軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

英雄のお仕事

王都北のオルミット地区にある巨大な建築物。

それが長い伝統を誇るクラリスの王立士官学校の校舎である。

そして今、その伝統ある士官学校の校門前で、ユイは肩を落としながら大きな溜め息を吐き出していた。

「はぁ……なんで私がここに」

ゆっくり周囲を見渡し、ユイはますます憂鬱な気分となった。

それは彼を次々と抜き去っていく、学生たちの姿が原因である。

そう、憂鬱そうにぼんやりと突っ立っている彼と異なり、この士官学校の中へと吸い込まれていく学生たちは尽く幸福に満ち溢れているかのようにユイには映っていた。

ここエルトブールの士官学校は夏休みと帝国との戦争による学校閉鎖が重なり、ようやく少し遅い二学期の始業式が本日行われることとなっている。

その為、ユイを追い越しながら過ぎ去っていく学生たちのさわやかな表情は、明らかに久々の学校生活に対する期待に胸を踊らせているものであった。

しかし周囲のそんな活気溢れる様を目にするにつれ、現在の自らのモチベーションとのギャップに、ユイは一層憂鬱な気分となり再び溜息を吐き出す。

「すいません、そこに立たれているあなた。うちの学校に何か御用ですか?」

なんとなく中へ入りづらくぼんやりと校門の前に突っ立っていたユイは、正面から不意に向けられたややキツイ口調の声に気づく。

予想外の出来事に、ユイはきょとんした表情を浮かべながらその声の主を追った。

そうして彼が視線を動かした先には、ブラウン色の髪をミディアムカットにした少女が不審人物に向けるような視線をユイへと向けていた。

「えっと……もしかして、私のことかな?」

その視線から自らのこととは確信しつつも、ユイは念の為に左右を一度見渡し人差し指を自分へと指差す。

「はい、あなたです。申し訳ありませんが、無関係の方は施設内に入れないことになっています。もしご用がないのでしたら、すぐにでもお引取り頂けませんでしょうか?」

風紀委員という腕章をつけたやや釣り目の美少女から、明らかに警戒した口調でそう勧告され、ユイは弱った表情を浮かべながら思わず頭を掻く。

「ああ……ごめんね。実は今日からここで働くことになったんだけど、どこに行けばいいかわからなくてさ。それでちょっと戸惑っていただけなんだよ。なにしろここに来るのは久しぶりなものでね」

犯罪者を見つめるかのようなその少女の視線を受けて、自分が何か悪いことをしているかのような気分になりながらも、ユイは誤魔化すように苦笑いを浮かべた。

しかしそんな彼に対し、その少女は一切警戒を解くこと無く、頭の先から足の先まで視線を走らせ品定めを行う。

そしてユイの発言の中に含まれていた不審点に気がつくと、彼女はすぐに詰問してきた。

「今日からと先ほど言われましたね? ですが、二学期から新しい職員が来るなんて、あまり聞いたことのない話です……本当にあなたはここで働かれるのですか? それにしては、随分とだらしない格好をされているようですが」

彼女の言葉を耳にして、ユイは自らの身なりを見返してみる。

そうすると確かに彼女の指摘通り、カーリン時代から変わらぬ自らの身なりへの配慮が、一般的な軍人や官僚として今二歩程欠けていることに気がついた。

「ああ、たしかにそうかもね。はは、これは失礼。こんな私でもね、君たちみたいにきちんとした格好をしていたこともあったんだよ。ただ最近は普段の仕事で服装にこだわる必要なんてなかったからさ」

「最近までそんな身なりでも構わない仕事をされていたと、つまりそういうことですか。あまりきちんとした仕事をされていなかったのですね。まあいいでしょう。どちらにせよおじさんが今日からここで働かれるのなら、きちんとした格好をされることをお勧めいたします。軍では規律こそが何より重視されるものですから」

その身なりからユイのことを軍関係者ではなく下働きの類と判断したその少女は、やや見下すような視線を浴びせながらそう忠告する。

一方、ユイ自身はそんな彼に対する見下したかのような視線や発言以上に、先ほどの彼女の言葉に含まれていたある単語が、深々とその胸に突き刺さっていた。

「お、おじさん……いや……確かに学生との歳の差を考えれば。でも……」

予想外の呼ばれ方をしたことによる動揺のあまり、ユイは彼らしからず大いに動揺し、そのまま自分の世界に入り込んでぶつぶつと呟き始める。

そんな不可思議な様子を目にしたその少女は、目の前の男をまぎれも無い変人だと理解し、露骨にこれ以上関わりたくないという表情を浮かべた。

しかし風紀委員という立場であり、彼女はその責任感からこの場から彼を追い払う為に仕方なく口を開く。

「何やら悩まれておられるようですが、こんなところでいつまでも時間を潰されていてよろしいんですか? 仕事で来られた初日だというのなら、早く挨拶に行かれるべきでしょう。きっとあなたの上司の方が、中でお待ちになっていると思います」

