軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

真価を問う(浦梅進)

人間は適応する生き物だ。

どんな辛い環境でも時間をかけ、慣れていく力を持っている。昨日まで異常だったことが、今日は普通であるかのように振る舞える、そんな性質を備えている。

とはいえ何事にも限度があって。

「……いつ終わるんだ、この戦いは」

たとえば嵐は、何度直面しようと嵐のままだ。

いくら慣れたところで、そよ風のように感じたりしない。

だから首相官邸の執務室にて、 浦梅(うらめ) 進(すすむ) は特大の溜め息を零す。今日も目の前の机には物理的に仕事が積み上がっていた。ペーパーレス化が進んでなお、この惨状だ。

「本当に、いつも余計なことばかりしてくれる……」

眉間を揉んで恨み言を吐く。

浦梅が総理大臣になって二年と少し。気がつけば、随分と長い間この椅子に座っている。待てど暮らせど後任は現れない。しかも頭の痛いことに、一国の首相という責務は、どんなに長く勤めたところで楽にならなかった。

何せ毎日がイレギュラーのオンパレードなのだ。

同じ業務を日々続けるのとはわけが違う。

毎時毎分毎秒、いろんな方角から 仕事(ストレス) が押し寄せてくる。

「――うっ」

腹の奥、臓腑から湧き上がる痛みに、浦梅は慌てて薬瓶を掴み取った。蔦模様の、やたら凝った装飾のラベル。内包された溶液は大分目減りしているが、まだ一口分くらいならありそうだ。

ぐいっと呷れば、胃痛が嘘のように引いていった。

(悔しいが、よく効くな)

あまりの効き目に、浦梅はまじまじとラベルを見てしまう。

その薬瓶は最近市販もされるようになった 回復薬(ポーション) だ。これまで出回っていたダンジョン産の初級ポーションとは違う、ダンジョンで採取した素材から生成した、いわば人工の霊薬である。

(……こんな立場でなければ)

これまでの胃薬とは段違いな効き目。彼を苦しめてきた、しくしくとした痛みと一時的におさらば出来る素晴らしい薬だ。しかし、元を辿るとこんなものがあるから苦労しているのだとも言える。

年始に入って、かの『天使さま』が活発に動き出したのは全人類の知るところだ。

迷宮品――ダンジョンから産出される様々な資源の流通に心を配り、何とか国内の法も整備し、一息ついたところへの奇襲。

「重大な医療事故が起きたら責任は取れるんですか? だと。そんなもの、私が知るわけないだろう。責任、責任、責任! まったくもって都合の良い言葉だ。……ああ、頭も痛くなってきた」

素材が流布されたからには、当然その活用も始まるわけで。

国として、ダンジョンに端を発する新製品や新事業を、何でもかんでも認可するわけにはいかない。特に軍事関係と医療分野は。慎重を期し、少しずつ各界と橋渡しをしている最中に、世間の関心を煽る出来事が起きた。

すなわちダンジョン配信専用サイト「D-Live」での広告だ。

人々は先進技術に目を光らせ、早くアレが欲しいと騒ぎ出す。

浦梅とて政治家でなければ、あるいは年甲斐もなく胸躍らせたかもしれない。いや、彼の場合はテレビの前で横になり、政界の動きが鈍いと好き勝手せせら笑っただろうか。ともかくとして。

「迷宮特法の改定を、また急がねば……」

賽の河原詰みに終わりはない。

一個積んだと思えば 天使(オニ) がやって来て、ぶち壊していく。

希望があるとすれば――

(まぁ本当に責任なんてものを求められるなら、喜び勇んで取りに行くがね)

――急激な変化は、いつだって痛みを伴うということだ。

もしダンジョン事業による大きな事故や事件、たとえば魔道具の不具合により人命が損なわれたり、新薬品に実験では見られなかった後遺症が発覚すれば。ダンジョンを核として進んできた現政権もタダではいられない。

