軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

番外編 シャーロットの誤算

シャーロット・リヒターは、美しい少女だった。

輝く金髪に、ぱっちりとした大きな瞳、薔薇色に染まった頬。ひとたび彼女が笑えば、周囲の空気がぱっと華やいだ。

赤ん坊のころから、彼女はひときわ愛らしかった。まだ言葉もおぼつかないうちから、その顔立ちは将来の美貌を予感させ、訪れる者は決まって「まあ、なんて可愛らしい子供なのかしら」と目を細めた。

両親は彼女の一挙一動に頬を緩めて、多少のわがままも「仕方のない子ね」と笑って許した。兄は妹を守ることを使命のように感じ、先回りして世話を焼いた。彼女が望めば、誰かがすぐに手を差し伸べる。望まなくとも、与えられた。

気づけば家の中は、自然とシャーロットを中心に回るようになる。

彼女が笑えば空気は和み、拗ねれば皆が気を揉む。それが当たり前の日常だった。

誰も疑問に思わなかった。

こんなにも美しく、愛らしいのだから、大切にされて当然だと。欲しいと思えば、なんでも与えられるのが当たり前なのだと。

そしてシャーロット自身も、それを疑わずに育った。

そのすぐ傍らで、同じ家に生まれたもう一人の少女が静かに取り残されていても――それすら当然のこととして、疑問にすら思わなかった。

その少女、姉であるソフィアに婚約者がいると知ったとき、シャーロットはまず驚き、そしてすぐに胸がざわめいた。

剣術にも学問にも秀で、若くして才名を馳せる人物。令嬢たちのあいだでは知らぬ者のいない、憧れの存在だという。

(……ふぅん。そんな方と、お姉さまが?)

シャーロットはソフィアに、婚約者に会わせてほしいとねだった。

けれど姉は理由をつけてはかわし、なかなか首を縦に振らない。それがかえって、シャーロットの興味を煽った。

そして、ようやくエリックと対面したその日。

なるほど、とシャーロットは心の中で頷いた。ソフィアがなかなか会わせてくれなかった理由が、ひと目で理解できたからだ。

噂に違わぬ、どこか甘さを帯びた顔立ちを目にした瞬間、シャーロットは一目で気に入った。

(ああ、この人が欲しい!)

そう思うのは自然なことだった。

美しい自分に釣り合うだけの美貌の令息。それが姉の婚約者であっても、何の障害にもならない。なぜなら、いつだって優先されてきたのはソフィアではなく、シャーロット自身だったのだから。

それに、なにより……これまで出会った誰もがそうであったように、エリックもまた、自分に惹かれないはずがない。シャーロットは、疑いようもなくそう確信していた。

そして思った通り、エリックはシャーロットを可愛がった。

初対面のぎこちなさがほどけると、彼は柔らかな笑みを向け、喜ばせる言葉を選んで話しかけてくる。

「シャーリーは可愛らしいね」

「笑顔が素敵だ」

何気ない言葉のひとつひとつが、胸をくすぐる。

そのたびにシャーロットは、ほとんど無意識のうちに、姉のほうをちらりと見やった。

ソフィアは微笑んでいた。

エリックとシャーロットのやり取りを、言葉少なに見守るばかりで、その笑みはどこか不自然で、張り付いたように硬い。わずかに揺れる視線が、胸の内を雄弁に語っていた。

その下手くそな笑みを目にした瞬間、シャーロットの胸に、甘い感情が満ちていった。

――自分は愛されている。ソフィアよりも、シャーロットのほうが選ばれているのだと。

やがて王命により、辺境伯のもとへ嫁がねばならないという話が持ち上がったが、その役目を負ったのはシャーロットではなかった。

自分の代わりに、姉のソフィアが嫁ぐことになり――

エリックの妻となったのは、シャーロットだった。

すべては、あるべき場所へ収まり、ハッピーエンドを迎えたのだ。

――そう、思っていたのに。

あれほど優しかったエリックは、婚約者になった途端、まるで別人のようだった。

以前のようにリヒター家に訪ねてくることはなく、こちらから足を運んでも、どこか素っ気ない。

笑顔は向けてくれる。言葉も丁寧だ。

けれど、そこにあったはずの熱が、きれいに失われていた。

(どうして――?)

