作品タイトル不明
118 閑話 真珠が武器ならイリス様は勇者王 2
「そ、そそそ、それは……」
「ただの、真珠のネックレスですわ。夫が、誕生日でもないのに贈ってくれましたの……」
引き攣った侯爵夫人の言葉に、軽くそう返すイリス。
そして、絶句してそれ以上喋れなくなった侯爵夫人に代わって、他の御婦人方から質問の嵐が巻き起こった。
「ど、どこでお買いになったの!」
「夫が、お世話した方からお譲り戴きましたそうですの。まぁ、夫の日頃の行いのおかげですわね」
「だ、だだだ、誰から! い、いえ、どなたからお譲り戴いたの!!」
「私達には、仮のお名前、と言っておられましたから、本当のお名前は存じませんわ」
「失礼、ボーゼス伯爵。是非そのお方を紹介して戴きたいのだが……」
「譲って貰った価格は、いくらくらいだったのかね?」
後ろの方では、イリスを取り囲んだ御婦人方の夫である、伯爵や侯爵、そして公爵達がボーゼス伯爵を問い詰めていた。家に戻れば、妻から何を要求されるか分かっているのだ、情報を得ようとするのは当然であった。
勿論、あれがどれだけのものであるかは分かっている。ただ、ボーゼス伯爵に入手できたなら、自分達にも入手できる可能性があるのではないか。その僅かな可能性に賭けたのである。いくら『存在するはずがないもの』であろうと、ひとつあったということは、他にもあってもおかしくはない。そう考えるのは、当然のことであった。
しかし、さすがに子爵以下の者達は、情報を聞き出す気力も無さそうであった。いくら妻にせがまれようとも、到底手が届くようなものではないことは明らかであったので。ただ、妻を諦めさせるために、できればその価格だけは聞いておきたいとは思っていたが……。
正直に全てを話すわけにはいかない。何しろ、実際に払ったお金は、あの建物の代金と改装工事費、それと領地を出る前に持たせた僅かなお金だけなのである。そう、あの国宝級、いや、それ以上の価値があるネックレスに対する対価とすれば、まさに、ただ同然であった。
もし正直に喋った場合、ボーゼス家が何と言われるかの想像は付く。
『異国の少女を騙して家宝を奪い取った、極悪人』
『王国の恥』
『唾棄すべき鬼畜』
それらは事実に反するが、いくら説明しても、皆が納得するとは思えない。もし自分が第三者の立場であれば、やはり納得できず、その者を非難するであろうことは確実だからである。
本当は、伯爵達は、ミツハがお金を稼いで伯爵が渡したお金を返却するか、もしくはどこかへ嫁入りする時には、ネックレスを返してやるつもりであった。お祝いだ、と言って……。
できれば、その嫁入り先がボーゼス家であってくれれば嬉しいが、それが他家であったとしても、その考えに変わりはない。
しかし、今、それを言っても仕方ない。
なので、伯爵もイリスも、こういう場合のために考えておいた話を喋った。勿論、ミツハとも打ち合わせ済みである。
ボーゼス領の海岸に、小舟に乗った7人の男達が漂着した。どうやら、船が遭難して小舟で脱出したらしい。
護衛の従者らしき6人の男達と、高貴な雰囲気を纏い豪奢な身なりであった主らしき者を丁重にもてなし、数日後に陸路で出発するという一行に長旅のための物資と充分な路銀を提供したところ、感謝の印として、これを置いていった。
おそらく、どこかの遠国の、やんごとなき身分のお方であったのだろう。そして、無償のもてなしに対して礼をしないわけにもいかず、手元にはこれしかなかった、というわけである。
従者達は必死で止めており、伯爵も固辞したが、主は平然と笑いながらこれを伯爵の手に押し付けて去って行った……。
そう、正規の金額を支払って買った、などということは絶対にできない。こんな代物を正規の金額で買ったとなれば、そのお金の出所を疑われる。国宝級以上の宝物を、いくら有力貴族とはいえ、たかが地方の伯爵家如きがポンとお金を出して買えるわけがない。
脱税、隠し財産、領の運営予算の使い込み。いや、その程度で手にはいるようなものではない。となると、領内に隠し金山があるとか、密貿易、他国との裏取引……。とにかく、どんな碌でもない疑いを持たれるか、分かったものではない。なので、ただ同然の格安で、たまたま入手できたもの、という体裁にするしかないのであった。
領主として、そしてひとりの王国貴族としてはかなり遣り手であるボーゼス伯爵が、一個人としてはかなりお人好しの善人であることを知っている貴族達は、ボーゼス伯爵であればやりそうなことだ、と思い、その話自体については特に疑問には思わなかった。ただ、その者達の正体に対する疑問や、ボーゼス伯爵の幸運に対する羨望には、大いに心を乱されたのであるが。
そして、御婦人方はイリスを取り囲んでの『女神のネックレス』の鑑賞会。その夫達は、ボーゼス伯爵を囲んでの、謎の男達の正体やネックレスの出所、また、同様のものが他にも存在するかどうかの議論等、それぞれで大いに盛り上がっていた。……自分の誕生日のことなど完全に忘れ去られ、人々の輪の外で、ひとりポツンと立ち尽くすティノベルク侯爵夫人を取り残して……。
侯爵家でのパーティーから7日後。ティノベルク侯爵夫人に強烈な打撃を与えることができて機嫌が良かったイリスに、ボーゼス伯爵が顔を引き攣らせながら告げた。
「……国王陛下から、明日の夕食会に御招待戴いた」
「え?」