「いや、特にそんな人はいないんだけど……まあ待たせてはいけないというのはその通りか。それでは申し訳ないんだけど、事務部への行き方を教えてくれるかな」

依然として『おじさん』と呼ばれたことに対するショックを引きずっていたが、ユイはどうにかその苦悩を押し殺して彼女に道を尋ねる。

そんなユイの問いかけに対し彼の言動を踏まえて何かを理解したのか、その少女は目の前のだらしない男に対し一層興味を失ったような目つきとなった。

「ふぅん、事務部ですか……なるほど、用務員やそれに類するお仕事なんですね。だとしたら中で着替えをされるのでしょうから、その格好も納得です」

「えっと……いやまあ、学校の雑用係という意味では、そんなに間違ってはいないんだけど……」

微妙に違うんだけどなと思いながら、ユイは苦笑いを浮かべて頭を掻く。

しかし彼に対する興味を完全に失ったその凛々しい少女は、すっと左腕を前方へと突き出すと正面の建物を指さす。

「事務部でしたら、あの建物の中です。中に入って、すぐに目の前に総合案内の窓口があります。その左手が事務部になっていますので」

「なるほど、ありがとう」

ユイは場所を教えてくれたその少女に向かいお礼を口にするも、すでに彼女はユイから顔を背け、遅刻気味で校舎に走りこんでくる学生たちに向かい視線を移していた。

「いいえ、お気になされずに。では、私はまだ風紀のお仕事がありますので。用務員のおじさんも、これからこの学校のために頑張ってくださいね」

ユイに対して背を向けたままその少女はそう言い切ると、そのまま身だしなみのなっていない学生に向かって歩みだし一つ一つ注意を始める。

一方、再び心に突き刺さる発言を受けたユイは、胸を押さえて思わずその忌々しき単語をつぶやいた。

「おじさん……か」

これまで一度も言われたことのなかったその単語。

その言葉が持つ破壊力が想像以上に大きいことを認識し、ユイは深い溜息を吐き出す。

そして二度首を左右に振ると、先ほどの風紀委員の少女が教えてくれた事務部に向かい肩を落としながらとぼとぼと歩き出した。

「おはよう、エミリー。どうしたの、朝からそんな疲れた顔をしちゃって」

「ああ。おはよう、アンナ。朝から風紀委員の仕事が忙しくてね。特に今日は学期始めだから、いい加減な学生もかなりいたし、何よりだらしない用務員のおじさんの相手もする羽目になってね。いいかげん疲れちゃったわ」

始業式が始まる直前に大講堂へと到着した風紀委員のエミリーは、先ほどのうだつの上がらなそうなだらしない男のことを思い出しながら呆れ混じりの溜め息を吐き出す。

そんな疲れた様子のエミリーを眼にしたアンナは、彼女の口にした内容に興味を惹かれると、ニコリとした笑みを浮かべた。

「だらしない用務員のおじさん? なになに、お姉さんにちょっと教えてみなさい?」

「アンナ、あなた同じ年でしょ……ともかく、ちょっとうだつのあがらないダメそうなおじさんが校門の前に立っていたのよ。不審者かと思って注意したんだけど、そのおじさんががよりにもよってうちの新人職員さんみたいでね。身なりもいい加減だし、話しかけてもどことなく上の空だし……相手するのに疲れたわ」

眼鏡の奥の瞳をランランと輝かせる小柄なアンナに向かい、エミリーは先ほどの出来事を溜め息混じりに説明する。

そんなエミリーの性格をよく知るアンナは、その話を耳にするなり苦笑しながら口を開いた。

「エミリーってホントに変なところで生真面目だからね。確かに軍人向きな性格だと思うけど、でも風紀委員になったのは失敗だと思うわよ。世の中そんなきっちりした人間ばかりじゃないんだから、一々注意していたらキリがないわ」

「だけど、士官学校は軍人の養成所よ。なのに、あんなだらけた人間が務めるのはおかしいと思わない? もしクラリス王立軍があんなダメ人間ばかりになったら、きっとこの国はあっさりと滅ぼされてしまうわ」

