作品タイトル不明
次期皇帝
「それで今日は何の用なんだい、ノイン?」
ユイは頭を掻きながら、何も言わず向かいの席に腰掛けたノインに訪問理由を問いかけた。
「おいおい、あんまりではないか。友人が用もなく茶を飲みに来てはいけないのか、イスターツ」
「毎日毎日、こんな昼間に遊びに来るのはどうかと思うけどね……だいたい君は一応この国の皇太子なんだろう? その上、軍部を預かる身だ。戦争前のこの忙しい時期に、無関係の国の大使館になんて来ている暇はないと思うけど」
困った人物を見る目でユイがノインに視線を送ると、彼は悪びれもせず肩をすくめて見せる。
「もちろん忙しいさ。だけどその暇を割いて、こうして来てやっているんじゃないか。そのあたりを理解するのも、皇太子に訪問された国側の大使の仕事だと思うが」
「残念ながら、それは大使の給料の中には入っていないよ。もしそんなことまで仕事の内なんだとしたら、やはり私には向かない仕事なんだろうね。早くクラリスに帰りたいものだよ」
「おいおい、その言い方だとまるでうちの国に不満があるみたいではないか。訂正を求めたいな」
「戦争前の国に居たい奴なんかいないさ。それはともかく、ノイン。さっさと今日の本題に入るつもりはないかい? 私の昼寝の時間が押しているんでね」
ユイは大きな溜め息を吐き出すと、椅子の背もたれに体重を預けながら返答を待つ。
そんなユイの態度を目にして、ノインは仕方ないとばかりにソファーで組んでいた足を組み替えると、ユイに向かって口を開いた。
「まあ本題を早く切り出せと言うならやぶさかじゃないさ。どうせ頼んでも無駄な用件だしな」
「無駄? 一体、どんな難題を話しに来たんだい?」
「ああ。実は今度の魔法公国との戦いにおいて、お前の参戦を頼みたい。今日はそれを伝えに来た」
何気ない頼みごとのようなあっさりとした口調で、ノインはとんでもないことをさらりと言ってのけると、ユイはさすがに呆れた表情を浮かべる。
「また、ストレートにきたものだね……と言っても、答えは決まっている。私は今回の戦いに無関係の国の大使なんだからね。当然答えはノーさ」
「ほら、どうせそう答えると思った。だからすぐには言い出さなかったんだよ。これで私は軍議を抜けてここに来るための口実を、完全に失ってしまったじゃないか」
「口実?」
ノインの言葉に引っかかりを覚えると、ユイは思わず眉をピクリと動かす。
「ああ、口実さ。ユイ・イスターツを味方に引き込むために、皇太子自ら足を運んでいるというお題目のな」
恨めしそうな瞳でユイを見つめながら、ノインは道化がかった仕草で両手を左右に広げる。
「なんていうか、まあ……抜け出したいなら抜け出したいと正直に言えばいいのさ。一日通して軍議をしたって、別に画期的な作戦案が出るわけでもないんだからね」
「おいおい、そんなこと言えるわけが無いだろ。それに建前と言うのは大事なんだ。お前も軍の所属ならそれくらいはわかるだろ?」
「そりゃあ、わからなくはないけどさ。でも別に息抜きしたいなら、自室なり、王宮内の奥方の部屋なり、どこででも休憩すればいいじゃないか」
ユイは目の前の人物に呆れながら、暗にたまには他のところで休憩しろと告げる。
そんなユイの思惑など理解した上で、ノインは彼に向かってあっさりとその提案を跳ね除ける。
「ふん、別に俺の息抜きが目的ではないからな。俺があの城にいるだけで、部下たちは気を使うし、伺いを立てねばならなくなる。それに俺がいればあいつらが議論しづらい内容もあるだろうしな。たまにはあいつらに自由に話し合える時間を作ってやることも大事なんだ」
「それはそうかもしれないけどさ、部下たちに議論させるために、他国の大使館に遊びに来るなんて話は聞いたこともないよ。しかしまあ、城にいるだけでも気を使うなんて、偉くなるとは不自由極まりないものなんだね。まったく出世などしたくはないものだよ、本当に」
目の前の男に対してやや憐れみの目線を浴びせながらユイはそう口にすると、ノインは心外だとばかりに反撃する。
「おいおい、お前はクラリスから来ている中では最上位なんだ。はっきり言ってやるが、俺とは逆の意味で、絶対お前の周りの連中は苦労していると思うぞ。これは予想じゃなく確信だ」
最近ようやくユイの性格を掴んできたノインは、目の前の男が他人ごとのようにのたまうことに対してすぐに苦言を呈する。
一方のユイは、脳裏に例外となる二人の赤髪を思い浮かべながら、ノインに向かって言葉を返した。