そうなったらきっと、マスコミはハゲタカの如く啄みに来るだろう。

その時、浦梅は笑顔でこう言ってやるのだ。

私は今日限りを持って、内閣総理大臣の職務を辞すると。

考えるだけで脳髄が痺れ、暗い笑いが湧いてくる。

(一日でも早く、そんな日が来ますよう)

先日浦梅は初めて、孫娘と対面した。娘夫婦に二番目の子が生まれたのだ。それはそれは可愛らしい、玉のような女の子で、初孫の 旭(あさひ) も自分がお兄ちゃんになるんだと張り切っていた。

どうぞおじいちゃん、抱いてあげてください――そう言って渡された命の何と小さく、温かかったことか。

もし浦梅が以前と同じ、うだつの上がらない世襲政治家だったら、こんな一コマ無かったに違いない。抱っこくらいはさせてくれたかもしれないが、嫌々、仕方なく、そんな雰囲気になったろうと断言出来る。

だから彼は自分から総理の座を降りないし、一応職務を放り投げたりしない。

あくまで仕方なく、という形が大事なのだ。

仕方なく責任を取って勇退するのなら、誰も文句をつけられまい。孫が憧れる格好いいおじいちゃんのまま、悠々と老後人生を送れるはずだ。

そんな日を夢見て。

「これは良し。これは……うむ、嫌な予感がするな」

自分の元まで上がってきた陳情やら、草案を捌いていく。

少なくとも、浦梅進の神がかった空気読み――危機回避能力が衰えない限り、望む未来は遠いように思えるが、気づかない。中には彼を破滅へ導く案件もあって、しかし的確にそれだけを弾き出す。

本日も忙しいことを除けば、とても平和な一日だ。

ただし。

「――総理ッ! 今よろしいでしょうか!」

長く続かない大切なものだからこそ、人は平和を尊ぶ。

いつだって失ってから悟るのだ。

「不肖、 都木坂(ときさか) 一鉄(いってつ) 、総理にお目通り願いたくッ!」

ドアを跳ね飛ばすような勢いで入室してきたのは、ダンジョン大臣の都木坂だった。白髪混じりの髪をオールバックに整えている。スーツの下から鍛えられた肉体がうっすら浮かび上がり、相も変わらず存在そのものがうるさい。

傍に来るだけで室内の気温が上がった気さえする。

浦梅はこめかみに手を当て、何とか言葉を絞り出した。

「……都木坂くん。いつも言っていると思うが」

「即断即決ッ! それが自分の生き方ゆえッ!」

「いや、社会人としてアポイントメントくらい取って欲しいんだが?」

都木坂一鉄。この男は総理執務室を駆け込み寺か何かだと勘違いしている節がある。先んじて電話でもしてくれれば、浦梅だって心構えが出来るというのに、思い立ったらすぐ足を動かしてしまうらしい。昼食の誘いさえ面と向かって聞くのが都木坂流だ。

「総理はいつも私が連絡すると、都合がつかないではありませんか?」

「……それは。たまたまだよ」

不味い流れになってきた。

風向きを変えるため、浦梅はわざとらしく咳をする。

「その、生の言葉を大切にする君の気持も分かるがね。私でさえ こう(・・) なんだから、私生活で君に付き合う人間は大変だろう」

「はは、おっしゃる通り。恥ずかしながら、妻には頭があがりませんなッ!」

「そうか。その話はまた別の機会に聞かせて貰おう。……それで?」

まさか雑談をしに来たわけじゃあるまい。

たとえお茶に誘われたって、浦梅は死んでもごめんだが。

ともかく水を向ければ、都木坂は力強く拳を握った。

「ダンジョン視察の件ですッ! 何故一向に返事を下さらないのか、今日こそ答えをお聞かせ願いたく、馳せ参じた次第……!」

来たか――浦梅は観念したように両目を瞑って、背もたれに体を預けた。

そのままふすっと鼻を鳴らす。

「それはもしかしなくとも、君と私で東京摩天楼を 冷やかす(・・・・) という、荒唐無稽な計画のアレか?」

「そう、アレですッ!」

「ううん……」

聞きたくない。が、仮に耳を塞いだところで、都木坂の大音声なら容易に鼓膜を揺らしてみせるだろう。嫌々片目を開けば、彼は机に片手をつき、浦梅の方へ暑苦しい顔を寄せてきていた。

