軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

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それ以来、リリィはヴァンに対して纏わりつくことをすっかり止めた。

落ち込み過ぎて買い物や着飾る気分になれない、というのもあるのだろう。大好きな観劇に行くこともしなくなり、ここ最近のリリィは大人しいものだった。

これまでの過ぎるほどの贅沢も散財もなりを潜めて、部屋で悩ましげにため息を吐く毎日である。

────が。

これで良かったのよね、なんてリリィが悲しげに、けれど恋した人のためにこそ身を引こうと決意しているのとは裏腹に。

「終わった………。何もかも…………………」

肝心の、リリィの夫であるヴァン・ヴェルナー。

面倒くさい幼妻から解放されて喜ぶどころか、こっちもこっちで絶望していた。

積み上がった兵達の屍をかたわらに、ここ最近の妻の様子を思い出して、打ちひしがれていた。

ああとうとうこの時が来た。ついにリリアーナに愛想を尽かされ、いや飽きられてしまったのだ、と崩れ落ちる。これはここ最近のヴァンの発作のようなものだった。

ふとした時に胸にリリィのことを思い出しては、ギュンッ!!!!と心臓に痛みを走らせるのである。

この発作のせいでうっかり手加減の調子を間違えて、いつもより念入りに兵達をしごいてしまうこともしばしば。

不幸中の幸いは元傭兵の彼らが強さに貪欲で、むしろそんないつも以上のしごきに喜んでいることであろうか。

多分こいつら、全員根が蛮族なのである。もしくは戦闘民族。お上品な貴族達で構成されてる騎士団とは訳が違う。ヴァンがいっそ引くほど強さに本気で、強者を求めて三千里、その末にヴァンの元へと辿り着いた怪物揃いなのである。

まぁ。

そんな怪物達の頂点に立ちまとめ上げている英雄は、実のところ、9歳も年下の奥さんに手も足も出ない有り様なのだけれども。

というのも。ヴァンにとってリリィことリリアーナは、奇跡がそのまま人の形になったような存在だったのだ。

ふわふわと風に靡く淡い黄金の髪。そしてそんな髪よりも濃い色の黄金の瞳。

美しく無邪気で、愛らしくも高潔な、この国唯一のお姫様。本来であれば平民上がりのヴァンが触れることさえ難しい、正真正銘の高嶺の花。

西王国の第一王女。

リリアーナ・ヘンゼルは、この国に住む男であれば一度は夢見る存在だった。その美しさは歌にされるほどで、難攻不落とも有名だった。

どんな貴公子に求婚されても決して首を振らず、望むままに生きている。仕草のひとつひとつが嫋やかで、かと思えば少女のように愛らしく微笑む。

リリアーナの姿を見て、恋をしない男は居なかった。

リリアーナの黄金の瞳にジッと見つめられて、たじろがないものなどいなかった。

あまりにも圧倒的な美しさ。男であれば誰もが夢見る高嶺の花。

───そんな難攻不落の高嶺の花が、ヴァンの花嫁になるという。

一年前。

そんな書簡を受け取ったヴァンは最初、ああ妙な詐欺もあるものだなとふっと笑った。王印があるから、人によっては騙されるだろうなと他人事のように考えた。

あまりにも精巧な偽物だなと思ったのだ。その後ヴァンが王城を訪ねたのは、「どうやらこんな精巧な偽物の王印が作られて、詐欺に使われているようです」と報告をするためであった。

