軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

■第31話 俄かシスターは帝都を駆ける:後編

「きゃん」

籠からポメコが飛び出し、さっそく床をくんくんと嗅ぎ出した。

私の匂いを辿って遊びに来る芸当ができるポメコである、ご主人様たる皇帝陛下の居場所を探し当てることだって、もちろん可能だ。

ややあってポメコは「きゃん!」と鳴き、元気よく走りだした。

「陛下はそっちですね!」

「きゃん!」

ちゃっちゃっちゃっという爪音を大理石の床に響かせながら走るポメコの後を追い、全力で廊下を駆ける。

「なっ、何だ君は!?」

本部はさすがに無人ではなかったようで、途中で神官服の人と遭遇した。犬を追って廊下を疾走するシスターなんて、不審者以外の何者でもないだろう。でもポメコが走っちゃうから仕方ない。

「犬を散歩中の極めて普通のシスターです!」

答えてそのまま走り抜けたけれど、「待ちなさい!」と後ろから声が掛かる。犬を連れて走っている言い訳がこれ以上思い浮かばないので、申し訳ないけれど待てない。

走るうちに、後ろからの静止の声と足音が増えていった。大変だ、本格的に追われている。このまま捕まってしまったら皇帝陛下を見つけられない。

裾をたくし上げて必死に駆けながら、皇帝陛下のことを考える。

私が姿を見せただけで、嬉しそうに笑顔を向けてくる。

宝物か何かのように、優しく名前を呼んでくる。

花に美しさを感じなかったり、ポメコに対する感想が「犬だと思う」だったり、そういう自分の感性をちょっと気に病んでいたりする。

そういう感性もありだと思うのでそう言ったら、嬉しそうにする。

一緒に何かを食べる時、すごく幸せそうにする。

陛下。大丈夫だろうか。酷い目に遭っていないだろうか。

万が一のことがあったらと思うと、もう心配で心配で、あの人は傍にいてもいなくても心臓に悪いのだと思った。

それなら傍にいてくれた方が随分とマシだから、俄かシスターになって不法侵入をかましたって構わない。

「きゃん!」

と、ある扉の前でポメコが急停止した。走りながら掬うようにポメコを抱え上げ、勢いのままに扉を開ける。

「陛下!」

ノックもせずに飛び込んだ先には。

「え。リーニャ?」

大変和やかな空間で午後のお茶を飲んでいる、皇帝陛下がいたのだった。

大聖堂、聖王の間。

屋内にありながら緑が多く配され、自然光が射し込み、蝶が舞い、ちょっとした滝さえ流れている、澄んだ空気の空間で。

「そんなに心配してくれたんですね、リーニャ。それでこんなところまで」

私は今、とても上機嫌な皇帝陛下の膝の上に乗せられて、頭をぐりぐりと撫で回されている。

「だ……だって、陛下が、危機的状況だと思って……」

ごにょごにょと答える私に、皇帝陛下は「俺が?」と首を傾げる。

「だって、エオルスさんに『万が一帰らなかった時はリーニャを頼む』って言って、出掛けて行ったって……」

「ああ。それは万が一、俺の帰りが遅くなったら、代わりにリーニャのおもてなしを頼みますというつもりで。招いておいてリーニャを放置するわけにはいきませんからね」

「で、でも、ものすごく深刻な表情で言ったって……」

「それはその場合リーニャと一緒におやつを囲む機会を逃すことになるので、想像しただけで無念だったからです」

「紛らわしい言動に紛らわしい表情を重ねないでくださいますか……!?」

「実際に今日は思ったより話が長引いてしまったので、リーニャとのおやつ時間には間に合わなかったのですが……まさかリーニャの方から息を切らせて駆けつけて来てくれるなんて」

「……」

顔を赤くしたまま黙った私を、鼻歌でも歌い出しそうなくらいご機嫌な皇帝陛下が撫でまくる。私が彼を心配して駆けつけたということが、堪らなく嬉しいらしい。

「で、リーニャ? 危機的状況とは、どんな状況を想定していたのでしょうか」

「そ、その……。陛下が、なんか、虐められてるんじゃないかって。こう、屈強な人に囲まれて、ボコボコにされているんじゃないかと思って」

正直に答えると、皇帝陛下は「くっ」と笑いを噛み殺して、撫でるのをやめた。そして柔らかく、ぎゅっと抱き締められる。

「それをリーニャが救いに来てくれたんですね」

仮にそんな状況だったとして、私が乗り込んだところでどうなるものでもないだろうに。馬鹿な想像をして馬鹿なことをしでかした自分の愚かさが憎い。顔から火が出るほど恥ずかしい。