窘めるようなアンナの発言を耳にしたエミリーは、目の前の少しおおらかな親友に向かい真剣な表情で反論する。

「そうね。例えば帝国軍なんかは凄く規律が厳しいと聞くわよね。でも、まあいいじゃない。そのだらしない人は用務員さんなんでしょ。別に軍人という訳じゃないし、直接私達と関わるわけじゃないんだしさ」

「それはそうだけど……でも、そうよね。そんなダメな人も、この国の国民なのよね。そんな人達でも生きていける国を守るために、私達は頑張らなきゃいけないんだから」

エミリーは自分に言い聞かせるように、そう発言をして力強く拳を握る。

そんな彼女の仕草を目にして、同じゼミで長い付き合いのアンナはやや引き気味ながらも愛想笑いを浮かべた。

「ま、まあ、そんなところでいいんじゃないかな。ところでそんな話よりもさ、例の噂は知ってる?」

「……噂? 一体、何の話?」

疑問符を浮かべるかのような表情のエミリーは、まったく何の話かわからず首を傾げる。

すると、そんな彼女たちの会話を聞きつけた前の座席の少年が、くすんだ金髪を撫で付けながら彼女たちの会話の中へと割り込んできた。

「おいおい、エミリー。お前知らないのかよ? 朝から学校はその話題で持ちきりじゃないか」

「なによ、レイス。あなたはその噂とやらを知っているというの?」

目の前の少年に向かってやや視線を鋭くしながら、エミリーはわずかに刺のある口調でそう問いかける。

一方、その彼女の反応を眼にして、レイスと呼ばれた少年はエミリーが噂を知らないことを確信した。

「……お前、本当に知らないんだな。新任の校長が来るんだよ。ラインバーグ閣下の代わりとなる校長がな」

「ええ! 嘘、それは本当なの?」

エミリーはその噂の内容に大きく目を見開くと、驚きの声を上げる。

「はぁ……だからお前はダメなんだよ。勉強ばっかりしてないで、もう少し社会勉強を……いや、なんでもないよ。はは」

すごい勢いでエミリーに睨みつけられたレイスは、引きつった笑みを浮かべながらそそくさと視線を逸らせて前へと向き直る。

一方、彼を睨みつけたエミリーは、一度落ち着いて周囲を見回した。

すると、いつもは将来の軍人らしく落ち着いて式に向かう他の生徒たちが、今日に限ってはいつになくそわそわし、周りと私語をしていることに彼女は気がつく。

「どうやらレイスの言ったことは本当みたいね……でも誰が後任として就かれるのかしら?」

周囲の様子から先ほどの話が真実だと理解すると、エミリーはアンナに向かって問いかける。

「噂では、相当お若い方って聞いているわ。でも残念ながら、それが誰かまでは私の情報網でも掴みきれていないのよね」

学校内でも情報通で知られるアンナは、少し残念そうな表情を浮かべながらそう返答する。

「そうなんだ。本当に一体誰なのかしら。軍部でお若い方っていうと、数年前までここの教授をされていたアーマッド三位かしら?」

長年士官学校で教授職を勤め、現在は戦略局の若手で一番と言われるアーマッドの名前をエミリーは口にする。

「そうね……他に若いって言ったら、魔法省のムティック三位も確か四十歳前後だったわよね。あとは陸軍省のスリタフ三位とかかしら」

「でも、ここの士官学校長は戦略省のポストでしょ。たぶん、魔法省や陸軍省の登用は無いんじゃないかしら」

軍の事情を勘案してエミリーがそう発言すると、アンナもなるほどとばかりに頷く。

そうして二人が首を傾げながら考えこんでいると、再び彼女たちの前にいたレイスが何やら期待に満ちた表情を浮かべながら会話へと混じってきた。

「おいおい、なんで官僚さんが来ると思うかな。別に前線の士官が赴任する可能性もあるだろ。むしろ俺はそうだと祈っているんだ」

「……あなたはただ手合わせがしたいだけでしょ。ラインバーグ閣下の後任は、私たちにとって大きな問題なんだから、少しはまじめに考えてよ」

「そう言われてもなぁ。俺は俺より強い方が赴任されるのだったら、正直言って誰でも構わないしな」

剣術馬鹿のレイスはそれだけ口にすると、再び前へと向き直りブツブツと戦いたい人の名前を上げていく。

そんな彼の言動の一部を耳にしたエミリーは、バトルジャンキーには付き合いきれないとばかりに大きな溜め息を吐き出し、そのまま目を閉じて式が始まるのを待つことにした。