「ふむ、うちの連中の中には私のことなんて気にしない例外も多そうだけど……でもね、どちらにせよ私は私さ。今さらこの歳になって、他の振る舞い様なんてできるはずもない」
「というか、何で俺たちは、周りが自分に対して気を使うかどうかの話をしているんだ?」
「いや、最初に君が言い出したんじゃないか」
話を脱線させた張本人を残念な目線で見つめながら、ユイはため息混じりにそう告げる。
「むっ……そうだったか。まあ、この際それはどうでもいい。それよりもだ。まじめな話、本当にうちの軍を少しでもいいから手伝ってくれないか。軍の統括者として、正直お前の力は喉から手がでるほど欲しいんだ。例え無理だとわかっていてもな」
先ほど口にした時とは違い、明らかに真面目な表情を浮かべながらノインはユイに向かってそう口する。
しかしながらユイからの返答は、先ほどと大差のないものであった。
「あのさ、無理だとわかっているなら素直に諦めてくれよ。だいたい、私に手伝わせて何ができると言うんだい? たった一人手伝ったところで、今度の戦いの結果が変わるわけないだろ」
「そんなことはないさ……何しろ数年前に完全な勝利を確信して、侵攻のゴーサインを出した作戦を、たった一人の男にひっくり返されたこの俺が言うんだ。こんな説得力有る勧誘はないだろ? そうは思わないか、クラリスの英雄殿」
やや自嘲気味にそう口にしながら、ノインは苦笑いをユイに見せる。
その言葉の中に込められた意味に対して、ユイは弱ったように頭を掻くと、肩をすくめながら返答を返した。
「あれはさ、たまたま条件がそろっていただけだよ。あんなこと二度とはできないだろうし、試みるつもりも無いね」
「ふん。たとえ条件が整っていたにしろ、された側の当事者としては、あんなことされたらたまったものじゃないさ」
「あのね、君は僕の所へ愚痴を言いに来たのかい?」
ジト目で自分を睨んでくるノインに対し、ユイは困った様に頭を三度掻く。
「いや、また少し話がそれたな。私の悪い癖だ。どうも親しいものと話すと、話の本筋を見失ってしまう」
「親しいもの……ね」
「いや、こうやってお前と話すようになるまで、クラリスのユイ・イスターツという男は悪魔か何かと思っていたんだ。その時は、まさかその悪魔の中身が、こんな適当な男だとは夢にも思わなかったさ」
この部屋を訪れる度に、明らかに増加していく書類と本の山を見回しながら、ノインは首を左右に振りつつ苦笑する。
「あのさ。他国の外交大使に向かって、適当はないだろ、適当は」
「じゃあ、違うというのか? 私が来る度にこんなに処理すべき書類の束が増えているというのに」
手近にあった山から一枚の書類を取り上げて、ノインは呆れたようにそう口にする。
「おいおい、勝手に見ないでくれよ。うちの国の機密文書も混じっているんだから」
「だったら、見られないように機密文書くらいはちゃんと管理しろよ」
「これは部下のために残している仕事だからね。私がなんでもしていたら、彼らの仕事がなくなってしまうだろ? 私は部下を失業させたくはないんだ」
明らかに取ってつけたような言い訳をユイは口にすると、ノインは肩をすくめながら目の前の男に向かい苦言を呈する。
「やはりお前の周りの連中は苦労しているぞ。これは確信じゃなく確定だ」
「それはきっと、君の周りもだよ。ノイン」
自分とは対照的に、基本的には非常に細かい性格のノインに向かい、ユイは溜め息混じりにそう述べる。
「はは、まあ確かに……な。しかし明日からどうしたものかな。ここに来る理由を失ってしまったら、本当に愚痴を聞いてもらう先がなくなってしまう」
「やっぱり愚痴を吐くのが主目的だったのかい? まあ、どうせそんなところだと思ったよ。だけど、愚痴を吐く相手くらいなら、私の他にもいるんじゃないかい?」
「あのな、この私に対してそこまで砕けた物言いをするのは、父を除けばこの国でお前くらいなのだぞ。戦争を前にして、他の奴に愚痴など聞かせられるものか」
表向きは抗議するかのような内容ではあるも、ニヤニヤとした笑みを浮かべながらノインはそう述べる。
その言葉を耳にしたユイは、あまりぴんとこない表情をしながら、彼に向かって言葉を返した。
「ふむ、そう言うものかなぁ。まあ、別に君が来ている間は書類仕事をせずに済みそうだから、別に愚痴を聞くくらいは構わないんだけどね。でも正直言って、王族や皇族の悩みなんてわからないよ。何せ根が庶民だからさ」
