作品タイトル不明
7. 冷たい夫
やがて、式が始まる直前になり、ようやくニルス・フェルナー伯爵令息様が姿を現した。
「新郎が到着され準備が整ったようなので、聖堂前に移動いたしましょう」と、侍女が告げに来る。私は心臓を激しく高鳴らせながら、控え室を後にし、会場となる聖堂前へと向かった。そして。
そこに立っている、すらりと背の高い美男子を見た瞬間、心臓が一際大きく跳ねた。
(あの方が、ニルス様……)
扉の前で何やら従者に話しかけている彼は、歩み寄っていく私の存在にはまだ気付かない。私は一歩ずつ進みながら、彼の横顔を見つめた。
黄みがかった薄い茶髪は緩やかに波打ち、肩にかかっている。目尻の下がった臙脂色の瞳は、一見柔和な印象に見えた。ずっと戦地にいると聞いていたわりには、彼に 厳(いかめ) しい雰囲気はない。ごく普通の、細身の体型の方だった。
ふと、気配に気付いたらしいニルス様が、こちらを振り向く。
目が合った私は、緊張の中で精一杯の笑みを浮かべた。フェルナー伯爵夫人の言葉が脳裏をよぎる。
彼の左の目尻に、小さなほくろがあることに気付いた。
ニルス様の目の前に立った私は、丁寧に挨拶をする。
「お初にお目にかかります、ニルス様。ローゼン男爵が娘、リエラにございます。このたびは良きご縁を賜り、光栄です。未熟な身ではございますが、あなた様の良き妻となれるよう、精一杯努めてまいります。どうぞ末永く、よろしくお願いいたします」
そう言ってゆっくりと顔を上げ、彼を見上げた。すると。
ニルス様は無言のまま、私のことをじっと見つめていた。その視線は、私の顔から首、胸元と下がって一度止まり、足元まで下りる。そしてまた上へと上がってきた。
再び目が合った瞬間、彼の眉が歪む。
「……チッ。外れか」
舌打ちをしたニルス様は、吐き捨てるようにそう呟いた。一瞬、何を言われたのか分からなかった。
露骨な失望の滲む彼の目を見ているうちに、ようやくその言葉の意味を悟る。跳ねていた私の心臓は、凍り付いたように静まった。
ぼんやりと霞む頭のまま、結婚式は始まった。
両家にゆかりのある列席者たちの前で、誓いの言葉を述べ、婚姻証明書にサインをし、指輪の交換をした。口づけはなく、結婚式はいつの間にか終わっていた。
場所を移しての祝宴が始まる頃には、先ほどのニルス様の言葉がより胸に迫り、私は涙をこぼさないようにするだけで精一杯だった。
必死で気を逸らしながら、フェルナー伯爵夫妻から紹介される方々に、ニルス様の隣でご挨拶を繰り返す。
しばらくすると、両親とマチルダが私たちのそばへとやって来た。
「お姉様、とっても素敵だったわぁ! うふふ。……初めまして、ニルス様。リエラの妹のマチルダでございますぅ」
マチルダは私や両親からの紹介も待たず、勝手にニルス様に話しかける。
すると、たった今までつまらなさそうな顔をして突っ立っていたニルス様が、マチルダの方を見てぴたりと固まった。そしてすぐに、満面の笑みを浮かべる。
初めて見せる、輝くような笑顔だった。
「どうもー。マチルダちゃんっていうの? へーぇ、歳いくつ? ……なんだよ、妹ちゃんの方が可愛いじゃん」
「うふふ、十六歳ですぅ。ニルス様、すごくかっこよくて素敵……! お義兄様、ってお呼びしてもいいですかぁ?」
「ははは、もちろんもちろん。こんな可愛い子からお義兄様なんて呼ばれるの、最高だよ。嬉しいなぁ。仲良くしようね」
「きゃあっ! はいっ、ぜひ」
両家の家族の顔が引きつっていることにも気付かず、二人は盛り上がっている。完全にお互いのことしか見えていない。
ざっくりと抉られていた胸の傷が、さらに深くなった気がした。
その後マチルダもニルス様も、どこか別々のところへふらりと行ってしまった。込み上げてくる暗い感情を必死に押さえつけながら、私はフェルナー伯爵夫妻や両親とともに、列席者たちへの挨拶を続けた。
ようやく祝宴がお開きとなり、招待客たちが帰りはじめる。
すると、離れた場所で友人と思われる男性たちとお喋りをしていたニルス様が、こちらに戻ってきた。そしてフェルナー伯爵夫妻に、さらりと宣言する。
「俺、そろそろ持ち場に戻るから。用は済んだし」
(……え?)
