作品タイトル不明
【アニメ第12話放送記念】残骸12 勝利者たち
フラムとフィノは、アンヴォロの亡骸を放置して裏口からギャラリーを出た。
入れ違いで複数の足音と、響く男の声が聞こえてくる。
「ギリギリセーフね。手ぇ引っ張ってくれてありがと、フラムちゃん」
フィノは、金貨のたっぷり詰まった鞄を両手で抱えていた。
「お礼にはまだ早いよ。中央区の教会に行って、王都から出るための馬車も探さないとだし」
二人はひとまず中央区方面に向けて歩きだした。
人混みに紛れながら、フラムは周囲の気配を探る。
「エニチーデ直通は難しいかしら……」
「伝手次第かな。いきなり行って頼むってのは難しいかも」
「伝手ねえ……ああ、あとホテルにお金置いてるのよね。奴隷商人に渡した賄賂を回収したやつ」
「さすがに持っていきたいよね。できれば一緒に行動したいんだけど、それだと手が足りないか」
フラムは眉をひそめる。
一方でフィノは、アンヴォロを殺した高揚感からか、やけに軽い口調で言った。
「今は昼間でしょう、人通りが多い場所を選べば一人でも動けるわよ」
「本当に? 怪我だってまだ完治してないのに?」
フィノは教会の暗殺者に殺されかけ、どうにか動けるようになったばかりだ。
走るだけで体が痛む程度には弱っていたはずだが、やはりアンヴォロを仕留めたおかげか、今は痛がる様子もない。
「多少の無理はできるわ」
「信用できないなあ……けどそんな余裕もない、か。じゃあ役割分担、中央区教会で集合ってことで」
「りょうかーい。遠いのはホテルね、そっちをフラムちゃんに任せていい?」
「いいけど、入れる?」
「部屋番号と名前を伝えれば入れてくれるはずだから。あとこれ、重たいから預かっといてもらっていい?」
そう言って、フィノは金貨の入った鞄をフラムに手渡す。
筋力の差があるため、フラムは金貨が詰まった重たい鞄でも片手で軽く持ち上げる。
「いいの? そこまで私のことを信用して」
「ここまで手伝っておいて報酬の一つも要求してこないんだもの。お金に執着してないのなんて丸わかりよ」
「生活費は……ほしいと思ってるよ」
「金欲にまみれた人間はそんな謙虚なこと言うわけないじゃない。おっと、でも手持ちがないのは困るわね。中からいくらかもらっていくわ」
「何に使うの?」
「手伝ってくれた人へのお礼よ。こういうのって結局、お金が一番無難なのよね」
フィノはウェルシーやクラーラのことを頭に思い浮かべながら、フラムの持つ鞄を開いた。
そして中に入った金貨の一部を鷲掴みにすると、乱暴にポケットに入れる。
「その雑な扱い、 泡銭(あぶくぜに) って感じするね」
「急いでるだけよ、大事に使うわ。どうせ娯楽のないエニチーデではお金の使い道なんてないんだけどね」
つまり強制的に大事に使わされる、ということらしい。
確かにエニチーデでお金を使うとしたら、家を建てるか、少し豪華な食生活を送るかぐらいだろう。
これだけの金貨があれば、冗談抜きで余裕で一生を過ごすことができる。
一人でも、二人だって。
「じゃ、また後で」
「うん、中央区の教会に集合ね」
こうしてフラムとフィノは分かれて、それぞれの目的を果たす。
追ってくる教会騎士の目を避けながら、フィノはマンキャシーの屋敷へ。
一方でフラムは教会騎士からは完全に隠れず、足取りを追えるよう意識しながらホテルへ向かった。
注意をこちらに引き付けるためだ。
作戦はうまくいき、フィノは誰にも襲われることなく、無事に目的地に到着するのだった。
◇◇◇
フィノが門の前で待っていると、駆け足でウェルシーがやってきた。
リーチかウェルシーを呼んでほしいと頼んだのだが、どうやら兄の方は多忙なようである。
「フィノ、無事だったんだ! 心配したんだよ、急に姿を見せなくなるからー!」
「そうは言うけど、あたしの居場所ぐらい掴んでたんでしょ。ライナスにアンヴォロのアジトの位置を教えられるのあなたぐらいしかいないもの」
アンヴォロの地下施設から脱出したあと、なぜライナスは彼女を助けに来れたのか。
彼は地下施設の場所を示した地図を見ていないはずなのに。
