作品タイトル不明
レムリアック
レムリアック。
それはクラリス王国南西に位置し、ノバミム自治領との国境となる地方の名称である。
かの地は古来より非常に純度の高い魔石が取れることで有名であり、クラリス王国が建国される以前は、一攫千金を夢見て定期的に移住するものが後を絶たなかった。今では当時のことを魔石狂時代と呼ぶ。
この『狂』の一字は一攫千金を夢見て踊らされた人々を指すこともあるが、その本質は違う。魔石狂とはレムリアックへと夢を抱いて旅立ち体を狂わせていった者たちのことを呼ぶのである。
そしてその人々の体を狂わせた病のことを、レムリアックで最初に発見された魔石鉱山の名前からいつしかルゲリル病と呼ぶようになっていた。
ルゲリル病とは現在では別名で筋硬化症とも言われる病であり、王国内でも三大奇病に指定されている。この病に罹れば体の筋肉が次第に動かなくなっていき、最後には呼吸筋や心筋の動きを止めてしまうという、まさに恐るべき死の病である。
この病に掛かったものは、少なくない者が死に至るが、中には病を克服して以後二度とかからない者もおり、現在彼の地に暮らす者の多くはかつてルゲリル病にかかり治癒したものが多い。そうして、そんな少数の人々が現在も彼の地に住んで魔石生産に従事している。
しかしながら、そのように病を克服さえすれば働くことができるとはいえ、それは無数の屍の上で生存を果たしたものに過ぎず、いくら潤沢に魔石がある土地といえども、これまではほとんど開発がなされていなかった。そう、これまでは……
「旦那、これはひどい田舎でやすね。本当にこの領地の中心地なんですかい?」
「ああ、そうだよ。ここがレムリアックの中心地のアモキサート市さ。っていうか、クレイリー。地方に来てひどい田舎って言うなんて、お前もすっかり王都生活に馴染んじゃったんだな。正直、私は寂しいよ」
クレイリーに向かって冷めた視線を浴びせながら、ユイは首を左右に振ると溜め息を吐く。
「……旦那、流石にここはカーリンよりも明らかに田舎ですぜ。別に田舎ってぐらい、言ってもいいじゃないですかい」
「ははは。でも、兄貴。うちの実家の村もこんな感じでしたよ」
クレイリーがジト目でユイを睨みながら反論を口にするも、後方からカインスが爽やかに笑いながら二人に向かってそう口にする。
今回のユイのレムリアック行きに関して、親衛隊からも数名人員を出すこととなった。そしてその人員の選定にはユイは二つの決め事を作った。それは彼より若いものは連れて行かないことと、希望者のみで構成することである。
ユイ自身としては今回のレムリアック行きは私用に近いものであり、それを口実に誰一人同行者を連れて行かないつもりであった。もちろん彼の本心は、ルゲリル病に同行者が罹る可能性を懸念してのものである。
しかしそんな彼の思惑とは異なり、少なくない親衛隊の兵士がユイと同行することを強く希望し、中には彼に向かって脅迫まがいの言動を口にする同行希望者まで現れるに至った。それ故、彼は前述のような条件を出すに至ったのである。
そうした条件のもとで、親衛隊の中でもっともおっさんであり、カーリン時代からユイにつき従う二人を、しぶしぶ同行させることとなったのである。
もちろんこの人選は他の大多数の親衛隊員、中でもこれまで常にユイの影として活動してきたクレハの激怒と引き換えの決断であった。
紆余曲折はあったものの、最終的に今回の同行者が決まると、選ばれたクレイリーは当然の人選だとばかりに胸を張った。彼としては自分がいなければ誰もユイの手綱を握れるものがいないと考えており、それを皆の前でも豪語していたのである。しかし、彼がカーリン時代からユイと共謀して共に問題を引き起こしてきたことは周知の事実であり、親衛隊の皆の期待は比較的常識人に近いさわやかな筋肉ダルマに集まることとなった。
「しかしカーリンか。懐かしいな……確かにカインスの家はカーリンの中でもかなり田舎だったよね。親父さんは元気にされているかい?」
「ええ、今でも元気にしてますよ。ラインドルから帰国してお休みを頂いたじゃないですか。実はその際に帰郷してきたんですよ。もっともおやじの奴は見事に入れ違いで、王都に商品の買い出しに出ていたんですがね。ほんとにいい年なんですが、未だに若いつもりでいますから」