イリスが驚くのも、無理はない。会議とかならばともかく、パーティーや晩餐会等の陛下からの御招待は、普通、少なくとも1カ月は前に招待状が届くものである。それを最優先にして他の予定は入れないように。そして、御婦人方がそれに間に合うようにドレスやアクセサリーの新調、ダイエットやお肌の手入れが間に合うように。
それが、招待状も無く、口頭で。しかも、前日に。
……あり得ない。絶対に、あり得ないことであった。
「……それで、どれくらいの規模の晩餐会なの?」
そのような急なお話となれば、普通の晩餐会ではあるまい。かなり小規模な、限られた人数のものと思われる。公爵や侯爵ならばともかく、一介の地方領主であるボーゼス伯爵がそのような会に招かれるというのは、非常に光栄なことである。
「私達だけだ」
「え?」
「御招待戴いたのは、私と、イリス、お前だけだ。なので、晩餐会というほどのものではなく、単なる夕食会で、改まった席ではない。そして、陛下から『真珠のネックレスを着けてくるように』とのお言葉があった」
「えええええええええっっ!!」
さすがのイリスも、思わず叫び声を上げたのであった。
「こ、この度は、御招待戴き、まことに……」
「あ~、よいよい! 改まった席ではないし、給仕の他には、我々だけだ。気楽にいこう」
イリスも、生まれた時から貴族の娘。そして、学院では結構ブイブイ言わせていた方である。また、国王陛下に御挨拶をしたこともある。しかしそれは、大規模なパーティーの出席者のひとりとして、流れ作業の一環として定型句の挨拶の言葉を述べただけである。このような、ホームパーティーに招かれたような立場で陛下と話すなど、緊張するなと言う方が無茶である。
そして、陛下の穏やかな態度に反して、その隣から放たれる、刺すような視線。
そう、王妃殿下からの、自分の首に向かう視線であった。
((あ~、やっぱり、これか……))
当たり前である。口頭での招待の言葉に、これを着けてくること、とあったのだから。
そして食事が始まり、待ちきれなかったかのように王妃様からの質問が。
「あの、そのネックレスは、どこで……」
ネックレスのことを聞いた時に、入手の経緯も当然聞いたものと思われるが、皆には適当に誤魔化したのかも知れない、国王夫妻になら本当のことを喋るかも知れない、と思ったのか、そのような聞き方をする王妃殿下。
しかし、ボーゼス伯爵夫妻は、パーティーの時と同じ説明を繰り返した。
「では、その者達の素性を調べる手掛かりとなることは……」
「はい、彼らは感謝の言葉は何度も口にしましたが、自分達のことについては何も喋ろうとはしませんでしたので」
「そうでしたか……」
がっかりした様子の王妃殿下であるが、それくらいで簡単に諦めるつもりは更々ないようであった。元々、ふたつと無い、一品限りの宝物である可能性が高かったのだ。本当ならば『ひとつとして存在しないもの』なのである。
「な、ならば、そのネックレスを……」
「うむ、同じものを手に入れるのは不可能、ということだな。伯爵の、困っているものへの思い遣りに対する、女神からの御褒美かも知れん……」
王妃の言葉を遮って、慌てて国王陛下が割り込んだ。
いくら王妃様といえども、それ以上喋ろうとしない者に説明を強要することはできないし、万一、伯爵夫人に対してネックレスを譲るよう求めるような発言をされると、大変なことになる。
そのネックレスがボーゼス伯爵に恩返しとして贈られたものであり、それを妻に贈ったということは、既に多くの者達が知っている。もしそれを、王妃が身に着けて人前に姿を見せれば。
国王夫妻が貴族を呼び付け、その貴族が感謝の印として受け取った、そして妻に贈った高価な宝飾品を巻き上げた。そのような噂が広まったら、王家の権威はガタ落ちである。
もし伯爵夫妻が断ったとしても、それを要求した、という事実だけで、致命的である。
そして、ボーゼス伯爵夫妻だけを呼んだ夕食会の後で、もしボーゼス伯爵を軽く扱うような態度を見せれば、貴族達に『ネックレスを差し出すよう強要したのに断られたから、嫌がらせを……』と思われて……。
(しまったああああぁ~~!!)
国王陛下は、ここに至ってようやく、己のしでかした大失敗に気付いた。
今、社交界での話題を独占しているボーゼス家の秘宝、『女神のネックレス』。それを是非見たいという妻にせがまれて、ボーゼス伯爵夫妻だけを夕食に招いてしまった。
いくら侯爵家のパーティーとはいえ、侯爵本人であればまだしも、夫人の誕生パーティー如きに国王夫妻が出席していては、きりがない。夫人の誕生パーティーに出たならば、長子の誕生パーティーにも。ならば、次男のパーティーにも。そうなって、毎日パーティーを掛け持ちしなければならない羽目になる。
そう言って、出席を望んだ妻を制して不参加としたのであるが、そのために自分だけが『女神のネックレス』を見ることができず、皆の話に混ざれない、と泣きつく妻に抗しきれなかったのである。それが、このようなことになるとは……。
国王陛下がそっとボーゼス伯爵の方を窺うと、伯爵はにっこりと微笑んで、こう告げた。
「陛下、3日後の会議におきまして、北方の辺境域に対する開発支援の件をお願いしたいと考えております。その際には、どうぞ、よしなにお取り計らい戴けますよう……」
そして、同じく笑顔の伯爵夫人。
(やられたああああぁ~~!!)
北方辺境域の有力貴族、クラウス・フォン・ボーゼス伯爵。その妻、イリス。
一個人としてはお人好しの善人であるが、領主として、そして貴族としては、かなりの遣り手であった。本人も、そしてその妻も……。