作品タイトル不明
第86話:黒白の竜
二十一層の空を黄金に染め上げていた進化の光が、静かに収束していく。
光の渦が消えた跡、そこには一頭の「黒竜」が佇んでいた。
今までの灰色の鱗とは違う、漆黒の鱗。鏡面のように磨かれたその装甲は、沈みゆく夕日の残光を飲み込み、不気味なほどに静謐な威圧感を放っている。体長は五メートルを超え、岩場に下ろされた四肢は太く、鋭い爪が地面を容易く削り取っていた。
「グルォォォォォォォ!!!」
新しく生まれ変わったその喉から放たれたのは、大気を震わせ、二十一層の海面を波立たせるほどの咆哮だった。
それは恐怖の宣告ではなく、己の誕生を祝福する歓喜の叫び。カイトは吹き付ける風に目を細めながら、目の前に浮かび上がったステータス画面を凝視した。
『ティロフィが【黒白竜】へと進化しました』
『新スキル【黒白反転】【破壊の風】【恐圧の咆哮】【癒しの風】【強靭の咆哮】を習得しました』
「……黒白竜、か。予定通り、いや、想像以上の迫力だな」
カイトが感嘆の声を漏らすと、ティロフィはその巨躯を小さく揺らし、甘えるように大きな頭をカイトの肩へと寄せた。鱗の感触は以前よりも硬質で、内側に秘められた魔力の熱が伝わってくる。
「ティロフィ、無事に進化できてよかったよ。これからも、俺の最高の相棒として頼りにさせてもらうね」
「グルァ!」
「勇ましくなりましたね、ティロフィ。また私をその背に乗せてください。貴殿の翼があれば、どんな戦場へも駆けつけられるでしょう」
イストもまた、白銀の兜の奥にある炎を優しく揺らめかせ、仲間の成長を我がことのように喜んでいた。
本来ならば、このまま進化したばかりの力を試したいところだ。だが、ダンジョンの空はすでに深い橙色から宵闇へと移り変わろうとしている。
「さて、せっかく進化したけど、残念ながら時間が時間だ。明日もいつも通り学校があるし、無理をして夜更かしするわけにもいかないからな」
カイトは名残惜しそうにティロフィの鼻先を撫でた。
「ティロフィ、君の新しい力は明日の午後、演習の時間にたっぷり見せてもらうよ。イストも、サポートよろしくな」
「グル!」
「はっ、承知いたしました」
二体の頼もしい返事を聞き、カイトたちは入り口のゲートへと向かった。
無事に地上へと戻り、電車の喧騒に揺られながら帰路につく。自宅に帰り、温かいシャワーでダンジョンの埃を洗い流し、夕食を済ませてベッドに潜り込む。
日常のルーティーンに変わりはなかったが、カイトの心臓は、明日への期待でいつになく高鳴っていた。
翌日。
午前の座学中も、カイトの意識は半分ほど「ティロフィの新たな戦い方」のシミュレーションに費やされていた。
そして放課後。演習の時間となるやいなや、カイトは統合ダンジョン三十四層へと足を踏み入れた。
三十四層は、巨岩が乱立し、入り組んだ地形が特徴の岩場フィールドだ。
「――出てこい、イスト、ティロフィ」
召喚された二体は、迷宮の空気に即座に反応した。
探索を開始して数分。岩山の陰から、鋭い鳴き声と共に複数の影が飛び出してきた。
「ガァ!」
「グァガァァ!」
この階層の名物、岩石の羽を持つ鳥『イェンシーバード』の群れだ。滞空手段を持たない冒険者にとっては、上空からのヒット&アウェイに翻弄される厄介な敵である。
「ティロフィ、一人で行けるかい? 初陣だ、好きに暴れてこい」
「グルァ!」
カイトの言葉を背に、ティロフィは力強く地面を蹴った。
黒い翼が一閃し、巨体が重力を無視して急上昇する。近づいてきた不遜な竜に対し、イェンシーバードたちが岩の羽を弾丸のように射出するが、ティロフィはそれを避けることさえしない。
「グルァアァァ!」
