軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

16 お稲荷さんと私

ふわーっと仰向けに落ちる感覚がスローモーションだ。

慌てて手をこちらへ伸ばしている市井さんから、視界は空へとゆっくり切り替わる。

一応最後に周囲を見回した時には、さほど高い崖とか傾斜はなかったように思う。繁みで見える範囲ではあるけど。

だから多分頭をかばえば死にはしないはず。

そこまで考えて、この速度は前にもあったなと思い出した。

ついこの間もゆっくり落ちた。

じゃあきっと大丈夫だ。しっかり見ろ! 私!

そう思ったのに、視界が豪華な花柄に覆われた。

「ひぇっ!?」

深い赤が地色の、金色、黒、橙と青。大輪の椿が詰め込まれたこれは、おかっぱたちが着ていた振袖と同じ柄だ。

頬を撫でていった絹の肌触りが滑らかで、頭の隅で冷静で考えつつも、視界を奪われた混乱で泣きそう。

ばさばさと羽ばたく翼のような音とともに、体が幾重にも椿柄に包まれていく。

べちゃっ、べちゃっ、と、湿った音。

頭をかばった腕や背中、腰に当たる軽い衝撃。

二度、三度と、転がって止まった時には、ちょうどしゃがみこんだ姿勢になっていた。

地面に両足がちゃんとついているのがわかる。え、すごくない?

ずるりと頭から布が落ちた。

花びらが開くように足元に広がっていき、辺り一面に咲いた椿。

私を衝撃から守ったであろうそれは、何枚もの振袖だった。

ずささっと立ったまま滑り降りて、私の横まできた市井さんを見上げる。

「無事――そうだな」

「はい」

「お前ほんっと……」

ものすごく大きなため息をつかれて、つい肩が竦んだ。

わかってるんだ。

ケムは私が守らなきゃいけないほど弱くない。多分。市井さんたちが声をそろえるのだから、むしろかなり強いはずなのだ。きっとそうなのだろう。納得はいっていないけど、頭ではわかってる。

「まあ、無事ならいい。家族だと思えばそうなるもんなんだろうな」

「えー?」

この毛むくじゃらにそんな大層な思いなど持ってない。これが家族?

今も両方のかかとを自分の首らしき辺りにひっかけて転がってるこれが?

腑に落ちないでいると鼻をつまんでひねられた。

釣られるように立ち上がると、一緒に流れ落ちてきて下敷きになっていたらしい泡が、振袖にじゅわじゅわ染みこんでいく。

「嘘! もったいない! いい着物なのに!」

「掴むなっつの」

両手首を後ろから掴まれて万歳させられた。

みるみるうちに振袖は染みこむ泡に溶かされて、同時に薄墨色だった泡が半透明の翡翠色になっていく。

数分も経たず、足元は大小さまざまな石に埋めつくされていた。

「……おかっぱたち、今何着てるんでしょう」

「お前ほんっと……」

だっておかっぱたちが見当たらないんだもん。……何も着てないから?

◆◆◆

昨日の市井一族限定の年始会も、今日の他家も招いての年始会も、私たちが泊まった屋敷ではなく、ふもとにある洋館で行われた。

新しいものが好きだというのも一族の傾向なのかもしれない。離れって呼ばれてたけど、敷地がまるで違うところにあっても離れなんだろうか……。

白い壁の下半分が斜め格子状の海鼠壁に、緑がかった桟瓦葺きの屋根。ドーム屋根や尖塔。

平木家もこのタイプの屋敷だけれど規模が違う。付近にある宿屋のどこよりも大きい。

市井一族だけでも分家やら分家の分家やらと、集落にある屋敷で全員受け入れられる数じゃない。

だから宿屋もふもとにいくつかあるし、この洋館に泊めてもらえるのは、その中でも格上の家となる。勿論平木家が泊まっていたのは宿屋の方だ。

広いのは建物だけじゃなくて、庭もかなりのものだった。様式は区画によって違うらしいけど、今私たちがいる広間の大窓からは彫刻が据えられた円状の池が見える。階段状の噴水からほとばしる水流はきれいだけど、近寄りたいものじゃない。寒すぎる。