そこで考えられるのは、一瞬だけ地図を見たウェルシーがその形状を記憶し、バーンプロジェクションでコピーしたという可能性だ。
「私じゃないよー、兄さんが伝えたんだと思う」
「その地図をお兄さんに渡したのはあなたじゃない。まあ、おかげで助かったんだけどさ」
「つまり私のおかげ?」
「おかげだけど、信用は失った。記者ってほんと抜け目ないんだから」
「いやあ、職業病でさあ。で、アンヴォロはどうなったの?」
「さっき死んだわ」
ウェルシーの目が見開かれる。
彼女は最初、アンヴォロに対して親しげな呼び方をしていた。
少なくとも外っ面はいい男だったから、多少なりとも死を知らされるとショックなのだろう。
「教会にも切り捨てられて、あとは殺されるのを待つだけって感じだったわ」
「そっか。じゃあ、フィノが勝ったんだね」
「助けてくれた人のおかげよ」
「らしくなーい」
「うるさい。で、これはお礼」
フィノはポケットから一握りの金貨を出すと、ウェルシーに握らせた。
「わ、大金だよこれ。こんなにもらっていいの?」
「お兄さんはともかく、妹のあんたがそこまで羽振りがいいとは思えないし」
「し、失礼な……まあ、確かに自分で稼いだお金でできる限りやりくりしてますけど?」
ウェルシーはそう抗議しながらも、受け取った金貨をひとまずポケットに突っ込んだ。
下品な持ち運び方だという自覚はあるが、いつまでも握っておくわけにもいかない。
するとフィノはさらにもう一握りの金貨を取り出すと、再びウェルシーに手渡す。
「で、こっちはクラーラって冒険者に渡してほしいんだけど、頼める?」
「んー、名前だけじゃ……」
「中央区のギルドに所属してるはずよ、ライナスの 友達(・ ・) 」
「あー、フィノの身柄を預かってたっていう」
「そこまで知ってるんじゃない。お願い、看病してもらったお礼をしときたいの」
「リョーカイ! それぐらいならお安い御用だよ。フィノとはもう二度と会えないかもしれないんだし」
「……そうね」
教会騎士に狙われているのだ、王都にはもう戻ってこれまい。
そう長い付き合いではなかったが、別れを自覚すると途端に寂しくなる。
「エニチーデに来てくれたらおもてなしぐらいするわよ」
「いやあ、私もこの国の闇を追う人間だからさ。そこまで生きていられるか……よよよ……」
「縁起でもないこと言わないの。あと、これが最後のお願いなんだけど」
「馬車の手配だよね。この家に来たってことは、そういうコネが必要ってことだろうから」
「話が早いわね」
「ただ、予約もなしにエニチーデまで送ってくれってのは結構無茶なお願いだからさ、兄さんが頼めば多少の無理は聞いてくれると思うけど、私が頼むとなると……相場の二倍、いや三倍ぐらいはかかるかも」
「お金なら問題ないわ。五倍でも十倍でも払うから、手配をお願い。できれば中央区の教会まで迎えに来てくれるとありがたいわ」
「羽振りがいいねえ……うーん、よすぎる。もしかして受け取ったこれ、綺麗じゃないお金だったりしないよね?」
「綺麗だろうが汚れてようが金は金よ」
「うひいぃぃ……! こっそり使お」
手放しはしないらしい。
本当にあまりお金を持ってないのだろう、切実なのだ。
「要件はこれで全部。お願いね、ウェルシー」
「慌ただしいね」
「教会騎士に追われてるのよ。あなたも急いだほうがいいんじゃない、今ならアンヴォロが所有するギャラリーにあいつと奥さんの死体が転がってるだろうから」
「奥さんも?」
「人間の形はしてないけど」
フィノの言葉に、ウェルシーは何かを察したように「あぁ……」とため息をついた。
新聞記者である彼女は、王都で起きた異形にまつわる事件のことも知っているのだろう。
「ありがと、このあとすぐに行ってみる」
「エニチーデにまで届くぐらいのスクープになるよう祈ってるわ」
「あはは、それは難しいかも。できるだけ派手にやるけどね」
いくら記者が闇を暴こうとも、教会はそれを隠そうとするだろう。
王都の外にまで響かせるのは難しい――それが現実。