「今はお前も貴族だろう。それも我が国の明日を左右できるだけの」
自国の弱点を握っている目の前の男にノインはそう口にして笑いかけると、ユイは両手を左右に広げる。
「私自身には実感がないけどね」
「なるほど、そう言うものか。だとしたら……いや、だからお前は強いのだな」
「……一体、何を言っているんだい?」
突然ノインが言い出した言葉の意味が分からず、ユイはいぶかしげな表情を浮かべて首を傾げる。
「わからんか、お前にはお前を縛るバックボーンがないという事だ。それがお前の自由さや強さ、そして魅力なんだろうな」
「そんなものかなぁ。どちらにせよ、私にはわからないさ。自分のことはね」
ノインの発言に対し、ユイは二度首を左右に振り、肩をすくめる。
「お前には嫉妬しているんだよ。私は名目上は皇太子だがな、あまり父に誉められた記憶がない。しかも最近は、私のことなどよりおやじ様は別の者に夢中なのだ。嫉妬したくなるのも当然だと思わんか」
「男の嫉妬はみっともないよ。というか、誰に夢中なんだい、あの茶飲み親父さんは」
「お前だよ」
「まったく……私にはその手の趣味は無いのだけどね」
予期はしていたものの、改めて予想通りの言葉を述べられたユイは、困った表情を浮かべて話を逸そうとする。
するとその反応を目にしたノインは、満足そうな表情を浮かべながら、口を開いた。
「おいおい、馬鹿かお前は? お前の人柄や能力に夢中だと言っているのだよ」
「そう言われてもね……さっき君が言ったことじゃないけど、正直言って私はこの国の敵みたいなものだよ」
その場の会話の主導権を握っているという余裕からか、ノインがニヤニヤした表情を浮かべていることに気がつくと、ユイは皇太子という肩書を身にまとう子供っぽい青年に対し呆れた表情を浮かべる。
「ふふ、だからこそだ。だからこそ、他の誰よりも痛い目を見た我が国が、そしてそのトップである父が貴様を評価しているというわけだ。娘のミリアを嫁がせようと考えるくらいにな」
思わぬタイミングでノインの口から吐出されたこの爆弾には、さすがのユイも絶句して口をぽかんと開ける。
そして幾ばくかの時間の後に、ユイは苦い表情を浮かべると、やや低い声でノインへと問いかけた。
「……やはり本気なのかい?」
「既に会ったのだろう、あいつとは」
「ああ、二回ほど……ね」
「あいつは他の姉たち以上に、親父さんに溺愛されているからな。パーティーの席など、不特定多数の人数がいる場を除けば、これまでは身内以外の男などに一人たりとも会わせることはなかったんだ。それが親父さん同席の上とはいえ、一対一で会ったのだろう。普通はありえんことだよ」
ノインは目の前の男の余裕のなさを心底楽しんでいる表情を浮かべ、満足そうにそう言い放つ。
「そう言われてもねぇ……正直言って、今の段階では身分が釣り合わないだろう?」
「身分など関係ないさ。別にお前ならな。それに俺としても、あいつがお前と結婚するのは構わん。お前みたいな義弟ができるのも楽しそうだからな」
追い打ちのようなその言葉に対し、ユイは露骨に頬を引き攣らせると、頭を掻きながら否定する。
「勘弁してくれよ。せっかく気楽な独身生活を謳歌しているんだ。今はそんなつもりはないよ」
「でも恋人さえいないんだろう?」
「いないんじゃなくて、作らないだけさ……って、なんでそんな事まで君が知っているんだい」
自らのプライベートな情報を、他国のそれも皇太子が知っているという事実に、ユイは眉間に皺を寄せる。
「うちの諜報部は優秀だからな」
「あのさ……そんな優秀な人材を、私のプライベート調査なんかに使うなよ」
心底呆れたような表情を浮かべながらユイはそう告げると、ノインは肩を揺すって笑い出した。
「はは、すまないな。一応断っておくが、お前の素行を調査させようとしたのではなくて、お前に四六時中張り付かせていた連中からの報告に、ただ情報として入っていただけだよ」
「調査対象に、お前のことを調べていると言ってどうするんだい、全く」
「まあ、それもそうなんだが、それぐらいはどうせうち以外からもされているだろ? それにあまり詳しい調査をしようとすると、お前の周りにいる怖い赤髪の男や例の普段は姿を見せない黒髪の女に、大事な調査員が消されてしまうからな。正直な事を言えば、その程度の報告くらいしか上がってこないんだよ」
全く以って調査対象に伝える内容では無いことを口にすると、ノインは目の前の冷め始めたコーヒーに口を付けた。
