作品タイトル不明
裏切り者には報いを
強引にメル家の扉を開けたのはヴィルターだった。少し後ろにはユリアーナも居る。
二人の顔を確認したメルは露骨に嫌そうな顔をした。
「何だ、その『うわぁ……』みたいな顔は。ドン引きするな!」
「え、ヴィルター様、どうしてここに? ニシハッテまでは遠かったでしょう」
ヴィルターは重々しそうに口を開き、メルを連れ戻さなければならない事情を話した。
ちなみにセラは全く事情を知らないため、それに関してはメルから婚約破棄の経緯と、彼女が半ば追放されてここに来たのだということを端的に説明した。
それにしても、彼女としては予想外のことだった。ゲームの中では賢者の石が起動しなくなるなんて不具合は起きなかったからだ。
どこに問題があったのだろう。それについてはメルも興味がある。しかし……。
「だからメル、学園に戻ってこい。今ならまだ間に合う」
「そうですわ。今なら皆さん許してくださいます」
こいつらの態度が非常に気に食わない。彼らはメルのことなど1ミリも考えていない。ただ自身の保身のため動いているに過ぎない。
メルは二人が喚くのを暫く黙って聞いていた。
「さあ、メルさん。私たちと一緒に戻りましょう? あなたが行ったいじめや暴力行為も、きっと皆さん許してくれるわ」
親し気な笑顔でユリアーナが近付いてくる。
メルは手元にあったボタンを連打した。
同時に、壁の一部が急にせり出した。いや、発射された。目で追えぬ速さでユリアーナの横っ面にぶち当たり、ミチミチィ! と彼女の顔の肉を片隅に追いやった。
「ヘパー!」
ユリアーナは変な顔になって、変な声を出しながら、反対側の壁をブチ破り、外に排出されていった。
メルを説得していたヴィルターの口が、エサを待つ鯉のように開かれて止まる。
そんなことなどお構いなしに、メルは壊れた壁の方に向かい、両手で中指を立てながら叫んだ。
「ユリアー様、酷いですわ! 私は今まで一度も人に暴力を振るったことなどありませんのに!」
「え?」
と言ったのはセラだった。
「め、メル、お前、何を……?」
恐る恐るヴィルターが聞く。
「この家の防御システムが作動したのです。あの性悪女、じゃなかったユリアーナ様、じゃなかった、クソビッチが私に暴行しようとしたので、作動したのでしょう」
「いや近付こうとしただけじゃ……」
「ということで、ミュージックスタート」
メルの言葉とほぼ同時に悲し気なバイオリンの旋律が響き始める。
「それはもう良いから! あとこの音どこから出てるんだ!」
ヴィルターは一度咳払いをする。
「あんな形で婚約破棄してしまったことは、まあ、悪かったと思ってる」
自分も壁ごと排出されると思ったのか、ヴィルターの言葉は幾らかトーンダウンしていた。
「だから頼む。戻って来てくれ。今なら婚約を考え直してもいい」
「あ、それは結構です。というか絶対嫌です」
「なっ! 何だと?」
「だってあなたは私よりユリアーナ様を選んだじゃないですか。これはれっきとした裏切り。背徳行為。それで自分に都合が悪くなったら戻って来いなんていう人を信用出来ると思いますか」
「くっ!」
ヴィルターは押し黙った
「それに私、新しい婚約者が見つかりましたの」
「はったりだ! お前のような変な女に婚約者など」
メルはセラの腕を掴み、グイッと引き寄せた。
「この方が私の新しい婚約者です」
ヴィルターも、そしてセラもギョッとした表情でメルを見た。
「ごめんなさい、セラ。話を会わせてくれない?」
メルは小声で耳打ちする。セラの顔には戸惑いが浮かんでいたが、事情を飲み込むようにゆっくり頷いた。
「そうです。僕がメルさんの新しい婚約者の……せ、セラミックです」
セラは目を泳がせながら何とか返答した。ヴィルターは鼻で笑う。