別れ際ぐらい景気のいいことを言えばいいのに、とフィノは一瞬思ったが、言えないほどに現実が切羽詰まっているのだと気づき、何も言えなかった。
互いに軽く手を振って、二人は今生の別れを交わす。
◇◇◇
続けて中央区の教会までやってきたフィノ。
彼女は門の前で立ち往生していた。
「さて、と。ここまで来たわけだけど……」
眉をひそめ、唇を噛み、しばし門のアーチを睨みつける。
通行人たちが怪訝そうな目で彼女を見て通り過ぎていく。
数十秒後、彼女は体から力を抜いて大きなため息をついた。
「……会いたくないなあ」
踏ん切りがつかない。
怖いのだ、記憶喪失という現実と向き合うのが。
「あたしらしく無いって言われても、仕方ないじゃん。恋する乙女気取りの痛いやつなのよ、今のあたしは」
復讐は人を強くして、恋愛は人を弱くする。
言い換えれば、人間みを増したとも言えるのだが――それは現状において強みにはなり得ない。
すると、教会の中から顔見知りの修道女が現れた。
「あのー……フィノさん?」
「あなたは、あのときの修道女……」
「どうかなさいましたか?」
「ああ、いや……なんていうか、無事にケリが付いたから……」
気まずそうに目をそらすフィノ。
だがここまで来たのだ、今さら引き返せない。
彼女は「ふぅっ」と強めに息を吐き出すと、修道女を真正面から見据えた。
「アデリッサに、会いたいの」
決意の籠もった眼差しに、修道女の表情も引き締まる。
「彼女の家族は、どうなったのですか」
「死んだわ」
フィノのあまりに素直すぎる答えに、女の表情は悲しみに歪んだ。
「助けることはできなかったんですか?」
「まず第一に、助けるつもりはなかった」
「っ……!」
「常識的に怒る気持ちもわかるけどね。あの両親、娘に内緒で食人趣味の猟奇殺人犯やってたのよ。あたしはそれに巻き込まれた被害者ってわけ」
「食人……? れ、レデンプターのご夫妻が、ですか?」
「そこには教会も絡んでた。あんたらのとこにも来たんでしょ、教会騎士」
心当たりがあるのか、修道女はわかりやすくうろたえる。
おそらくアデリッサを探しにここにも来たはずだ。
そして修道女たちは教会の上層部を信用していないため、彼女を隠したのだろう。
「私は……いえ、私たちは事態を甘く見ていたのかもしれません」
「いいのよ、終わったんだから。アデリッサが無事でいられたのはあなたたちの元にいたからよ、改めてありがとう」
「これから……どうなさるおつもりなんですか」
「アデリッサに会ってから決めるわ。中に入れてもらえない? 教会騎士に追われてるのよ、あたし」
前に進もうとするフィノだが、修道女は道を阻む位置から一歩も下がらない。
「あなたと会い、記憶が戻ったとして、それは幸せなことなんでしょうか」
「会わなくても戻るわよ」
「それは……」
「頭を打って一時的に記憶を失ってるだけ。あたしと会ったことで刺激を受けて戻るのが早まる可能性はあるけど、遅かれ早かれアデリッサは真実を知ることになる」
断言できるものではない。
しかし修道女にも否定はできなかった。
何より、そうなってほしいと思っていたから――否定などできるはずがない。
「そのとき、あたしが隣にいた方がいいのか、それともあんたたちに支えてもらった方がいいのか。これはそういう問題なの」
「……真剣に考えられているんですね」
「あなたはどう思う?」
「自分たちの方が幸せにできる、なんて傲慢なことは言えません。それにあなたは、彼女の幸せを願って行動しているように見えます」
「よかった、そう見えるなら嬉しいわ」
「確かに私たちはアデリッサの身を案じています。共に暮らした数日で仲間だとも。しかし――それは私たち修道女が様々な人に向ける、普遍的な愛情の一部とも言えるものです」
修道女は懺悔するように告げる。
「他者を平等に愛するということは、暖かいようでいて、同時に誰かを選ばない冷たさも含んでいますから」
「そんなこと考えてるの? 難儀な人たちね、アデリッサを守ってくれただけでも、十分に優しさも善意も証明できてるのに。あたしなんかずっと個人の欲望ばっかりよ」
「どちらも変わらずエゴですよ。ですから、善悪ではなくあなたの心に従い選択するべきです」
