軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

安寧の終焉

木々の葉はすっかり茜色に染まり、大地は豊穣な実りを人々へともたらす秋。

王立軍の親衛隊室では、勤務時間中にもかかわらず両足を机の上に投げ出した無役職の男が、コーヒー片手にのんびりと読書をしていた。

彼の最近のスケジュールは呼ばれもしないのに昼ごろに勝手にこの部屋へと出勤し、勝手に備品のコーヒーを飲み、勝手に終業時間まで本を読み続ける。

ひたすらに、ひたすらに、彼は代わり映えのしない同じ生活を繰り返していた。

一方、そんな親衛隊室にはもう一人、彼より若い金髪の美青年も存在している。

この国の四大大公家の一つであるライン家の長子であり、現在親衛隊長の職を任じられている青年、エインス・フォン・ラインであった。

「……先輩、いい加減働きませんか?」

先日の帝国との戦いの後、延々と非生産的かつ堕落した生活を送り続ける人物を横目にして、エインスは困った表情を浮かべると溜め息混じりに苦言を呈する。

「おいおいエインス、一体何を言い出すんだい。せっかく仕事が与えられていないのに、自主的に働こうなんてさ、自然の摂理に反していると私は思うよ」

目にしている書物から視線を上げること無くユイが返答が行うと、エインスはそんな彼に対して呆れたように抗議の声を上げた。

「自然の摂理……また適当な事を言ってごまかそうとしているでしょ! ちょっとこの部屋から出て、他の部署の様子を覗いてみてください。みんなまじめに、そして勤勉に働いているんですよ」

「と言ってもなぁ……いや、確かにこの庁舎内で働いているようなエリートさん達は、別に仕事が無くても出世したいと思って、あくせく働いているかもしれないさ。だが左遷軍人である私はこれ以上出世したくないのだから、別に働かなくてもいいだろ。何かおかしなことを言っているかい?」

「あのね、先輩。先輩はもう左遷先から帰ってきた軍人ではなく、三位待遇のお偉いさんなんですよ。それに、僕も今は親衛隊の隊長なんですから、立場というものがあるんです。いつもここに来て先輩とだらけていると、部下に示しがつかないんですよ」

「だったらさ、お前は王城に用意された新しい親衛隊室を使えばいいじゃないか。なんだかんだと言って、お前もこの部屋が気に入っているんだろう?」

ユイはようやく書物から視線を上げると、同意を求めるようにエインスに向かって笑いかける。

しかし彼に笑いかけられたエインスはわずかに躊躇した後、首を左右に振って彼なりの理由を口にした。

「だって、あそこには毎日リュート先輩が詰めているじゃないですか……正直言って、雰囲気が硬くて疲れるんですよ」

ユイやエインスを始めとして、親衛隊に所属していた一同は先の防衛戦で功績を高く評価されている。

それ故、親衛隊は部隊の増員が認められることとなった上、正式に王城内に親衛隊専用の部屋が与えられていた。

その王城の部屋は物置部屋同然のこの旧親衛隊室とは異なり、王女護衛という本来の役職にふさわしいだけの内装の隅々にまで手の行き渡った部屋である。

王女護衛の責任者を任されているリュートなどは警備上の問題もあり、必ずその王城の新親衛隊室に詰めていた。

しかし左遷先であったカーリンからユイによって連れてこられた面々や、そしてこの場にいるエインスなどは、その様な綺麗な部屋があるにも関わらず無役職の男が勝手に占拠し続けているこの旧親衛隊室へと足を運び続けている。

「そらみろ。だから、ここに親衛隊室を作っておいて正解だっただろ」

ユイが勝ち誇った笑みを浮かべながらエインスへと視線を向けると、彼は反論することができず疲れたように肩を落とす。

「……否定はしません。でも先輩と違って、僕はここにだらける為に来ているんじゃないんです。これを見て下さい。片付けないといけない書類が、こんなに山積みなんですよ。本来はこれ、先輩がやるはずだった仕事なんですからね」

初代にして先代の親衛隊長であり、帝国との戦いのドサクサに乗じて自分にこの役職を押し付けてきたユイをジト目で睨むと、エインスは目の前に積み上げられた書類の束を手でポンポンと叩く。

「いやぁ、本当に良かったよ。あの時、お前に親衛隊を譲ることができてさ。前回の帝国との戦いにおいて、間違いなく私にとっての最大の成功は、お前に親衛隊長職を譲れたということだね」

