作品タイトル不明
ユニバーサルコード
ロマオウリ地区。
それはクラリス王国の南部国境に接し、レムリアックでも最も南の方に位置する地域である。この地域は昔から多数の魔石の採掘報告があり、国内でも最高の魔石埋蔵量を誇る地区ではないかと噂される地域である。
では、これまでなぜ噂止まりで埋蔵されている魔石の採掘が行われないのかというと、それはこの地域が国内でも最高のルゲリル病の発症地域とされているためであった。
それ故に、これまでのこの土地の支配者も、そして一攫千金を夢見てこの土地に流れてきた者も、ロマオウリ地区に手を出す者はほとんどいなかった。
そうした背景の為に、昔からここに住み続けているわずかなルゲリル病の既感染者のみが、この地域に居を構えほそぼそと暮らしていた。そう、ユイ・イスターツがこの土地へと移住するまでは。
「ユイ君、調子はどう?」
ユイがこの土地へ住み着いて二週間。この地域の外から初めての彼の住居へと訪問した者は、彼の級友であるセシルであった。
「やあ、セシル。うん、なかなか悪くないよ。ここは自然が多くて素敵な地域だしね」
彼女の優しい笑顔を目の当たりにしてわずかに照れを感じたユイは、窓からポツポツとしか家が見当たらない過疎の村へと視線を移して、そう返答する。
「そうなんだ。確かにこの辺りはほとんど開発されていないから、全て昔のままだからね」
「さすがに道が全く整備されていないのには参ったけどね。お陰で荷物を運ぶのが大変だったよ」
頭を掻きながらユイはそう口にすると、引越しをする際の苦労を思い出す。
クレイリーに家を手配させたのはいいが、ユイは彼等のこの地域へ立ち入ることを厳重に禁じてしまった。それ故、ほとんどの道が舗装や整備をされていないこの村への転居を、彼はほとんど一人で行い、しばらくは何もする気力がわかなかったのである。
とはいえ、彼の部下たちにこの話をすれば、「たとえ苦労しなくとも、どうせ何もしなかったでしょう」と呆れられるのは明らかだったが。
「仕方ないよ。ここは本当に昔からこの土地に住んでいる人しか残っていないから」
「でも、みんないい人達だよ。最初ここに来た時はさ、ここの人たちはみんな心配して、入れ替わり立ち代り私を説得に来てくれたしさ。でも、私が居座るとわかったら、なんか優しくしてくれて。昨日なんか、隣のおばさんが大根を分けてくれてね」
この土地に引っ越した際に、昔からここに住む人たちはユイに対して危険だと多くのものが忠告に来た。しかしユイの意志が硬いと知ると、もともと穏やかで優しい気性の彼らは一転して、この珍しい移住者を一様に歓迎してくれたのである。
そうしてこの土地に引っ越して来て間もないにもかかわらず、この村の人々はこの風変わりな領主様を好きになり、ユイも彼等に対し親愛の情を抱き始めていた。
「……あのね、ユイ君。今更かもしれないけど、こんな危険なこと辞めない? こんな言い方するのは自分でもどうかとは思うけど、別にあなたが実験台にならなくても、他にいくらでも人がいるじゃない」
村の話を口にしてニコニコと笑顔を見せるユイに対し、セシルは突然真剣な表情となると、やや躊躇いながらも彼に向かい一つの提案を口にする。
「心配ありがとう……そうだね。君が言うように、他の人間をこの地へ送ることを考えていなかったといえば、正直嘘になる。でもね、私にはその選択肢は選べないよ」
「でも、君のためならっていう人はきっと少なくないよ。私がもう一度ルゲリル病に罹れるのだったら、私だって君の代わりになるつもりはあるもの」
決して建前だけでそう言っているわけではなく、本気で彼女がそう考えていることは、そのユイへと向けられた彼女の大きな瞳が雄弁に告げていた。だからこそユイはすぐに拒否の意を示さず、一度ゆっくり左右に首を振った後に、優しく彼女に語りかける。
「……気持ちだけは受け取っておくよ、セシル。でもね、自己満足というか、自己中心的な考えかもしれないけど、私は私の目に届く範囲にいる人をできる限り犠牲にしたくないんだ」
そう口にしながらも、戦いの際にいつも彼等を矢面に立たせていることにユイは思いが至り、その自己矛盾に顔をしかめて頭を掻く。
すると、そんな彼の仕草を目にしたセシルは、改めて彼に向かい訴えかけるように語りかける。
「……でも、この国には必ず君が必要だと思うの。万が一、ここであなたを失うことになれば、この国は――」
「私に消えてもらいたいと思っているこの国の人も少なからずいるようだけどね……冗談だよ、そんな怖い顔をしないでくれるかな」
貴族院の面々のことを脳裏に描きながらユイはセシルの言葉に被せるようにそう発言すると、とたんに彼女は彼を強く睨みつける。
その強い意志を感じさせるセシルの視線に根負けしたユイは、仕方ないという表情を浮かべて本音を口にする。