「そう、背中を押してくれてるんだ」
「アデリッサ……ずっと、寂しそうでしたから」
それが両親の闇を知ってしまったことが原因か、フィノの不在が原因かはわからない。
だが両親亡き今、それを埋められるのは――
「まあ、参考にはするわ。それで、こんな話をするってことはアデリッサと会えるってことよね」
「もちろんです、こちらに」
修道女に案内され、教会へと足を踏み入れるフィノ。
彼女にとって本当の最後の戦いが始まろうとしていた。
◇◇◇
フィノが応接室で待っていると、扉が開く。
現れたのは、修道服を身にまとったアデリッサだった。
かわいい――真っ先にそう思い、声にも出そうになったが、ぐっと抑える。
アデリッサは控えめに扉を開いて中の様子を伺うと、フィノと目が合った。
瞬間、アデリッサの目が見開かれ、逃げるように扉の後ろに隠れ、そして顔を半分出して覗き込む。
フィノは立ち上がると、そんな彼女に優しく微笑みかけた。
「久しぶり、って言っても覚えてないのよね」
「あっ、あなたは……」
フィノは自分でも驚くほど穏やかな声が出たと思った。
しかしアデリッサの表情には、どこか怯えのようなものが混ざっている。
そして彼女の言葉は、案の定フィノの心を引き裂いた。
「どなた、ですか?」
歯を噛み締めた。
頬が引きつった。
頭をかきむしりたい衝動と、叫びたい情動を噛み殺して、フィノは大きく深呼吸をする。
そしてたっぷり間をあけて、あくまで笑顔で答えた。
「フィノよ」
まるで初対面の人間のように。
吐き気がした。
これもアデリッサのためと言い聞かせて、感情を押さえつけた。
「フィノさん……わたしのことをご存知なんですね」
「ええ、よく知ってる。立ち話もなんだし、座りましょう」
よく知ってる――その言葉でアデリッサは少し警戒を解いたように思えた。
彼女は言われるがままにソファに腰掛け、二人はテーブル越しに向かい合う。
「ねえアデリッサ、ここでの暮らしは幸せ?」
「……はい。みなさんよくしてくださいます。それに、何かからわたしを守ってくれているんだと思うんです」
教会騎士から隠れているのだ、アデリッサも何かが起きていると気づきはするだろう。
「たぶん、命にかかわる大きなことだと思います。死ぬかもしれないのに、ここのみなさんはそれからわたしを守ってくれている」
そして同時に、彼女の無意識にはハーヴェストやアンヴォロの危険性が刻み込まれている。
それが命にかかわることだと感じるのも、その思い出せない記憶の影響かもしれない。
「そういう人たちに憧れる?」
「そう、ですね。憧れはあります。わたしは回復魔法が使えませんが、人を助けるお仕事って、とても素敵だと思います」
純朴な微笑み。
そこにはフィノとの付き合いで消えてしまった白さがあった。
アデリッサの本来あるべき純朴さ。
それを喰らわんとするアンヴォロとデルーナは死んだ。
ならばあと自分が消えれば、すべては丸く収まるのではないか。
「いい夢じゃない。そう、その様子なら心配いらないわね」
心にも無いことを言った。
この痛みに何の意味があるのだろう――そんな自問自答をしながら。
そしてこれ以上の問答は無意味だと悟り、立ち上がる。
アデリッサはフィノが会いに来た意図が理解できず、不思議そうにその動きを目で追った。
部屋から出るべく扉に手をかけるフィノ。
すると彼女が開くより先に、勢いよく扉が開いた。
「フィノさんっ!」
「あらフラム、もう来たの?」
「うん、お金は馬車にもう積み込んでる。それでアデリッサは?」
フラムが部屋を覗き込むと、そこにはアデリッサの姿があった。
続けてフィノに視線を向ける。
彼女はどこか諦めたような笑みを浮かべた。
「フィノさん、それでいいの?」
「あたしの存在は彼女の人生においてノイズなのよ。無い方が幸せになれるわ」
「試してもないのにそんなこと言ったって――」
不満げなフラムを押しのけるように、フィノは部屋を出る。
フラムはそれでも納得がいかず、アデリッサを置いて王都を発とうとするフィノの横に並んで説得を続けた。