が。

なんということでしょう。その書簡、何と本物であったらしい。この縁談、何と王女きっての望みであるらしい。

『そういうわけだ。娘を頼む………………』

『え??』

『どうか末永くよろしくお願いいたします。ヴァン様』

『………え????』

恥じらうようにはにかむ黄金の少女。あまりにも現実味が無かった。正直夢だと思っていた。

しかし混乱するヴァンを他所に何故か話はポンポントントン進んでいき、日取りも決まって衣装も決まって、気付いた時には結婚式だったのだ。

この頃のことを、正直ヴァンはあまり覚えていない。あまりにも現実味がなくてぼうっとしているうち、気が付けばタキシードを着てチャペルにいたのである。

ずっと夢見心地であったヴァンがハッと正気に戻ったのは、目の前に立つ少女の美しさがあまりにも圧倒的だったからだった。

神父に誓いの言葉を求められた瞬間、「誓います」と言わなければならないところ、条件反射のように「ぜひ」と答えてしまったヴァン。

そんなヴァンに嬉しそうに、くすくすと華奢な肩を揺らしたお姫様。妖精のように可憐で、天使のように愛らしいお姫様。純白のウェディングドレスに負けないくらい白い肌のリリアーナ・ヘンゼル。

どうやらヴァンの花嫁らしい。

……………どんな奇跡だ????

一生分の幸運をかき集めても足りないほどの奇跡。すぐに醒めるかと思われた夢は、けれど結婚式の後も続いていた。

ヴァンの花嫁となったお姫様は、屋敷にいる時。社交界で見た時よりもずっと無邪気で、けれどそんな所があまりにも愛らしかった。

子犬のようにヴァンのそばをついて回る仕草がいとしくてたまらない。

「その。結婚したわけですから。旦那様、とお呼びしてもよろしいですか……?」と恥じらうように見上げられた瞳が焼き付いたように頭から離れなかった。頬に影を作るほど、長い睫毛に縁取られた黄金の瞳。

心臓というものは、こんなにも忙しなく動くものなのかと驚いた。

はじめて王都に凱旋して、はじめて貴族として社交界に出た時。

ヴァンだって当然リリアーナを美しいと思った。他の人間が抱く通りの当たり前の感想を持った。

けれど彼女をどうこうしたいと思ったことはなかったのだ。ましてや花嫁になど望めるはずもなかった。何せ生きる世界が違い過ぎる。

かたや生まれた時からのお姫様。黄金に囲まれ、蝶よ花よと育てられた高貴な娘。

かたやスラム生まれの戦場育ち。血泥に塗れて生きてきた、戦争が無ければ身を立てることも出来なかった、生まれもなければ学もない卑しい男。

その上、年齢差もある。9歳という差は貴族社会では全く珍しくもない歳の差だったが、しかしどう考えても、歳の離れた卑しい男が高貴なお姫様と縁などあるはずもない。

というか、いくら美しくても9も年下のお姫様を相手にどうこうなりたいとか思う方がやばいだろ、と思っていたのだ。

はじめて社交界に出た日。噂のお姫様はどうでしたか!?と部下になったかつての同僚達に聞かれた。顔は噂通りの美人かだの、スタイルはどうだっただの、社交界に出たんだからどうにかして抱けるんじゃないか、だの。