もっとも舞踏会場にもなるという広さなのに、暖房はばっちり効いている。

年末に慌てて新調した半袖のワンピースでちょうどいいくらいの室温。市井さんもスーツのジャケットを脱いでいた。

ドーム状の天井は、つる草の這う彫刻と色とりどりのステンドガラスが、一枚の天井画のようになっていた。今は燦々とした日差しが差し込んでいて明るいけれど、夜は庭園もライトアップされることがあるそうだ。きっと幻想的なんだろうなと思う。

立食形式でテーブルは壁際にいくつもある。ご当主の挨拶も終えて、参加者はそれぞれ挨拶をしあったり、食事を楽しんだりと色々だ。広間の一角ではピアノやトランペット、サックスが生演奏されていて、踊っている人もちらほら。前世でだって映画でしか見たことのない華やかさだ。流れる曲も耳に馴染みがあった。多分ジャズとかそっち系。こういうところでも前世と似通っていて、私がちょいちょい混乱するのも仕方がないと思う。

ふたつ向こうのテーブルでカクテルをたしなんでいるおばさんと目が合って、小さく手を振ってもらえた。

着物やみかんをくれたおばさんだ。泥だらけの石川さんをひきずっていった人でもある。

ご当主のいとこにあたるおばさんは、幼い頃には多少視えたけど、大人になるにつれて視えなくなっていったそうだ。市井一族でもそういった人は多いらしい。ただ一度視えていたから、序列としてはさほど落ちないんだとか。実際、かなり発言力も強いというから、だろうなって思った。存在感が違う。

「すっかり気に入られたな。それももらったんだろ」

隣に立つ市井さんが、私のネックレスを人差し指でつついた。粒のそろった真珠は、真っ白な光沢が素人目にもすごく綺麗。

「お手入れの仕方も習ったんですけど、首を回すのが怖くてしょうがないです」

「ふはっ。その割に箸はとまらんな」

「美味しいんです……」

「目新しいもんもそこそこあんのに、選ぶのはそれか」

「美味しいんですってば」

ひと口サイズのお稲荷さんは、エビや炒りたまごなどがトッピングされた変わり種だ。

この揚げの味付けはトッピングによって微妙に変えられていて、それがまたたまらない。まろやかな酢飯との調和もすごい。

姿勢良く首もまっすぐなまま、行儀よく食べられるのもいい。

「首を回したくないのは、見たくない方角もあるからだろ」

「やっぱりめちゃくちゃ睨んできてますよね」

「あの妹、結構根性あるよな」

「一応助けてあげたはずなのに……」

見当たらない母の代わりに、父が兄と妹と連れていた。父はどこかの男性と歓談しているけど、兄妹としては少々がっちりすぎるのではないかというくらい、兄が美代子の肩を抱いている。鷲づかみしていると言っていい。

「兄ちゃんがしっかり押さえてるようだしな。踊るか」

「へぁ?」

手にした取り皿を、端に座っているケムごとテーブルに戻された。私のお稲荷さんが!

「おお踊ったことないですって」

「マナー講座の実践なー」

「しょっぱなから実践!」

踊るスペースの中央に行こうとする市井さんを、さすがにそれはと引き留めて、端の方でステップを教わった。

「やっぱりお前、リズムちゃんととれてるな」

「そ、そうですかね」

「おう。聞き慣れてないとなかなかこうはいかん」

おそらく初歩の初歩なステップだと思う。聞き慣れているというほどではないけど、平木家では聴いたことがないジャンルではあるし、これも前世知識チートといえるんだろうか。しょぼくないだろうか。

右足を右に投げて、かかとは外向きに。足をクロスにかかとは内向き、次は左足。アップダウン、前に、アップダウン、後ろに。

市井さんの動きに合わせてステップを踏んでいく。

「ほれ、できてるから足元じゃなくて俺を見な」

「でき、て、ます、かっ」

アップダウンアップダウン。

華やかすぎて引けてた腰をまっすぐに立てて。

アップダウンアップダウン。

ひらひらとついてくるフレアスカートの裾が、市井さんの足を撫でていく。

シンデレラの気持ちってきっとこんなんだったかもしれないだなんて思っちゃった。やだーもー!

睨んでくる美代子の視線までが気持ちいい!