作品タイトル不明
浄化の魔法
黒い石を布きれごしに拾い上げると、タールのようにねちゃぁと糸を引いた。だというのにニオイがまったくしないのが不気味でもあった。じゅうじゅうと音を立てて布が侵食されているのを感じる。長くはもたなさそうだ。
こんな石がずっと先まで——昨日よりはずいぶん薄くなった瘴気の向こうにまで続いているのだからイヤになる。
「ポーラ、頼む」
「はいっ」
ヒカルの肩に手を触れた状態でポーラはうなずいた。
一夜明け、もう一度3人ともちゃんと睡眠を取ってから昼過ぎに出発し、この場所——邪龍の眠る本拠地へとやってきた。
ヒカルの左肩にポーラが、右肩にはラヴィアが手を置いており「集団遮断」の範囲内となっている。
「『天にまします我らが神よ、その御名において奇跡を起こしたまえ。ここにありしは不浄の大地、真に貴き御身の祝福によりて穢れを祓いたまえ』——」
ポーラの身体がじんわりと光を発する。そして彼女が手を差し伸べると、
「おお……」
ヒカルが持っていた石についた、黒の粘着物質はさらさらと白い粉に変わっていく。
布きれを傾けると、ざーっと音を立てて粉が落ちていった。後には、石と、穴の開いた布しか残っていない。
「すごいな、これが『 浄化祈祷(ピュリフィケーション) 』か」
昨晩ポーラに聞いたのがこの魔法の存在だ。
——高位の聖職者が使える、「ピュリフィケーション」という魔法があります。大がかりな祭事を行う際に、場を清めるときに使うと聞いていますが……なんらかの効果があるかどうかはわかりません。ただ儀礼の一部として必ず行われる、と……。
「ピュリフィケーション」は、泥で汚れた身体をキレイにするとか消毒代わりにするとかそういうことには使えない。「邪」を祓う魔法なのだ。この世界には確実に「邪」が存在しているがふだんから見えるところにあるわけでもない。ましてや、教会が祭事を行うような場所にあることなどあり得ないだろう。
だから「儀礼の一部」に成り果てていたのだ。いわば骨董品、形式美のようなもの。それを実際に試してみたのが今、というわけだ。
もちろんこの「ピュリフィケーション」を使えるようになるまでにポーラのソウルボード上の「聖」を4から6まで上げる必要があった。
そしてそれだけでは魔法は執行できない。必要なのは「詠唱の文言」であるが、さすがは高位聖職者専用の魔法でありポーラは知らなかった。
だが、
「ラヴィアも、お手柄だな」
ラヴィアが知っていたのだ。
遠征の船の中で読んでいた本に、あったらしい。ヴィレオセアンの古書店で発見した古い神官の手記に書かれていて、彼女はそれを憶えていた。
(……そういう詠唱とか、決めぜりふとか大好きだからなぁ……)
今回はそれに救われた形ではあるが。
ともあれこれがあればこっそりと足下を浄化しつつ邪龍へと近づくことができる。この魔法は邪龍へと「隠密」で迫る切り札になるだろう。
ヒカルが考えていたのは邪龍が「どのようにしてフレイムゴスペルの接近を察知したのか」ということだ。
可能性のひとつはヒカルと同じように「魔力探知」を持っているということだ。これはヒカルがリヴォルヴァーを撃ったときには「隠密」の範囲内だから気づかれないが、遠距離からの攻撃であれば宙を飛んでいる最中に「隠密」効果が切れる。そのタイミングで邪龍が気づいたのではないか?