「真面目な話をすると、自分で試すのが一番上手くいく確率が高いと思っただけだよ、本当に……それにあんまりグズグズしているとクレイリーやカインスが発病するかもしれないからね」
僅かに遠くを見るかのように視線を天井へと向けると、ユイはそうはっきりと言い切った。
そんな彼の姿を目にしたセシルは、昔から一度決めたことは曲げない彼の性格を思い出して溜め息を一つ吐き出す。そして渋々説得することを諦めると、多少未練がましい口調で彼に向かい呟いた。
「君が彼らのことを思っているのはわかっているわ。でも、君以上に彼らも君を心配しているのよ……本当に君は昔からそう。最後は全部自分で片付けようとする。本当に君はエゴイスティックよね」
「……だから否定はしないさ、さすがに多少の自覚はあるからね。でも、仮に何度人生をやり直そうとも、私はたぶん他のもっと賢い方法を取ることはできないよ。おそらく何度失敗しようとも、私はこの生き方を選び続けると思う。私がユイ・イスターツであり続ける限りはね……って、止めよう止めよう。せっかく君みたいな美人がここに来てくれたんだ、湿った話はここまでにさせてくれないかな」
ユイは頭を掻きながらそう口にすると、腰掛けていた椅子から立ち上がり、台所へ向かって歩き出す。
「ユイ君……」
「セシル、コーヒーでも飲まないかい? 実はここに来てからすることがないので、だいぶコーヒーを淹れるのうまくなってね」
言い足りないといった表情を浮かべるセシルに対し、ユイは苦笑いを浮かべながら話題を逸らすようにそう提案する。そしてユイはセシルの返事を待つこと無く二人分のコーヒーカップを手にしようとしたまさにその時、突然彼の腕はすべての力が抜け落ちてしまったかのように地面に向かってまっすぐに垂れ下がった。
そして次の瞬間、彼が手にしていたコーヒーカップは把持されていた力を失い、そのまままっすぐに地面へ向かって落下して大きな音と共に砕け散る。
「ユイ君!」
そのユイの一連の動きを目撃したセシルは、ユイの身に起こった事態を察して、悲鳴に近いような大きな声を上げる。
すると、ユイは脱力して地面に向かい垂れ下がる左腕をまだ力の入る右腕で支え、やや引きつった笑みを浮かべる。
「これは、いよいよということかな……はは、本当にロマオウリまで足を運んだ甲斐があった。セシル、これはルゲリル病の初期症状で間違いないよね」
「え……ええ。腕や足の脱力から始まって、そのまま心臓や呼吸が止まってしまうのがルゲリル病。私が幼いころに罹った時も、最初は足の力が入らなくなったそうよ」
セシルは母親から聞かされた彼女の幼いころの出来事を、震えながら彼に向かって説明する。すると、ユイは僅かに顔を歪めて、ニヤリと笑った。
「はは、時は来たってことかな。それじゃあ、情報の海に漕ぎ出してみるとしようか」
ユイはそう口にすると、ゆっくりと両目をつぶり、二週間前まで毎日セシルの前で披露してきた呪文を唱える為に精神を統一する。そしてゆっくりと自らの体の奥底へと意識を傾けると、彼の口から力ある言葉が発せられた。
「ユニバーサルコードアクセス」
その呪文を口にした瞬間、ユイの認識は周囲へと拡散するかのように広がりを見せ、そしてそれとともに彼の意識は現実との境界を失い始める。その自らが世界へ溶けだすかのような感覚が彼を襲い始めると、次の瞬間には情報の波が彼の脳に向かって雪崩のように押し寄せ始める。
ユイはその一気に押し寄せてくる急速な情報の波に襲われて、自分の脳に負荷が掛っていくことを感じ取る。自分以外のものが大量に体へと流れ込む感覚、その苦痛ともいうべき感覚を必死に抑えこみながら、ユイは襲いかかるかのような情報の波の中から自らの望むものを必死に取捨選択して手繰り寄せる。
「……なるほど、先週見た自分のコードとここが大きく変わっている。この部分を書き換えていくことが、おそらくルゲリル病の本質でありキーコードというわけか。なら、これにムラシーンの使っていた魔法構成をお借りして、セシルの同部位に書かれていた治癒後のコードを組み込めば……うっ!」
仮説に仮説を重ねた魔法式を情報の過負荷で苦しむ脳内で構成しようとしたユイは、突然体の中の血が燃えたぎるような感覚を味わう。そして次の瞬間、糸の切れたたこのように体中の力が失われた。
「ユイ君、ちょっとユイ君! しっかりして!」
セシルの目の前でユイは痙攣するかのように全身を一瞬震わせると、スローモーションのように地面に向かい前のめりに崩れ落ちていく。その姿を目にしたセシルは、悲痛な叫び声を上げる。
そして彼女は泣きそうな表情を浮かべながらユイに向かって駆け寄ると、彼の名前を叫びながら何度も何度もその体を揺さぶった。