作品タイトル不明
第89話:恩と友情、そして苦行
午後の演習時間が始まり、校舎の片隅にある、普段は使われていない空き教室。
薄暗い室内に差し込む秋の木漏れ日の中、結城カイト、佐藤勇馬、鈴木しおり、田中美紀の四人は集まっていた。少し埃っぽい空気が漂う中、カイトは静かに教室の引き戸を閉め、鍵をかける。その徹底した様子に、三人の間に自然と心地よい緊張感が走った。
「さて、こうやって人がいない所にわざわざ集まってもらって悪いね」
カイトがそう切り出すと、三人を代表するかのように佐藤が頭の後ろで手を組みながら、快活な笑みを浮かべて答えた。
「全然問題ないぜ! 午後の演習は基本統合ダンジョンの攻略をしてるだけだし、ここなら誰も来ねえからな。――でもよ、カイト。結局こんなところに集まって、一体何があるって言うんだ?」
佐藤の純粋な疑問の視線を受けながら、カイトは一度、ゆっくりと三人の顔を見つめた。
これから話す内容、そして渡すものは、この世界の常識を根底から覆しかねない文字通りの「劇薬」だ。いくら信頼している友人たちとはいえ、相応の覚悟が必要だった。
「うん、その話なんだけどね。……本題に入るその前に、みんなのことは心から信じてるんだけど、一つだけ約束してほしいことがあるんだ」
カイトの声音が、一段と低く真剣なものに変わる。
「これからここで起こること、俺が話すこと、そして渡すもののことは、絶対に、誰にも言わないでほしい。家族であっても、龍崎教官であっても、他のどんなに親しい人であっても、だ。……約束、してくれる?」
そのただならぬ気配に、三人は冗談の雰囲気を一瞬で消し去った。カイトがここまで他人に念を押すことが、珍しいことだと理解していたからだ。
「……おう。お前がそこまで言うんだ、何があっても口は割らねえ。約束する」
佐藤が真っ直ぐにカイトの目を見て、力強く頷いた。
「ええ、もちろん約束するわ。私は口が堅い方だし、カイトを裏切るような真似は絶対にしない」
田中も真剣な面持ちで同意する。
「うん、勿論私も約束するよ! カイトくんが私たちを信じてお話ししてくれるんだもん、絶対に誰にも言わない」
鈴木も胸に手を当て、カイトをまっすぐと見つめた。
皆それぞれ、迷いのない言葉が返ってくる。カイトはその言葉を受け止め、小さく息を吐いて微笑んだ。
「みんな、ありがとう。……じゃあ、早速話をさせてもらうね。って言っても、言葉で説明するより、実物を見せた方が早いか」
カイトが何もない空間から、一本の青い小さな瓶を取り出した。
それはカイトの保有スキル【宝物庫】の中に入っていたものだった。中には、特殊な液体が満たされている。
「これなんだけどね……。これの名称、『初級レベルアップポーション』って言うんだ」
「えっ……それってよ……レベルアップ、ポーション……?」
佐藤がその名前を反芻し、顔を引きつらせた。田中と鈴木も、カイトの手元にある小さな瓶を凝視したまま固まっている。ダンジョンが日常に溶け込んだこの世界において、「レベル」とは命を懸けてモンスターを倒し、膨大な時間を費やしてようやく一つずつ積み上げていくものだ。「レベルアップ」という名が直接冠されている意味を、彼らが理解できないはずがなかった。
「うん、今佐藤が想像した通りだよ。これを飲むとね、一本につき一レベル、現在就いている『初級職』がレベルアップするんだ」
――静寂が、教室を支配した。
三人はあまりの衝撃に言葉を失い、完全に絶句していた。
現代のダンジョン学において、ステータスやレベルを直接上昇させるアイテムの存在は、おとぎ話かなにかの存在とされている。それが今、目の前で、同級生の少年から平然と差し出されているのだ。
「……おいおい、カイト。それは……冗談、じゃ、ないのか……?」