「ふん、まだ子供じゃないか。これはこれは頼りがいのありそうな婚約者様だな」
皮肉を言われてるのは明白だった。しかしセラは表情を変えない。
「僕はもう15歳です。子供じゃありません。そしてあなたの婚約破棄のやり方が間違っていることは、子供でも分かることです」
毅然として言い放った。予想外の反撃を喰らったヴィルターは顔を赤くしてセラを睨む。
「僕はメルさんがいじめをする人だとは思えません。彼女は見ず知らずの僕を助けてくれた、とても優しい方です。その彼女と、確たる証拠もなく婚約破棄をしたあなた。どちらが信用出来るかは明白です」
「セラ……ミック……」
セラの両手は震えている。年上の、それも見も知らない男に立ち向かうのは勇気のいることだろう。それでもメルを庇ってくれたのだ。嬉しかった。
学園では婚約破棄された時、自由になれたのは嬉しかったが、誰も庇ってくれなかった。そのことは結構ショックだった。
でも今、セラは必死に自分の味方をしてくれている。温かい気持ちがじんわり胸に広がっていく。
「貴様、下手に出てれば言いたいこと言ってくれるじゃないか!」
ヴィルターがズカズカとセラの方に向かっていく。
「セラ、危ない!」
メルが再びボタンを押すと、ヴィルターの歩いている床が、まるでウォーキングマシンのように駆動し始めた。
いや、そんな生易しいスピードなどではない。あっという間に、走らなければ確実に壁に激突する程の速さになった。
「メル、これはどういうことだ!」
「自衛です。だってヴィルター様がセラミックにセクハッラしようとしたから!」
「おい待て。俺にそっちの気は無い」
「とにかく、あなたには罰として魚のエッサになってもらいます」
「罪重くない!?」
「ヴィルター様、後ろをご覧ください」
ヴィクターが振り返ると、いつの間にか壁が開いていた。外はプールのように水がためてあり、黒い水の中を、未知の何かが蠢いている。
「本当に魚のエッサにする気なんだね?!」
「はい。あれは肉食の獰猛な魚です。食べると美味しいんですが、気を付けないと人間が美味しく食べられます」
えっさえっさと走りながらも、みるみるヴィルターの顔が青ざめていく。
「うーん、でも今は寝ている時間なので、少し大人しいみたいですね」
「そ、そうなのか。良かった……」
言ったのも束の間。
メルはズタ袋を隣の部屋から持ってくると、中身を生け簀に向かって投げ入れ始めた。どうやら動物の骨や肉のようだ。
「ほーら、みんな起きて―」
バシャバシャァ! と一気に生け簀の中が活性され、鋭い歯を持つモンスターみたいなデカ魚がピッチェピッチェ飛び跳ね始めた。
「なんで起こした!?」
「こっちの方が盛り上がるかなって」
「お前デスゲームの主催者みたいなマインドしてるな!」
ヴィルターはどうにか死のランニングマシンから降りようとしたが、走るスピードがいっぱいいっぱい過ぎてどうにもならない。
「俺が悪かった。心から謝罪する。だから助けてくれ! はあ、はあ」
「そんな走りながら謝る人に誠意なんて感じられませんね」
「誰のせいで走っていると思っている!?」
「まあでも助けてあげます。よく考えたら人を食べた魚なんて食べたくないですから」
メルは小瓶の栓を引っこ抜くと、ヴィルターにぶっかけた。
「うわっ、何だこれは」
「それはスピードが速くなるポーションです。それで走るスピードが上がると思うので、一気に抜け出してください」
「分かった!」
しかし、一向にヴィルターの走るスピードが変わる気配はない。それどころか彼の着ている服が少しづつ溶け始めたではないか。
「おいメル! 何か服が溶けてないか!?」
「え?」
メルは空になった小瓶に書かれた文字を確認して「あっ!」と声を上げた。
