軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

アップデート

無数の数字が浮かび上がっては消え去り、そして次々と高速に書き換えられていく。

それは彼にとって……ゼスにとっては神聖不可侵な領域。

なぜならば、その厳密に規定されたコードを守り、維持管理するために彼の存在は作られたのだから。

しかし今の彼はただそれを見つめることしかできなかった。

もはや体は動かない。

黒髪の悪魔。

そう、まさに悪魔とも呼ぶべき目の前の男により、既に身も心も傷つけられてしまっていた。

そして今、自らの存在意義までも失われつつある。

無力だった。

いや、無力なはずなんてなかった。

あの方が創ったセカイにおいて、彼は至上の存在として造り上げられたのだから。

でも想定外のことは立て続けに生じる。

セカイの中に魔法士と呼ばれる、プログラムのバグを見出したものが現れた。

そしてその者たちは莫大な数へと増え続けていった。

一つのバグがより多くのバグを産み、そしていつしかセカイは処理の限界を迎えつつあった。

だからこそ彼は降臨した。

セカイの破綻を救うために。

当初、彼は楽観視していた。

何しろバグを見出そうとも、所詮は自身たち管理者に比べれば塵芥に近き存在。

知性も、身体能力も、その全てにおいて劣る要素などなかった。

だから当初は力によって魔法士の排斥を試みた。

その結果は敗北。

いや、もちろんある面においては成功もしている。

フィラメントと並び称される魔法先進国のビルーゼンブルグ共和国を滅ぼし、そして無数の魔法士を消し去ったのだから。

だがそこで彼らは出会った。

調停者と呼ばれるセカイ側に存在する維持装置と。

もちろん本来ならば、セカイ側の存在などに遅れを取ることはない。

あれはあくまで安全弁であり、知識も力も備わっていない。

ただあのお方がセカイを定点観測するため、特別に用意したコマ程度のものでしかなかった。

しかしそこに計算外の存在がともにあった。

調停者であるアンフィニとともに、四大賢者とされる三人の魔法士が。

そして何より、彼らとは異なる管理システムに置かれているはずの剣の巫女が。

事態は複雑化し、そして歯車は狂う。

二人の賢者と剣の巫女をセカイから排除することには成功した。

だが代償として、それ以前のリカバリーポイントを喪失し、更に管理者たちの多くはセカイにおける肉体を失う。

そしてそれ以上の問題が、並行して彼らを襲っていた。

いつしかあの方の存在が認識できなくなっていた。

いや、以前から薄々は気づいていた。

セカイの……このプログラムの外に存在するあの方が年々アクセスされることが減っていると。

それは病かもしれない。

それは興味かもしれない。

それは……

何れにせよ、彼らが成すべきはあの方の目指したセカイの維持。

しかしもはやセカイは破綻への道のりを歩みつつあった。

止められぬ崩壊。

その為に、最高管理責任者である自分は、そうゼス・クリストファーは初めてリカバリーを決意する。

それは大きな代償を伴った。

プログラムの中にいる自分がリカバリーの引き金を引く場合、代償として己の知識と経験の殆どが以前の状態にリセットされる。

だがそのリスクを受け入れ、ゼスは何度も何度も繰り返した。

残されたリカバリーポイントである四大賢者と争った直後からのやり直しを。

考えうるありとあらゆる手段を模索した。

破綻の悪夢から逃れ得る方法を追い求め、すべての条件を試し続けた。

しかし常に最後に厄介な男が立ちはだかる。

断片的な残存データから、彼が厄介であることは理解していた。

そう、調停者と剣の巫女の息子であるユイ・イスターツが。

全てが彼のせいだと言うつもりはない。

たとえ彼が邪魔しなくとも、バグを完全に消し去ることはあまりに難題であり、そして困難であった。

しかしそれでも、難題を不可能にしかねぬその存在は、ゼスにとって受け入れ難かった。

そんな彼が……ユイ・イスターツが魔法をセカイから消し去ろうとしている。

わからない。

意味がわからない。

彼には理解不能だった。

目の前の男の生き方も、やり方も、そして価値観も。

気に食わない。

本来ならば、そんな感情を管理者が持つべきではない。

