作品タイトル不明
古い橋へ
翌朝、悠斗は目覚ましより少し早く目を覚ました。
眠気は残っている。
それでも、二度寝する気にはならなかった。
橋を確認する、渡らない、奥へ進まない、危険なら戻る。
昨日ログアウト前に決めたことを思い返しながら、軽く顔を洗った。
朝食を済ませ、端末の時間を見る。
ログイン予定までは少しだけ余裕がある。
落ち着いているつもりだった。
けれど、指先は少しそわそわしていた。
AFOを起動する。
視界が暗くなり、次に光が広がった。
ハクトはリーヴェルの街に立っていた。
ログアウトした時と同じ、市場通りの端だ。
朝の空気は昨日より澄んでいる。
店はまだ開き始めたばかりで、人通りも少ない。
ハクトは深く息を吸い、地図を開いた。
『途切れた街道』
『南門前でガルドと合流しましょう』
『古い橋の確認』
表示を確認して、南門へ向かう。
朝のリーヴェルは静かだった。
石畳を掃く音、パン屋の扉が開く音、遠くで荷車が動き出す音。
同じ街なのに、昨日歩いた市場通りとは少し違って見える。
これから外へ出ると思うと、その静けさまで妙にはっきり感じられた。
南門に近づくと、すでにリクがいた。
肩掛け鞄を背負い、門の横の石壁にもたれている。
ハクトに気づくと、軽く手を上げた。
「おはよ!」
「おはようございます、早いですね?」
「商人は朝が大事だからねっ!」
「そうなんですか?」
「たぶん?」
「たぶんなんですね。」
リクは悪びれずに笑った。
その横には、ガルドも立っていた。
盾を背負い、腕を組んでいる。
昨日と同じ落ち着いた姿だ。
「来たか。」
「おはようございます。今日はよろしくお願いします。」
「ああ。」
ガルドは短く答え、ハクトを見る。
「追記は読んだ。橋の下、水場、草むらに注意。橋は渡らない。奥へ進まない。それでいいな?」
「はい。」
「目的がはっきりしているなら動きやすい。」
ガルドの言葉に、ハクトは少し安心した。
リクも横でうなずく。
「今日は確認して戻る。それ以上はしない予定です。」
「予定ではなく、決めておけ。」
ガルドが言った。
「外で迷うと、進む理由はいくらでも見つかる。戻る理由を先に決めておけ。」
「戻る理由、ですか。」
「橋が見えたら近づきたくなる、向こう側が見えたら渡りたくなる、そうして、一歩ずつ奥へ入る。」
ハクトは昨日の古い石標を思い出した。
確かに、自分もその先が気になっていた。
「橋を確認することが、今日の目的だからです。渡るのは、準備を整えてからにします。」
「うん。今の僕たちの準備は、橋を見るための準備だね。渡るための準備じゃない。」
「それでいい。目的が終わったら戻る、準備が足りないなら戻る。その2つを忘れるな。」
「はい。」
ガルドは南門の方を見る。
門番が重い扉に手をかけていた。
朝の光が、扉の隙間から細く差し込む。
『護衛依頼』
『ガルドが同行します』
『旧リーヴェル街道の古い橋まで確認しましょう』
表示が浮かび、すぐに消えた。
ハクトは地図を握り直した。
門が開く。
街の外の風が入ってくる。
昨日よりも少しだけ、その風を知っている気がした。
3人は南門を出た。
先頭はガルド。
少し後ろにハクト。
その横にリク。
昨日と同じ形だが、気持ちは少し違う。
昨日は南門の外に出るだけで、胸が強く鳴っていた。
今日は怖さもある。
けれど、ただ怖いだけではない。
どこを見るべきか、どこで止まるべきか、何を確認すべきか。
少しだけわかっている。
道は、昨日歩いた分だけ足に馴染んでいた。
草むらの位置。
古い石標までの距離。
視界が開ける場所。
魔物が出たあたり。
ハクトは一つずつ確認しながら進む。
ガルドは時々足を止め、周囲を見た。
リクも昨日より口数が少ない。
鞄の肩紐を握り、足元と草むらを交互に見ている。
古い石標が見えた。
昨日、引き返した場所だ。
ハクトはそこで足を止める。
『南門外縁』
『確認済み地点』
地図に表示が浮かぶ。
その先に、淡い線が続いている。
まだ、仮の線だ。
「ここから先ですね。」
「ああ。」
ガルドが盾を前に回した。
「歩幅を詰めろ。俺より前に出るな。」
「はい。」
「リクも、荷物が引っかかる場所では無理に進むな。」
「了解!」
リクの声も少し真剣だった。
3人は古い石標の先へ進んだ。
道は急に細くなる。
石畳はほとんど残っていない。
土の道に、ところどころ平たい石が埋まっているだけだ。
