作品タイトル不明
コウの置き土産
星識羊(ルートシープ) は速かった。人間の脚で歩くよりも3倍以上の速度が出る。小走りでずっと進めるようなものだし、しかもモコモコの毛をならしてそこに座席を作ってあるために天然のサスペンションが効いている。揺れをあまり感じないので疲労も少なかった。
人間の言うことをなんとなく理解しているのか、進行方向も簡単に伝わり、昨日、ピンキーディアーを見つけた場所にはものの2時間ほどで着いた。
「あれ? この辺だったよね」
「うん……。でも、なにも残ってないわ」
ピンキーディアーがいたはずのちょっとしたスペースや、戦いの痕跡は残っているが、そこに牝鹿の亡骸は残ってはいなかった。他の野生動物が持ち去ったのだろう。
「食物連鎖だなぁ」
自然のサイクルを目の当たりにした、とヒカルは思った。
それから2日、どうしても渡れない大河にたどり着くまでルートシープに乗って移動した。若干遠回りになってもルートシープとともに進んだのは、単純に楽だったのと、
「うう、モコちゃん、またね……」
ラヴィアがルートシープを気に入りすぎたからだった。
名残惜しそうにルートシープに手を振っていると、ルートシープもちらちらとこちらを振り返りつつ去っていった。モコモコで、気性も大人しく、よほどのことがない限り危険を回避できる——ただし泥だらけ。
ピンキーディアーを助けることで1日ロスしてしまったが、ルートシープのおかげで全体的には進度は早まったようだ。
ハンググライダーで大河を渡ったところで、1泊する。
毎日1度は、遠征部隊の戦闘に遭遇したり、遠くに見たり、音だけ聞こえたりしたものだがここから先は出会うこともなくなるだろう。
「ヒカル様、邪龍はもう なくなった(・・・・・) のでしょうか?」
「うーん、コウのあの調子だと、そういうことっぽいけどねえ。どうだろうか」
「でも一体どうやって……」
と言いかけたポーラが口をつぐんだ。
「……うん、食べたって可能性は捨てきれないよな」
「ヒカル様!? 私、わざと言いませんでしたのに!」
コウが邪龍を食べているなんて光景は楽しい想像ではなかったので早々に打ち切った。
そうしてヒカルたちは北を目指し——さらに5日をかけてついに、北限の地が見えてきた。
前回やってきたときから半月ほどが経っている。
邪龍討伐のときはそちらに気持ちが向かっていて気温が低いとかはほとんど感じなかったが、大陸でも最北に位置するこの一帯はやはり肌寒かったのだ。
それが、わずかに暖かさを感じている。
盆地へと至る最後の斜面を登っていく。周囲にモンスターの気配はなく、見渡す限りの青空と、一面の灰色の大地だ。
先ほどからみんな無言だった。この先になにが待ち受けているかわからないので、手をつないで、「集団遮断」を発動して。
(コウは「 調停者(ルール・メイカー) 」だと名乗った。龍は神の下僕だから不自然ではないんだけど、神こそが「調停者」だと僕は思っていた……)
さらにはこうも言っていた。
——何日かして落ち着いたら、見に来て。きっと面白いものができてるんじゃないかな。
( 面白いもの(・・・・・) ……いったいなんだろうな。まあ、ある程度予想はついているけど)
龍は聖魔エネルギーを操ることができる。だから邪龍を浄化することで得られる高エネルギー結晶、あるいはそれを使ったなにか……。「龍の道」に関することだとヒカルとしてはうれしい。また、ドリームメイカーに戻るのに10日もかけるのはなかなか大変なことである。
逆に言うと、往復20日に見合うような「面白いもの」がなければヒカルとしては損をした気分である——もちろん、邪龍がどうなったのかは気になってはいたが。
(意外と武器だったりして? いや、あの里の長らしき龍は、そんな物騒なものを残さない程度の分別はありそうだよな)
そんなことを考えながら、最後の数歩をヒカルは登りきった。
「おお……」
びゅう、と風が吹き抜けた。
左右にラヴィアとポーラが並んでくぼんだ土地を見下ろす。
そこには——なにも残っていなかった。
瘴気や邪龍の亡骸はもちろん、黒く汚れていた地面もきれいさっぱり灰色の石へと戻っている。
「すごいな。まるで、ここには最初からなにもなかったかのようだ」
「ポーラのピュリフィケーションみたいな?」
「わ、私の魔法をこんな広範囲にやるのは何年かかることやら、って感じですよ!」
「それはそうだけどさ、相手は龍だから。超広範囲ピュリフィケーションくらいできるのかもね。……でもまあ、なーんにもないな。見事になにもない」
いささか拍子抜けがする思いだった。
安心したのは間違いないが、ここまでハンググライダーで再度移動してきた手間を考えると、若干イラッとくるほどになにもない。
キレイになったということを見せたかったのだろうか——それにしたって「面白いもの」とは言えないだろう。
(あるいはなにも残すことができなかった?)
