軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

90 ヘンリーの気持ち

雨が降ると言われて外に出てきたが、ただ日差しが弱まっているだけだった。

西の空だけが妙に重く沈んでいるような気がするが、この分だとまだ降らないだろう。

こんなことなら、まだアスター商会にいてダニエルと話していればよかった。

金に余裕のあるダニエルなら、俺たちに食事くらいご馳走してくれたかもしれない。

(ちっ、失敗したな)

面白くない思いで道の小石を蹴ろうとしたが、今月の給金をつぎ込んで買ったアスター商会の靴だったことに気がつき、慌てて足を引っ込める。

(高い靴に、傷がついたら大変だからな)

フランシスがアスター商会の靴を履いているのに気付いた同僚たちが、こぞって羨ましがっていた。

あいつに買えるなら俺にも、と勢いで手を出したが、アスター商会の靴は思った以上に値が張った。

同僚たちは「アスター商会は品質がいい」「信頼できる」と口々に褒めそやすが、実際は他の商会と大して変わらない。

所詮「アスター商会」という名前をありがたがっているだけのことだ。

だが、この靴を履いていると、皆が羨望の眼差しで俺を見てくるから非常に気分がいい。

実際、この靴を履いて買い物に行くと、店員が俺の靴に気付いた途端、露骨に態度を変えてくる。

ただの靴だが、俺の本来の価値を他人に知らしめてくれる。

(・・・だけど、ダニエルの店だと思うと腹が立つな)

先ほど久しぶりに見たダニエルの、女受けのいい顔を思い出す。

俺はいまだに平騎士のままで安月給だというのに、あいつは「アスター商会の息子」って肩書だけで高給をもらっている。

兄が沢山いるらしいが、いずれは店の一つでも任されて、役員として悠々自適な生活を送るだろう。

あいつと俺の能力に差はないというのに、生まれた環境でこうも違うのかと思うと苛立ちが募る。

「ヘンリー様ったら、難しいお顔をして、どうしたんですの?」

「あ、ああ。いや、何でもないさ」

ルナの可愛らしく見上げる仕草に、俺の自尊心が満たされていくのを感じた。

やはり女は小柄に限る。背の高いアンナでは、こうはいかない。

「そうですの?それならいいんですけど。帰るときに雨が降ってもいけませんし、急ぎましょうか」

「ああ、そうだな」

足取りを早めた拍子にルナの華やかな金色の巻き毛が跳ねると、通りすがりの男が振り返った。

ルナの美貌に見惚れ、次いで俺へ視線を移した。

その視線には、嫉妬と羨望が入り混じっていていた。

(・・・ルナにして正解だったな)

先ほどのアンナがあまりにも美しくて、アンナを捨てたことを後悔しそうになったが、やはり俺の結婚する相手はルナだ。

いつでも俺の話に笑顔で頷き、ことあるごとに「すごい」と俺を褒めては感心したように見つめてくる。

眉を顰めながら俺の振る舞いを細かく注意してくるアンナとは大違いだ。

本当にアンナには苛々させられる。

アンナの何の感情も伴わない、無機質な声が頭に響く。

『私もヘンリー様に愛情はなかったので、ルナ様もどうぞご安心下さい』

(何だよ、あいつ!俺に愛情がないなんて言いやがって!)

俺を愛していたからこそ毎月手紙や荷物を送ってきたくせに。

内心俺をルナに取られて悔しいくせに、顔に出さないところが本当に可愛くない。

俺たちの仲の良さを見せつけてやったのに、アンナは全然動じていなかった。

唯一動揺したのは、ルナがアンナの将来に言及したときだけだったが、それだってすぐに普段と同じように接してきた。

顔を歪めて傷ついた素振りでもすれば可愛いものを、あいつはすぐに冷静に振舞おうとする。

ちょっと突けば泣いたり笑ったりする女の方が、絶対に可愛い。

「ヘンリー様のお兄様のお店って、この道をまだ真っ直ぐ行けばいいですか?」

「ああ、そうだ」

「私、モイン商会に行くのは初めてです。どんな指輪があるのか、楽しみですね」

「・・・そうだな」

(でも、ルナはちょっと図々しいよな)

まさか自分から婚約指輪を強請ってくるとは思わなかった。

自分の意思でプレゼントをするのはいいが、強請られると興覚めするのはなぜだろう。

何だか自分がルナに利用された気になってしまう。

その点アンナは自分から何かを強請ることはないし、俺の頼みを断ることのない便利な女だった。

ルナに子どもができたと言われて焦って婚約を破棄したが、あのままアンナと結婚し、ルナは愛人として手元に置いた方がよかったかもしれない。

不意にルナが俺の袖を引っ張った。

目尻を下げて柔らかく微笑むルナに、思わず胸がときめく。

「私、指輪の石はヘンリー様の瞳の色と同じものがいいです」

「なんでだ?」

「だって、いつでもヘンリー様を思い出せるでしょう?」

(・・・まあ、いいか。兄貴の店だしな)

