軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

124 イザベラの思い

起きていることを使用人たちに知られて、気を遣わせないようにするためだろうか。

アンナ様は、音を立てないように出ていった。

本当に、あちこちに気を回す子だ。

(・・・さっきのホットミルクも、美味しかったわ)

疲れた私を気遣って差し出された甘いホットミルクに、アンナ様の細やかな心遣いを感じた。

一瞬でも毒かと疑った自分が嫌になる。

こんなふうに、自然と他人を気遣えるところに、アルバートは惹かれたのだろう。

傍若無人と言われる私とは、大違いだ。

(だから、クリフも浮気したのかしら・・・)

オシドリ夫婦と呼ばれ、自分でも仲が良いと信じて疑わなかった夫が浮気をしていると知ったのは、つい最近のことだ。

あのときの驚きは、言葉では言い表せない。

父の浮気のせいで、母がどれほど深く嘆き、悲しんだかをずっと見てきた。

自分は、絶対に浮気をしない男と結婚しようと心に決めていた。

だから、父の持ってきた見合い話から一番誠実そうなクリフを選んだ。

もちろん私だって、いい妻、いい母になろうと努力した。

子育てに全力を尽くし、家のことを切り盛りし、公爵家の仕事も手を抜かなかった。

完璧を目指して、目が回るように忙しい毎日を送っていたのに、夫は仕事と嘘をついて浮気をしていた。

アンナ様の言うように、「完璧」は人との距離を遠ざけるものなのだろうか。

(・・・いや、それにしたって許せるわけないわ)

一瞬だけ、自分が悪かったかもと考えたが、やはりそんなことはない。

私が嫌なら、そう言って離婚すればいいのに、自分だけ美味しいとこどりなのが許せない。

私がダイアナの夜泣きで、まともに睡眠も取れない中必死に頑張っているのに、自分は愛人と楽しくやっているとは、どういう了見だ。

夫としても、父親としても、失格だろう。

最初は裏切られた悲しみに沈んでいだが、今は怒りだけがひたすらに込み上げてくる。

父に裏切られた母の悲しみや怒りが、今なら痛いほどわかる。

(・・・・・・いいえ、やっぱりわからないわ)

あれだけリリー様のことで悩み苦しんだ母は、今は引退した父と離宮で、静かに日々を送っている。

さぞかし父に恨み言を言っているのかと思いきや、今では「今が一番幸せ」と笑い、夫婦二人で仲良く過ごしているそうだ。

この煮えくり返る思いが、容易に消え去るなど、到底あり得ない。

(好き勝手できた、貴方はいいわよね)

威圧感に満ちた男性の肖像画を見上げる。

金糸と宝石で豪華に飾られたベルベッドの衣をまとい、こちらを睨みつけるような視線を送っている。

指には、権力を誇示するかのように指輪をいくつも嵌めている。

権力の塊のようなこの男は、自分の欲望のために離婚と処刑を繰り返し、6度結婚した。

この男ほどの権力はないが、私だって元王族としてそれ相応の権力はある。

クリフとその愛人ぐらい、捻り潰すのはわけもないことだ。

そう思い、私を裏切ったことをいかに後悔させようかと策を練っていたが、アンナ様の言葉で頭が冷えた。

アンナ様だって婚約者に裏切られて悔しいだろうに、できることなら復讐したいと思っただろうに、それをよしとしなかった。

アルバートの歓心を得るために優しさを見せつけたのかと思いきや、意外にも冷静な判断だった。

『冷静に、情勢を見極めることが大事なのよ』

生家で命の危険に晒されてきた母は、何度も何度もそう私に言い聞かせてきた。

リリー様のことでどんなに嫉妬に苦しんでも、表に出さなかったのは、自分の身を守るためだったに違いない。

むやみに感情をさらけ出せば、人に利用されかねない。

でも、いざ自分が浮気された立場に立たされると、怒りや悲しみに押し潰され、冷静な判断などできやしない。

(・・・・・・貴女は、どうやってこの思いを沈めていたの?)

