作品タイトル不明
スライム系ね
ユニバンス王国・王都王城内アルグスタ執務室
「大丈夫クレア? 無理しないで帰る?」
「……大丈夫」
自分の机で突っ伏していた妻に対し、夫であるイネルは優しく声をかける。
昨日一昨日と早退した妻は責任を感じ、今日は日も昇る前から登城し書類仕事をしていた。
ただやはり調子と言うか気乗りしていない様子で、現に今もイネルが他部署から書類を集めている間に机の上で伏せていたのだ。
体を起こしたクレアに抱えていた書類を自分の机に置いたイネルは、待機しているメイドにお願いをして紅茶を淹れて貰う。
部屋の主であるアルグスタが居ないこともあり、今朝のメイドの数は少ない。
普段から専属のメイドを連れている主人はこの国有数の金持ちである。
故に自前のメイドを連れ歩けるが、貧乏貴族のイネルからすれば部屋付きであってもメイドが居る今の環境は凄く恵まれているのだと痛感させられた。
メイドが淹れた紅茶のカップが2つ机に運ばれ、それをイネルは妻に勧める。
全体的に怠そうな感じで頭を起こしたクレアは、カップを手にしてゆっくりと紅茶を口にした。
「ねえクレア」
「なに?」
「……辛いなら王都のご両親の所に」
「帰らない」
少し頬を膨らませてクレアは拗ねた。
本人も自覚しているが、それだけに素直になれない部分もある。
メイドの居ない2人だけの生活は日々色々と甘い時間を過ごせはするが確かに不自由だ。結婚してから学んではいるが掃除に洗濯料理など全ての面において夫の足を引っ張っている。
それが辛くて何度か癇癪を起したこともある。その度に彼は優しく抱きしめてくれて、『ご両親の所にしばらく戻る?』と声をかけてくれるのだ。
「私はイネルの妻だもん」
「そうだけど」
「それに今回は……」
言ってクレアは主の居ない机に目を向ける。
西の雄と呼ばれる大貴族と喧嘩を始めたあの上司は、何故か毎日楽しそうに過ごしている。
自分に暗殺者が差し向けられているのにもかかわらず笑っている。挙句それを迎え撃って討ち取るとかふざけている。
「……私たちがどれ程心配しているのかあの馬鹿は知らないんだ」
「クレア?」
大恩のあるアルグスタを『馬鹿』と呼ぶ妻をイネルは軽くたしなめた。
「良いもん。あの馬鹿は……陰で馬鹿って呼んでも怒らないわよ」
「そうだけど部下である、」
「良いの!」
カップを机の上に置いて、クレアは強い口調でそう告げる。
イネルは……妻の様子を見つめて口を閉じた。
ポロポロと涙を落としている妻の気持ちが痛いほど理解できるからだ。
誰よりも……下手をすれば実の両親よりも面倒を見てくれるアルグスタが心配でならないのだ。
「痛い目に遭って少しは反省すれば良いのよ」
「痛い目だったらいいんだけどね」
命を狙われているアルグスタの身をイネルも案じる。
だが2人は知らない。
全ての敵を一身に引き付けているアルグスタが、可愛い部下たちにその目が向かないようにしていることを。
そして執務室のメイドが武闘派で知られるハルムント家のメイドだけで構成されていることも。
2人は知らない。だってそれは知らなくて良いことだからだ。
ユニバンス王国・王都郊外ドラグナイト邸
「ぬごっ!」
全身が悲鳴を上げたので目が覚めた。激痛だ。物凄く痛い。
言うなれば縛られたロープがギュッと締まった感じだ。これが分からない人は幸せな生活を送っているに違いない。最近の僕は実の妻に毎晩縛られて……犯人見っけ。
「ノイエ。ちょっとその腕に引っかかっているロープを元の位置にね」
「……」
返事が無い。寝ているようだ。
「笑えないから。締まっているから。そろそろどこかがボキッとしそうだから!」
「……」
コロンと転がってノイエの腕からロープが外れた。
きつい締め付けが消えて息を整える。あれ? 若干ロープが緩んだ?
今がチャンスだ! このままロープから抜け出して!
意味のない行動だとは分かっている。分かっているが、こう毎晩拘束されて寝かされていると一瞬の自由に強い憧れを持つ。
僕は逃げたいのだ。意味が無くても!