ヒカルとしてはそちらの可能性が高いような気がしていた。コウは残したがったが、里の長が残ったなにかを持ち去った……。
「ん」
そのときラヴィアが、
「んん?」
腕組みして首を横にかしげた。
モンスターは影も形も見えないので「集団遮断」は解いている。
「どうしたの?」
「ヒカル……あそこの真ん中になにか、ない?」
ラヴィアが指したのはくぼんだ大地の中央部だ。おそらく龍がいた場所で、ヒカルが踏み込んで邪龍を討伐した場所でもある。
「うん……?」
じっ、とヒカルは目をこらしてみる。
すると——そこにはうっすらと靄がかかったような、熱せられて向こう側が滲んで見えるような、そんな感覚があった。
「確かになにかあるね。行ってみようか」
ヒカルは何の気なしにそう言って、斜面を今度は下っていく。
温泉が噴き出しているとか——なんてことを考えていたら、カタカタ、と背中でなにかが動いた。
「……えっ?」
脇差しが、鳴動している。「常闇の神木」でできた鞘は、「あらゆるものを覆い隠す」といった効果があるはずだ。中の脇差しの魔力が漏れないのと同様、外からの干渉も遮っている。
だというのに脇差しが——コウの、龍の魔力を吸い込んだ刀が、反応している……?
「っ!」
そのときヒカルには、これから起きるであろう、発見するであろう なにか(・・・) への予感によって震えるような悪寒が走った。
「……ヒカル様?」
ヒカルの歩き方がおかしくなったことに気づいて、ポーラが聞いてくる。
「大丈夫。……行ってみれば、わかることだ」
ゆっくりと、確実に近づいていく。「面白いもの」と龍が形容した場所へと。
「魔力探知」にはなにも反応していない。
不気味なほど、静かだった。
ゆらりと、どろりとしていたゆらめきはヒカルの身長以上に大きなものであるらしい。そこには確かに水蒸気のゆらめきのごときなにかがあった。
「ヒカル。ほんとに平気?」
ラヴィアもまた気遣わしげな顔をしている——だが、ヒカルはまったく平気ではなかった。
それとの距離はもう20メートルほどまで迫っている。
風向きのせいだろうか。
ニオイがするのだ。
こんな場所で嗅ぐにはふさわしくないニオイが。
「……知っている」
ヒカルはつぶやいた。
「この、間違えようがなく、気分の悪くなるニオイは……」
ヒカルは確信していた。
「 排ガス(・・・) だ」
10メートルほどの距離まで近づいたとき、音が聞こえた。ブロロロロ……というエンジン音。そしてパッパァーと鳴らされたクラクション。
それらはすべて当たり前のものだった。
日本にいたときのヒカルにとっては。
「ウソだろ、コウ……これは予想もしなかったよ」
そのゆらめきは「世界の亀裂」とでも呼べばいいだろうかーー。
「まさか世界を超えてつなげてしまうとはね……」
どろりと溶けた向こう側には、灰色のアスファルトが、高架が、びゅんと通り過ぎる車の影が見えた。
地球のどこかへとつながる亀裂が、そこにはあったのだ。