その言葉にまたも呆然とし、思わずニルス様の顔を見上げる。伯爵夫妻も目を見開いた。
「どういうことだ? ニルス。持ち場に戻るだと……?」
「そ、そうですよ。今夜は夫婦となって初めての、大切な夜よ。花嫁と二人で過ごさなくては。夫婦の寝室も準備してあるのよ」
ご両親にそう詰め寄られても、ニルス様はまるで他人事のような顔をしている。
彼は視線を斜め上に逸らすと、短く息を吐き、頬をかいた。
「あー……。いや、補給所の方がいろいろと忙しくてさぁ」
「いろいろって何です? せめて数日間は、屋敷に滞在してちょうだい。あなた、結婚したのよ!? 嫡男の立場を分かっているの!?」
顔を引きつらせて畳みかけるフェルナー伯爵夫人の言葉にも、ニルス様はへらっと笑い、肩を竦めるだけだった。
「いや、本当忙しくてさ。しょうがねぇんだよ。俺を待ってる女……じゃなかった、部下たちもいるしさぁ」
その言葉に、フェルナー伯爵の顔色が変わる。
「馬鹿を言うな、ニルス。そもそもお前が赴いている国境沿いの反乱は、鎮圧されて随分経つだろう。いまだに忙しいのは、一体何のためだ。お前……ただ遊び歩いているだけではあるまいな」
「ははは、まさかー。忙しいのは、ほら、いろいろだよ。後始末とかさ。本当に大変なんだって、現場は」
「お願いだから、今夜は夫としての務めを果たしてちょうだい、ニルス。式の後すぐに補給所に戻るだなんて、あり得ないわ。外聞というものもあるでしょう」
伯爵夫妻は目を吊り上げて息子に詰め寄り、責め立てている。私はその様子を、ただぼんやりと見つめるしかなかった。
やがてニルス様は心底うんざりしたように顔をしかめ、深く息をついた。
「はぁ……。正直さ、こんな地味で色気のない女相手じゃ、その気になれないんだよなぁ」
「ニルス……! 貴様は……!」
「はいはい、分かった分かった。そのうちちゃんと帰ってくるって。じゃあね」
そう言うとひらひらと手を振り、彼は去って行ってしまった。
私には挨拶どころか、視線を向けることさえしなかった。
背後にいる両親の、声を潜めた会話が、私の耳にかすかに届く。
「……失敗したか。ニルス殿はマチルダを随分気に入っていらしたようだ。マチルダの方を嫁がせるべきだったな」
「いいえ! マチルダにはもっといい縁談が決まりますわ……! 何のために王立学園に通わせていると思ってるんですの。妥協はできないわ。あの子の器量なら、絶対にもっといいご縁が……」
「そうは言ってもな……。やはり難しいだろう。持ち直してきたとはいえ、我が家は所詮、一介の男爵家だ」
それ以上は耳に入れたくなくて、私はその場をそっと離れた。
列席者たちを最後までお見送りしなくてはと分かっていても、もう涙をこらえることができなかったのだ。
駆け込むように入った化粧室で、私は顔を覆った。
一体何なのだろう、私の人生は。
栗色の髪に、濃紺色の瞳。他の兄妹たちよりも地味な色を持って生まれてきたというだけの理由で、一人だけ冷遇され、領地に残されて。
せめて家の役に立ちたい。自分にできることを精一杯やらなくては。そう思い、領地の仕事に生かせる知識を、子どもの頃から一心に学んできた。
両親に気にかけてもらえなくても。妹に馬鹿にされても。
そして、父に言われるがままに嫁ぐことも受け入れた。それなのに。
初めて対面した夫にまで、「外れ」呼ばわりをされた。
(私は……一体何のために頑張っているんだろう……)
冷たく突き刺さる家族やニルス様の視線を思い出しながら、私は堪えることのできない涙をとめどなく流したのだった。