「一年半と少し、ダンジョンが誕生してから、かの大迷宮を取り巻く機運は正に鰻登りが如し。市井感情も大分柔らかいものとなりました。がッ、しかし! そこで満足していてはいかんのですッ! 現場の 探索者(なりて) 不足を解消し、かつ持続可能な事業としていくためには、不断の 喧伝(アピール) が必要不可欠!!」

硬く握りしめられた拳が天を突く。

「我々政治家も現場に打って出るべきなのですッ! さすれば、国民もまたついて来ましょう!! 鉄は熱い内に打てッ! 総理、ここが天王山でございますッッッ!」

「うん、まぁ、なんだ。そうだね……」

熱しすぎて湯気まで出かかっているダンジョン大臣に対し、浦梅はあくまで冷ややかだった。親指と人差し指で前髪を弄りながら、適当な言葉を探す。

「君の考えは分かった。確かに我々がダンジョンを探索する――なんて、いかにもセンセーショナルで、訴求力の高い試みだ。マスメディア風に言えば、間違いなく視聴率を取れる、あー……耳目が集まること間違いなしだろう」

「おおッ! 分かってくれましたか!」

「ただ、華がないと思わないかね?」

「ぬぅ……?」

普段、政治家として一度は言ってみたい決め台詞だの、カッコイイ辞職の仕方だのばかり考えている、無駄遣いの極みな脳細胞が、ここぞとばかりに回りだす。それは偏に宿主を守るため。

(ふざけるな、何がダンジョン視察だ。もう二度とあんなところに行ってたまるか! 考えろ、考えろ……!)

浦梅にとって、ダンジョンは苦い思い出の巣窟だ。

津波のようなゴブリンの大群に襲われ、気絶してしまったのも今は昔。

彼は凶悪なモンスターたちに対抗する探索者という人種が、本当に自分と同じ人間であるのか、疑わしくて仕方なかった。絶対にネジが外れているとさえ思う。いわば異常者の集まりだ。

何が何でも行きたくない。

だから必死で理論を組み上げた。

「都木坂くん。考えてもみたまえ。君と私、むくつけき男が二人、ダンジョンを粛粛と練り歩く。そんな絵面のどこが面白いと言うんだね?」

「しかしッ……!」

「私たちは為政者だ。声なき声の代弁者」

たとえ穴だらけの理論でもいい。

一瞬、刹那に全てをかけろ。後の事なんて考えるな。

ただ今を生きるため、つらつらと口を動かす。

果たして、紡いだ結末は。

「つまるところ――『役者』が違う」

椅子から体を起こし、浦梅が真っすぐ前を見据える。

その鋭い眼光に、都木坂が僅かばかりたじろいだ。

「我々の本分はなんだ? 人気取りのパフォーマンスか? 違うだろう。政治家にとって大切なのは、過去だ。一見、すぐに効果の現れない地道な積み重ね、その果てにこそ真価が問われる。退任してから初めて評価される人間こそ、本物の政治家だ」

「……!」

なお、浦梅本人はパフォーマンスが大好きだ。体面第一。そうでなければ、家庭内ヒエラルキーなど気にしたりしない。

どこまで行ってもええかっこしい男であった。

そんな内面をおくびにも出さず、言葉の穂を接ぐ。

「だから、頼む相手が違うのではないかね?」

「……総理には、既に答えが見えているというのですか」

「ああ」

そう言ってから、まったく心当たりがないことに焦る。

瞬間、彼の眼裏に走馬灯が走った。

誰しも死の危機に瀕すると、一生を振り返って流れるというそれ。正直、客観的に見れば危機的状況でも何でもないのだが、とにかく本人は必至だった。必死で、記憶の底から窮地を抜け出す方策がないか考える。

