作品タイトル不明
086 封印の地へ
信号弾でフラムの脱出を知った英雄たちは、集合地点へと向かう。
ネイガスはあっさりとヴェルナーたちを振り切ると、まるで鳥のように高く飛び上がって姿を消す。
獅子型、飛竜型キマイラがその背中を追ったが、複数人を飛ばしているならともかく、一人で飛び回る彼女に触れるのは非常に困難だ。
それが知能の低い獣ならなおさらに。
たとえ速度で劣っていたとしても、彼女は動きでキマイラを翻弄する。
一見して余裕に見えるかもしれないが、一瞬でも足を止めて攻撃でも仕掛けようものなら、数の暴力に飲み込まれて即死である。
だが、ネイガスを追うキマイラが増えれば増えるほど、地上の味方の移動が楽になる。
地に足をつけて走るしか無い彼らをフォローするために、彼女は常に目的地を意識しながらも、空を舞い続けた。
作戦の要であるキリルは、ちょくちょく前に立ちはだかろうとするバートに見向きもせず、あっさりとそこに到着する。
そして一足先に、魔法の発動準備を開始した。
エターナはヘルマン相手に苦戦していたが、逃げるとなれば話は別。
さすがに高い筋力を誇るヘルマンと言えど、巨大な鎧を纏って身軽な彼女と同じ速度で動くのは不可能だ。
信号弾の光を見た瞬間に背中を向けた彼女は、みるみるうちに離れていく。
ガディオは、一人でヒューグと剣を交わす。
実力はほぼ互角。
騎士団長を名乗るだけあって、アンリエットとそう変わらない実力を備えているようだ。
もっとも、ガディオは通りがかった一般市民をかばいながら戦っていたため、全力を出せていたわけではないが。
しかし、フラムをフォローしたライナスが戻ってくると、戦況は一変した。
さすがに二対一で互角に戦えるほど、ヒューグも化物ではない。
ひるむ彼の隙をついて渾身の一撃をお見舞いすると、壁に叩きつけられ、頭を打ったのか意識を失った。
命を奪うか葛藤するガディオだが、今の目的は脱走だ。
周囲からはキマイラも迫っており、そんな時間の猶予は残されていない。
とどめを刺すのを諦め、二人は戦闘より離脱した。
そして城外に出たフラム、ミルキット、セーラの三人は――大量のキマイラに追われながら、王城前広場を駆け抜けていた。
他の英雄たちほどのステータスを持たず、しかもフラムはミルキットを抱えているといった状況では、人狼型キマイラの追跡をかわすことすら難しい。
「ね、ねえ、セーラちゃんっ!」
背後から飛来する弾幕めいた魔法を、ときに体を捻りながら避けるフラム。
「なんすか、おねーさんっ!」
セーラも同じように、とにかく避けることだけに意識を集中させる。
魔力の枯渇した彼女にできることは、今はそれぐらいしか無いのだ。
「この作戦、本当にこれで合ってるの!?」
あまりネガティブなことは言いたくないが、フラムから見て今の状況はかなりピンチだった。
城から出るまではよかったのだが、オティーリエとの戦闘のせいで、それが予定よりも遅れてしまったのである。
結果、彼女たちの居場所が知れてしまい、大量のキマイラが差し向けられることとなった。
「本当は、もっとこっそり逃げるつもりだったんすよ!」
「ってことは、要するにっ、失敗したってことだよね!?」
「わかんないっすけど、もうこうなったら気合でどうにかするしかないっすー!」
「申し訳ございませんご主人様、私の足がもっと速ければ……」
「大丈夫、それぐらいでどうにかなる問題じゃないからっ!」
本当は喋る余裕も無いほどなのだが、声でも出して気を紛らわせていないと、今にも足がもつれて転んでしまいそうだった。
石畳の隙間すら恐ろしく感じるほど、二人は追い詰められている。
