軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

8 就職と私

母の肩越しに部屋を見渡した市井さんは、またことさらに笑みを深めたけれど心なしか目じりが引きつっている。

「さつきさん、荷物はまさかそれだけで?」

「あの、布団は」

「不要です」

「あっ、はい。じゃあ、こ、これで全部です」

「――そうですか」

流れるように風呂敷包みを取り上げられて口が開いた。えっなんで。それ要るんだけど。パンツはいってるんだけど。

「女性に大荷物を持たせられませんよ」

「あらあらまあまあ、最近流行りのレディファーストですか。さすが洗練されていらっしゃる。よかったわねぇ、さつきさん」

これは本当に市井さんだろうか。勿論よく知っているわけではないけれど、さっきまでの印象と違いすぎる。洗練?

そして母に名を、しかもさん付けで呼ばれて、開いた口がふさがらないとはこのことだ。どっちを凝視していいのかわからない。

「奥方。さつきさんは我が隊で責任をもってお預かりします。嫁入り前の娘さんに悪評など立たせませんから」

あ、やっぱり市井さんであってた。笑顔だけど圧がある。

両親は玄関先まで見送りに出てきた。これは私ではなく市井さんを見送ってるだけなので特に思うことはない。

兄と妹は今日出かけているから、帰ったら私がもういないことを知るだろう。多分。いやそのくらいはさすがに話題に出るんじゃないかな。多分。

玄関前のロータリーには、見たことのない魔動力車が止まってた。家の車よりも一回り小さいけどちゃんと四人乗りだ。前の方に小さな国旗と多分軍旗がはためいているから、いつの間にか市井さんが呼んだのかもしれない。だって来た時は歩きだったっぽいし、少し簡素な軍服を着た人が運転席で待機していた。

カンカンと鳴る駆動音は控えめだけど、大きなタイヤの周りに散る魔力残滓はきらきらとうちのものより眩い。

「乗りなさい」

市井さんが後部座席のドアを開けてくれた。タイヤが大きいせいかステップがすごく高いところにあるから勢いをつけて乗り込んだんだけど、座るために体の向きを変えたら、開いたドアの横に立つ市井さんの片手が不自然な高さに伸ばされていた。そういえば妹や母が車に乗り込むときは、兄たちの手を借りていた気がする。だって! 乗りなさいって言ったから!

「……体力もありそうでよろしい」

若干声を震わせながら、市井さんは車を回り込んで反対側の後部座席に乗り込んだ。

「では」

市井さんの父への会釈に合わせて私も軽く頭を下げると、車は滑らかに動き出す。フロント以外に窓はなくて、毛むくじゃらがドアの上を走ってサイドミラーに飛びついた。ワニモドキが隠れるように伏せている門を抜け、車は商店街の方向へと加速していく。三つ編みおさげから飛び出たほつれ毛が、風で頬をくすぐった。ふと門へと振り返ると、のっそりと門から敷地にはいりこむワニモドキの尻尾。

あいつあそこから先に進めたんだ。

「あー、まあ、休みの日は自由だからな。おすすめはしねぇけど顔見せようと思えば」

「思わないですが……」

口調は荒いものに戻ってるし詰襟を寛げてだるそうにしてるけど、どこか労し気な声をかけられた。なんで。

「俺にはろくでもない家族にしか見えねぇけど、お前まだ十六だろ。こう、情というかなんというかだな」

「な、ないです。どうしたら家を出てやっていけるか、その、ずっと考えてましたので」

隣に座る市井さんはだらりと低く座席に体を埋めていて、ちょうど私と目線の高さが同じだ。

あ、もしかして私が家のほうを振り返っていたからだろうか。ワニモドキを見てただけなんだけど、家に未練がありそうとかそういう?

やっぱり彼にはあれが見えないんだろうか。そうだとすると私からそれを口にするのは抵抗がある。

「なら、いい。お前は俺が引き抜いた直属の部下になる。大抵のことはなんとかしてやっから遠慮はすんな」

「はっはい! よろしくおねがいします!」

初対面こそあれだったけど、この人きっといい人なんだ。多分。きっと。

お礼を言わなきゃと思うのに。今言えばよかった。ああ、そうだ。あかぎれ治してもらったのだってまだお礼を言えていない。ああっ昨日足を掬って転がしたのだって謝っていない! ありがとうが先? ごめんなさいが先?

大あくびをして眠そうな半目になりはじめたんだけど、ちょっとその顔こわい。でもお礼とかそういうのは大事だし。着いたらきっと目を覚ますだろうから、そのときに隙を狙って……どこに着くんだろう。

行き先がわかるわけでもないけど、車は商店街をゆっくりと抜けていく。歩道も車道も区別なんてないから通行人はただふわーっと車を避けて、その隙間を車は進むのだ。このあたりに信号機はない。というか今世でお目にかかったことはない。このあたりだけなのかそれともまだないのかもわからない。私はこの町を出たことがないし、車だってそうそう見かけるものでもないから。

サイドミラーに腰かけて両手をあげている毛むくじゃらが、進行方向へ顔を戻した私の視界に入る……なんか一回り大きく見えるのは気のせいだろうか。

「ああ、そうだ」

すっかり寝入ったのかと思ってた市井さんが声をあげた。

「お前な、何の仕事かと給料はいくらなのかくらい、引き受ける前に確認しろよ」

「下働きとかなのでは……」

「んなわけあるか。もう逃がさないから関係ねぇけどな」

えっ。なんで言うだけ言って寝ちゃうの!?