「記憶喪失から戻ったとき悲しむよ?」
「悲しむだけで済むならいいじゃない」
「言っとくけど、大切な人が急にいなくなるのって本当に辛いんだからね」
「知ったふうなことを言うのね」
「知ってるから言ってんの! だいたいアデリッサと話すの短すぎでしょ!」
「追われてる身なの、仕方ないじゃ――」
「待ってくださいっ!」
そのとき、アデリッサが部屋から飛び出してくる。
そして駆け足でフィノの前に回ると、胸にしがみついた。
「アデリッサ……?」
「あ、あの、もう少しお話……しませんか?」
顔を上げたアデリッサの頬は、わずかに紅潮していた。
「ごめんなさい、時間がないのよ。もう行かないと」
「それをなんとかっ!」
「どうしてそんなに話がしたいのよ」
「そ、それは……その……」
瞬間、ぼっとアデリッサの顔が赤らんだ。
さらにフィノの顔を直視できなくなったのか、目を背ける。
そして絞り出すような声で言った。
「とても、綺麗な方だと思ったので」
「へ……?」
思わず、フィノの喉から間抜けな声が漏れた。
アデリッサは勇気を振り絞るように、今度はしっかりとフィノの顔を見て気持ちを伝える。
「へっ、変かもしれませんが、どうやらわたし……フィノさんに、一目惚れしてしまったみたい、なんです。目があった瞬間からすごくドキドキして、わたしのことを知ってるって聞いたら嬉しくて、緊張して、うまくお話できなくって。だから、もっと話したいなと思ったんですっ!」
必死に想いを伝えるアデリッサ。
対するフィノは、頭の中が真っ白になって、固まっていた。
残ったわずかな思考の余地を使って、言葉を咀嚼していく。
そして意味を理解した途端に、自然と涙がこぼれた。
雫は頬を伝ってこぼれおち、それを見たアデリッサは慌てふためく。
「ひええええっ、ごめんなさいフィノさん急にこんなこと言われても気持ち悪かったですよね!」
「違う……」
「でもでも、変なことを言ってしまったのはわたしですし」
「違うわっ!」
フィノは大きな声をあげて、感情のままにアデリッサを強く抱きしめた。
「ひゃわああっ!」
「あたしもよ、アデリッサ。愛してる、あたし、あなたのこと心から愛してるの! 離したくないのよっ!」
もう抑えきれなかった。
むしろ我慢していた分、洪水のように溢れ出してしまう。
「諦めようと思ったって、こんなの諦められるわけがないのよね……だって、あたしはアデリッサのことこんなに好きなんだから!」
「そ、そんな、そんなお返事がいただけるとは……思いもしてなくて……っ」
「アデリッサ、記憶がある頃のあなたはあたしと恋人同士だったのよ」
「そんなことが……こんな綺麗なお姉さまと恋人だなんて、そんな奇跡ありえるんでしょうか……」
お姉さま――偶然かもしれないが、その呼び方をされた瞬間にフィノの胸に込み上げるものがあった。
さらに涙が溢れて、強くアデリッサを抱きしめる。
もし呼び方を覚えていて、それが出てきたというのなら――
「大丈夫よ、きっとすぐに記憶だって戻るわ」
それは希望だ。
弱気になっていたフィノが、未来を信じることができるほどの、強く、まばゆい。
「だから、お願い。あたしといっしょに来てほしいの」
「どこへ、ですか?」
「あたしの故郷まで。そこで二人で穏やかに暮らしましょう?」
さすがのアデリッサも迷う。
彷徨う視線は、おそらく面倒を見てくれた修道女を探しているのだろうが、近くにはフラムぐらいしかいなかった。
フラムは軽く涙ぐんでいて、フィノの言葉が事実であることを裏付けているようだった。
アデリッサは目を閉じると、己の心に問いかける。
この人が好き。
たとえ記憶がなくても、あっても、それは変わらない。
心の奥底で強く脈打つその感情は、確かにただの一目惚れというには、あまりに深い場所まで根を張っているように感じられた。
「正直に言うと、初対面でそんなことを言われてびっくりしています……だけどっ、記憶があった頃のわたしはきっと、フィノさんのことが大好きだったんだろうなっていうのも、わかるんです」
嗚咽を漏らすフィノからの返事はない。