最初は人狼型ばかりだったキマイラたちは、いつの間にか獅子型や飛竜型まで加わり、地上だけでなく空からもフラムたちに襲いかかる。
特に獅子型を見ていると、全身に鳥肌が立つ。
できれば視界に入れたくないほどだったが、二人が広場を抜ける頃には、前方からも数十体のキマイラが壁のように迫っていた。
「これ……どう、するの?」
前進は不可能、だが足を止めれば背後から接近するキマイラの餌食になり、さらには右も左も敵で埋め尽くされつつある。
確かに王都には大量のキマイラが配備されていたが、戦力が分散していればここまでの数にはならないはずだ。
まるでフラムたちを捕まえることだけに全力を注いでいるかのように思える。
「ど、どうするんすかね……」
セーラの額に冷や汗が浮かぶ。
状況は絶望的だ。
たとえ誰かが助けに来てくれたとしても、この状況を切り抜けるほどの力を持った人間など、世界には存在しないだろう。
諦めかけ、足を止めようとしたそのとき――二人の 背後(・・) から、けたたましい爆発音が響いた。
「今の音、なにっ!?」
振り向くとそこには、苦しげな表情で敵の群れを突っ切る、白い鎧の少女の姿があった。
顔や、素肌を晒した部分には痛々しく傷が刻まれ、鮮血を流している。
フラムの脳が、その名を思い出そうと記憶を引き出した。
しかし血が邪魔をして、名前がうまく思い出せない。
「キ……キ、リ……」
顔は知っていて、仲良くしていたのも覚えていて、名前もたぶん、ほとんど出てきているのに。
歯がゆかった。
自分たちのために傷ついてくれる彼女の名前を思い出せないのは、冒涜のように思えてならなかった。
「邪魔だ、どけぇッ!」
襲いかかる獅子型キマイラを、腕力で投げ飛ばす。
吹き飛んだそいつは、周囲の仲間を巻き込みながら地面を転がった。
とんだ馬鹿力である、ブレイブを使用した勇者だからできる芸当だ。
「フラムッ!」
その名を呼んだ彼女は、フラムの目の前で立ち止まると、ミルキットを抱く彼女の手に自らの手を重ねた。
白いガントレットは冷たかったが、なぜか心は温かい。
それだけに名前を思い出せないのが、悔しくてしょうがないのだ。
見かねたミルキットが、
「……ル、ですよ」
と、主にだけ聞こえる音量で告げる。
一瞬、何を言っているのかわからなかったが、フラムはすぐに理解した。
それは見つけられなかった、最後の一文字だ。
「ありがとう、キリルちゃん」
記憶喪失だと聞いていたキリルは、自分の名前を呼んでくれたフラムに優しく微笑む。
そして、魔法を発動させた。
「リターン!」
もちろんセーラも巻き込んで、四人は光に包まれた。
キマイラたちの爪、牙、そして魔力の塊が接近する中、その光が晴れると、彼女たちの姿はもうそこには無い。
ターゲットをロストしたキマイラたちは、周囲を探すような仕草を見せたが、“転移”したフラムたちを見つけられるはずもなかった。
◇◇◇
それは一瞬の出来事だ。
体が真っ白な光に包まれたかと思えば、次の瞬間にはまったく違う景色が目の前に広がっていた。
王都から北に進んだ場所にある、薄暗い森の中。
マリアが転移石を設置したのは、そんな普通は人間が通らないような場所である。
「セーラちゃぁぁぁぁぁんっ!」
セーラの姿をみるなり、一足先に転移していたネイガスが彼女を後ろから抱きしめる。
「うわあっ!? おねーさん助けてくださいっす、変質者っす!」
もちろんそれがネイガスであることはわかっていたが、セーラはあえてそういう言い方をする。
軽く声をかけてくれればハグぐらいは応じるつもりだったというのに、悪質なサプライズを仕掛けてくる相手に遠慮など必要ないのである。
もちろん、変質者呼ばわりされたネイガスは不機嫌顔になるわけだが、もはやセーラが冷たくあしらって、彼女がすねるのが、一種のお約束のようになっていた。
