑していた、田舎の暴君。
そんな相手に、このあたしが嫁ぐだなんて。
娯楽さえない寒い地で、恐ろしい男に乱暴な扱いを受けながら暮らし、社交界の人たちから嘲笑されるということなのよ!?
涙を流して嫌がるあたしを前にしても、父は狼狽えるそぶりも見せない。
「鉱山での作業従事者が多いリングレン辺境伯領では、怪我人がよく出るらしい。そんな中、人づてに入手した我がローゼン男爵領の新薬を試してみたところ、その効能に驚いたと」
「けっ、怪我人が多いって……。鉱山での仕事だけが原因じゃないんじゃないの!?」
体の大きな、戦好きの乱暴者。そんな噂のある男なのだ。嫌なことばかりが頭を占める。
父は非難するようにあたしを見た。
「馬鹿な。根拠のない噂話ばかり信じるのはよせ。……リングレン辺境伯閣下は、うちの薬草加工技術と、それを持つ娘を所望しておられる。代わりに、破格の結納金をご提示いただいたんだぞ」
「な……! 技術を持つ娘って、それお姉様の方じゃないの! あたしは薬草のことなんて何も知らないわ!! 辺境伯閣下を騙すつもり!?」
一歩前に出て詰るあたしを、父が面倒そうにあしらう。
「仕方がなかろう。もう我がローゼン男爵家の娘は、お前しか残っておらんのだ。リエラもフェルナー伯爵家で、自分の務めを果たしておる。リングレン辺境伯閣下には、お前が嫁げ。それまでに、作業小屋へ行って作業員たちからある程度の知識を学んでおくんだ」
「……」
さっきからうっすらと見えている、父の隠しきれていない愉悦の表情。それに気付き、はっきりと悟った。
この人、多額の結納金のためにあたしを売っぱらう気なんだわ。金に目が眩んだのよ。
「ひどい……。お父様、あんまりだわ……! 社交をしない男が治める北の辺境の地になんか嫁がされたら、あたしはもう二度と、王都にも実家にも戻ってこられないかもしれないのよ!? 本当にそれでもいいの!?」
「ひどいとは何だ。致し方あるまい。これが貴族家の娘の務めだ。リエラも黙って従った。お前も家長である私の命じる婚姻をせねばならん。受け入れなさい」
「何よそれ……! じゃあお姉様が辺境の地に行けばよかったのに! あたしがフェルナー伯爵令息様のところに嫁いでいれば……!」
売り言葉に買い言葉で、あたしは咄嗟にそう怒鳴った。
その時、自分の発した言葉で、ふと我に返る。
(あたしが……フェルナー伯爵令息様のところに嫁いでいれば……?)
あたしが黙ると、父が真面目ぶった顔でぶつぶつと説教をはじめた。
「貴族家の娘というものは、家のために、最も価値のある縁談を結ぶべく育てられるものだ。そうだろう? お前の価値を高めるために、これまで私がどれだけの金と手間をかけてきたと思っている。王立学園の学費に、被服費や社交費……。すべてはローゼン男爵家のための投資だ」
あたしは聞いていなかった。全く別の考えで、頭がいっぱいになったからだ。
フェルナー伯爵令息のニルス様、素敵な男だったわ。遊び人風だったけど、ちょっと垂れ目で、泣きぼくろが色っぽくて。あたしのこと、すごく気に入っていたのも間違いないし。
「いいか、マチルダ。お前もいい加減に……」
「分かりましたわ、お父様。ちょっと、このお話は一旦保留ね。あたし用事があるので、失礼しますわ」
そう言うとあたしは、まだ何か言って引き留めようとする父の声を無視し、執務室を後にした。そしてその足で、お母様の私室へと向かう。
(冗談じゃないわ……! リングレンになんか、絶対に嫁がない……! フェルナーの方が何倍もマシよ。もっともっと格上の男がよかったけど、妥協するしかないわ。急がなきゃ……!)
私室を訪ねると、お母様はあたしの顔を見て、合点がいったとばかりに嘆息した。
「目が赤いわ、マチルダ。……聞いたのね、お父様から。納得がいかないでしょうけれど、辺境伯様はお金だけは……」
「お母様、お願いよ。調べてほしいの。フェルナー伯爵令息様って、どこの補給所にいるの?」
あたしはお母様の言葉を遮り、そう尋ねた。