ただ、フラムは腕を組んで「うんうん」と頷いていた。
「だから……フィノさん、わたしを連れて行ってください!」
アデリッサがそう返事をすると、フィノはその肩を掴んで真正面から見つめ合った。
そして止まらない涙を拭いもせずに、唇を重ねる。
「んっ……!」
柔らかく暖かい唇の感触。
そしてこぼれ落ちる涙がフィノの頬からアデリッサの頬へと伝い、喜びを共有するように流れ落ちた。
キスを終えると、フィノは改めてアデリッサを抱きしめ、その胸に顔を埋める。
「アデリッサあぁぁ……っ」
喜びに震える声で、フィノは言った。
この人はわたしのことが大好きなんだ――と、その声だけで伝わってきた。
大丈夫、二人ならきっと幸せになれる。
根拠なんてないけれど、アデリッサはそう信じられるような気がした。
しかし、いつまでも感動に浸ってはいられない。
「フィノさん、そろそろ出発しないと、騎士連中が追いつくかもよ」
フラムが言うと、フィノは洟をすすり、手の甲で目をこすり立ち上がる。
「そうね……行かないと」
「ではわたしは、最後にみなさんにご挨拶をっ」
アデリッサが他の修道女たちの元へと向かおうとすると、その方向からフィノをここに案内した修道女が現れた。
彼女は険しい表情で告げる。
「アデリッサ、こっちには来ないほうがいいですよ。表に教会騎士が来ています」
「さすがに嗅ぎつけられたみたいね」
「いざとなれば私が相手するよ」
そう言って手の甲の紋章をフラムが見せつけると、フィノは心が軽くなった様子だった。
修道女は三人に告げる。
「表に来ていた馬車は裏に向かわせています、そちらへ向かってください」
フラムが先頭となり、フィノとアデリッサは手を繋いで裏口へと向かう。
心惜しそうに後ろを振り向くアデリッサに向けて修道女は言った。
「あなたの幸せを願っています、アデリッサ」
「お世話になりましたっ。あと、エルンさんやみなさんにも!」
「ええ、伝えておきます」
別れはそれだけの言葉と、手を振りあうだけで終わった。
他の人々に直に伝えられなかったのはアデリッサにとって心残りではあったが、命に優先できるものではない。
教会の裏口から外に出ると、そこには鎧姿の教会騎士が駆け寄ってくる姿が見えた。
見えている人数は二人だ。
「やはり裏口から出てきたか!」
「二人は走ってッ!」
フラムの指示を受け、フィノとアデリッサは馬車に向かって走りだす。
騎士の一人が妨害すべく駆け出すが、すかさずフラムは 気剣斬(プラーナシェーカー) を放った。
「邪魔はさせないッ!」
飛翔する斬撃は騎士の目の前を通り過ぎ、その奥にあった木の柵を真っ二つに引き裂く。
その威力を見て騎士の顔は青ざめた。
「きょ、教会騎士に手を出してただで済むと思うな!」
「その反応、格下――だったら遠慮はいらないか」
「ま、待て、本当にいいのか!?」
「こっちはとっくに教会を敵に回してるってのッ!」
積極的に騎士に斬りかかるフラム。
すっかり気圧され、防戦一方の騎士たち。
その間に、フィノとアデリッサは馬車に乗り込み、出発しようとしていた。
「逃がすな、追えぇッ!」
新手の騎士が馬車の前に立ちはだかる。
すかさず向かおうとするフラム。
すると交戦中の騎士が破れかぶれで斬り掛かってきた。
「行かせるものかッ!」
フラムはその斬撃を――避けはしなかった。
斬りつけられた右腕がぱっくりと開き、傷口から血が噴き出す。
「こいつ、腕を――」
「この程度で止まるわけないでしょ、今さらッ!」
彼女はそれを気にせずに前進すると、馬車の進路を塞いでいた騎士を蹴飛ばした。
「ぐああぁぁああっ! こ、こいつ舐めやがってッ!」
さらに遅れて到着した騎士たちも参戦し、フラムを取り囲む。
一方で馬車は遠ざかり、もう止められない場所にいた。
「じゃあフィノ、アデリッサッ! お幸せにッ!」
斬り掛かってくる騎士たちをいなしながら、フラムは二人の幸せを祈る余裕すら見せる。
そのまましばらくじゃれ合いを続けていると、一回り豪華な鎧を着た騎士が到着した。
おそらく隊長なのだろう。
「そこまでだ」