佐藤が引きつった笑みを浮かべようとするが、カイトの目はどこまでも真剣だった。
「冗談じゃないよ。それでね……これ、みんなに中級職カンストのお祝いとして、一人あたり『四十九本』ずつプレゼントできるんだ」
「よ、四十九本……!?!? え、ちょっと待って、でもそれは……!」
田中が思わず声を裏返らせた。初級職のレベル上限は五十だ。つまり、新しく転職したレベル一の初級職の状態でこれを四十九本飲めば、その瞬間に――一度も戦うことなく、初級職がカンストすることになる。
「待って、驚くのは分かるんだけど、少しだけ俺の話を続けさせてほしい」
パニックになりかける三人に向けて、カイトは優しく、しかし静かに制止の声をかけた。そして、少しだけ視線を落とし、胸の奥に秘めていた想いを語り始めた。
「……三人とも、本当に優しいよね。俺は、その優しさに、これまで何度も救われてきたんだ」
カイトの言葉に、三人は戸惑いながらも静かに耳を傾ける。
「元々、俺はこの中学に入った時、友達は作りたいと思っていた。……けど、この世界では理解を得られないような行動を、俺はよく取るだろ? 単独先行したり、妙にダンジョンに詳しかったり、何より直結ルートには進まなかった。だから、友達がたくさんできるとも思えなかったし、最悪の場合、学校でずっと一人ぼっちになる可能性だってあると思ってたんだ」
ゲームの知識を頼りに動くカイトの立ち回りは、周囲から見れば「異常」であり「異端」だった。奇異の目で見られることには覚悟していたが、それでも孤独の怖さがなかったわけではない。
「でも、三人はそんな俺の傍にいて、ずっと友達だと言ってくれた。それだけじゃなくて、周りの生徒から変な噂を立てられたり、奇異な目で見られたりしている時も、さりげなく、何度も何度もフォローをしてくれたよね。俺、ちゃんと気づいてたよ」
佐藤が周囲の陰口を豪快に笑い飛ばしてくれたこと。田中が鋭い言葉で野次馬を追い払ってくれたこと。鈴木がいつも変わらない優しい笑顔で話しかけてくれたこと。そのすべてが、カイトの荒んでしまいそうになる心をどれほど救ったか計り知れない。
「結果を出したあともそうだった。俺が新たな職業のスキルや知識を持っていると分かったあとだって、普通なら『実はまだレアなアイテム持ってるんじゃないのか』とか『友達なんだからレベル上げを手伝え』って、こっちに要求してきてもおかしくないはずなのに。三人が俺にしたことと言えば、今日の昼休みみたいにアドバイスを貰うことだけだった。……そんなの、俺にとっては全然返し足りないんだよ」
カイトは真っ直ぐに三人を見つめ、心を込めて言葉を紡ぐ。
「だから、これは俺からの、君たちへの恩返し。……それに、万が一にでも、みんなが慣れない新しい初級職のレベル一から始めて、ダンジョンで事故に遭ってほしくないっていう、俺のわがままでもあるんだ。だから、何も言わずに受け取ってほしい。お願い」
そう言って、カイトは深く、深く頭を下げた。
今となっては、探索者として圧倒的な実力を持ち、学校の誰もが一目を置く存在となったカイトが、ただの友人である自分たちのために、これほどの宝物を差し出し、頭を下げている。
教室を包んだのは、先ほどまでの驚愕とは違う、温かく、そして少しだけむずがゆいような沈黙だった。
「……頭上げろよ、カイト」
最初に声をかけたのは、佐藤だった。その声には、呆れと、それ以上の深い熱がこもっていた。
カイトがゆっくりと顔を上げると、佐藤は大きな手をカイトの肩にぽんと置いた。
「お前の気持ちはよく分かったよ。ありがとな、俺たちのためにそんなに考えてくれて。……この小瓶は、ありがたく受け取るよ」
佐藤は照れくさそうに鼻を擦りながら、ニカッと笑った。