カインスはニコニコした笑みを浮かべながら、ユイ達に向かって帰省時のみやげ話を口にしていく。その話はカーリン出身のクレイリーはもちろん、ユイにとっても懐かしい記憶を呼び起こすものであった。
「しかしカーリンもこのレムリアックからならそんなに離れていないよな。たぶん次に自宅に帰る時はそんなに時間がかからないんじゃないか?」
「そうですね。またこちらでお休みを頂けたら実家に帰らしてもらいますよ」
「そうか、その際は私も同行させてもらおうかな。久しぶりにカインスのおやじさんと酒を飲むのも楽しそうだしね」
ユイはカインスの実家に訪れた際に、おやじさんと酌み交わした酒の味を思い出し、思わず頬を緩ませる。
「旦那……なに仕事始める前から、休みの日のことばかり考えているんでやすか。取り敢えずは、やっと到着したんですから、だらだらする前に役所の方に行きやしょうぜ」
「はいはい、そうしようか。確かにいい加減これだけの荷物を運びながら移動するのにも疲れたしね」
ユイはそう口にすると、大量に荷物を括りつけた馬を引くスピードをほんの少し早める。
「それで、隊長。この旅の間、ずっと気になっていたんですけど、その隊長の大量の荷物は何が入っているんですか?」
「これかい? ああ、これはアズウェル先生からの餞別だよ。田舎に行ってワシの目が離れてもサボらないようにと、宿題をいっぱい出されちゃってね」
ユイは馬の荷をポンと叩くと、苦笑いを浮かべる。
今回のレムリアックの旅路につく前に、アズウェルから必ず必要になるからと、魔導書や医学書、魔石の国内分布図、そしてルゲリル病に関する資料などを大量に持たされたのである。そのせいでユイは、彼の愛用の枕とシーツの持参を泣く泣く断念していた。
そうして三人が周りの住民に道を尋ねながらこのレムリアックの中心地であるアモキサート市の市役所へと到着するのは、もうすぐ日が暮れようかとする夕暮れ頃であった。
「なんとか日が落ちる前につくことができたね。しかし、ここが市役所か……なんともまぁ」
ユイは目の前のボロボロの建物を眺めやり苦笑いを浮かべる。周囲に建てられている民家よりもはるかに年代モノといった印象のその市庁舎は、歴史的建築物が放つような雰囲気すら持っており、正直言って今にも崩れ落ちそうであった。
「旦那、最近王都やラインドルに行ってたから気づきませんでしたけど……カーリンって、あれでもやっぱり裕福だったんですね。ここで働くのはなかなか勇気が要りやすぜ」
「仕方ないさ。ここは何年も前から領主がいなくて、年に数回だけ王都の管理官が足を運んでいたみたいだからね。お金もないのに使わない市庁舎を建て替えるなんて考えもしなかったんだろう。とにかく、まずは中に入ってみようか」
ユイはそう口にすると、立て付けの悪い木の戸を開いて、中へと足を踏み入れる。すると役所内にはここに用があると思われる住民は誰一人おらず、ほんの数人の職員のみがほそぼそと働いている姿が目に写った。
「……隊長、いくら田舎町の役所だからって、これはちょっと」
この地方の中心の役所としてはあまりに寂しい状況に、クレイリーはやや憂鬱そうな声を吐き出した。
「だからカーリンとは人口が違うんだよ。いいじゃないか、静かな建物でさ、これだったらのんびり仕事ができそうだ」
ユイはそう口にすると、馬から降ろした大量の荷物を床に置いて溜め息を一つ吐く。そして彼は取り敢えず手近な職員に声を掛けようと、グルリと周囲を見回す。すると、近くの掲示板に誰も目を通さなそうな告知用紙をせっせと貼っている亜麻色の髪をした女性を見つけ、彼女に向かって話しかけた。
「すいません、ちょっといいかな?」
ユイは頭を掻きながら女性の背に向かって言葉を発すると、その軍服姿の女性は振り返り笑顔で答える。
「はい。ああ、たくさんのお荷物ですね。旅の方でしょうか? 今日は市役所にどんな御用事で、って……えっ……うそ……」
大量の荷物に視線が行っていた女性は、ゆっくりと視線を上げてユイの顔を目にすると、突然その場で固まってしまう。そして唇を震わせながら、彼女はユイに向かって途切れそうな声で言葉を発した。
「……ユイ君……なんで? なんでこんな所にいるの?」
彼女のその反応を目にしたユイは、彼も彼女と同じく呆然とその場で立ち尽くしてしまう。
そのユイの目の前で戸惑いを見せるその美しい女性士官は、まがうこと無く、かつて戦略科で学びを共にしたセシル・フロンターレその人であった。