ニヤニヤしながらユイがそう言い放つと、エインスは額に手を当てながら深い深い溜息をつく。

そして無駄だとは知りつつも、毎日のようにユイに対して口にしている「暇なんだったら、少しは手伝ってください」という言葉を、いつものよう口に出そうとした。

そんなエインスが口を開きかけたタイミング。

そこで突然旧親衛隊室のドアがノックされる。

ノック音を耳にしたユイとエインスは、この部屋にわざわざノックして入ってくるような相手に心当たりが無く、思わずお互いの顔を見合わせた。

しかしながら、どちらもが心当りがないとばかりに首を左右に振りあう。

「……開いてますよ、どうぞ」

脳裏に疑問符を浮かばせながらも、ユイは一呼吸おいた後にドアの外の人物に向かってそう告げる。

その返事を受けて古ぼけた木製のドアがゆっくりと開けられると、そこから姿を表したのは部屋の中の二人がまさによく知る人物であった。

「ご、ご無沙汰しています、アーマッド先生。復帰されたのですか!」

驚いたユイは目を見開きながらそう口にして、慌てて姿勢を正そうとした。

しかし机の上に投げ出していた足を戻す際に、彼はバランスを崩して椅子から転げ落ちる。

そして転んだ拍子に背中を打ちつけたのか、数回背中をさすりながら彼はゆっくりと立ち上がった。

「やあ、ユイ。それとエインスもここにいたのか。そう復帰だよ。まさに今日からね」

アーマッドはユイの反応に苦笑いを浮かべながら、彼が背中をさするのを止めるまで待った上で敬礼を行う。

「お元気そうで何よりです。もう、すっかり良くなられたのですね」

ユイは先ほどまでの怠惰な姿を投げ捨てて、アーマッドに向かい敬礼を返す。そしてそのまま感慨深げにかつての教師の姿を眺めた。

復帰したと彼らに告げるアーマッドの姿は以前に比べ明らかに肌艶の調子が改善し、体型もほぼ負傷前の水準にまで戻っていた。

「ああ、体の方は別に問題ないさ……ただ、さすがにこれだけ休むと仕事が溜まってしまってね。それが目下最大の悩みだよ」

アーマッドは仕事嫌いの教え子に向かって、苦笑しながらそう悩みを口にする。

さすがにユイも自らの後輩に向かって口にするようなことは言葉に出来ず、頭を掻きながら差し障りの無い返答を行った。

「そうなんですか。確かに先生がいない間、戦略局はうまく機能していなかったようですからね」

「ああ、うちも人材不足だからね。本当は三位に昇進したユイに、その代行を務めてもらいたかったのだが……」

アーマッドはユイに向かって微笑みながらそう口にする。

その笑みを目にしたユイはわずかに困った表情を浮かべると、両手を広げて肩をすくめてみせた。

「はは、勘弁して下さい。ああいった実務的な仕事は、もう体も心もついて行きませんよ」

「でも、肉体労働よりは事務作業の方が好きだろう?」

アーマッドは右の口角をわずかに吊り上げてそう問いかけると、ユイは弱ったように周囲に視線を漂わせ、矛先をそらすためにある人物へと視線を向ける。

「いや、それはそうですけど……あ、先生! こんなところに遊びに来ている暇そうな隊長が、そこにいますよ。彼に兼任させてみるというのはどうですか?」

「……先輩、勘弁してくださいよ。また僕に仕事を流す気ですか? 本当にこれ以上仕事が増えたら、僕が死んじゃいますよ」

仕事を押し付けられそうになったエインスは、困った人を見る視線をユイへと向ける。

一方、ユイは笑いながらアーマッドへと目配せすると、彼はその意を汲み取って毒を口から吐き出した。

「そうか、エインスが暇か……だとしたら、私の仕事を手伝ってもらうとするかな。もう少し仕事が増えたら、エインスの夜遊びも減るだろうし、一石二鳥というわけだ」

アーマッドはそう口にしながら、やや意地の悪い笑みを浮かべた。

ユイもかつての自らの教師に倣うように、すかさずその発言を補足する。

「では、早速ライン公に相談してみましょう。きっと色好い返事が頂けるかと思いますので」

「……ユイ先輩はいつものことですが、おじさんまで勘弁して下さいよ」

エインスは頬を引き攣らせながら、心底困った表情を浮かべる。

一方、悪乗りをしたアーマッドはそんなエインスの反応を目にして満足すると、その場の空気を変えるように話題を転換した。

「まぁ、どちらにせよ戦略局に優秀な人手が欲しいのは事実だよ。すべてを任せることができる部下がいた君が心底うらやましい……っと。そんな話をするために足を運んだのではないんだった。ユイ、今日は君に用があってね」