もうひとつの可能性は、「瘴気」だ。この瘴気そのものがソナー代わりになっているのではないかという推測だ。だからこそ昨日の咆吼で「瘴気」が薄れたのはラッキーだ。
「魔力探知」については「隠密」——「集団遮断」で察知されない。
「瘴気」ならばなるべく瘴気を散らさないよう歩いて近づくしかない。
つまりいずれにせよ、足下を浄化しながら進まなければいけないのである。
褒められたラヴィアはてっきりドヤ顔で胸を張るのかと思っていたが、
「ヒ、ヒカル……」
震える指先を前へと向けていた。
「え——えっ!?」
そちらを見て、ヒカルも思わず声が出た。手に持っていた石に集中しすぎていて周囲まで見ていなかったのだ。
ヒカルたちを中心に半径10メートルほど——ごっそりと、白い砂が広がっていた。
「あ、あはは……ちょっと効きすぎましたかね……?」
効きすぎだよ、とヒカルはため息を吐いた。
白い砂だけでなく「瘴気」もキレイに消えていた。
これで「瘴気=ソナー」説はなくなったわけだが、もしも瘴気がソナー代わりだったとしたらあれで邪龍は目覚めていただろう。ひやりとした。
ちょっとだけ確かめるつもりで、端のほうの石を使った。さらにはポーラもほとんど魔力を込めなかったらしい。だというのにあの威力ならば、本気でやったらいったいどれほどの範囲を「浄化」してしまうのだろうか。
「それじゃ改めて……行こうか。ポーラ、頼む」
「わかりました……!」
ヒカルに触れながらポーラが「ピュリフィケーション」で浄化していく。詠唱の時間もあるので歩みはゆっくりとしているが、正面切って「隠密」で倒す——それがいちばん確実だとヒカルは判断していた。
切り札になるのはやはり、脇差しだ。この魔剣がヒカルの最大戦力で、この魔剣で倒せなければどのみち撤収するしかない——逃げるチャンスがあれば、の話だが。
邪龍の喉元までラヴィアとポーラを連れて行くことにヒカルは今でも戸惑いを覚えている。だが昨晩の彼女たちの言葉は、本気の言葉だ。
(未練がましいな、僕は……もう決断したことなのに)
それほどまでに邪龍の存在を恐ろしく感じている自分がいる。これまで戦ったどんな相手よりも恐ろしいと。
「……んっ」
ラヴィアが顔をしかめた。瘴気を吸ったせいだろう——ヒカルも喉がいがらっぽい。ポーラが浄化していっても瘴気はすぐに流れ込んでくるのだ。
まだ瘴気の入口でこれなのだから、この先はもっと厳しくなるはずだ。
ヒカルがうなずきかけると、ラヴィアもうなずいて返す。まだまだ大丈夫だという意思疎通だ。
ポーラは順調に浄化を続けている。きっと上空から見れば、黒と灰色のこの土地に白い線が——まるで虫食いのようにできていることだろう。飛竜がいないことはラッキーだった。やはり早めに行動したことは良かった。
そして「ピュリフィケーション」行軍を続けること——1時間。
「はあ、はぁっ……」
ポーラの体力が限界に近づいていた。
すでにソウルボードではポーラの「魔力量」を12に、「魔力の理」——魔法執行による魔力の消費を最適化するスキル——を2にしている。これで残りのポイントはゼロだ。一般人をはるかに超える魔力量ではあるのだが高位魔法の連発はさすがにこたえるようだった。
すでにヒカルたちの周囲は灰色に包まれ、空も暗い。ポーラの「ピュリフィケーション」が効いた直後に息を吸って、あとは我慢をすることしかできないが、ポーラは詠唱をしなければいけないので瘴気もだいぶ吸っているはずだ。
「ポーラ……」
「ま、まだやれます、ヒカル様。——それよりあと、どれくらいですか」
「……ここまで来た距離の、半分くらいだ」
「わかりました」
にこりと微笑んで見せたポーラはあまりに痛々しかった。だがここで取りやめにしてもどうするというのか。邪龍まで、走ればさほどでもない距離だが「ピュリフィケーション」で進むにはあまりにも遠い。
(……この方法はやっぱりよくなかったのか……?)
悩みそうになったヒカルの腕を、ラヴィアがぎゅっと握りしめる。
「……信じてあげて」
そのとおりだ。
後はポーラを信じるしかない。
汗をだらだらと流しながら、顔を蒼白にさせながら、ポーラは詠唱を続ける。瘴気によって穢れきった大地にほんの一筋、白い線を刻みながら詠唱を続ける。
「はぁ、はぁっ、はぁ……!」
周囲が暗いのは瘴気のせいだけではなく、太陽もゆっくりと傾いてきているからかもしれない。夜になれば右も左もわからない漆黒の世界になるだろう。
「はぁ……はぁ、はぁ……ヒ、ヒカル様……」
「ああ」
「……わ、私は…………お役に………………」
彼女の身体から力が抜けるのを、ヒカルは抱き留めた。
「役に立ったどころじゃない」
視界はわずかだが、その存在ははっきりとわかる。
「 コイツ(・・・) を倒したら、お前が成功の立役者だ」
ヒカルたちの正面にはそびえるような黒々とした存在がある——それが邪龍であることは「魔力探知」をもはや使う必要もない。
ポーラはついに、やり遂げた。