作品タイトル不明
11. 別れ
フェルナー伯爵夫人により、ニルス様と私の結婚生活の破綻は、全て私に責任があるように言いふらされた。
どうやら夫人は、私が力不足なため家政などを一切覚えられなかったと、社交界で触れ回っているらしい。
マチルダと入れ替わるようにして追い出されたフェルナー伯爵家から戻ってきた実家の居間で、母が父にそう話したのだ。私の目の前で。
「あの子は田舎育ちでまともな貴族学園も出ていないから、マナーも社交も、何もできなかったって。そのせいでご子息とも折り合いが悪く、関係の修復が難しかったから、妻を妹の方に替えたのだと。ご夫人方にそう話しているようなのよ、フェルナー伯爵夫人ったら。嫌だわ、娘の一人が平民学校を出ていることを社交界で知られてしまうなんて……恥ずかしい。上の娘は体が弱く領地で静養中だと、王都では皆様にそう話していたのに」
顔をしかめ、ため息をついた母は、そう言ってティーカップを手にとった。そばに座っていた父は、それを鼻で笑う。
「まぁいいさ。マチルダだけでも王立学園を卒業させた甲斐があったじゃないか。やはりうちの家格では、伯爵家が限界だ。フェルナー伯爵も、マチルダの容姿の華やかさよりも、学歴の方を評価しておられたようだしな。何より、新薬の人気のおかげだな」
そう言って、所在なく座っている私の方に目を向け、さらりと言った。
「リエラの次の嫁ぎ先は決まったんだ。一度婚姻がダメになったのに、こんなにあっさりと決まったのだから、儲けものだろう。ともかく、向こうの気が変わらぬうちに、さっさと婚姻届などの手続きを進めてしまわんと。その社交界の噂話が、あの辺境の地にまで届いてしまう前にな。無駄な婚約期間もいらん」
「ええ。その通りですわ。早くリエラをあちらに送ってしまいましょう」
(……え?)
「嫁ぎ先って……、わ、私のことですか? お父様、お母様」
反射的にそう尋ねてしまった。あんなにひどい仕打ちを受けて実家に帰ってきたばかりだというのに、こんなにもすぐに、また知らない人のところへ行かなくてはならないの?
私はまた、同じような目に遭わなければいけないの……?
どんなに努力しても、誰にも 労(ねぎら) われないどころか、辛辣な言葉ばかりを浴びせられ。
泣きたいのを我慢しながら、必死で労働と勉強を続け。
ないがしろにされ、尊厳を傷付けられ。
心をボロボロにして、疲れ果てて戻ってきたばかりなのに、また……?
けれど、父はそんな私の気持ちなど微塵も気にかける様子もなく、悪魔のように言い放った。
「そうだ。その話をしている。リエラ、お前は近日中に、このベルティア王国最北端に位置するリングレン辺境伯領に行ってもらう。当主のレオンハルト・リングレン辺境伯閣下が、我がローゼン男爵家の娘との婚姻をご希望なのだ」
「……リ……」
(最北端……。リングレン、辺境伯……)
今度こそ衝撃のあまり、私は一言も発することができなくなってしまった。
レオンハルト・リングレン辺境伯。その名前は、これまで家族やフェルナー伯爵夫妻の語る多くの噂話の中で、何度も聞いてきた。
国土のおよそ三割という広大な領土を持つ、国防の北の要であるリングレン辺境伯。だが、現当主は王都や社交の場に一切顔を見せないのだという。前当主である父君が早逝され、若くして後を継いだが、人間嫌いで有名だとか。
辺境伯にはこれまで何度も縁談が持ち上がったけれど、全て成立しなかったらしい。その理由は、一度でも彼に会えば、その粗野で乱暴な物言いや振る舞い、そして恐ろしい容貌に慄き、令嬢たちがすぐに逃げ出してしまうからだそう。
次はそんな人のもとに嫁げと言っているのだ、この両親は。
恐怖と虚しさ、悔しさ、そして惨めさ。
重く苦しい感情が押し寄せ、私は言葉もなく震えながら床を見つめた。両親は機嫌よく語る。
「マチルダを辺境伯へと嫁がせるつもりだったが、このようなことになり、急遽先方に連絡をとった。ありがたいことに、出戻りの長女でも構わないとの返事が来たんだ」
「リングレン辺境伯も、我がローゼン男爵領の新薬の評判を聞きつけての打診ですものね。この分だと、今に王国中の民に求められるようになるんじゃないかしら」