銀灰の髪を結い上げ、油断なくこちらを見つめる女王の肖像画を見上げる。

16人もの子を産み育て、国を支えた伝説の王女だ。

そんな彼女も夫婦生活が円満と言われていたが、夫は他の女性と浮名を流したらしい。

それでも彼女は夫の浮気を把握した上で、容認したと言われている。

(こんなに素敵なのにね・・・)

深紅のビロードのガウンを纏った彼女は、気品に溢れていた。

優雅に微笑みむその顔には、為政者として揺るぎない威厳が滲んでいる。

どれほど美しく、有能で、夫婦仲が良好でも、浮気されるときはされてしまうのだろう。

男性は、自分の行いが知られていないと本気で思っているのか、それとも許してくれるとでも考えているのだろうか。

(・・・私がいつまでも見逃していると思ったら、大間違いよ)

まだ子どもたちが小さいうちは、夫がいたほうが何かと都合がいい。

子どもたちにとって不要となった瞬間を見極め、クリフが最も恐れる形で切り捨てよう。

いつでも報いを与えられるよう、復讐の鎌を研いでおけばいい。

(・・・・・・アルバートの人を見る目は、確かだったということね)

戻ってきたベスの話を聞いて、アルバートが自分を助けてくれた令嬢に恋をしているとすぐに確信した。

自由に過ごせない王宮から解放されたことで、恋をしたと勘違いしたのだと思った。

目立った産業もない小さな領地を治める、子爵家の娘。

妃の地位を狙う小賢しい娘か、愛だけで生きていけると信じて疑わない、愚かな田舎娘だとばかり思っていた。

すぐに冷めるものだと思っていたのに、まさかその令嬢との結婚を望むとは、夢にも思わなかった。

しかも、兄がアルバートの結婚を許した聞き、いても立ってもいられず、アスター商会に駆けつけた。

アルバートに甘い兄が結婚を許しても、私が許すわけにはいかない。

リリー様やエミリー様のことで、どれだけアルバートが傷ついたことか。

もう二度と、アルバートに傷ついて欲しくないと思い、二人を別れさせようとアンナ様を誘った。

(でも、アンナ様は、想像していた令嬢とは全く違ったわね)

肖像画を一枚一枚、丁寧に目で追っていく。

この中で、アンナ様はどの人物に似ているのだろうか。

数々の困難を乗り越え、賢さを武器に生き抜いた王妃。

王から熱烈に愛され、美しさを絶賛されたが、悲惨な結末を迎えた王妃。

善良に生きていただけなのに、利用され、敢え無く命を散らした王女。

彼女たちは生きている最中には、自分がどんな運命を辿ることになるのか、想像もしていなかったに違いない。

(アンナ様は、きっと大丈夫よね・・・)

アンナ様は、冷静さと賢さを持ち合わせている。

馬車の中で、私がどんな態度を取っても、怯まず、冷静に私を観察して情報を読み取ろうとしていた。

調子に乗ることも、怯えることも、へりくだることも、無闇に歯向かってくることもなかった。

細心の注意を払いつつ、最善の方法を探っていた。

アンナ様なら、リリー様のように心を病むことも、エミリー様のように、自分を勘違いして馬鹿な行動を取ることもないだろう。

なにより、アルバートを大事にしてくれそうだ。

アンナ様は、傷ついた自分の心を満足させるのではなく、アルバートを第一に考えてくれた。

(それに、案外逞しいしね)

ふふっと、小さく笑ってしまった。

見た目は大人しそうなのに、よくもまあ、皆から恐れられる私に、堂々と意見を返すものだ。

あの度胸があれば、どこでも生きていけるだろう。

(なにより、面白いわ)

思いがけない洞察力を見せるものだから、つい驚いてしまう。

アンナ様の思考回路は、どうなっているのだろう。

不思議なことに、アンナ様とはいつまでも語らっていたくなる。

(・・・セインのためにも良かったわ)

アンナ様の言葉を受けて外にカマキリを探しに行ったら、セインは大喜びで元気に走り回っていた。

あの子があんなに目を輝かせることなんて、初めてだった。

高名なスタンリー先生に教えを受けさせればいいと思っていたが、それは間違いだった。

たかがカマキリ一匹でセインが喜び、元気が出るのなら、私が付き合えばいいだけの話だ。

セインの笑顔を思い出すと、疲れが飛び、元気が出てきた。

これからもう一仕事ぐらいできそうだったが、明日のためには寝なければならないだろう。

夜泣きで起こされることを思えば、眠れるときに寝ておくのが鉄則だ。

寝室に戻ろうとして、ソファから立ち上がる。

その拍子に、夫婦二人の肖像画が目に入った。

(・・・・・・明日、アルバートに今夜のことを話したら、どんな顔をするかしらね)

はっきりと『アルバート様を愛しています』と言い切ったアンナ様。

その胸に満ちた愛情と情熱を思うと、思わず羨ましくなる。

普段はほとんど表情を見せないアルバートが、どんな表情を見せるのかと思うだけで、楽しくて笑みがこぼれた。