彼が低い声でそう告げると、騎士たちの手が止まる。
フラムは口元は笑いながら、鋭い視線で隊長を睨みつけた。
「私はまだやれるけど」
「手加減してくれていたようだな、礼を言う」
素直に頭を下げてくる隊長に、フラムは毒気を抜かれる。
「だって怪我させたら面倒くさいことになりそうだし」
「我々はもう戦う必要はない」
「上からの命令でしょ」
「確かに上からあの二人を捕まえるよう命令は受けたが、直属の上司ではないからな。ここまでやれば義理は果たした」
「もしかして、そっちも嫌々付き合ってたの? その割に部下は乗り気だったようだけど」
「血の気の多い部下で申し訳ない」
「……大変だね、中間管理職」
フラムが同情すると、隊長は「ふっ」と肩を震わせ軽く笑った。
一方でその会話の間に他の騎士たちの戦意はすっかり萎えてしまったらしく、ほとんどの人間が剣を収めていた。
「じゃ、私はここらで帰るから」
「待ってくれ。これを持っていけ」
別れ際、隊長は破れた手紙をフラムに渡してきた。
「これ、アンヴォロの手紙……」
「知っていたのか。中身を軽く確認したが、私が持っていても仕方のないものだ、持っていけ」
「どーも」
それを受け取る瞬間、隊長はフラムに耳打ちをする。
「悪いことは言わん、教会からは手を引け」
このクラスの人間なら教会の裏の顔も知っているだろう。
それでいて、まともな感覚も持ち合わせた人間とは、かなり貴重だ。
だからこそフラムはこう言い返した。
「同じ言葉をそのまま返すよ。死にたくなければ、教会から離れた方がいい」
それに対する反応はなかった。
フラムは騎士たちから離れ、西区にある自宅に戻るため歩きだす。
通りの前方を見つめ、馬車の姿を探すがどこにも見当たらない。
「……もう見えなくなっちゃったな」
おそらくそのままエニチーデまで行くはずだ。
あの様子だと、王都に戻って来ることはないだろう。
「教会との戦いが終わってエニチーデに行くことがあれば、また会えるのかな」
気の長い話である。
これからの戦いのことを考えると気が滅入りそうなので、フラムは深く考えるのをやめた。
◇◇◇
帰宅後、フラムの前のテーブルにはバラバラになった手紙が並んでいた。
隣からミルキットが、正面からエターナがそれを覗き込んでいる。
傍らには接着用ののりが置かれており、どうやら手紙の復元を試みている様子であった。
「まるでパズルみたいで楽しいですね」
「フィノさんはここまで千切ってなかったと思うんだけどね。たぶん教会騎士がゴミだと思って処分しようとしたんだよ」
「なぜわたしまで復元の手伝いを……」
「暇そうだったじゃないですか」
「インクの様子を見るので忙しい」
「インク、寝てるんですよね。容態も安定したって言ってませんでしたっけ」
「……まあ暇ではあったけれども。それでも今だって増幅装置に監視させてる。一時も目を離すつもりはない」
インクにつきっきりなのはいいことなのだが、暇だと認めたがらないのは何のプライドなのか。
エターナさんって変なこだわりあるよね……と思うフラムであった。
そんな他愛もない会話を交わしつつ、三人は作業を進めていく。
そして三十分後――
「できたーっ!」
フラムの手には、すっかり元通りになったアンヴォロの手紙が握られていた。
さっそくテーブルの上に置き、目を通すフラム。
ミルキットは体を寄せて覗き込む。
エターナも同様に逆方向から興味津々に手紙を凝視した。
「ミルキットはともかく、エターナさんは呼んでも何もわからないのでは……?」
「復元に参加した人間として見る権利ぐらいはある。まあ、暇つぶし」
「やっぱり暇だったんですね」
激しい戦いを終えたばかりだからか、みな平和というよりは、気の抜けた雰囲気である。
一方で、手紙の内容はあまり平和なものではなかった。
『十二年前のあの日、私はエニチーデの研究所へと向かった。ハーヴェスト計画はプロジェクト・キマイラの一部であり、オリジンコアを埋め込んだ際に発生する肉体膨張現象のメカニズムを解明するために、あえて膨張現象を利用したサブプロジェクトを立ち上げたのである。だが実際のところ、私の会社からキマイラへの資金提供をさせる口実でもあったのだろう』
