軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

12 奥の細道と私

じいちゃんと暮らしたのは小学校に上がる前までだ。多分四歳をすぎたころからだから二年もない。

まだ他の人は見えないものと見えるものの区別がつかなかった私を、両親や兄が持て余して押しつけたのだと知ったのは随分後だった。

『さわんなー』

山の中にある古びた家で、じーちゃんがどこまで草刈りするかで決まるような庭は裏山に続いていて。

その先には小川がそばを流れる小さな畑があって、踏み均されただけの細い小道をじいちゃんと手を繋いで通った。

草むらからこちらを窺う毛虫なのか蛙なのか微妙な異形に手を伸ばすと、じいちゃんはそう言って繋いだ手を引くのだ。

『じいちゃん見えんの!?』

『いんやー、見えんけどなー。お前に見えんならいんだろ。じいちゃんのばあちゃんも見えたっつうしな』

同じものが見えるのかと浮かれた私に、じいちゃんの返事は否だったけれど、それでも見えることを信じてくれたのが嬉しかった。

そういえば雑な口調は市井さんに似ていたかもしれない。

『いいか。あいつらにちょっかいかけちゃだめだぞ。知らんふりしとけ。あいつらにはあいつらのルールっちゅうもんがある。わしらにはわからんルールだ』

『しらんふり』

『そう、知らんふり。おまえがちょっかいかけなきゃなんもしてこない』

『ちょっかいかけたらなんかしてくる? なにしてくる?』

『……どうだったかな。ばあちゃんもそこまでは言ってなかったかもしらん』

市井さんに引っ張り込まれた細道の先には、瓦屋根の一戸建てや藁ぶき屋根の長屋が立ち並ぶ道が拓けていた。

道といっても軒先が飛び出ていたり、玄関が道から斜めに向いていたりして、隙間というには広く、道というにはいびつな空間だ。空の青はどこか薄いのに、電線のない電柱が落とす影は妙に濃い。なんだあの柱って市井さんがつぶやいた。電柱です。

「い、市井さん、わわ私のじいちゃんがですね、こういうのにちょっかいかけんなって遺言をですね」

「平木家の先代はお前が生まれる前に亡くなってるだろうが」

「詳しい!?」

「ったりめぇだろ」

当たり前なんだ……でも私のじいちゃんはその人じゃないのに。

市井さんはそれ以上話を続けることもなく、辺りを何度も見回した。

二足歩行の狐はスーツを着ている。尻尾はない。

動かないプロペラのついた亀が中空を漂っている。寿司折をぶら下げたまま。

十二単をひきずっているタコは後頭部がやけにでかい。

軒先にぶら下がっては落ちるのを繰り返してるのは大きなウニ? 栗?

ぬめぬめと光る沼のような肌をした、なんだろ、なんともいいがたい形状をしているヤツは、座り込んで小石をいくつも積み上げている。

商店街でもよく見かける光景だけど、昨日あの子に手を引かれて走っていた時にはいなかったように思う。それに明らかに人間だとわかる者がいない。人間ぽいのもいるんだけど、微妙に惜しいのだ。

「……これはまた随分と賑やかだ」

「市井さん、か、帰りましょうよ。怖いのはいないんですけど、でも、ここは」

「へぇ? 怖いやつってのがわかるのか。ここらにいるのが怖くないとは……これが普段お前の見てる世界か」

市井さんには異形がみんな黒い靄に見えてるって言ってたけど、今は違うのだろうか。

自分でも気づかないうちに市井さんの袖をつかんでしまっていた手が、とんとんと軽く撫でるように叩かれた。

見上げると優し気に微笑むイケメンがいる。誰!?

「怖いのがいるのはどっちの方角だ?」

私の手はぺいっと叩き落とされ、また襟首掴まれて前に押し出された。えー。

「いい市井さん、もしや私の仕事という、のは」

「やっと気づいたか! がんばろーなー!」

異形たちはいつもと変わらず、私どころか周囲の異形のことすら視界にないかのようにうろうろしている。

市井さんは「あいつなかなか奮った造形してんな……」と余裕だ。やっぱりちゃんと見えているらしい。毛むくじゃらは私の隣を時々機敏にターンしたり側転したりしつつも、のったりと普通に歩いてる。いつの間にか私の身長ほどにでかくなっていて、ちょっと驚いた。

「どっちだー?」

「こ、こっちだと「よし。そっちな」ええ……」

隙あらば怖くないほうを選んでみてるんだけど、彼はきっちり逆へ進むように私の後ろから肩をつつく。怖い方選んだときはちゃんとそっち選ぶのに! どうして! 後ろにいるのに!

「いやー、さつきはかわいいなー!」

いくら聞いた試しのない誉め言葉でも、棒読みの意味くらいわかる。どう返していいのかはわかんないけど。

「そんだけ強い妖連れてて何が怖いんだか」

「……そばにいるだけですから」

「へえー」

多分前世は事故か何かで死んだんだと思う。幸いなのかどうなのか覚えてはいないけど、きっとその瞬間だってこいつはそばにいただろう。

こいつはそういうものだから。

前世でだって怖いのや嫌なのはいた。でもこうして自分から近づいていくなんてしたことがない。

例えば通りを歩いていて嫌な気配に気づいたとき、ひたすらそしらぬ顔を保ったまま離れてしまえばいい。もし寄ってこられても、知らんふりしていればそのうちいなくなる。

例えばテレビでニュースを見ているとき、雑踏の中にいる怖いのと目が合う。画面の向こうなのに、録画であろうものなのに、なんなら目があるかどうかもわからない姿であったりしても、目が合ったとわかるのだ。でもそれは急いで電源を切ってしまえばそれでおしまい。

私とそいつを隔てるものが何もないとき、気がつかれたらどうなるのか。それは知らない。

「ま、最悪でもお前だけは絶対逃がしてやっから任せとけ」

ちらりと横目でみた市井さんはすごく自信満々で多分かっこいい。でもその根拠をまず教えてくれないだろうか……。

「あ」

「お、おー。さすがにこれは俺でもわかるな……」

三方向から道が合流する角にある家の前、門を守るような位置にしゃがみこんだ白いシャツの子ども。

たどたどしい細い声で歌いながら、踏み固められた土の地面を黒い木の枝で何かを描いている。

この歌は聞いたことがある。今世の兄が小さいころ、母の膝に抱かれながら一緒に歌っていたはずだ。

うつむく子どもの白いうなじ、手にした枝より細い指。

わらべうたにありがちな物悲しい旋律に合わせて浮かび上がる、魔法陣に似た光の王冠。

浮かび上がり、はじけ、消えていく。いくつもいくつも。

あやふやな音程の子どもの声に、穏やかに囁くような歌声も寄り添っている――その姿は見えないけれど。

「撤収だ。これ準備足んねぇわ」

市井さんが私の腰を抱いて引き寄せたのと、子どもが顔を上げたのは同時だった。