「変質者は酷いわ。私、本気でセーラちゃんのこと心配してたのよ?」
「わかってるっすよ、それぐらい。というか……先に脱出を済ませてたんすね」
そこにいたのはネイガスだけではない。
エターナやガディオ、ライナス。
そして先に脱出していたインクにケレイナ、ハロム。
さらには手助けをした、仮面を被ったマリアまで立っていた。
「集合場所に集まって、一気にリターンで外に出る手はずだったと思うんですが、キリルさんはどうやって私たちを助けに来たんですか?」
ミルキットの疑問に答えたのは、エターナである。
「わたしたちは先に中央区の集合場所に集まった。でも、空から様子を見ていたネイガスが、このままではキマイラに捕まって、フラムたちはここまで来れそうにないと教えてくれた」
ネイガスもセーラを助けたかったが、仮に援軍に向かったとして、三人を救う手立てがない。
何より彼女自身も、キリルがリターンを発動する直前まで、空中で大量のキマイラを引きつけ、囮の役割を果たしていた。
「そこで、キリルがこう提案したんだ。一旦ここに集まった人間だけを外に送り出し、そして自分だけが王都に戻ってフラムたちを助ける、とな」
エターナに続けて説明したのはガディオである。
フラムは抱えていたミルキットを降ろしながら耳を傾けた。
もちろんそれは、無茶な作戦だ。
リターンで転移できるのは、転移石を設置した場所と、“帰還地点”として定めた一箇所のみ。
つまり、王城の地下にある転移室だ。
もちろんキリルがそこに転移できることは軍だって把握しているし、キマイラ、あるいは兵士を配置しているだろう。
いくら彼女と言えど、包囲されれば脱出は難しい。
しかし――
「俺らは別の方法を考えようって言ったんだが、“できる”の一点張りでな」
ライナスはキリルの方を見ながら苦笑した。
そんな中、話題の中心であるキリルは、よほど疲労が溜まっているのか、ふらふらと危なっかしく揺れている。
「おっとと」
そしてついに限界を迎えたらしく、フラムの胸にぽふんと飛び込んだ。
「あっ……!」
思わず声を上げるミルキット。
全員の視線が彼女に集中する。
自分でも思った以上に大きな声が出てしまったのか、彼女は顔を真っ赤にして手で口を抑えた。
「これがいわゆる修羅場」
「言葉は選ぼうよエターナ」
ぼそりとブラックジョークを吐くエターナに、インクがすかさず突っ込んだ。
「よっぽど疲れてたんだろうね」
「ケレイナの言う通りだ。ブレイブの反動もある、しばらくは目を覚まさないだろう」
転移室に移動したあとは、とにかく力技だった。
キマイラの包囲網を突破し、城から外に出て、逃げるフラムたちを背後から追いかける。
いくらブレイブを使った勇者と言えど、限界はある。
それを可能にしたのは、キリルの“友達を救いたい”と願う想いだろう。
セーラはフラムの胸の中で寝息を立てる彼女に近づくと、回復魔法で傷を癒やした。
「えっと……このままで、ってこと?」
「それがキリルにとって落ち着く体勢」
「ああ、でもフラムちゃん、記憶戻ってないのよね」
「はい、面目ないです」
キリルのことは、名前を思い出したおかげか薄っすらと思い出してきた。
他のメンバーも似たようなものである。
エターナとガディオの記憶は比較的はっきりしていたが、ライナスはいまいち思い出せないし、マリアにいたってはなぜ仮面を付けているのか、なぜ首が血で濡れているのかさっぱりわからない。
さらに言えば、どうして魔族がこの面子に混ざっているのかもさっぱりだった。
「たぶん、時間さえ貰えれば解除できるとは思うんですが」
「頭をいじられたってことよね、後遺症とか無いのかしら」