シャーロットは胸の奥がひりつくのを感じながら、何度も問いかける。

自分から笑いかけ、話題を振り、距離を縮めようとしても、彼はそれ以上踏み込んでこない。

(あんなに、自分を見ていたのに。

あんなに、可愛いと言ってくれたのに。)

「……シャーリーが、好きだったのではないの?」

答えのない言葉が、喉の奥でかすれて消える。胸の内がざわついた。理由もなく、不吉な予感だけが膨らんでいく。

そんな折、エリックが辺境へ出掛けたと聞いた瞬間、心臓が嫌な音を立てて跳ねた。

今さら、ソフィアに会って――どうしようというのか。

辺境から帰還したエリックを訪ねても、彼が姿を見せることはなかった。

「……どうして。どうして……」

それでもシャーロットは、諦めきれずに何度も屋敷へ足を運んだ。

ようやくエリックが姿を現しても、彼は顔色が悪く、視線を合わせようとしなかった。

「……申し訳ないけど、今は君と会う気分じゃないんだ」

穏やかな口調とは裏腹に、はっきりとした拒絶があった。

シャーロットは思わず声を荒げる。

「どうして! シャーリーは婚約者なのよ! どうして、会ってくれないの!」

エリックは答えない。

沈黙が、何よりも残酷だった。

「エリック様は、シャーリーを好きなのでしょう? ようやく婚約者になれたのよ。どうして、喜んでくれないの……?」

その問いに、エリックは静かに、しかしはっきりと首を振った。

「婚約者になってほしいなんて、言ったことはないよ」

「……え?」

「……一度でも、君を好きだと言ったことはあったかい?」

その一言で、シャーロットの思考は白く弾けた。エリックは自分を愛していると疑いもしなかった。

必死に言葉を探すが、思考はうまくまとまらない。

「で、でも……っ。シャーリーのことを可愛いって、何度も言ってくださったわ……!」

エリックは一瞬、言葉を選ぶように視線を伏せ――そして、ぽつりと零した。

「そう言えば……ソフィアが……」

「どうして、そこでお姉さまの名前が出るの……?」

訳が分からない、という顔で見上げるシャーロット。

その表情を見て、エリックはどこか自嘲めいた笑みを浮かべた。

「そういえば……ソフィアにも好きだと告げたことはなかったな」

「エリック様……?」

「とにかく、今は君と話す気にはなれない。……結婚は君とするから。今日のところは帰ってくれ」

「エリック様!」

淡々と、突き放すように言う。

かつて何の疑いもなく信じていた「選ばれる自分」が、ひび割れ、音を立てて崩れ始めた。

そして、愛されていることに胡坐をかき、努力を怠ってきた。その報いが、今になって重くのしかかってくる。

侯爵家に嫁ぐということは、高位貴族の夫人として相応しい器が求められる。子を育て、家政を切り盛りし、時には夫に代わって領地を管理する責務すら背負うのだ。

彼女はこれまで、碌に学ぼうともせず、礼儀作法も知識も中途半端なままだった。両親はただ甘やかすばかりで、その未熟さを咎めることもなく許してきた。

その代償を、これから払うことになる。想像していた以上の重荷を、彼女は一身に背負わされる事になった。

「こんなに勉強ばかり、したくはないわっ!」

机に向かったまま、シャーロットは声を上げる。積み上げられた書物を前に、苛立ちは隠しようもなかった。

そんな彼女の様子を見て、兄は溜息混じりに言う。

「仕方ないだろう。今まで勉強を怠ってきたんだ。その分、今から頑張らなくちゃ」

シャーロットは唇を尖らせる。

「今までは……、勉強しなくたって、許してくれたじゃない……」

「……今まではね」

兄の声は、いつになく硬かった。

「だけど、侯爵家に嫁ぐなら話は別だ。これくらいの知識も身につけられないようでは、我が家の恥になる」

「それじゃあ……気晴らしに、夜会へ行かせて!」

兄は厳しい顔で言う。

「エリック様と一緒なら構わないが、一人で行くのはだめだ。婚約者以外の男性と踊ろうとするなんて、許されない」

しかし当のエリックは屋敷に引きこもったまま、相変わらず姿を見せようとしない。一緒に夜会へ出るなど、到底望めなかった。

それに夜会へ行っても、誰とも踊れないだなんて。夜会では令息たちにちやほやされるのが常であったシャーロットにとって、それは到底受け入れ難い事実だった。

いつだってシャーロットと踊りたいという男たちが列をつくり、その光景に他の令嬢たちは羨望のため息を漏らした。それが禁じられるなんて――シャーリーには到底受け入れがたい話だった。