アスター商会の指輪は目玉が飛び出るほど高かったが、兄貴の店ならそう高くないだろう。

それに俺は弟だし、指輪の代金ぐらいまけてくれるはずだ。

いや、結婚祝いと称して無料にしてくれるかもしれない。

(そう考えると、モイン商会を勧めてくれたダニエルに感謝だな)

だが、あいつのことは、はっきり言って嫌いだ。

顔がいい。頭がいい。金がある。人望もある。おまけに背だって高い。

いつも笑顔を浮かべているあいつを、女たちは「物語に出てくる王子様みたい」とキャーキャー騒いでいた。

でも、常に笑顔でいる人間なんてあり得ない。

絶対に裏があると踏んでいたが、あいつが俺の前で表情を崩すことはなかった。

(だが、今日のあいつの顔は微妙に強張っていたな)

俺が客として来たからだろうか。

かつての同僚に頭を下げるのは、嫌だったのかもしれない。

もしくは、俺がこんなに可愛いルナと結婚することを羨んだのか。

ダニエルの悔しい胸の内を考えると、ちょっとだけ胸がスッとした。

(それに、ルナは全然ダニエルに興味を持たなかったな)

大抵の女は、ダニエルを見ると頬を染めてぼうっと見惚れる。

ルナにとって、ダニエルは大した男じゃなかったらしい。

いや、俺に惚れてるからこそダニエルが目に入らなかったのだと思うと、嬉しくて顔がにやけてきた。

(やっぱり俺の結婚相手は、ルナしかいない)

ルナに微笑みかけてやると、俺の左腕にルナがそっと手を添えてきた。

右手でルナの手を優しく撫でてやりながらイチョウ並木を抜けると、モイン商会の金色の看板がきらりと視界に入った。

ルナは看板が目に入らなかったのか、くすんだ金色の扉の前で、戸惑うように首を傾げている。

「ヘンリー様、ここがモイン商会ですか?」

「ああ、ここだ。さあ、入ろうか」

気分よくモイン商会の扉を開ければ、真っ先に金と銀を散りばめた花瓶に活けられたオレンジ色の花が目に飛び込んできた。

ダニエルの言うように、華やかな花は令嬢たちの好むところだろう。

「ああ、これか。ルナが言っていたラナンキュラスって」

「・・・・・・いいえ。似ていますが、これはダリアですね」

「へぇ、よく違いが判るもんだな。さすがルナだ」

「うふふ、そうでもないですよ。ヘンリー様が、武術について詳しいのと一緒ですよ」

「そんなものかな」

ルナが目を細めて、照れたように俺の腕に手を添えたまま身体を寄せてくる。

ルナのこんな仕草が可愛くてたまらなくて、自分の意思とは関係なしに頬が緩んでくる。

美しいダリアに魅了されたのか、ルナが頬を上気させながら花に目を遣り、俺に笑いかけてきた。

「それにしても、まるで私たちのために飾られたお花ですよね。オレンジ色のダリアの花言葉は『心機一転』なんですよ」

「へぇ」

「一緒に人生をスタートする私たちに、ピッタリでしょう?」

「確かにそうだな」

親父から押し付けられたアンナを捨てて、俺が選んだルナと結婚する。

まさしく新たな人生の幕開けだ。

意気揚々と店内に足を踏み入れれば、大勢の客で賑わっていた。

客はケースの中を覗き込み、店員の話を聞きながらネックレスや指輪を手に取っている。

店内は宝飾店特有の落ち着いた雰囲気ながらも、どこか浮き立っていた。

「えっと、お義兄様は・・・」

「店内にはいないみたいだな。まあ、下っ端じゃないからな」

店員たちは他の客の相手で忙しいのか、俺たちの前を素通りしていく。

俺の足元さえ見れば、俺が上客というのが丸わかりだろうに、これだから下っ端は使えない。

それに、経営者の弟の顔も覚えていないとは言語道断だ。

よく見れば商品を扱う手も雑だし、客の問いに上手く説明できないのか、目線を泳がせている。

俺の蔑む視線に気付いたのか、一人の店員が俺に目を向けた。

「おい!ホランド伯爵家のヘンリーだ!!兄を呼んでくれ!!!」

店内のざわめきに負けないよう、大きな声で店員に指示を出した。