その間、僅か零コンマ5秒。

「以前。あれはそう、迷宮祭の時。壇上で歌った者がいただろう」

「歌――確か流行りの歌手とタイアップして、ダンジョンのイメージソングを披露してもらいましたが……。まさかッ!?」

目を見開く都木坂。

彼を他所に、浦梅は椅子からやおら立ち上がると、後ろ手に組んで窓辺へ歩き出す。たっぷり時間を稼いでから、仰々しく振り返った。

「そう、彼女だ。俳優、芸能人、あるいはアイドル。何でもいいが、こと人に見られるという点において、これほど優れた職もあるまい。それに彼女なら、探索者協会と浅からぬ縁がある。ダンジョン庁としても、話が通しやすいだろう」

「ですがッ! あまりに危険すぎます! もし探索で心の傷を負ったら――」

「無論、無理強いはしないさ。あくまでこちらは共同事業として投げかけるだけ。メディアのダンジョン進出……なんて具合に。それから、いつも言っているだろう」

大きく息を吸う。

この台詞は溜めが肝心だ。だからたっぷり間を置いて、言う。

「責任は全て、私が取る!」

決まった。じんとした痺れが浦梅の全身に走る。

いかにもそれらしい口上を述べたが、要はスケープゴートを差し出しただけだ。とにかくダンジョンに行きたくない浦梅が考えた苦肉の策。自分以外の誰かを推挙すればいい、という悪魔的発想。

そんな彼を、都木坂が驚愕と畏敬の混じった眼で見つめる。

「総理……貴方という人は……」

ところで、浦梅には一つ困ったことがあった。

ダンジョンに向かわせる要人として、適材適所な人間こそ彼女――と豪語したはいいものの。

(そう言えば、あのシンガー……だったか、アイドルだったか。ミ、ミー……ええと。なんて名前だったかな)

確かプログラムに書いてあったはずなのだが、生憎と掘り起こされた彼の記憶は、そこまで懇切丁寧に教えてくれなかった。名も知れぬ少女。彼女に心の中で謝りながら、浦梅は楽観的になる。

(まぁ良い。どうせこんな依頼、誰だって断るだろう! いやぁ、今回も何とか凌ぎ切ったぞ……!)

よしんば奇特な人間で、依頼を引き受けたとしても。何かアクシデントが起きれば、それは浦梅にとって輝かしい辞職ロードへ繋がる。つまりどっちに転んでもいいわけだ。予防策もばっちりである。

苦し紛れで出したにしては、完璧な回答だったと言えるだろう。

だが彼は愚かにも一つ、失念していた。

常々、自然と辞職する機会を窺っている浦梅。

彼はつい先日も、わざと自分の不利を招くよう失言を放った。その一言は彼の思惑から外れ、僅かに残っていた反ダンジョン勢力を引きずり出すきっかけとなってしまい。結果、またしても党内で株を上げたのだが。

その様を「まるで釣り野伏ですなッ!」と都木坂が評したことから伺える通り、現・内閣総理大臣は神算鬼謀の持ち主だと思われている。

ゆえに、彼の発言は彼が思う以上に重く受け取られるわけで。

(さぁて、今日のお昼は何かなぁ)

ルンルン気分で愛妻弁当の蓋を開ける浦梅。

彼自身の言葉を借りるなら、過去の積み重ねにこそ、その政治家が持つ『真価』とやらが見えるらしい。

つまり、浦梅の真価が発揮されるとすれば――むしろここから。

ひたすら分の悪い『裏目』を引くこと。

ただその一点に限って。

彼の右に出る者など、いやしないのだから。