「アンリエットならそのようなヘマはしないだろう」
ガディオはそう断言する。
ネイガスは「ふぅん」といまいち信用していない様子で相槌を打った。
「まあ、フラムちゃんが平気って言ってるなら大丈夫なんでしょうね。それより私が気になるのは、そこの仮面のお嬢さん」
「どうかしましたか、ネイガスさん」
「そんな不吉な顔しておいて、よく平然としていられるわね」
魔族であるネイガスにしてみれば、オリジンコアを使ったマリアは忌むべき存在である。
「ねーさま……」
再会を果たしたセーラも、複雑な表情で彼女を見ていた。
まさか憧れの“ねーさま”が、化物になっているとは思いもしなかったからだ。
「久しぶりですね、セーラ。追放されたと聞いたときは心配しましたが、元気なようでなによりです」
その声のトーンは、以前のマリアと変わらない。
仮面さえ、そしてその下にある肉の渦さえなければ――セーラも素直に再会を喜べたはずなのだが。
「ねーさまは、元気でしたか?」
「色々ありましたが、今は元気ですよ。体の調子もいいですし」
表情は見えないが、おそらくマリアは微笑んでいるのだろう。
そんな姿でも笑える彼女が、セーラには理解できない。
以前は無かった壁が、二人の間にあるのを感じていた。
「まあまあ、ネイガスが警戒する気持ちもわかるけどさ、マリアちゃんがいなかったら王都から出ることは出来なかったんだ」
「だからこそよ。どういう意図で私たちの脱出を手助けしたのか、その理由を聞いておきたいと思ったの」
マリアに対して敵意を剥き出しにしたネイガスは、腕を組んで彼女を睨みつける。
だが鋭い視線を受けても、マリアは動じず、平然と答えた。
「ライナスさんには、少しでも良い未来を歩いて欲しいと思ったんです」
「それが理由?」
「はい、それ以外にはなにもありませんよ」
「……」
到底信じられるものではない。
自らの意思でコアを使い、さらにはジーンやキリルにもコアを使おうとしていたのだという。
そんな彼女の目的は、間違いなくオリジンの封印解除。
ライナスに惚れているというのも事実なのかもしれないが、脱出を手伝ったのも、オリジン復活のための布石なのだとしたら――
「あなたを魔族領に連れて行くつもりは無いわ」
「ネイガス……」
「セーラちゃんがどんな顔をしてもダメ、こればっかりは譲れないの」
「待ってくれよネイガス、マリアちゃんは俺たちの味方なんだ!」
食い下がるライナス。
マリアは彼に近づくと、両手で彼の右手を包み込んで、首を横に振った。
「いいんです、ライナスさん。最初からわかっていたことですから」
「でも……サトゥーキだってマリアちゃんの存在には気づいてるはずだ、ここに残るってことは、あのキマイラに狙われるってことでもあるんだぞ!?」
「平気です。こんな体にはなってしまいましたが、以前より力はついていますから」
「彼女がそのつもりなら、それでいいじゃない」
ネイガスはあくまで冷静に、マリアを突き放す。
「だったら俺はここに残るからな、マリアちゃんと一緒に――」
「ライナスさん!」
彼女は大きめの声でそう言うと、首を横に振った。
ライナスの表情が曇り、「どうして」と力なくつぶやく。
「俺は……マリアちゃんを守るために……!」
「落ち込むことはないわ、彼女が一人で大丈夫だって言ってるんだから。それを信じてあげなさい」
どれだけライナスが訴えかけても、マリアとネイガスの気持ちが変わることは無かった。
王都からは少し離れた場所とはいえ、いつまでもここで話し込んでいるわけにもいかない。
ネイガスは、マリアを除く全員を自分の近くに集めると、風の魔法で浮き上がらせた。
「マリアちゃん、待っててくれ。戦いが終わったら、必ず迎えに来るからな」