アーマッドはそう口にすると、自らの視線をエインスからユイへと向け直す。

「私に……ですか?」

アーマッドの口にする用という言葉に、まったく心当たりが無いユイは思わず首を傾げる。

すると、そんなユイの仕草を目にしたアーマッドは、一度頷いてニヤリと笑った。

その意味ありげな笑みを目にした瞬間、ユイはかつての自らの教師の癖を思い出し、急に不吉な予感を覚える。

「ああ、君にさ。先ほど現場復帰の挨拶にラインバーグ閣下のところへ顔を出したわけなんだが、実は閣下からこれを君に預かって来てね」

そう言って、アーマッドは小さな筒をユイたちに提示し、それをそのままユイに向かって放り投げる。

「……一体なんですか、これは?」

その小さな筒を手にしたユイは、それを寄越した時のアーマッドの表情から恐る恐るそう問いかける。

「ふふ、おめでとう。ようやく君の次の仕事が決まったよ。それはラインバーグ大臣からの正式な辞令書さ」

死刑宣告のようなその言葉を耳にしてユイは全身を脱力させる。

そして手近な椅子へもたれ掛かかり、薄汚れた部屋の天井を仰いだ。

「……はぁ、麗しき安寧の日々よ。君はいつも突然に、私の前から過ぎ去ってしまう」

首を左右に振りながらユイは疲れたようにそう呟くと、大きな大きな溜め息を吐き出す。

そして何度も躊躇しながら渋々といった様子でその筒を開封すると、中に入っていた一枚の命令書に目を通していった。

「なになに……えっ!」

その辞令書の冒頭に書かれていた内容を目にしたユイは思わず驚きの声を漏らし、文章を読み進めていくに連れ彼の表情は次第に険しいものとなる。

「……先生。ラインバーグ閣下は、本日は執務室に?」

全文を読み終えて辞令書から視線を上げたユイは、険しい表情をしたままアーマッドに向かって問いかける。

そのユイの問いかけを受けたアーマッドは、首を一度縦に振った。

「ああ。先程お会いしたときは、執務室におられたよ。今日は一日執務だと仰られていたから、今もいらっしゃるんじゃないかな」

「くそ……あのたぬき親父め!」

右頬を引き攣らせながらユイはそう言い放つと、立て付けの悪いドアを破らんかの勢いで部屋を飛び出していく。

「やれやれ。きっと嫌がるんじゃないかとは、思っていたがね」

「まあ、先輩はどんな仕事でも嫌がりますけどね……それでなんであんな仕事を先輩に? 正直言って、人材の無駄遣いだと僕には思えますが」

机の上に投げ出された辞令書に目を通すこと無く、エインスは苦笑しているアーマッドに向かってそう問いかける。

「ああ……君はおじさんから聞いていたのか。だったら知っているだろ? ユイが局長職や、軍務局などの現場指揮官職へ就任することに、尽くあの連中が反対したことをさ」

「ええ。貴族院の方たちですよね。普段は距離を取っている連中ですが、さすがに僕も貴族の一人ですからね、話しくらいは耳にしています。でも、あの連中のユイ先輩へのアレルギーは、正直言って異常ですよ」

エインスは父であるジェナードから、ユイの役職が決まらない理由を聞かされていた。

それはユイが高い役職に付くことで、庶民でもそんな役職に成れてしまう前例となることが貴族たちにとって問題だということにある。

もしそのような事例が一般化してしまうと、いずれ自分たちのポストが奪われていく。

そんな恐怖心を、クラリス内の貴族たちは有し始めていたのであった。

もちろんただの漠然とした恐怖だけでは、ユイを排除するという行動に結びつかない。

結局のところ最大の問題は、先の帝国との戦いで王家の兵力と権力が如実に低下してしまったことにあった。

一部の貴族を束ねて貴族院などという派閥を作り上げてきた連中にとって、この王家の力の低下は、軍の人事権に介入する千載一遇のチャンスといえる。

もちろんエリーゼやラインバーグは、そのような圧力に対し抵抗をみせてはいる。

しかし現段階ではあくまで一王女にすぎないエリーゼや小貴族出身のラインバーグでは、多勢に無勢という状況も重なりその介入を跳ね除けることが困難であった。

「ユイが庶民だということに対する風当たりは、正直思った以上だね。各部署の局長級への就任も、尽く全て反対にあっている。ひどい話では、怪我で療養中であった私のポストに対する一時的な代理という提案でさえ、拒否されたみたいだからね」

