軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

14 異臭と私

まるで靄が実体をつくって飛び出てきたように、市井さんがドームの壁から現れた。

「市井さん! うわあ! 市井さんだ!」

「そうだろう! 頼りになるのは俺だっつうの!」

「勿論です! ありがとうございます!」

駆け寄った私に人差し指を突きつけて念を押すから、しっかりと肯定を返す。

我ながら何故ケムを呼んだのかわからないけど、市井さんが握りしめていたケムを手渡してくれた。

市井さんが持ってたからいなかったのか!

「油断も隙もねぇ。面白いことになるのかと黙って見てりゃ、いきなり消えやがる。どうしたもんかと思ったが、こいつのおかげでこっち来れたわ」

「まさかのお役立ちとは……って、今黙って見てたって言いました?」

「お前の言ってたおかっぱ……うん? あれは妹に憑いてたワニモドキか?」

どうも残っていたケムを握ることでこちら側に来ることができたようだ。本当にケムが役に立ったっぽいのが衝撃的で、裏切られた感すら湧く。

今やおかっぱたちは異形を囲んで踊り狂っている。首の振りが激しい。

何とも言えない光景を、何とも言えない表情で市井さんが指さした。

その手前でへたり込んだ母たちと、それを中腰で支える兄のことは目に入らないらしい。

「これだけタチ悪そうなのに見えなかったってのが納得いかん。ケムみたいなでかいのは、なんだありゃ」

「亀モドキですね。母に憑いていました」

「亀ぇ?」

「亀の頭があったんで」

「あー。なるほど? まあ、どちらも随分と力をつけたようだが、こっちに来てからか」

「怖くなってきたんで、多分そう、かと?」

今日の市井さんは制服じゃない。だから帯刀もしていないわけだけれど、帯の背中側に銃を仕込んであるのは知っている。

――するりと袂から小ぶりの短刀が取り出された。あ、そっち?

小ぶりとはいえ、袂に入れるには大きくて重そうなのに気がつかなかった。黒地に金の蒔絵がほどこされた拵えには、白い組紐がつながれている。

キィンッ

数センチだけ刀身を露わにしてからの納刀。どこから鳴ったのかわからない音が響いた。

じりじりとこちらへ這い寄ろうとしていた異形二匹が、動きを止める。

「ふむ。お前が引きはがして結界を?」

「はい」

「やるじゃねぇか。後は俺の出番なー」

「はい!」

「その撤収の速さもいいなー」

棒読み!

俺の出番っていうから! 練習通りにちゃんと市井さんから離れて屈んだのに!

「ははっ――ああ、平木の。動けるなら、少しそこから離れてくれ」

「あ、ああ。ほらっ、母上、み「い、市井様ぁ!」美代子っ! 立て!」

我に返った途端の黄色い声に、市井さんは嫌そうに顔をゆがめ、兄は慌てて二人を引きずった。

「さっさと動け。結界効果がそろそろ切れる」

キィンッ

また短刀を鳴らした市井さんは首を傾げながら、私の方へ視線を寄こす。

「おかっぱは何してんだ」

「さあ……?」

輪の中心に異形二匹を据えたおかっぱたちの微妙なステップは、完全に揃っている。ケムもまたそこに紛れていた。なんであんたまで揃ってるの……。

「んんんんー。一気に斬るかぁ? おお、わかってんな」

おかっぱたちがどうぞとばかりに、さーっと円陣を解いた。

ステップから側転に切り替えたケムだけは、まだ円陣の軌道をなぞっている。

「まあ、あいつは平気だろ――しりへでにふれるとつかつるぎ」

横薙ぎ一閃で生まれた魔法陣が回転のこぎりのように飛んでいき、異形二匹をまとめて上下に斬り分けた。

◆◆◆

「ずるいよー! 僕だって見たかったー!」

「うっせ」

石川さんが地団駄を踏みそうな勢いで叫んだ。

ものすごくあっさりと討伐は完了して、屋敷へ戻ってきている。

ベールを剥いだように元に戻った町の景色に呆然としている兄たちは、さらっとそのまま置いてきた。市井さんもほっとけって言うし。

ご当主に簡単な報告を済ませて広間に戻ってきたところで、外から帰ってきたばかりの石川さんにつかまったのだ。

「大体お前さっさと出かけてたじゃねぇか」

「わかってたら行かなかった!」

「俺らだってわかってねぇわ」

石川さんは珍しくつなぎの作業服を着ていて、あちこちが泥だらけだ。中に色々着込んではいるようだけど、あれは泥が染みて寒かったりしないんだろうか。というか、正確にいえば、つかまったのは広間に面した縁側だ。石川さんは中庭から上がり込んだわけだけど、裾からぽろぽろ落ちる泥が気になってしょうがない。

「ねえ! 人形のアレと? 狭間と? 害のなかったはずの異形でしょ!? もっと詳しく! ねえ! 詳しく!」

「えっ、うぇっ、えっ!? やだ! くっさい! あっ」

「えっ」

「ぶはっ」

鼻先同士がくっつくかと思うくらいの勢いで詰め寄られて、後ずさりしたくとも、両手をがっちり握られてできない。びっくりしたんだ。すごくびっくりしたから、つい、ぽろっと叫んでしまった。

ふらりと後退した石川さんは手を離してくれた。市井さんはそれを指差して笑っている。いや、笑ってないで助けてほしい。

研究に必要だからと本殿の向こうに広がる山の中へでかけていたという。元旦からお仕事。ほぼ趣味と同じだって市井さんは言っていたけど、それでもお仕事だ。お仕事をしてきた人になんて失礼なことを私ったら!

「あ、あのっ、ごめんなさ」

「……そうだよね。さつきちゃんみたいに若い娘さんには、嫌がられて当たり前だよね……僕としたことが」

「ち、違うんです。ついっ」

「でもちょっと衝撃だったぁああ」

「あああ! ごめんなさい! ごめんなさい!」

「そう言いながら近寄ってきてくれないじゃないいい」

「だってまだ私着替えてないし!」

「ほらぁ! 傷ついたぁああ! だからちょっと協力し、ったぁ!」

わざとらしく泣き崩れるふりをする石川さんの後頭部を、市井さんがいい音をさせて叩いた。

「どさくさにまぎれてんなよ。そんな格好の男なんて触りたくねぇにきまってんだろが」

「それはわかってるけどさー。それほど汗かいたわけでもないと思うんだけどなぁ」

「違うんです違うんですっ、なんかこう、生臭いっていうか」

「……ちょっと彬くん、嗅いでくれる?」

「イヤだ」

突き出された石川さんの腕を毅然と払いのけた市井さんは、それでも小鼻をひくつかせた。

「……若い娘は鼻が利くっていうし」

「やっぱり彬くんにだってわかんないんじゃない! えー、さすがに僕も気になるよ。なんなの」

「年取った男は独特の匂いがするっていうしな」

「彬くんだってそんな変わらないでしょ!」

「伊織ぃ! あんたそんな格好で!」

ちょうど廊下の突き当りを曲がってきたおばさんが走ってきて縁側から飛び降りると、そのまま伊織さんを引きずっていった。

おばさん……。昨日みかんくれたおばさんだよね……今すごい形相すぎてわかんなかった……。