両側の草は高く、朝露で濡れている。
足を踏み出すたびに、靴の先が少し湿った。
ハクトは地図と前方を交互に見る。
古い橋の写しでは、この先で道がゆるく曲がる。
その曲がりの向こうに、水場があるはずだった。
『地形情報を照合中』
『古い橋の写し』
『水路点検図の写し』
表示が浮かぶ。
ハクトは息を整えた。
焦らない、地図だけを見ない。
前を見る、足元を見る、音を聞く。
「右の草、少し動いた。」
ガルドが低く言った。
ハクトはすぐに足を止める。
リクも止まった。
草むらの奥で、小さな何かが走る音がした。
けれど、こちらへは出てこない。
ガルドはしばらく様子を見てから、盾を少し下げた。
「小型だ。近づかなければ来ない。」
「迂回しますか?」
「いや、道幅がない。左寄りに進む。音を立てすぎるな。」
「はい。」
ハクトはうなずき、左側の足場を確認する。
少しぬかるんでいるが、歩けないほどではない。
リクが小声で言った。
「昨日、匂い玉を買っておいてよかったかもね。」
「使いますか?」
「まだ早いと思う。使うなら、戻る時か、囲まれそうな時に使おう。」
「はい。」
リクは道具を持っている。
けれど、すぐに使わない。
それも判断なのだと、ハクトは思った。
やがて、道の先から水の音が聞こえてきた。
小さく、低い音。
流れているというより、どこかに溜まって揺れているような音だった。
ハクトの手に力が入る。
「……水の音がします。」
「俺にも聞こえる。」
ガルドが答えた。
「ここからは、橋より先に足元を見ろ。水場の近くは崩れやすい。」
「はい。」
道がゆるく曲がる。
その先に、古い橋が見えた。
ハクトは思わず息を止めた。
橋は、残っていた。
けれど、地図で見た印よりもずっと頼りなく見えた。
石の土台はまだある。
その上に、古い木の床板が何枚も渡されている。
ただ、中央の板は一部が抜け、端の方も黒く湿っていた。
橋の下には、水が溜まっている。
流れは弱く、枝や葉が引っかかっている場所があった。
水門小屋の女性が言っていた淀みだ。
草の影が、水面に暗く落ちている。
『古い橋を発見しました』
『仮記録を更新します』
表示が浮かんだ。
ハクトはすぐに一歩下がった。
見つけた。
それで終わりではない。
ここから、どう見るかだ。
「橋、あったね!」
リクの声は小さい。
「はい。でも、渡れる橋には見えません。」
「そうだね……!」
ガルドは橋の手前で止まり、盾を構えたまま周囲を見る。
「ここから先へは出るな。」
「はい。」
ハクトは地図を開き、橋の位置を確認する。
古い橋の写しにあった場所と、ほとんど一致している。
ただ、水場の広がりは写しよりも大きい。
草の高さも、思っていたよりある。
「水場が広がっています。写しよりも、足元が悪そうです。」
「記録しろ。」
ガルドが短く言った。
ハクトはうなずいた。
『古い橋』
『位置確認』
『橋の中央に床板の抜けあり』
『橋下に淀みあり』
『周辺の草が高く視界不良』
『本日は渡らない』
一つずつ入力していく。
その時、橋の下の水が小さく揺れた。
ガルドが盾を上げる。
リクが息を飲んだ。
草の影から、小さな黒い影が顔を出す。
丸い体、細い足。
濡れた石に張りつくような動き。
1匹ではない。
2匹。
3匹。
水場の影に、まだいる。
ハクトの背中に冷たいものが走った。
『小型魔物を確認しました』
『戦闘推奨ではありません』
『撤退を検討してください』
表示が浮かぶ。
ハクトはそれを見て、すぐに言った。
「戻ります。」
迷わなかった。
橋は見た、魔物も確認した。
今日の目的は達成している。
これ以上近づく理由はない。
ガルドがわずかに口元を動かした。
「いい判断だ。」
リクも小さくうなずく。
「うん。戻ろう。」
ハクトは最後にもう一度だけ、古い橋を見た。
壊れかけた床板、水の淀み、草の影。
その先へ続く道。
気になる。
とても気になる。
けれど、今日は行かない。
地図を本物にするには、歩くことが必要だ。
でも、戻れないほど進むことは、案内ではない。
ハクトは地図を閉じた。
「撤退します。」
ガルドが前に出たまま、少しずつ後退する。
ハクトとリクも、来た道を戻り始めた。
橋の下の黒い影は、追ってこない。
ただ、水面だけが小さく揺れていた。
『途切れた街道』
『古い橋を確認しました』
『南門へ戻りましょう』
表示が消える。
ハクトは前を見た。
戻る道も、もう地図の一部だった。