「……そこまでですか。でも先輩がいなければ、彼らはすべての財産を失っていたかも知れないんですよ。よくもまぁ、そんな恥知らずなことができますね」

エインスは先の戦いに敗れていた場合の仮定を踏まえ、貴族たちのやり方を非難する。

その意見に対し複雑な表情を浮かべたアーマッドは、弱ったように重い口を開いた。

「普通は猫でももう少し恩を覚えているものだよ。しかし残念ながら、彼らはそれ以下の存在だからね。実に都合のいい事に、自分たちが危ない立場にあったことは、もう綺麗サッパリ忘れてしまったらしい」

「まったく度し難い連中ですね。そういえば防衛力増強の為という口実で、少し奇妙な噂を耳にしたんですが……もしやそれも彼らの発案ですか」

近頃、陸軍省を中心に唱えられている国防費と人員不足緩和のための方策を、エインスはアーマッドに向かい確認するように問いただす。

「ああ、内務省の一部と陸軍省からの発案だ。人手が足りないから、安く防衛力を強化するためだと連中は言っている。内務省はともかく、陸軍省に関しては貴族院の意向を代弁しているだけだろうな。現在、人手が足りないために、各貴族から手弁当で私兵を国境警備に回してもらっているから、それが直接の原因なんだろうが……」

「たとえほんの少しでも自分が負担しなければならないのが嫌だと、つまりそういうことですか。なんとまあ……ということは、そんな彼らに対抗するために、あの人事案を呑み込んだと?」

与えられた情報からだいたいの事情を把握したエインスは、顎に当てていた右手をゆっくりと外し、睨むような視線をアーマッドへと向ける。

「まあ、他にポストがなかったっていうのも案外嘘ではないよ。正直言って、現状はそれくらい王家の力は弱まっているんだ。でも、一番の目的は君の考えたとおり、あの馬鹿げた提案を潰すことさ。要するに、救国の英雄には彼らのための盾になって貰う」

エインスの厳しい視線にさらされながらも、アーマッドは動じる様子もなく頬を掻きながらそう返答する。

しかしその発言に秘められた意図を理解したエインスは、多少怒気を含んだ声で非難を口にする。

「ユイ先輩はああ見えて人がいいから、どう動くかわかってのことでしょうけど……そこにつけ込むなんて、本当にお人が悪いですよ。正直いって僕は反対です」

「できることなら、私も反対さ。ただね、他に彼らに対して表立って対抗できる人材がいない。そして彼らの人事案に乗るということは、悩んでいたユイのポスト問題も見事に解決ということさ。それとも、君には他に何か良い案があるかい?」

エインスの非難の声を受けて弱ったように苦笑いを浮かべたアーマッドは、逆に彼に向かってそう尋ね返す。

「それは……でも」

アーマッドの問いかけに対し即答するに足る案を有さなかったエインスは、答えに窮して渋い表情をする。

「あいつがやったことに対する評価としては、全くもって間違っているさ。あいつの能力的にもな。だけど、これが力を失った今の王家と軍首脳部の現実なんだよ、残念なことにね」

宙に視線を漂わせつつ、やや自嘲気味にアーマッドはそう呟く。

そして一呼吸置いた後、首をゆっくりと左右に振るとそのままエインスに向かって再び口を開いた。

「だから、エインス。私達にできることは、あいつが働きやすいように環境を整えてやることだと思うんだ。とりあえず私は、親衛隊の人員をあいつが好きに動かせるよう、あいつに親衛隊の顧問という役職を兼任させるつもりだ。さて、そこで確認しておきたいんだが、隊を預かっている隊長殿には何か異論があるかい?」

アーマッドはエインスの意思を確認するよう、彼をまっすぐに見つめる。

その視線を真正面から受け止める形になったエインスは、わずかに苦笑しながら、ゆっくりと首を左右に振った。

「いえ、全くありませんよ。この隊は、本当は先輩の隊ですから」

「ならば決まりだ。早速、準備に取り掛かろう。連中の横槍が入るその前にね」