作品タイトル不明
困った訪問者
「うわ、なんですかこの部屋……僕がいなかったこの十日の間に何があったというんですか?」
帝国内での小交渉を行うために、地方都市への出張を行っていたフェルナンドは、この短期間の間に変わり果てたユイの執務室に足を踏み入れて表情を引き攣らせる。
「ん? ……おお、フェルナンドお帰り」
目の前の教え子の動揺など知った様子もなく、積み上げられた本の合間から、この部屋の主は眠たげな表情のまま顔を覗かせた。
「お帰りじゃないですよ! なんなんですか、この書類と本の山は。一体どうしたというんですか?」
「ああ、それね……本に関しては、全部この国で購入した私物だよ。さすがにクラリスとは一味違う品ぞろえがあって、実に興味深くてさ」
フェルナンドの不在中、ユイは監督がいなくなったとばかりに仕事を投げ出すと、毎日のように帝都内の古書店へ足繁く通っていた。
そこで彼はクラリスでは見たことの無い無数の本の山を目にして、恍惚の表情を浮かべながら毎日のごとく大量の本を買いあさることとなる。そしてその結果として彼の部屋は、無駄に大量の本の山が積み上げられ、他にも大量の書類が散乱し、床さえ見えぬ有り様であった。
「まったく人の目がなくなると……って、ここに転がっている本は、付加魔法の大家アドラーの書ですし、そこに適当に積まれているのはエレンタムの魔法体系集じゃないですか。こんな貴重なものを乱雑に……いくら興味深いといっても、ものには限度というものがあるでしょ。というか、こんな高価なものをどうしたんですか? まさかとは思いますが、公費で購入していたりはしていませんよね?」
「えっ……ダメなのかい?」
「ダメに決まっているでしょう! 一応、現地資料や文化を調べるという名目で多少は公費で落とせますけどね、こんなに大量で無関係なものとなると理由のつけようもありません」
数えるのもばからしいほど無駄に買い込んだ本の山を目にして、フェルナンドは大きな溜め息を吐き出すと、目の前の上司をジト目で睨む。
「……フェルナンドのケチ」
「なんか言いましたか?」
子供みたいな事を口にするユイに対し、フェルナンドはわざと聞こえなかったふりをする。
その彼の反応を目にしてユイはポリポリと頭を掻くと、複雑な表情で書籍の山を見渡した。
「仕方ない。ならば、これは自分で何とかするとしようか」
「何とかって……こんな膨大な量をどうするつもりなんですか」
大量に積み上げられた未決済の書類の束と相まって、ユイの執務室はまさに紙の魔境と化している。
手近な範囲内だけで見渡すかぎりでも、フェルナンドにはとても普通の役職手当ではまかないきれない金額が使用されていると判断し、ユイの言葉の意味を問いただした。
「いや買った先がね、この国で最大の貿易商であるケンメル氏のお店だったからさ。だから、取り敢えず手元にお金も無いし、物々交換ができないか相談してみることにするよ」
「物々って……ユイさん何か交換できるようなものお持ちでしたっけ。もともと給料のほとんどを書籍に使っていると聞いていますし、なにか貴重な書物でもお持ち何ですか?」
「待ってくれ、なんで私が自分の書物を差し出さなきゃいけないんだい? はっきり言っておくけど、私の本は私の本だよ。そして世界中に転がっている本は、いずれ私のものになる本なんだ。向こうからこちらに来るのは良いけど、こちらから向こうにやるつもりなんて毛頭無いさ」
なんの躊躇もなくユイが堂々とそう宣言すると、フェルナンドに言いようのない頭痛が襲いかかり、彼は思わず右手で額を押さえる。
「……じゃあ、一体何を交換する気なんですか?」
「そりゃあ、うちの名産品さ」
あっさりと答えたユイの言葉を耳にして、その意味が理解できずフェルナンドはその場に固まる。そしてすぐに目の前の男がレムリアック伯爵であることを思い出すと、今回の取引相手の素性を踏まえて、ユイが口にした言葉の真の意図に彼は気がついた。
「名産品……まさか本の代金という口実で、ケンメル氏と接点を持つおつもりですか? つまり魔石の帝都における販路を広げるために」
「まあ、そこまでうまく行くとは考えていないけどね。正直言って、五日間待ってもらっている代金を支払うことが先決さ。それが最優先事項であることは事実だよ」