「はい、そのときを楽しみにしてますね」
「ねーさま……おらもまた、会えるっすかね」
「もちろんです、セーラ。また一緒に遊びましょう」
別れを惜しむライナスとセーラ。
それでも上昇スピードが緩まることはなく、あっという間に仮面を被った彼女の姿は小さくなっていき、やがて見えなくなった。
「うわぁ……ハロム、お空とんでる!」
「そうだねえ、あたしも驚いてるよ」
ハロムはケレイナにしがみつきながらも、どこか楽しそうな表情だ。
空を飛んだ経験はあるが、こうして落ち着いた状況で離れていく地表を見るのは初めての経験である。
一定の高度まで上がり、一行を包む風の球体が魔族領に向かって前進を始めると、ネイガスは少し乱暴にセーラを抱き寄せる。
「わっぷ……ネイガス、どうしたんすか?」
いつもと違う彼女の様子に、勢いで胸に埋まったセーラは、不安げに顔を見上げた。
ネイガスはあえて目を合わせずに、前を見ながら言った。
「不安になったのよ。セーラちゃんがあの女の闇に引き込まれて、そのまま戻ってこなくなるんじゃないかって」
「……嫉妬っすか?」
「似たようなものかもしれないわね」
「仕方ないネイガスっすね」
セーラは呆れ顔で、彼女の背中に腕を回した。
それで嫉妬心が和らぐと思ったのだろう。
だが実際のところ、ネイガスがマリアを危険視したのは、嫉妬だけが理由ではない。
感じたのだ。
正常な人間からはあふれることのない、黒く澱んだ心の膿の存在を。
せめて大事な人だけは巻き込まれないように、とネイガスもセーラの体を抱き寄せる。
「……実を言うと、いきなり魔族領に行くことになっていて戸惑ってる」
一方で、説明もあまり受けていなかったエターナたちは、ひっそりと置いてけぼりにされていた。
その言葉に、フラムとガディオも同時に頷く。
ライナスは上の空で、ぼーっと流れる景色を眺めているが、おそらく似たような心境だろう。
ネイガスと一緒に行動していたミルキット、インク、ケレイナ、ハロムの四名はともかく、それ以外は何の説明も受けていないのだから。
「私はまず、なんでネイガスさんって人が助けに来てくれたのかもよくわかってないんですよね」
「キマイラを使えば、人間が魔族領を手中に収めることも可能だろう。それに対抗するために魔族が俺たちの戦力を求めた――という理屈はわかるのだが、本人から説明が欲しいところだな」
ガディオはネイガスに向けて言ったつもりだったが、彼女から反応はない。
「でも、あの様子じゃ難しいだろうねえ」
「ふたりのせかい」
ハロムの言葉に、ネイガスの胸に埋まっていたセーラは、
「そういうんじゃないっすからね!」
とくぐもった声で反論した。
まあ、そんなやり取りも当のネイガスの耳には届いていないようだが。
「でも実際、エターナたちが魔族側についたとしても、そんなに状況はひっくり返らないよね」
「インク、その意見は夢がない」
「夢とかそういう問題じゃないから……」
「まあインクの言う通り、わたしたちが寝返っても多少はマシになる程度ではある」
「それでも人数が増えることで、勝てる可能性は増えるんじゃないでしょうか」
ミルキットがそう主張する。
するとガディオが補足するように言った。
「俺たちは、人気集めの偶像として使われていた面もある。魔族の戦力増強はもちろんだが、人間側の士気を下げるという意味ではかなり有効な手ではあるはずだ」
「自画自賛みたいで恥ずかしいけど、言われてみれば確かにそうかもしれない」
実際に、現在の王都では少しずつ混乱が広がりつつある。
また、脱走の事実だけではなく、ウェルシーの新聞や、ヒューグの暴走も大いにそれに 貢献(・・) していた。
「みんな、そんなにすごい人たちなんですね」
