作品タイトル不明
9.改革に手を付けるか
光熹元年(189年)10月 司隷 河南尹 洛陽
アンニョンハセヨ、董卓で~す。(韓国風)
天子への教育を進める一方で、いよいよ改革にも手をつけることにした。
この頃の朝廷は外戚と宦官の実力者が共倒れし、一時的に無風状態だった。
しかし政務は官吏たちが進めており、その首脳陣は以下のようになる。
太傅: 袁隗(えんかい)
司徒: 丁宮(ていきゅう)
司空: 劉弘(りゅうこう)
太尉: 馬日磾(ばじつてい)
それなりに名のある連中ばかりだが、やはり 太傅(たいふ) の袁隗が名実ともにトップだ。
太傅ってのは表向き天子の教導役だが、 録尚書事(ろくしょうしょじ) を兼任することで、実質的な宰相となるのが通例だからだ。
これに3公(司徒・司空・太尉)を加えた4人が、この国の最高権力者と言っていい。(天子を除く)
史実だとこれに対抗して、董卓が 相国(しょうこく) に就任し、マウントを取ろうとした。
おそらく袁隗たちはそれに激怒したはずで、董卓の悪評をばらまいたんじゃないかな。
あくまで想像だが、後世に残る異常なまでの董卓の悪評は、こいつらにも原因があるだろう。
いずれにしろ、今の朝廷は袁隗の天下だ。
それには4世代にわたって3公を輩出(四世三公)するような、超名門の一族だからこその権威もあるだろう。
おかげで俺が謹慎に追いこんだ袁紹や袁術らは、すでに大赦を受けて、堂々と歩き回っている。
本来なら、処刑ものの大罪人なんだけどな。
事実上の最高権力者が身内にいれば、あっさりと無罪放免だ。
とはいえ、袁隗も全て好き勝手にやっているわけじゃない。
あくまで自身や身内の利害に絡まなければ、周りと協調して政治を進めてる。
つまり史実の董卓のようにやり過ぎなければ、妥協の余地はあるのだ。
「なんだと? 全土に州牧を復活させ、汚職官吏を取り締まれだと?」
「そうです。外戚や宦官によって、 孝廉(こうれん) 制度が歪められてきたのは、貴殿もご存じでしょう。その力が弱まっている今が、是正の好機なのです」
「う~む、それはそうかもしれんが……」
俺たちは今、袁隗のところへ根回しに来ていた。
そして州牧の復活と、汚職官吏の取り締まりを提案している。
州牧というのは前漢時代に存在した官職だが、後漢になって 刺史(しし) へ格下げされていた。
州牧が兵権も持つのに対し、刺史は郡太守への監察権のみで弱体化した。
実を言うと、宗族の 劉焉(りゅうえん) がすでに州牧の復活を提言しており、一部では実現している。
劉焉が益州、劉虞が幽州で、それぞれ州牧に就任しているのだ。
それならばということで、それを全土へ展開することを提案した。
もちろんこれはこれで、危険をともなう提案だ。
兵権を持つ州牧が叛意を抱けば、大規模な反乱が起きかねない。
なので複数の監視体制を築くなど、対策が必要だろう。
そして汚職官吏の取り締まりだが、これまた急務だ。
外戚と宦官が政治に関与するようになった和帝時代から、高級官吏の登用制度が捻じ曲げられてきた。
おかげで能力も志もない人物が要職に就き、私利私欲をむさぼるようになってしまう。
その所業は盗賊と変わりないと言われるほどの無法が、各地で頻発しているのが実情なのだ。
それでは国も疲弊しようというものである。
「しかし急な変化は、また反発も生むぞ」
「それも当然ですな。ですので対象者には罪一等を減じ、比較的おだやかな処罰で臨みます」
「う~む、それでもな」
なおも渋る袁隗に、根気よく説明を続ける。
俺のイメージするのは、後漢の初期に取られた 寛治(かんち) 政策だ。
前漢、特に武帝時代には、法に従わない者はバシバシ処刑された。
この頃には 酷吏(こくり) と呼ばれる官吏が、まさに残酷な法適用を実行し、多くの犠牲が出た。
しかし民、特に豪族の強い抵抗によって、その政策は行き詰まる。
そこで後漢の第2、第3代皇帝の時代には、豪族に寛容な姿勢で臨み、その影響力を地方の統治に利用しようとした。
この政策はある程度、機能したようだが、それを破壊したのが外戚と宦官だ。
第4代の和帝時代から、外戚や宦官が大きな力を持ちはじめ、政治に介入するようになる。
そのいい例が、河南尹で起きたキャリア官僚への推薦枠の独占だな。
外戚や宦官が、その一族や知り合いを要職に送りこんだため、豪族との協力関係は成り立たなくなる。
しかし奴らの勢力が衰えている今なら、またやり直せるかもしれない。
「ここで綱紀を正しておけば、名士の登用にも弾みがつきますぞ」
「うむ、そうだな。それはこの国の未来にも有用であるな」
実はこの時代、あまりに外戚や宦官の一派がでかい顔をしていたため、豪族の一門が仕事にあぶれていた。
本来ならキャリア官僚の供給源であるはずの豪族出身者が、その道を奪われ、人物鑑定による名声を求めた結果が名士だ。
これがいわゆる清流派の名士となり、宦官一派との抗争を繰り広げる。
しかしいつも勝つのは、天子を味方につけている宦官一派、つまり濁流派だ。
2度にわたる党錮の禁により、清流派は涙を呑んできた。
それらの不満が蓄積した結果、何進暗殺に端を発する宦官虐殺も起きたのだろう。
まあ、理想論を唱えがちな清流派にも、問題はあるんだろうがな。
いずれにしろ宦官と外戚の勢力が弱まっている今は、千載一遇のチャンスだ。
この機会に綱紀粛正に動けば、人事の正常化もある程度は望める。
そうすれば今まで職にあぶれていた名士だって登用されるだろうし、名士の一派も味方に付けられる。
名士の採用自体は、史実の董卓も試みたことだが、味方にはつけられなかった。
いろいろと、かみ合わなかったんだろうな。
それはさておき、名士の採用を臭わせてやったら、ようやく袁隗は乗り気になったようだ。
後は朝議に提案して、政策を実行するだけ。
せいぜいがんばってくれよな。
その後、袁隗らの奮闘により、州牧の復活と綱紀粛正が実施される運びとなる。
今後は順次、詔勅が発せられ、改革が進んでいくことだろう。
もちろんこれだけでかい国が、全て正しい方向へ進むなどとは思ってない。
様々な欲望が絡んで、また別の悲劇は生み出されるだろう。
しかし何もやらないよりかは、いくらかマシだ。
そして改革はこれだけに留まらない。
次に打つ手を、準備しておこうかね。