口ではそうは言いながらも、ユイは王都での販路拡大に苦労しているオメールセンに対し、一つの筋道を作ってあげることを脳内で描いていた。もちろん純粋に本を手に入れたいという欲求も真実ではあったが。
「はぁ……なんか本当にあなたって、計算の上に動いている人なのか、行き当たりばったりで動いている人なのか、僕には全くわからなくなりましたよ」
ユイの言葉がどこまで本気で、どこまでが冗談なのかまるでつかめないフェルナンドは、思考することを放棄して、その場で溜め息を吐く。
「……なんかあまり誉められている気がしないんだけど?」
「全くもって誉めていませんからね。それで取り敢えず本は置いておくにしても、こちらの書類の山はなんですか?」
本よりはその数は少ないものの、大地から根を生やしたように積み上げれた何柱かの書類の柱にフェルナンドが視線を向けると、ユイは頭を掻きながらそっと視線を逸らす。
「ああ、それ……ね。いや、それは君の分のお仕事」
「は?」
ユイが口にした言葉の意味が理解できなかったフェルナンドは、口をぽかんと開けてただ一言言葉を発する。
そんな彼の反応に弱った笑みを見せながら、ユイは視線を逸らしながら言葉を続けた。
「いや、私が代わって上げても良かったんだけど、なんか不備があるといけないからさ。だから君がいない間の書類関係は、一応そのままにして置いた」
「単純にめんどくさかったんじゃないですよね? というか、この散らかし様はあの人にそっくりですよ」
今のこの部屋の状況が王都のある男の部屋と重なり、フェルナンドはあの師あってこの弟子ありとばかりに、溜め息を吐き出して呆れ果てる。
すると、フェルナンドの発言が誰を指しているのかを理解したユイは、首を左右に強く振ってそれを否定する。
「おいおい、あの引きこもりの爺さんと一緒にしないでくれ。あの部屋ほどは汚くないはずさ。うん、たぶん」
幽霊教授と同じ括りにされた事に対し、明らかに不満気なユイは、自らの部屋の惨状を無視してそう口にする。
「はぁ……これがクラリスの英雄だと言うんですから、困ったものです」
「まあ、人には得意、不得意というものがあるからね」
「こんな有り様を前にして、無駄に胸を張らないでください。というか、そこの溜まっている書類の束ですが、ユイさんならこんな書類仕事が不得意なわけがないでしょ」
もともとユイと共に研究を行ったこともあり、やる気さえあれば目の前の男は事務作業もきっちりとこなせる男と言うことをフェルナンドは知っていた。それ故に、彼は不服さを隠しもせず、頬を膨らませながら抗議する。
「えっと、だったらさ、向き不向きというものがあると言うべきなんだろうね」
「ああいえば、こういうんだから……」
目の前の男にまったくやる気がないことを悟ったフェルナンドは、これ以上彼に向かって詰問することの無意味さを理解すると、諦めの境地に達してどの山から取りかかるかを考え始める。
そうしてフェルナンドが覚悟を決め、最初の山を攻略しにかかろうとしたタイミングで、突然部屋のドアがノックされるとアレックスが二人の前に姿を現した。
「ユイ、お客さんだよ」
「へ? 特に今日はだらだら本を読んで過ごす予定だったのに、客?」
「今、本音がでましたね。さぼる気だったんなら手伝ってください」
ユイの言葉を耳にしたフェルナンドは、思わず棘のある口調でそう口を挟む。
「いや、今のは無し。お客さんに会わないといけないから、私は忙しいんだ……と言っても、この時間に来る客って、また彼じゃないだろうね?」
最近頻繁に通って来る人物を脳裏に浮かべ、ユイはアレックスに問いかけると、彼はいつものキツネ目をわずかに細めて首を縦に振る。
「いや、いつもの人物さ。というか、もうここまで来ていてね」
「やあ、イスターツ。昨日ぶりだな」
アレックスが紹介をするまもなく、彼の背後から若い偉丈夫が姿を現す。
するとその姿を目にしたフェルナンドは、手にした仕事の書類をその場に落として、思わず目の前の人物の名を口にする。
「の、の……ノイン殿下!」
ユイの執務室に軽い足取りで入ってきたのは、まがうこと無く帝国の皇太子であるノイン・フォン・ケルムその人であった。