手紙は、そんなアンヴォロの愚痴めいた文章から始まった。
簡単に切り捨てられたことからもわかるように、教会は彼の財力を利用したかっただけだったのだろう。
『エニチーデへの旅には、妻と娘も付いてきた。エニチーデでの研究所の視察という本来の目的を悟らせないために、旅行という体裁を取るためである。そのため妻と娘は私とは別行動を取っており、研究所での視察中は村の人々と交流を行っていたようだった』
これは新たにわかった事実だった。
十二年前、つまりアンヴォロとフィノが出会ったとき、そこにはデルーナやアデリッサもいたのだ。
『ある日、宿に戻ってきた私にアデリッサは言った。「わたし、けっこんするの!」と。しかも相手は、村で出会った少女だという。あの頃のアデリッサはまだ四歳になったばかりだった。パパとけっこんする、という話すら聞いたことがないというのに、まさか旅先で出会った少女にそこまでなつくとは、と父親として軽くショックを受けたことを覚えている』
ここで急に文章の雰囲気が変わる。
化物から父親へと。
その二つが同居する矛盾こそが、アンヴォロの纏う不気味さそのものだ。
『アデリッサがなついた少女の名は、フィノと言った。向日葵のように明るい天真爛漫な少女。私が彼女の人生を破滅に導こうと決めたのは、アデリッサが〝選んだ〟ことも理由の一つだった』
そこでフラムは、なぜアンヴォロがこの手紙を残そうとしたのかを察する。
なるほど、つまり父親としての自分を遺したかったのか、と。
『最愛の娘を食べるという〝最悪〟を実行する前に、最愛の娘が愛した人を食べられたなら、より深い〝最悪〟が得られるはず。しかし私は人間の愛情というものを甘く見ていた。アデリッサが私に反抗したことも、デルーナが狂ってしまったことも、そして君に追い詰められたことも、すべては強い愛情が引き起こしたこと。そう、私は君たちの愛情に敗北したんだよ』
アンヴォロはフィノの人生を操り、破滅へと導こうとした。
フィノの執念がそれを乱そうとはした。
だが本当にアンヴォロの計画を揺るがしたのは、フィノを愛したアデリッサの暴走。
そして致命的に終わらせたのは、妻デルーナの狂気だ。
愛情を食い物にした男は、その愛情に食われて死んだ。
ふさわしい末路ではあるだろう。
『フィノ君、今君はアデリッサの隣にいるんだろう? ならばここで宣言しよう。私の負けだ。娘を、どうぞよろしく頼む』
最後は、そんな情けない言葉で締められていた。
読み終えたエターナが口を開く。
「わざわざ敗北宣言を手紙に残すなんて、変なところで律儀な男」
続いてミルキットも感想を口にした。
「この手紙、本当にフィノさんに渡さなくてよかったんでしょうか。過去の大事なことも書いてあるように見えますが」
「よかったと思うよ」
フラムはきっぱりと言い切る。
「誰がどう見ても負けてるのに、わざわざかっこつけて手紙を書いてるんだもん。渡したらアンヴォロは満足する。フィノさんはそれを拒んだんだから」
自殺を止めてあえて殺した。
手紙を読まずあえて破った。
アンヴォロの思い通りに人生を歪められたからこそ、フィノは思い通りの結末を阻止したのである。
「それにしても……エニチーデで惚れて、王都で惚れて、記憶喪失になっても惚れて。アデリッサってフィノさんに三回も惚れてるんだね」
「アデリッサにとってフィノは理想ぴったりの存在だと」
「運命、みたいなものなんでしょうか」
「だったら素敵だけど、私としては壮大な惚気話に巻き込まれた気分」
フィノとアデリッサの未来には数多の障害があるだろう――なんて見送ったフラムは思っていた。
だが実際のところ、二人はどうしようもなく両想いで、どうしようもなく愛し合っていて。
きっと世界が滅びるような何かが起きたとしても、それは変わらない。
巻き込まれたフラムとしては、苦笑いをするしかない。
かっこつけて見送るときに二人の幸せを祈ったりしてみたけれど、それすらも不要だったのだ。
間違いなく、幸せな未来が待ち受けているのだから。