幾ばくかの時間が過ぎた頃であろうか。

予定されていた時間を大きく超過しても一向に始業式が始まる気配はなく、大講堂内のざわめきは次第に大きくなり始める。

士官学校の行事は時間厳守となっており、遅れて始まるということは非常に稀である。

そのことから、何らかの予定外の事態が起こっているのではないかと噂する者が現れ始め会場内は騒然とし始めた。

そうして講堂内の到るところで無責任な憶測や情報が飛び交い始めたところ、ようやく大講堂内へと士官学校の教官たちが姿を見せ始める。

さすがに教官の姿を目にした生徒たちは軍人の卵らしく慌てて居住まいを正し、騒ぎは途端に収束していった。

そして士官学校行事の司会を行う事務長のローリン・スレイバーが、壇上に上がり皆の前で一礼したところで講堂内は完全な静寂を取り戻す。

「コホン。ええ、皆さんおはようございます。さて今学期が始まるにあたり、ラインバーグ前校長が軍務大臣へと昇格されまして、不在となっておりました校長の後任の方が本日お見えになりました。この場を借りまして、皆さんにご紹介させて頂きたいと思います」

ローリンのその言葉を耳にした学生たちは、先ほどまでのざわめきの余韻が残っていたためか、士官学校では通常考えられない私語が再び会場内で漏れ始める。

そんな一種異様な空気の中、ローリンが視線を壇上の脇へと移すと、壇上の袖からどこかだらしな気な黒髪の男が姿を現す。

そして彼に対してローリンが一度敬礼した上で舞台の中央へと招くと、会場内のざわめきは最高潮となった。

「えっ……あれってさっきの用務員さん! う、うそ、なんで……」

学生たちの方向へと向き直り、苦笑いを浮かべながら頭を掻く黒髪の男。

そんな彼の姿をその目にし、エミリーは先ほどの不審者と同一人物であると気が付くと大きく目を見開く。

一方、普段は生真面目なエミリーが私語を呟いたことにアンナも驚くと、彼女も食い入るように壇上に向かって視線を走らせた。

そうして二人の女生徒と、そしてそれ以外の無数の学生たちの視線が黒髪の男に集中したところで、何故か誇らしげな笑みを浮かべるローリンは黒髪の男の紹介を始める。

「さて、皆さん! 皆さんも先日の悪しき帝国軍との戦いは、記憶に新しいことでしょう。その際に一人の英雄が、この国を守るために立ち向かったことは既にご存知かと思います。そう、救国の英雄ユイ・イスターツ。皆さんはあの戦いの後、何度もその武勇伝を耳にされたのではないでしょうか?」

ローリンのその前口上に、会場内にはもしかしてという期待と、まさかという驚きが溢れ始める。

そんな今にも弾けそうな会場の空気をローリンは感じ取り、彼は大きく一度頷くと、隣に立つ男へと視線を向け直した。

「皆さん。実はあの偉大なる英雄を、この士官学校の校長として迎えることとなりました。それでは、新校長のユイ・イスターツ閣下。どうぞよろしくお願いします」

ローリンが隣の男性の名前を口にした瞬間、講堂内は無数の驚きと歓喜の叫びで覆われ、まるでお祭りであるかのような大騒ぎとなる。

一方、そんな学生たちの姿を目にしたユイは、恥ずかしそうな表情を浮かべながら一度ゆっくりと会場内を見渡す。

そして頭を数度掻いた後、会場内の驚きとざわめきがやや沈静化したところで、ようやくユイは学生たちに向けて言葉を発した。

「えっと、御紹介頂きましたユイ・イスターツです。まだこの士官学校を出て七年でして、皆さんとさほど年齢は変わらないかもしれません。ですので、年上の『おじさん』ではなく、身近なお兄さんとして気軽に接して頂けると助かります」

「う、嘘でしょ……」

明らかに先ほどの会話を意識したその発言を耳にして、エミリーは先ほどのだらしない男性と目の前の救国の英雄と呼ばれる黒髪の男性が同一人物であることを認識する。

そしてその瞬間、彼女はその場で放心してしまい、その後のユイの話は一切彼女の耳へと入ることはなかった。

一方、そんな茫然自失となっている女生徒がいるなど露程にも知らぬユイは、一番伝えておきたいメッセージは既に述べたが故に、あっさりとやや短いスピーチを終える。

そして彼が学生たちに向かって短いあいさつを終えた瞬間、硬直したままの一名を除いた講堂内の全ての学生から、あふれんばかりの歓声と拍手がユイに向かって送られることとなった。