「どうして、シャーリーがこんな大変な目に合わなきゃいけないの……」

「……シャーリーが、ソフィアの婚約者だったエリックとの結婚を望んだのだろう? それなら、頑張らないと」

「でも、それは……」

エリックは、自分と釣り合う令息だと思ったのだ。優れた容姿に、文武両道。誰もが憧れる存在。彼と結ばれれば、周囲はきっと羨望の眼差しを向けるだろう。姉の悔しそうな顔も見れると思ったから。

そして、なにより。エリックは自分を愛していると、疑いもしなかった。

可愛いと言ってくれた。優しくしてくれた。だから、大切にされるのだと信じた。守られ、甘やかされ、愛される未来が待っていると――そう信じて、結婚を望んだのに。

シャーロットは「こんな筈じゃなかった」と歯噛みする。

少しずつ神経をすり減らしていく日々。

もし本当に愛されていたのなら、エリックの為に頑張れたかもしれないのに。その婚約者は素っ気ない態度。

姉の婚約者を横取りするような真似などせず、同じ伯爵家や子爵家の、身の丈に合った相手を選んでいれば。ただ甘やかしてくれて、彼女の分まで働いてくれる男を夫にしていれば。以前と変わらず、何も考えず、ただ幸せでいられたのかもしれない。

けれど、その「かもしれない」は、もう戻らない。

明るく華やかな未来が約束されていたはずのシャーロット。

幸福を約束されていたはずの結婚は、皮肉にも破滅への道に変わり始めていた――。

「さて、シャーロット。私は、しばらく家を空けることになるが、その間も勉強を怠るなよ」

淡々とした兄の声に、シャーロットはぱちりと顔を上げた。

「えっ、どこへ出掛けるの? シャーリーを置いて……」

「どこって……ソフィアの結婚式に決まっているだろう。お前も知っているはずだ。領主の務めがあって父上は出席できない。だから、代理として私が向かう」

「……ソフィアお姉さまの、結婚式……」

呟いた瞬間、ふと閃いた。

噂は嫌というほど耳にしている。辺境の地は荒れていて、暮らしは質素で不便。華やかな社交とは無縁の世界。そのうえ、相手は冷酷と名高いレオナルド辺境伯。愛も望めぬまま、己の意思とは無関係に嫁がされた。

ならば、きっと。

ソフィアは不幸でいるに違いない。自分以上に。

「留守の間、教師は変わらない。課題も増えるだろうが、サボるんじゃないぞ」

「……シャーリーも行きたい」

「なんだって?」

「シャーリーも行きたいと言ったの!」

「しかしな……辺境は遠いし、魔物も出る。危険な土地だぞ」

今度はチャーリーが瞬きをする番だった。だが即座に、難色を示す。

「でも、魔物が出るのは冬の間なのでしょう? 結婚式は春だもの。なら、安全よ!」

シャーリーは、すかさず食い下がりった。ついでに声音をほんの少し甘くする。

「それに……お姉さまの晴れ姿を見たいの。お姉さまに、直接会ってお祝いを言いたいの。身内の結婚式に出るのに、エリック様だって反対なさるはずがないわ」

――不幸な姉を、この目で確かめたい。幸せではない、今。自分より下にいると確かめて、胸を撫で下ろしたい。

その醜い本音を、シャーロットは巧みに微笑みの奥深くへと隠した。

兄がそれに気づくはずもない。妹が純粋に姉の門出を祝おうとしているのだと、疑いなく信じた。

「……そうだな。姉の結婚を祝いたいと思うのは、もっともだ」

少し考えた末、兄は頷く。

「辺境へ向かう手配をしておこう」

「ありがとう、お兄さま!」

弾んだ声で礼を告げながら、シャーロットは胸の内でそっと笑った。

(待っててね、お姉さま――。)