「しまった! それスピードを上げるポーションじゃなくて服を溶かすポーションでした」
「何でそんなの持ってるんだ!」
そのポーションはゲームにも登場する物であり、プレイヤーの乙女たちが「推し」のあんなところやそんな事情を確認するための、淑女御用達アイテムだった。
と、この間にもヴィルターの服はどんどん溶け、全裸に近づいて行く。
「ちょ、ちょっと待っててください、ヴィルター様!」
メルは奥に走って行き、スケッチブックと鉛筆を取って来ると、急いでヴィルターの様子を写生し始めた。
「何してんだお前ェ!」
「だって勿体ないないですか!」
「勿体ない!?」
「あのポーションは滅多に手に入らない貴重なものだったのに! 使ってもらえるだけありがたいと思って下さいよ」
「どういう上から目線だよ!」
ヴィルターは完全に全裸になってしまったが、どうにか大事なところだけは両手で隠しながら走っていた。
「ヴィルター様、あの、おせっかいかも知れませんが、腕を振った方が速く走れますよ」
「やかましいわ!!」
「あと、下半身を隠すの止めてもらえます? そこが一番大事なところなので。あ、これダブルミーニングになってる。ふふっ」
「断る!」
「なっ、断るなんて正気ですか、ヴィルター様!?」
「何で人を魚のエサにしようとしながら股間を描こうとしてる奴に正気を疑われないといけないんだよ!」
ツッコミにエネルギーを割いている場合ではなかった。ヴィルターの体力は殆ど限界で、そろそろ本当に魚のエサになりそうだ。
「メル、俺が悪かったから、早く助けてくれっ」
「そんなこと言われても、どうすれば良いか……」
「この床を止めたら良いんじゃないかなあ!」
「はい、今度こそスピードを速くするポーション」
メルは再び小瓶の液体をヴィルターに投げた。いや、すっぽ抜けて、後ろの生け簀に全部吸い込まれていった。
「あっ! 何やってるんだメ……」
ヴィルターは振り返って目を疑った。
動く床に乗って、魚が迫って来たではないか。しかも何故か二本の足で立ち、走っているではないか。
「ナニコレ!?」
「魚のスピードが上がった結果でしょう。はやくなりすぎて二足歩行に進化したようです」
「そういうベクトルのはやくなるポーション!?」
ヴィルターは限界だった。既に大粒の汗が額に浮いている。
「め、メルさん、流石に可哀そうです。そろそろ本当に助けてあげて下さい!」
セラがメルの袖を掴んでいった。困り顔も可愛らしい。
「それもそうね」
メルが再びスイッチを押すと、動く床がフルバースト寸前まで加速した。
ヴィルターは亜音速でぶっ飛ばされた。
外を確認すると、はるか向こうの砂浜に、ヴィルターが頭から突っ込んでいるのが見えた。
「ふぅ、どうにか無事だったようね」
「そうなのかな」
ヴィルターたちを追い返すことには成功した。しかし彼らは簡単に諦めてはくれないだろう。追加で装置を作ったり、配備して供える必要がある。
それはそうと……。
「え、えっとね、セラ」
メルはセラの方に向き直って言う。
「さっきは咄嗟に婚約する振りをしてくれてありがとうね。嫌じゃ無かった?」
セラは柔らかい笑顔で応えてくれる。
「嫌なんてとんでもありません。むしろちょっと嬉しかったです」
「へ?」
「どうしたんですか?」
セラはきょとんとして、メルの方を覗き込んでくる。どうやらこの少年、ナチュラルたらしのようだ。
「な、何でもないわ! さ、散らかったし壁もぶっ壊れちゃったから、早く直さないと!」
「はい。僕も手伝います」
こうして二人はそそくさと作業に取り掛かるのだった。
その様子を、遠くから見ている者がいる事を、この時の二人は気付くはずもない。そしてメルとセラは、これから共に長い時を過ごすことになるのだが……そのこともまだ知らないままだった。