軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

7 母と私

普通に誰も助けには来なかった。

私としては精いっぱいの悲鳴だったのだけど、実際にあがった声はへなちょこだったから。だって普段会話すらすることないし……。

「あんなひょろい声で助けなんて呼べるわけないだろ。いざってときのために少し鍛えた方がいいんじゃねぇの」

市井さんはしかめ面をしていなきゃ、口調の粗さがちぐはぐなほどに涼し気で端整な顔立ちだった。今はその目に憐れみが浮かんでいる。

竹箒は屋敷の壁に立てかけられた。いざっていつ。今だったはずなんだけど。

「さて、確認だ。お前がその 妖(あやかし) を飼っているのはわかったから、それはもういい。普通、依り憑かれたら衰弱した挙句に死ぬんだけどな。まあ平木の血筋だからってことだろう。で、だ」

妖……と首を傾げてしまう。毛むくじゃらがそう呼ばれる類いなのは確かだ。

傾げてしまったのはそれではなくて、妖という存在はこんないるのが当たり前かのように語られるものだっただろうかということ。……でもきっと市井さんにとっては、そういう存在なのだと問いは飲み込んだ。

「……なんだ。聞きたいことはきちんと聞け」

慌てて首を振れば、ふうんと訝し気にしてから市井さんは言葉を続ける。

「平木さつき。平木家の長女で十六歳。学校には通わず花嫁修業をしている。が、二日前に許嫁との破談。今後の予定は未定と、ここまでは調べた。つまりお前は今無職」

つまりおまえはいまむしょく。妙にラップっぽい。

こちらの世界で私くらいの年齢では、縁談がまとまっていないことも学校に行っていないことも珍しいことではない。だけど上流階級の家でこの経歴は威張れたものでもない。どっちかだけならいい。両方同時に揃えばそれは醜聞だ。

市井さんの声音に蔑みは感じられなかったけれど、どうしたって副音声で”役立たず”と重なって聞こえる。

そう言い続けられたから、自分でもよくわかってることだから、だ。

下唇を噛みたくて俯こうとしたら、私の手が大きな手にすくわれた。

やけに触り心地がいい白手袋をはめた手にとられ、私の手はひっくりかえされて指先だけが親指でおさえられる。

「だから勧誘に来たんだけどなぁ。昨日も思ったがお嬢様にしては随分と働き者だ」

「え? え? え?」

あかぎれだらけの指先がふわりと温かくなり、ぱっかり開いていたいくつもの裂け目がつるりと消えた。

手の甲、手のひらと何度もひっくり返してみる。毛むくじゃらが丸太転がしみたいに手首を走って邪魔だから、つまんで下に落とした。

やっぱり傷がない。これは噂の治癒魔法! 扱える人はそういないから、この目で見たのは初めてだ。

「これが大佐……」

「いや微々たるもんだし別にこれが仕事じゃねぇよ。で、お前どうやら冷遇されてるみたいだし? いっそ住み込みで働くか」

勧誘。住み込み。

「うん。それがいいな。ああ、住み込みっつっても寮だ。寮。生憎女子寮はねぇが――まあ、空き部屋はいくつもある」

何故だか市井さんは私の頭からつま先まで何度か視線を走らせてから、もう一度頷いた。

「お国の仕事だかんな、基本八時半から十七時の週六日勤務。不定期休で、個室に三食賄付き。どうだ」

「ありがとうございます! よろしくおねがいします!」

市井さんに指示された通り、自室で荷物をまとめた。

今日は父が在宅していたのも調べてあったのかもしれない。今頃は応接室で話をしている。

子どもは親の持ち物なので許可をとらなきゃいけないからだけど、父は家でこそ威張り散らかしてるが基本長いものに巻かれろの人だ。軍服の効果はきっと抜群なはず。

絣の着物と、半そでのワンピースにエプロン。それから下着と靴下と手ぬぐいをまとめて風呂敷で包んだ。肩掛けかばんには歯ブラシやコップなどの細かいものを入れる。毛むくじゃらもいそいそと入って片足だけ外に出した。

私の持ち物なんてこんなもんだから、すっかり手持無沙汰になって意味もなく座ったり立ったり。……布団もいるだろうか。かついで持っていけないこともない、か? 板敷の狭い部屋の隅に畳まれた布団をにらんでいるところに、ぱーんっと扉が開けられた。

「支度は整ったの」

「はい」

「そ。お前のような役立たずを拾ってくださるんですからね。励みなさい」

つんと顎をそらして部屋を出ろと仕草で示す母が、最近流行りらしいロング丈のツーピースドレスで仁王立ちしている。話し合いは終わったようだ。

風呂敷包みを抱えて廊下へと思うも、母が立ちふさがったままで戸惑う私をじっと見つめている。

「出世もされて立派な御仁のようなのに……。まあ、趣味は色々というものね」

趣味。文脈から言って市井さんの趣味のことに思える。

彼の趣味が何故――もしやこの人は私が妾かなにかで引き取られると思っている? いやまさか。

「身の程知らずに正妻など望むんじゃありませんよ。置いてもらえるだけ感謝なさ――」

「いやー、平木家は随分と開放的なんですねぇ」

「あっ、あら。いやだ。玄関でお待ちいただければ連れて行きましたのに」

ぬうっと音もなく背後に立った市井さんがかけた声に、母はちょっとばかり飛び上がった。

「いえいえ。大事なお嬢さんをお預かりするのですし、女性は荷物が多いかと思いましてね」

口角をきれいに持ち上げた市井さんは、ちょっと凄みがあるほどの美青年かもしれない。え。市井さんだよね。この人。