「でもよ、恩だとか、返し足りないだとか、そんな堅苦しいことはもう考えなくていいんだぜ? だってよ、俺らはお前と友達でいたいと思っているから、ただ一緒にいるだけなんだ。何かをしてもらったからとか、義務だとか、そんなんじゃねえからな。お前がただのカイトだから、俺たちは友達なんだよ」
「ええ、佐藤の言う通りよ」
田中も腕を組みながら、呆れたように、けれど慈愛に満ちた目でカイトを見た。
「カイト、あなたが裏でそこまで思い悩んで、私たちの行動に感謝してくれていたなんて、少し気が付かなかったわね。水臭いわよ。でもね、私たちはあなたといるのが純粋に楽しくて、好んで一緒にいるの。そこを勘違いしないでちょうだいね。私たちは、あなたの持っている『結果』じゃなくて、あなた自身が好きなんだから」
「……恩って言ったら、私の方こそカイトくんにたくさんあると思うんだよね」
最後に、鈴木が目を潤ませながら一歩前に出た。彼女はかつて、三十層の死線でカイトに命を救われた時のことを思い出していた。
「だって、私、カイトくんに命を救われちゃってるもん。それなのに、こんなに色々してくれて、私たちのこれからの安全まで考えてくれるなんて……カイトくんは本当に、ずるい人だね。……ありがとう。これからも、ずっとよろしくね」
「……みんな……」
カイトの胸の奥が、じんわりと熱くなる。
ゲームの知識だけを頼りに、色々と割り切る必要があるかもと考えていたこの世界で、これほどまでに純粋で、温かい絆を得られるとは思っていなかった。差し出したポーション以上の価値を持つ何かが、今、確かにこの空き教室を満たしていた。全員の顔に自然と笑みがこぼれ、心温まる空気が広がる。
「……うん、みんな、本当にありがとう。じゃあ、これ、遠慮なく受け取ってほしい」
カイトが再び【宝物庫】を操作すると、教室の古びた机の上に、琥珀色の光を放つ小さな瓶が次々と、整然と並べられていった。その数、合計百四十七本。圧巻の光景だった。
佐藤がその中の一本の束を手に取り、まじまじと見つめる。そして、ふとある現実的な問題に気づき、少し顔を怯えさせた。
「……なぁ、カイト? これ、今から四十九本……全部一気に飲まなきゃダメ、なのか……?」
いくら小瓶とはいえ、四十九本ともなればかなりの液体量だ。しかも、未知のポーションである。一気に飲むとなれば、味や胃袋の容量的な意味でもかなりの苦行が予想された。
少し青ざめる佐藤に対し、カイトはこれ以上ないほどの爽やかな、満面の笑みを返した。
「もちろん! あ、さすがにここで飲むともし見つかったときに騒ぎになっちゃうから、人目につかない統合ダンジョンの一層の奥に移動して、そこで一気に飲んでもらうからね!」
「い、一層で……今からか?」
「うん! 準備は良い? 今日はこのまま一緒にダンジョンに行こう! 飲むのに夢中になって周りが疎かになっても、俺のイストとティロフィがみんなを完璧に守るから、何も気にせず一気にぐびぐび飲んで!」
満面の笑みで、どこか楽しそうに追撃をかけるカイト。その圧倒的な勢いに、佐藤は引きつった苦笑いを浮かべながら、頭を掻くしかなかった。
「……おう。分かったよ、そこまでお膳立てされちゃ、漢が廃るからな。覚悟を決めて、腹いっぱい飲み干してやるよ!」
「ふふ、ちょっとしたポーションの早飲み大会ね。負けないわよ、佐藤」
「お腹、タプタプになっちゃいそうだね。でも、頑張る!」
並べられたポーションをそれぞれの【宝物庫】へと詰め込みながら、三人は楽しそうに声を掛け合う。
カイトはその姿を見つめながら、彼らの爆発的な躍進を思い描き、悪戯っぽく微笑むのだった。
『現在のジョブ:調教師(Lv.55)』
『使役モンスター:イスト(Lv.15・銀騎士)、ティロフィ(Lv.14・黒白竜)』