ヴァンはスラム仕込みのそれを馬鹿馬鹿しいと呆れて、一つも取り合わなかったものである。

何せヴァンにとって、リリアーナは正しく他人事だった。

ヴァンは身の程も現実もわかっている男だったのだ。

『おかえりなさいませ、旦那様!本日もお疲れ様でした、今日もとっても素敵です!』

『う、あ、ハイ。その、ただいま戻りました……』

『今日もとっても大好きです!おかえりなさいのキスをしてもよろしいですか?』

『………ぜひ』

ところがどっこい。何の奇跡か冗談か、他人事どころか、高貴なお姫様がヴァンの妻になったという。

確かにヴァンは、社交界に生きていた他の男達のように、彼女に恋をしていたわけでは無かった。

けれど考えても見てほしい。どう考えても縁のなかったはずの高貴なお姫様が、美しい黄金の少女が、愛らしくいじらしく全身で全霊で愛を示してくれるのである。

絆されない男はいないし、虜にならない男もいない。

ヴァン・ヴェルナー25歳。あっという間に本気になって、新婚生活が始まった一ヶ月後には、夢でも罠でも何でもいいかな、という気持ちになった。

慣れない王城勤務も苦でもなかった。だって家に帰れば天使がいるから。

妬み嫉みの貴族の男達の嫌味も気にすらならなかった。だって家に帰れば天使がいるから。

毎日家に帰るのが楽しみだった。玄関の扉が開く瞬間が待ち遠しくてたまらなかった。

だってリリアーナが満面の笑みで出迎えて、その小さな手のひらでヴァンの頬を挟んで、鼻先にちゅっと可愛らしいキスを落としてくれるから。

ヴァンはリリアーナが可愛くて仕方がなかった。

社交界では隙のない大輪の華だったのに、家でいると可愛らしい子犬のよう。それともひよこのよう。

ヴァンの後ろをぴょこぴょこ着いてくるのを見るたびに、情けなく口角が下がりそうになって、ヴァンはいつも頬の内側を噛み締めた。

気の抜ける場所でワインを飲むとすぐにうとうと舟を漕いで、駄々っ子にもなって、一人称が「リリィ」になるのを見ると胸がギューーー!!と苦しくなる。愛しさでどうしようもなくなる。

リリアーナの一日の話を聞くのが好きだった。

ヴァンはあまり口が上手くないから、彼女がたくさん話してくれることが嬉しかったのだ。

観劇に行った話。新しいドレスを作った話。最近流行りの女優に、たくさんあるというレースの種類。今まで興味のなかったものも、リリアーナが話してくれるから聞くのが面白かった。

今ではすっかりヴァンもそういうことに詳しくなったのだ。

問題は、そうして得られた知識を、ヴァンが一つも活用出来ていないということであった。

ヴァンはこれまで口下手という自覚はなかった。上手いとは言えないかもしれないけれど、戦場で束の間の休息、仲間達とくだらない話を何度だってした。酒場に行けば朝まで騒ぐことだってよくあった。華やかな美女を相手にしても、なんてことなく接せられた。会話に困った記憶はそれほどない。

けれど何ということだろうか。

ヴァンはリリアーナを前にすると全く言葉が出なくなる。どうして彼女がこんなにもヴァンを好いてくれているのかが分からない。だからどうしたら幻滅されてしまうのかも分からない。

ふとした失言で失望されてしまうのが恐ろしく、何よりも本心で愛しいから、あの輝く髪を前にするだけで頭が回らなくなってしまうのである。

本当は観劇の話をされるたび、今度一緒に行きませんか、と誘ってみたい。

一緒にドレスや宝石を選んでみたいですと打ち明けてみたい。あなたが一生懸命、俺のために着飾ってくれるのが嬉しいですと告白したい。コーヒーハウスが流行っているらしいけれど、いかがですか。

口に出そう出そうと思っても、リリアーナを前にした途端用意した言葉の全部が飛ぶ。

結婚して一年が経っても、いつまでもヴァンの心臓は彼女を前にすると激しく高鳴って、緊張してしまうのだ。特に粗雑な元の口調を隠そうとすればするほど、無難な相槌しか打てなくなる。気を抜けばでれでれとだらしのない顔になりそうだから、いつだって必死に顔に力を入れて表情を保った。

そうでもしないと、人間の形を保てそうにもなかったのである。

リリアーナはそんなヴァンさえ「寡黙で素敵です」と喜んでくれたけれど。

ああ、と思う。ヴァンは絶望に顔を覆って項垂れた。そんな彼女に甘えてはいけなかったのだ。考えれば考えるほど後悔が押し寄せる。愛想がないにも程がある。思い出せば思い出すほど、いかに自分がつまらない男だったかを突き付けられるようだった。

そうだ。当然だ。ヴァンなど元々、リリアーナにとって物珍しいだけの男だったのだろう。飽きられるのも時間の問題で、ヴァンはそうならないように努力をするべきだったのだ。

いつもヴァンの隣で、可憐にはにかんでくれるリリアーナに甘えていた。

その結果がこれである。ここ最近、リリアーナはすっかり前と変わってしまった。出迎えをしてくれるのは変わらない。けれどおかえりのキスもなければ、その後ずっとそばについてきてくれることも、今日あったことを話してくれることもない。

ヴァン・ヴェルナーは、深い絶望の淵に立たされていた。