フラムが他人事のようにつぶやく。
「フラムも同じ。というか人気で言えば、わたしたちより上なはず」
「……私が、ですか?」
ただの村娘である記憶しかないフラムには、とてもではないが信じられない話だ。
だが、断片的に戻ったミルキットと過ごした記憶の中に、明らかに人間ではない敵と戦っている自分の姿が残っている。
記憶を奪われたことから考えても、フラム自身が軍に危険視されていた可能性は十分考えられる……のだが、やはりにわかには信じがたい。
「それも覚えてないぐらいなんだし、あたしの名前も忘れてるだろうね」
「すいません、ミルキット以外は思い出せなくて……」
「いいよ、あたしはケレイナ。んでこの子はあたしの子供の――」
「ハロム!」
ハロムは元気に手を上げながら言った。
「ありがとうございます、ケレイナさん、ハロムちゃん」
気まずそうな様子だったフラムの表情に、少しだけ笑みが戻る。
「俺たちの名前も出てこないか?」
「えっと……なんとなく、文字は浮かんできそうなんですけど」
「だったらフラム、当ててみてよ」
クイズ感覚なのか、インクは楽しそうに言った。
本来は名前を間違えるのは非常に失礼なことなのだが、今なら許されそうな空気である。
フラムはさらに悩み、どれだけ悩み抜いてもはっきりとした答えが浮かんでこないので、とりあえず当てずっぽうで答えることにした。
「えっと、まずは……確か、ラスカットさん、でしたっけ?」
「ふっ、そちらだけ覚えているのか」
間違いではないが、正解とも言い難い。
フラムは続けて、記憶を頼りに残る二人の名前も呼んだ。
「こっちは、確か……インプ?」
「なにそのモンスターみたいな名前」
「あとはエターさん、でしたっけ」
「とてつもなく不吉なネーミング」
見事に全て外れである。
「でも完全に忘れたわけではなさそうなのは、割と嬉しい」
「あたしの名前はぜんぜん出てこないみたいだし、過ごした時間の長さと濃さによるのかねえ」
結局、フラムの腕の中で眠るキリルを合わせても、ちゃんと思い出せたのはミルキットぐらいのものであった。
それだけ彼女が特別な存在だということだろう。
そう、特別なのだ。
自分がミルキットに向けている感情が“恋”なのだと、フラムは自覚してしまった。
ふいに思い出し、急に肩を寄り添わせるその存在とぬくもりを意識して、フラムの心臓が高鳴りだす。
相手が女の子だと知ったのは再会してからだが、だからといって気持ちが変わるわけではない。
「ご主人様、顔が赤いですが大丈夫ですか?」
恥ずかしげもなく、自然にフラムの額に手を当てるミルキット。
さらに顔も近づけて、心配そうに覗き込む。
包帯でくるまれているはずなのに、無性にその仕草が可愛く思えてしまうのは、やはり胸に宿った感情ゆえなのか。
フラムは真っ直ぐに見つめてくる瞳に耐えきれず、思わず目をそらした。
「あんな場所に閉じ込められていたのだから、体調を崩すのは仕方がない。王国軍がすぐさまキマイラの展開を始めたとしても、準備が完了するまでに数日の猶予があるはずだ。それまでに英気を養っておくといい」
「だそうです。到着したらゆっくり休みましょうね、ご主人様」
そう言って、ミルキットはフラムと腕を絡めた。
だが果たして、魔族の領地でゆっくりできるものなのだろうか。
記憶もなければ、触れ合うだけで意識してしまう相手もいるというのに。
多難な前途に不安を抱いても、フラムたちを包む風の魔法は止まらない。
小さくなる王都の方を見ても、キマイラが追いかけてくる様子はないようだ。
ここまで離れてしまえば、妨害を行うのも難しいだろう。
こうして勇者一行は、かつて目指していた魔王城へと、魔族の導きにより向かうことになったのだった。