必死に体を捩じってロープから逃げ出そうとしていると、スルスルとロープが緩んで……で、キュッと締まった。
背後から無言の圧力を感じる。
ノイエは目の前に居るので間違いなくポーラだろう。
「ポーラさん。そろそろお兄ちゃんとお話ししてくれても?」
「……」
背中に小さな足の裏の感触が。ああロープを引っ張るのに置いたんですね。
そんな無言で確りと縛り直して……本当にウチの妹は完璧主義だな。
「ポーラさん?」
返事は無い。ただ背中にギュッと抱き着いて来る感触だけは間違いなくポーラの物だ。
自己主張の少ない胸の膨らみが良く分かる。ノイエは常に正面なのでギュッとされても……まあ悪くないんだけどね。ノイエのは大きいしさ。
「僕としてはそろそろ普通に寝たいです」
「「……」」
姉妹たちからの返事はありません。
僕としては本当にそろそろこのロープによる拘束だけは止めて欲しいのです。
何故なら起きると全身に縄の後が。お風呂の度にそれを見たメイドさんたちが『ノイエ様はやっぱり?』とか『ここは意外性でポーラ様が?』とか言い出して、お互いに相手の足を踏んで攻撃を始める。
二大派閥で喧嘩をしないでと言いたい。
「と言うかこんな時の姉たちだろう? どうして誰も出て来ないのよ!」
出てきたらロープを外して貰って、ノイエとポーラを拘束して一晩この苦しみを体験してもらうと言うのに!
ただファナッテは勘弁かな。あれは自分を拘束しそうでなんか怖い。
「もがっ」
「面白い魔法ではあったけど、やっぱり普通よね」
相手の背中を踏みつけその人物はうんうんと頷いた。
魔眼の右目で暮らす暴君……刻印の魔女だ。
それが拘束したミジュリの背中を踏んでいた。
「格が違うわね」
本日も愚かに暴君に挑んだミジュリが返り討ちにあっただけだ。
その様子を眺め呟いたホリーは軽く頭を回す。まだ頭の中でチャプチャプと水が移動する感じがした。完全復活にはほんの少し遠いらしいが、喋れるようになったのは助かった。
「で、ファナッテちゃん?」
「ひいっ」
刻印の魔女が部屋の隅で震え怯えているファナッテに目を向ける。
蹲り両腕で頭を抱えているファナッテは……暴漢を前にした女性のようだ。というかそのものだ。
「大丈夫大丈夫。今日もちょっとお姉さんにその不思議な魔法を見せてくれれば良いの」
「いや」
「へ~」
ファナッテの返事に魔女の声が低くなる。
ついでに『ぐえっ』と踏まれているミジュリが潰されそうになっているカエルのような声を発した。
「そう。この私に逆らうんだ。へ~」
「……」
相手の逆鱗に触れたと理解したファナッテは迷わず魔法を使う。
自分の周りを全て毒にする勢いで……その魔法構築は術式の魔女と呼ばれるアイルローゼの『腐海』に似ている。けれど内容は別だ。
眺めながら刻印の魔女はその魔法を紐解く。
毎日のように見て来た甲斐があった。多少なりとも解読は進んでいる。
それにしても本当にこの毒は鬱陶しい。
宙に文字を綴ってそれを押すことで刻印の魔女は魔法とする。
あっさりと自分の魔法を中和させられたファナッテは、絶望じみた視線を魔女へと向けた。
格が違い過ぎるのだ。
目の前に居るのは本物の三大魔女の1人。そしてその実力も本物だ。
「さあもう1回よ」
「ひぃっ」
ミジュリのことを忘れ魔女はファナッテに近づいて来る。
じりじりと近づいて来る魔女の両手は、何かを揉むようにわさわさと動いている。
「いや」
相手から逃れようとファナッテは自分の背中をぺたりと壁に押し付けた。
もう下がれない。退路は無い。
けれどその動きが余計に魔女の何かに火をともす。
「良いわ~。凄く良い。その絶望した感じがとっても興奮する」
「……」
「大丈夫。ちょっとだけだから」
「いや~!」
わさわさと両手を動かし接近して来る魔女から逃れる手段がない。
結局今日も捕まったファナッテは『良い。この乳は凄く良い。スライム系ね』と感心する魔女に胸を揉まれ続け……最終的に暴行を受けて打ち捨てられた女性のように部屋の隅でしくしくと泣くことになる。
「にゃん?」
散歩に出ていた猫は魔眼の中枢に戻って来ると、しくしくと泣くファナッテの頭を“撫でる”のまでが一連の動作となった。
ある意味で魔眼の中は今日も平和であった。
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