その姿を目にしたユイは、吐き出しかけた文句を飲み込むと、自らを落ち着かせるように目の前のコーヒーを一気に飲み干す。
「……以前、君は私と気質が似ていると言ったけど、あれは撤回させてもらうよ。考えていた以上に、君は困った人だ」
「おいおい、それは間違いだろ。やはり俺たちは能力を除けば本当によく似ている、その内面がな。ふふ、それにこんな話はおまえ以外のところではしないさ。そこがやる気なしと呼ばれるお前と違うところだ。はっきり言って、世間一般では俺の方が数百倍はまともだと思われているからな」
「そんな外面の競い合いをして、なんの意味があるんだよ……まったく」
ユイが両腕の力が抜けたように地面に向かってダランと下げると、大きな溜め息を吐き出した。
「はは、やはりおまえと話しているとおもしろいな。まあそれはそれとしてだ。直接手伝うのがダメだとしたら、作戦案の相談ぐらいはのってくれるよな?」
「またか……昨日も南部のエーデミラス城塞への補給計画立案を手伝ったところじゃないか」
昨日もなんだかんだ言いながら、この部屋に長居して作戦案の詰めを手伝わされたことを口にし、ユイは目の前の男に向かいジト目を向ける。
「おいおい、そう言うなよ。俺とお前の仲じゃないか」
「どんな仲だよ。まったく……それで、今日は何を私に考えろと?」
呆れたような表情を浮かべながら、ユイは二度頭を掻く。
一方、その仕草を目にしたノインは苦笑をしながらも、遠慮することなく口を開く。
「おお、聞いてくれるか。では、遠慮なく話させてもらう。今回の戦いでおそらく最初に奴らとぶつかるのは南部にあるエーデミラス城塞と考えているのは先日話したとおりだ。そこに我が軍の南部方面軍と帝都の魔法士隊を全て動員するつもりでいる」
「帝都の魔法士隊と南部方面軍だけか……つまり緒戦で全軍を投入するつもりはないというわけかい?」
「無理だな。我が国の隣にあるあの国に隙を見せる訳にはいかない。例え奴らが愚鈍な亀であろうと、奴らの軍部までがそうだとは限らないからな」
大陸西方にある二大大国のもう片割れであり、帝国の東に位置している民主国家のことを脳裏に浮かべながら、ノインは首を左右にふる。
昨日と同じその回答を耳にしてユイは頭を掻くと、彼は具体的な作戦案に言及した。
「確かに……ね。それで一つ確認しておきたいのだけど、帝都から送る魔法士たちは――」
「ああ、もちろんグレンツェン・クーゲルを扱える部隊だ。少し編成に時間がかかっているが、我が軍の主力と言ってもいい」
「なるほど、魔法士部隊を再建したというわけだね。ふむ……確かに切り札である彼らを優先して初戦に投入するのは私も正しいと思う。キスレチンを除けば、この国に対して別ルートからの侵攻の可能性も低いだろうしね。ただ……」
「ただ?」
わずかに言いよどんだユイの言葉に、ノインはわずかに前かがみとなると先を促す。
「増援として送るなら、魔法士の単独編成は危険だな。今回は敵も魔法士だ。魔法士ゆえの欠点も知り尽くしている。早期に合流して、城塞内に全軍が収納できるのなら話は別だろうけど、あの城塞はそんな規模では無かったよね。そうなると、軍の一部は城塞外に配置しないと意味が無い。そしてあの集合魔法の性質を考えると、彼らは真っ先に外に配置することになるはずさ。だからこそ、彼らが各個撃破の的にされることを一番に留意すべきだろうね。そしてそれゆえに、出来る限りの護衛部隊を、彼らには付けさせるべきだと思う」
「護衛部隊をか……うむ、それはそうだが」
ユイの発言が正論であることはノインにも理解できていた。しかしながら、彼は先程も言及した懸念事項があるがゆえに、ユイの提案に対し言葉を濁す。
「キスレチンに対する予備兵力を置いておきたい気持ちはわかるさ。だが、彼らには彼ら向けの対処の仕方がある」
「キスレチン向けの対処?」
ユイのその言葉を耳にして、ノインは目をわずかに光らせる。
「ああ。キスレチンの指導者たちは、あくまで国民の代行として、人民の支持のもとに政治を行っているというお題目を掲げなければならない。何しろそれこそがあの国の理念なのだからね。そしてそこにこそ、付け入る隙がある。そうだね、もし私ならば――」
既に先手を打っている可能性のあるこの国の支配者のことを脳裏に描きながら、ユイはノインに向かい一つのプランを口にした。
その内容を耳にしたノインは、喉の渇きを強く覚える。そして、口の中に残る僅かなつばを集めると、彼は乾ききった喉の奥へと流し込んだ。