作品タイトル不明
どこから見ても黒
翌日。午前中で授業を終え、足早に王子宮へ戻ってくると、待ち構えていたリタが笑顔で軽く手を叩いた。
「では、始めましょう。ジーナは湯の温度を確かめてきてちょうだい。イルダは香油を……昨日のものではく、今朝届いたものを準備なさい」
大きなタオルを腕にかけたリタが、周囲を軽く見回しながらテキパキと指示を飛ばしていく。
私もすぐに動き出し、浴室へ入りジーナの指示に従って服を脱ぐ。
今朝方、先代王妃様が王宮へ到着されたので、今夜の晩餐に備えて早めに準備を始めることになっていたのだ。
「……ふああ」
身体を温めるのと肌を柔らかくする為にお湯の中へ入れば、思わず気の抜けた声が出る。
まだお昼なのにお風呂とは何とも贅沢なことだ……とそのまま目を閉じ脱力していると、解かれた髪が丁寧に洗われ、とてもいい匂いのするオイルを付けられる。
「柑橘系の匂いだね」
「甘いものはお好きではなさそうでしたので、新しいものにしてみました。こちらは国王陛下もお使いになられていらっしゃるのですよ」
「……まさかのお揃い」
イシュラ王と同じ匂いと聞き、ぎゅっと眉を顰める。とても好きな匂いではあるけれど、親子で同じ匂いはいかがなものなのだろう。
「リスティア様、こちらに。肌の熱を鎮める為に、ハーブ水を使います」
大きなタオルでさっと身体の水気を取り、爽やかな匂いのする水に浸した布で肌を拭かれていく。微かに日に焼けていた腕や頬、それに傷んでいた髪も、リタ達のおかげでどうにか見られる状態にまではもってこられた……と思う。
「それでも……まだまだだよね……」
王族、名門貴族の令嬢達は、肌も髪も日頃から念入りに手入れを施している。
日焼けは労働に携わる者の証とされ、白い肌を守る為に、帽子やヴェール、手袋に日除け傘まで欠かさない。
髪にはローズマリーやラベンダー、カモミールの香りを移した湯を使い、仕上げにオイルを薄く伸ばして艶を与える。肌は白く柔らかいことが理想とされているので、バラ水、蜂蜜やミルクを使ったパック、香油などを使って理想へと近づけていく。
こうした手入れを平民が行えるはずもなく、日除け対策は可能な限りしていたとはいえ、肌は薄く焼け、髪だってぱさぱさ。
それなのに、統括宮にいた頃は日除けなど気にも留めず、日中の庭園でお茶を楽しんでいたのだから、リタ達は随分と気を揉んでいたらしい。
やっと戻ってきた王女が、好きなように楽しく過ごせるようにと、あまりそういったことは言わないでいたのだとか。
けれど、王子宮殿に移り王位継承に本格的に乗り出すと決めた今、リタから「身だしなみを疎かには出来ません」と、きっぱり釘を刺されてしまった。
姿見に映る自分を眺めながら、うむ……と頷いている間に、支度はどんどん次の工程へと進んでいく。
「髪はまず粗櫛で、無理に引かないようにしなさい。乾いたら、傷んでいる毛先を少し切りましょうか……」
私の髪を前に真剣に話し合っているリタ達を横目に、冷たい紅茶と一口サイズのお菓子を口に運ぶ。もう晩餐まで何も口に出来ないので、こうして合間に小腹を満たしておく必要があるのだ。
「では香油を」
イルダが香油を手のひらで温め、私の首筋から肩、腕へとゆっくり伸ばしていく。仕上げにいつものように前髪を結えば、完成となる。
まだまだ完璧ではないけれど、これでドレスを着れば生粋の王女に見えなくもないと、ほくそ笑んでいると――。
「そうした笑い方は、陛下にとてもよく似ておられますよ」
と、リタがどこか嬉しそうに微笑んだ。
そういえば、オーバンと議論していたときにもリオルガに、「イシュラ王のようですよ」と言われたような……。
本当に似てきたのだろうか?と両手で頬をむにむに押していると、リタが腕いっぱいにドレスを抱えて戻ってきて私の前に並べ始めた。
「こちらが本日お召しになるドレスでございます」
ドレスの色は予め決められているのか、黒のドレスばかりがずらりと……。
「黒……?」
魅惑的な大人の女性ならまだしも、まだ九歳のお子様が着るには少し、というよりかなり難易度の高い色なのでは?私のドレスルームにはもっと子供らしい淡い色のドレスが沢山あるというのに、黒……黒?どこから持ってきたのだ、これは。
「リタ……どうして、黒ばかりなの?」
「陛下よりこの色にするよう仰せつかっておりますので」
「そ、うなんだ……でも私、黒いドレスなんて持っていたっけ……?」
「本日の晩餐の為に、新たにご用意されたものだとか」
いち、にい……と数えてみれば、どれもデザインの違う黒いドレスが十着ほど並べられている。
とても素敵なドレスではあるけれど、黒……どれだけ黒が好きなのだと呆れるほど黒で。
「黒以外は……」
「陛下がとても楽しみにしていらっしゃいましたよ」
楽しみに……?あの不愛想な人が?
絶対に何か企んでいると、黒いドレスの列を恐る恐る眺めていれば、横にいるリタがふふっと笑う。
「どちらにいたしましょうか。お好みのものはございますか?」
「好みのもの……」
デザインはそれぞれ違うのに、黒というだけで全て同じに見えてしまうのはどうしたものか……。
取り敢えずと視線を走らせ、最初に目に入った黒いドレスに思わず目が虚ろになる。
艶のある黒い布で作られたドレスは、胸元から裾にかけて細かく刺繍がびっしりと施され、スカート部分は布が何枚も重なっていてとても歩きづらそうなもの。
「よし……これは、なし」
もっと地味で動きやすいものはないのだろうかと、黒いドレスを順に眺めていくと他とは雰囲気の違うドレスが目に入り、手を伸ばし掴んだ。
主張しない小さな刺繍と踝までの丈で、黒い布がすとんと落ちるだけのとても素朴なドレス。胸元に小さな黒いリボンがひとつ付いてはいるけれど、飾りはそれ以外に見当たらない。
派手なドレスの中にある所為か、この控え目なドレスがとてもよく見えた。
「これで……!」
ドレスを掴みそう宣言すると、ジーナとイルダはほんの少しだけ残念そうに、「なし」と言った派手なドレスを見ているが、それだけはどう頑張っても着こなせないので許してほしい。
「では、こちらのドレスにいたしましょう」
「はい」
「足をお入れください」
リタがシュミーズ姿の私の前に立ち、黒いドレスの裾をそっと広げた。促されるまま片足ずつ通すと腰の位置まで引き上げられ、背中側の布を確認したあと袖へ腕を通す。
あとは全体の形を確かめる為に姿見の前へ移動し、私を囲むようにリタ達がドレスの皺を直し、裾の落ち方や肩の位置などをひとつずつ確認していく。
そこでふと、王宮に長く勤めているリタなら何か知っているのでは……と、口を開いた。