軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

お肉

私の顔がどうのと笑い出したイシュラ王を睨んでいると、いつもの無表情がふわりと綻び、あろうことか、とても優しい声で月の光を一緒に見ようと誘ってきた。

(……え、誰、この人)

普段のイシュラ王は、こんなふうに笑わない。

こんな……優しくて、温かくて、私を見て心の底から嬉しそうにしているような。

「見ないのか?」

低く静かな声は、驚くほど温かい。

リオルガにそっと下され、イシュラ王が伸ばした手をじっと見つめた。

(何かの罠だろうか……)

警戒しながらじりじりと近付き、イシュラ王の顔とその手を交互に何度も見比べる。何だか胸の奥がざわざわして、落ち着かない。

私の今の気分は、猛獣の檻に入って行くようなものだ。

(本当に、どうしたのだろう)

ずっと顔を合わせていなかったのに急に現れ、子供のように笑い出し、月の光を一緒に見ようなんて、どうかしたとしか思えない。

伸ばされた手は動かず、急かすこともなく、私へと真っ直ぐに伸ばされたまま。

(……疲れているのかな?)

今日もきっと朝から晩まで働き詰めで、ここ最近は休憩すら取っていなかったに違いない。

人は疲れると奇行に走るというではないかと、そう心の中でひっそりと頷き、そっとその手に触れた。

瞬間――イシュラ王はごく自然な動作で私を抱き上げた。

月光がイシュラ王の肩越しに落ち、その光の中で見る横顔は、いつもより穏やかに見える。

「それで、何をしているんですか?」

「……散歩だ」

散歩?今この人、散歩と言っただろうか?

こんな夜更けに、統括宮にある執務室から王子宮まで散歩なんて、どこの誰が信じるのか。

「寂しくなったんですか?」

「……散歩だと言った筈だが」

「贔屓はしないって言っていたのに、私の部屋の内装を自分で手掛けたり、こうして会いに来たりするなんて……まったく」

「贔屓はしていない。王族として相応しい環境を整えるのは必要なことだ」

「それを、国王陛下が自ら手掛けたりはしないんですよ」

「……」

「綺麗ですね」

イシュラ王は私を抱いたまま銀の帯を見下ろすと、「そうだな」と呟いた。

「部屋はどうだ」

「とても快適ですよ。あの部屋は、国王陛下が使っていた部屋なんですよね?」

そう尋ねると、イシュラ王は僅かに逡巡して、高窓を見上げた。

「……いや、俺の前にあの部屋を使っていた人がいた」

その声はいつもと同じ淡々としたものなのに、どこか温度が違う気がして首を傾げれば、イシュラ王は何でもないとばかりに首を左右に振った。

それきりイシュラ王は何も言わず、二人で暫く月光を眺めていた。

「さて」

ゆるりと視線をこちらへ戻したイシュラ王が、口を開いた。

「そろそろ子供は寝る時間だ」

「へ……?」

唐突なそれに瞬きする私を気にもせず、イシュラ王はさっさと歩き出してしまう。

「えと、まだ見ていたいんですけど」

「もう寝ている時間だろう?」

そういえばと思った途端、眠気がじわじわと押し寄せてきた。イシュラ王の腕の温かさと、緩やかな揺れに包まれて、瞼がゆっくりと重くなっていく。

「あ、れ、そういえば、リオルガは?」

「その辺にいるだろう」

「その辺とは……?」

階段を上りながら軽く周囲を見回すも、その姿は見つからない。

「あれを、お前の侍従にする」

「……え、リオルガは、私の専属護衛騎士ですよね?」

「他に丁度良いのがいない。騎士と兼任させる」

「それは……」

本人は納得しているのだろうかと胡乱な目を向ければ、ピン!と額を指で弾かれた。

「痛っ!」

「あれが望んだことだ。どうせ、あれはお前から離れないのだからそれでいい」

そういうものなのだろうか?とうーんと唸りながら、背中をポンポンと叩かれつつ、イシュラ王に抱えられて階段を上がっていく。

(また、見られるかな)

わずかな期待を胸に、私はイシュラ王の背中を小さくバシバシと叩いておいた。

***

自室に戻ると眠気が一気に押し寄せてきた。

寝室に運ばれ、ぼすっとベッドに落とされ、毛布を顔まで引き上げられても、文句を言う気力すらない。

それでも、眠る前にどうしても話したくて、もごもごと口を開く。

「……今日……リオルガが……あの……」

必死に眠気と戦いながら口を動かすも、言葉は上手く形にならない。

イシュラ王は、そんな私を黙って見下ろしていた。

「……お昼が……お肉の……パンも……」

声が段々小さくなり、眠気に飲まれていく。

「おいし……お昼……あの、お肉……」

結局お肉のことしか言えなかった私は、無念……と完全に眠りに落ちた。

目を閉じる直前、そっと頭を撫でられた気がした。その手つきはいつも通り、とても優しいものだった。

イシュラは寝室を出ると、隣室の窓辺に腰掛けた。

「ジュリア」

王子宮殿の話をしたとき、彼女はとても楽しそうに笑っていた。

『いつか、私達の子供もそこで育つのね。その日が来るのが楽しみだわ』

そのときのジュリアの瞳は、まるで月光を映したように輝いていた。

「……随分と、時間はかかったが」

そう呟き、イシュラはそっと窓に額を寄せた。冷たい硝子にコツンと触れ、目を閉じそっと息を吐く。

「願いは叶えたぞ」

その言葉に合わせるように、口元が僅かに上がった。