「早急に量産体制を確立せねばならんな。多少の設備投資は、まぁ考えねばなるまい」
「やはりマチルダの結婚は、早まってしまった気がしますわ……。そのうち、もっと条件のいいところから声がかかったかもしれませんのに」
「馬鹿を言うな。最高値を見誤ったら売り時を逃すだろうが。マチルダももう十七だぞ。釣り合う年齢の、何の問題もない高位貴族家の令息など残ってはおらん。リングレンとフェルナーで手を打つのが妥当だ」
しばらく突っ立っていると、父がようやく私の存在を思い出したかのように声をかけてきた。
「……そういうことだ、リエラ。いいか? お前はもう後がない。今度夫に切り捨てられたら、次こそ嫁ぎ先は見つからんからな! 心して向かえよ」
「その通りよ。辺境伯様のもとで、与えられた責務をしっかりと果たしなさい。地味で取り柄のないあなたには、他の選択肢はもうないわ。万が一離縁されて戻ってくるようなことになったら、……分かるわね?」
分からない。修道院に送られるのか、兄や両親たちの世話係として、この屋敷で生涯を終えるのか。それとも、どこかの老人や訳あり男性の後妻にでもさせられるのか。
いずれにせよ、自分の未来に絶望するしかなかった。
それからわずか二ヶ月後。婚姻契約が整い、私はリングレン辺境伯領に送られることとなった。
辺境伯領は、はるか北の地。このローゼン男爵領から、馬車で十日もかかるという。あちらへ行ってしまえば、もう戻ってくることはないだろう。
(……新薬の生産だけが気がかりだけど……、もう私にできることは何もないわね……)
出発の数日前、私は母校を訪れた。もう二度と会うことはないのかもしれないと思うと、無性にテオ先生のお顔が見たくなったのだ。学校で学んでいる時間が、一番充実していて楽しかった。
離縁して戻ってきていたけれど、遠方に嫁ぐことになったこと、そしてこれまでお世話になったお礼を伝えると、テオ先生は行き先を尋ねてきた。
「リングレン辺境伯領の、当主のもとへ……? そうですか」
私が答えると、テオ先生は眼鏡の奥の美しい目を見開いた。もしかしたら先生も、辺境伯様の恐ろしい噂話をご存じなのだろうか。平民だから、あまり他領の事情など知らないかと思っていたけれど……。
人生で一番優しくしてくれた大人に、私はつい弱音を吐いてしまった。
「……不安です、とても。私、やっていけるでしょうか……」
思わず涙声になってしまった私は、歯を食いしばって下を向く。最後に泣き顔なんて見せたくなかった。
すると、頭上からテオ先生の小さな笑い声が聞こえた。
「ふふ。大丈夫ですよ、リエラさん。リングレン辺境伯は、よく聞く噂話のような恐ろしい人ではありませんから。とてもいい人ですよ。きっと、あなたに優しくしてくれるはずです」
(……?)
まるで知っている相手かのようなその言葉に、私はゆっくりと顔を上げた。先生は私の目を見てにこりと微笑む。
「これまでいろいろと大変だったでしょうが、大丈夫です。きっと幸せに暮らせますよ。あなたの知識が、これからも役に立つはずです。辺境伯夫人となって、かの地をより豊かな地へと導いていってください」
(……テオ先生は私を買ってくださっているから、厳しい環境でもやっていけると思っていらっしゃるのね。だけど……)
これまで周囲から浴びせられた数々の辛い言葉が、脳裏をよぎる。父や母、ニルス様やフェルナー伯爵夫妻、そしてマチルダ……。
皆が私を、地味で可愛げがないと、役に立たないと、そう言っていた。それなのに、誰よりも恐ろしいと噂の辺境伯様だけが私に優しくしてくれるなんてことが、あるのだろうか。
不安ばかりが、胸を占める。けれど、旅立つ私を精一杯励まそうとしてくださるテオ先生の最後のご厚意を、無駄にしたくはない。
「……はい。お世話になりました、テオ先生。今まで本当に……、ありがとうございました。お教えいただいたことは、決して忘れません」
不安も恐怖心も心細さも、全てを飲み込み、私は精一杯の笑顔を作り、先生にそう伝えた。
テオ先生は少しだけ困ったような表情で頷くと、子どもの頃のように、私の頭をそっと撫でた。
「また会いましょう、リエラさん」