「だって、だって、エオルスさんが言ってたんですよ……! 前に陛下が聖王様のところに言った時、二度と行きたくない目に遇ったって……!」

必死に言い募ると、皇帝陛下は「ああ、あの時ですか」と、納得した顔で頷いた。

「確かに即位してまもない頃、当時の聖王に呼ばれましたね。急に呼び出されたと思ったら、初対面のお爺さんに五時間ぶっ通しで説教されまして」

「説教」

「いや本当あのお爺さん話が長いんですよ。お前みたいな若造に皇帝は務まらないという話から始まって、最終的にはペットの亀の話になって……。長い。居眠りしたら怒られた。すごく疲れた。二度と聖王なんぞのもとに行くかと誓いましたね」

「……」

なんだろう。想像していたのと全然違う。

いや五時間も説教されたらそりゃ疲労困憊の酷い顔で帰ってくるだろうし、多くを語る気力もなくなるだろうけれど。うん。何と言うか、私も、たぶんエオルスさんも、もっと悲惨な想像をしていたので、うん。

「先代の聖王からすれば孫みたいな年齢の奴が皇帝になったものだから心配だったのでしょうね。まあ目的の半分以上は、教会には皇帝を呼び付けるだけの権威があるという誇示でしょうが。権力は潰し合うより利用し合うのが効率的という考え方は賛同できます」

「……教会と帝国も色々あるんですね」

神妙な顔で頷いて話の流れを変えようと試みたけれど、残念ながら再び皇帝陛下の口元が綻び始めた。

「それで、くっ……、ボコボコって……ふふっ、リーニャは想像力が豊かですね」

「わ、笑わないでください……! なんかもう、あんなに不安がってたエオルスさんが悪いんです!」

羞恥のあまり、この場にいないエオルスさんに怒りの矛先を向ける私を、皇帝陛下が「まあまあ」と宥める。

「帝国と教会の関係が微妙なことは宮廷の常識ですし、実際そうなので、心配性な兄さんが気を回したのも仕方がないことです。だから兄さんのことは許してあげてくださいね」

よしよしと頭を撫でられながら、テーブル上のティーカップをちらりと見た。絶対に出涸らしなどではない綺麗な琥珀色の紅茶である。皇帝陛下、ちゃんともてなされているらしい。いやほんと私は何をしに来たのだろうという徒労感が激しい。

……安心も大きいけれど。

「本部に入るためにシスター服まで着て……。リーニャ日記に書かないと。いつも愛らしいリーニャが今日はとびきり輝いていたと。その描写に一冊分は使わなければ」

「紙とインクの無駄です陛下」

「ああ、可愛い。リーニャが可愛い。今日をリーニャ可愛い記念日として祝日にしてもいい」

「末代までの恥になるのでやめてくれませんかね……?」

「俺を助けに聖王のもとへ単身乗り込んだ偉業を末代まで語り継ぎませんと」

勘違いで文字通りに駆けつけてきた自分が恥ずかしくて恥ずかしくて、もう、撫でられようが抱き締められようが、抵抗する気も起こらない。もはやされるがままである。

「あのー、おふたりさん?」

と。

「全力でいちゃついてるとこ悪いねんけど、そろそろこっちの相手してくれへん?」

テーブルを挟んで向かい側に座る青年が、半ば呆れたような、半ば面白がるような声で言った。我に返って、慌てて青年の方を向く。

年は二十代半ばほど。淡い青色の瞳に、髪は皇帝陛下と同じ銀色。銀髪というだけでも珍しいのに、それが腰の長さまであるから神秘的でさえある、どこか浮世離れした雰囲気をした青年。

皇帝陛下の膝の上から降りて(名残惜しそうな顔をされたけれど無視)、深々と頭を下げた。

「すみません、聖王様……」