軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

20 白い腕と私

分かれ道になるたびに、怖い方を確認して進む。

胃が震えるような恐怖感はなくなるわけもなく、むしろ進むごとに強くなる。だからどうしても道を選ぶために一度立ち止まってしまう私を、市井さんは急かしたりしなかった。よし、と息をつめて一歩踏み出して。

「お姉さん!」

そんなところで腰にいきなりタックルされたらびっくりする。悲鳴すらあげられずに腰を抜かしかけた。トイレをすませてきていて本当によかった。

どこから駆け寄ってきたのか、それとも沸いたのか。私の腹に細い両腕を絡ませて見上げてくる男の子が、にっこりと笑った。市井さんは腰の刀に手をかけてる。怖い怖いそっちが怖い。

「遊びに来てくれたんだね! おかあさんも待ってるよ!」

瞬きの間に、辺りが暗くなった。雲でも出たかと思えば子どもの頬や髪の片側だけに赤い光が差している。やたらと大きな太陽が沈み切る直前だった。

「お姉さん、お友達も連れてきたの?」

私のみぞおちあたりに右頬を埋めて、子どもは市井さんへと視線をうつした。

それをつい真似るように私も見上げてしまう。

何もかもが黄昏の赤と金で上書きされていて、影すら赤を重ねた色だ。

それでもなお、市井さんの眇めた目は際立って赤く輝いていた。

「えっと、うん、と、友達?」

友達ではないかな。上司かな。いやでもこの子に説明はしにくいなと思って歯切れが悪くなる。

「ふうん。いいけど。お兄さんかっこいいし」

「そうだね。そう? いや、かも?」

「そこは言い切れよ。なあ、坊主。俺かっこいいだろ」

「そうだね! おかあさんも美人だし、きっとお兄さんも好きだと思うよ!」

「いやー俺、年上はちょっと興味ねぇなぁ」

え、なんでそんな急に馴染みだすの。そういうモードもお持ちなの!? なんで今?

市井さんは刀の柄にかけていた手を、私の肩に置いて軽く引き寄せた。

子どもは腹に巻き付いている腕を緩めずに、とととっと一緒にくっついてくる。小さな口を若干への字にさせ、私の袴の帯をつかんで引いた。

小さな手だ。すっかりあかぎれの癒えた手で包むと妙にひんやりとしていて、でもこれは確かに人間の手だと思う。

「離れな。女に抱き着くなんざ十年ばかし早ぇわ」

「お姉さんはぼくとおかしを食べる約束をしてたんだ」

「そうかあ? 聞いてねぇな。――坊主、そうやって何人引っ張り込んだ」

さっきは左側からだった夕日の金色が、急に真正面から眩く差してきて目を細める。

眩む目を開けたときには、もう私たちはあの家のあるY字路に立っていた。

肩にあった手の重みが、するっと腕を撫でるように落ちて。

「――市井、さん?」

「お兄さん、先におやつしたらいいよ」

軽くなった肩が、すぅっと冷えた気がした。抑え込んでた恐怖が不安でふくらみはじめる。

子どもらしくない嘲りを含む甲高い声音に反応することもなく、棒立ちになった市井さんの顔つきは茫洋としていて、光のない目の焦点もあっていない。

いつからなのか気がつけば、犬の遠吠え、カラスの喚き声、猫の唸り声、そんなのとよく似たような似ていないような錆びつく音が周囲を埋め尽くしている。

「いっ、市井さんっ」

ふらりと一歩踏み出した彼の向かう方角はあの家。あの立蔀の向こう側。

そこから伸びているのは、ぼんやりと白い肌のたおやかな女の腕。

ゆっくりとこっちにおいでとばかりに上下に揺れて。

私なりに必死に声を張り上げても、その硬い軍服の裾をつかんでも、二歩、三歩と進んでいく。

ケムは紫色のビー玉に玉乗りしながら先導するように前を蛇行する。さっき取り返したのにいつのまに!

「……かあさ――?」

市井さんはほとんど口も開かないままつぶやきをこぼした。かすれた頼りない声は、全然、全く、市井さんっぽくない。

「だめだってば。順番だよ」

そう叫んで腰にしがみつく手を振りほどいたら、ぽてんと子どもは尻もちをついた。

ざわり、と空気が波打った。

揺れていた白い腕が、ゆったりとした動きなのに残像を残す。

腕の影は立蔀の向こうから何本も伸びてくる。

けば立った皮膚はあちこちが剥がれ落ちて骨らしきものが覗き、枯れ枝みたいな指の先には鋭い爪がある。

白い腕のほうが影なのだと、みるみるうちにこちらへと向かう漆黒の腕が本体なのだとわかった。

「け、ケム! ケム! 市井さんを止めて!」

ダメもとで呼んでも、案の定あいつは妙に上手い玉乗りを続けている。だよね!

赤く染まった薄闇で、ビー玉の中心はきらきらと銀色に瞬く砂が渦を巻き始めた。

向こう側に連れて行かれるぞと、じいちゃんの声が耳の奥でする。

それは嫌。向こうに行ったってじいちゃんはきっといないと私は知っているから。

だけど、このままじゃ私は役に立たないまんま。

がくがくと震えが止まらない足で、大きく一歩踏み出して。

おぼつかない足取りの市井さんを追い越して、ケムとビー玉を拾い上げて。

左手にケム、右手にビー玉。

「来るなぁ!」

ちゃんと習った通りに、右腕を大きく振りかぶって地面にビー玉を叩きつけた。

放射状に銀の光がらせんを描きながら天に伸び、瞬く間に魔法陣を形作る。

きーんと金属音が響き渡り、じゅっと焦げる匂いをたてて黒い腕が怯むように後じさりをする。

ぐっと力強く腰をつかまれて後ろへ引き戻された。

「――っぶねえええ! つかまってたわ! くそがあ!」

振り仰げばぎらぎらとした赤い瞳。市井さんっぽい市井さんが戻ってきたぁあ!