漆黒の竜が咆哮を放つ。――【恐圧の咆哮】。
その声に当てられた鳥たちは、まるで心臓を直接掴まれたかのように動きを止めた。ステータス低下のデバフが働き、その攻撃力と防御力が著しく減少する。
弱体化した敵に対し、ティロフィは追撃の手を緩めない。巨大な翼を大きく横に広げ、全力で羽ばたいた。
――【破壊の風】
翼から生じたのは、単なる風ではなかった。空間を削り取るような物理的な衝撃波が、扇状に広がって鳥の群れを飲み込む。
防御力を削られたイェンシーバードたちは、なすすべもなく粉々に砕け散り、魔石となって地面へと降り注いだ。
「……やっぱり、デバフからの一撃は強力だな」
「ええ、私もあれを正面から食らいたくはありませんね。恐ろしい威力です」
傍らで見ていたイストが、感心したように、あるいは戦士としての危機感を込めて呟く。戻ってきたティロフィに、カイトは満足げに頷いた。
「お疲れ様。黒竜形態の火力は文句なしだ。次は……【黒白反転】を使って、白竜形態を見せてくれるかな?」
「グル!」
ティロフィが一鳴きすると、その全身が眩い純白の光に覆われた。
光が収まった瞬間、そこにいたのは、先ほどまでの禍々しい黒竜ではなかった。
真珠のような光沢を放つ白い鱗。優美な曲線を描く翼。聖域の守護者のような、あまりにも美しい「白竜」の姿。
「綺麗だな……」
「綺麗ですね……。先ほどの威圧感が嘘のようです」
二人の称賛に、ティロフィはどこか得意げに「グルゥ♪」と喉を鳴らした。
「じゃあ、白竜形態のテストだ。イスト、この形態は味方への支援が主になる。協力してくれ」
「承知いたしました。この身を盾とし、剣として」
一行が次の標的を探していると、前方の開けた場所に、不自然なほど左右対称な巨岩が鎮座していた。カイトは目を細め、その魔力反応を読み取る。
「……あれは『ガレム』だな。この階層でも指折りの硬さを誇る難敵だ。イスト、あいつで頼む」
「はっ」
イストが白銀の剣を抜き、ガレムへと肉薄する。その背後から、白竜となったティロフィが空気を震わせる咆哮を放った。
「グラァァァァ!」
――【強靭の咆哮】。
イストの全身を、温かくも力強い光の膜が包み込む。攻撃力と防御力を劇的に引き上げる。
咆哮に呼応するように動き出したガレムに対し、強化された銀騎士は一切の躊躇なく踏み込んだ。
「――【一閃】」
キィィィィン! と、空間を切り裂くような高音が響く。
下手な剣では刃の方が負けてしまうほど硬いガレムの岩体が、まるで豆腐を切るかのように、音もなく左右に両断された。断面を繋げたら斬ったかどうかもわからないほど滑らかで、イストの斬撃がいかに鋭く、そして重かったかを物語っていた。
「……これは、恐ろしいほどに身体が軽い」
自身の剣筋を見つめ、イストが驚きを露わにする。
「まあ、進化したイストの基礎能力に、ティロフィのバフが乗ればこうなるのも必然かもな」
「……この力なら、例え何体もの敵に囲まれたとしても、容易く切り抜けられそうです」
「ああ。……だから、決めたよ。この階層で二人の連携を更に馴染ませたら、明日から、またあの場所へ行こう」
カイトの視線が、ここではないどこかを見る。
一度は手も足も出ず、苦い敗走を喫した場所。
「三十六層。あそこをリベンジして、俺たちの『停滞』を終わらせよう」
「主の御心のままに。この剣、今度こそ敵を逃しません」
「グルァ!」
夕日に照らされた岩場で、一人と二体は固い決意を共有した。
黒白の竜と、銀光の騎士。
最強の布陣を揃えたカイトの、真の攻略がここから再び動き出す。
『現在のジョブ:調教師(Lv.40)』
『使役モンスター:イスト(Lv.3・銀騎士)、ティロフィ(Lv.1・黒白竜)』