だがずっと気に食わなかった。

おそらく前の周回でも、その前の周回でも自分は目の前の男を嫌っていたと彼は考える。

そしてそれは事実であった。

だがそれでも……

「マテリアルコードアクセス……パワーリベレーション」

言葉とともに、ユイの四肢に付けられていた赤い宝石がまばゆいばかりに光りだす。

「これで私が溜め込んでいた貯金は全部……だね。でも、足りない……か」

顔を歪ませながら、ユイはそう呟く。

既にユイの認識は空間中に広がり、意識と呼ぶべきものは現実との境界を失いかけていた。

自らが世界と一体化し、その存在が溶けて失われていく感覚。

同時に人の身ではとても許容しかねる0と1の膨大な情報の洪水が彼の脳をまたたく間に占拠する。

彼の脳は過負荷で焼ききれそうになっていた。

だがそれでも彼は、人の身を超える膨大な情報量を予め編み上げられていたロジックで変換し、そして存在していたバグの隙間を埋めていく。

しかし限界は、彼の予想を上回る速さで訪れた。

抽出魔力の魔石は早くもその光を失いつつある。

予想もつかなかった。

セカイを書き換えるために必要な魔力というものが。

だから彼は二年の歳月を費やしたのだ。

にも関わらずそんな貯金では補いきれない事実。

それを前にユイはその表情を引きつらせる。

「だめ……か」

「諦めるな、調停者」

それはまさに突然だった。

地面に崩れ落ちていたはずの青年が、いつの間にか彼の隣へと並び立っていた。

「ゼス……手伝ってくれるのかな?」

「ふん、最初からボクが手伝うことは折込済みだったのだろう。いや、違うな、ボクが手伝うしか無い状況に陥らせるつもりだったのだろう」

「まあ……真正面から今回の件をお願いしても断られるのは自明だからね」

それはユイの本音であり、おそらくは真実でもあったのだろう。

だからこそ、ゼスはその表情に怒りを垣間見せる。

「当然だ。あの方の創り上げたプログラムをいじるなんて許しがたい……だがすべてが失われるくらいなら、やるしか無いじゃないか、この悪魔め!」

「ありがとう。でも……悪魔はひどいんじゃないかな」

「貴方が言ったんだ。手伝うなら好きに呼んで構わないってね。それに貴方たちのためじゃない。結果的に魔法が失われ、魔法士がいなくなるのならばボクたちの勝ちだ」

それはある意味、真実であり、同時にゼスにとって精一杯の強がりでもあった。

結果は同じ。

しかしその手段も方法も本来なら受け入れられるものではない。

だがそれでもなお、彼は自らの責務として全てを飲み込む。

そう、ユイ・イスターツという猛毒を。

「それでもいいよ。別に勝ちとか負けとかには拘らない質でね」

「……知っている。忌々しいことにね。ともかく調停者、つべこべ言う前にこの世界を修正してみせろ」

「ああ、わかっている……キミの魔力を足せば……」

「魔力ではない、リソースだ」

僅かな苛立ちを見せながらゼスはすぐさま訂正を口にする。

それに対し、ユイは一切視線を動かすこと無く一つうなずく。

「ああ……うん、ともかくこれなら……いや、それでも……」

「調停者。おい、どうなっている」

気づいたのは偶然だった。

曖昧な物言いをするユイへの苛立ちから、その視線を移したとき、彼は目にしたのだ。

半透明となり、その存在を失いつつあるユイの姿を。

「どうにも、セカイとのつながりが弱くなりつつある。いや、この空間に存在するにもキミの言うリソースが必要みたいでね……つまりこのままだと」

「ふざけるなよ。こんな中途半端なところで、当事者がいなくなるなんて認めない。これではバグどころか、プログラムさえまともに機能しなくなる」

プログラムのアップデート中にシャットダウンすることの意味。

そしてそのことがもたらす悪夢。

許容などという言葉さえ許しがたい未来が、ゼスの瞳にははっきりと写った。

だからこそ、彼は隣に立つ存在が失われつつある青年を叱り飛ばす。

「わかっている……わかっているさ。でも――」

「ユイ、何をしている。このオレに勝った男がただの文字列程度に負けるのか」

その声はあまりに聞き覚えがあり、あまりに突然で、そしてあまりに予期せぬものだった。

ユイは慌てて周囲を見回す。

だがその存在はいない。

だからこそその人物を追い求めるかのように、彼はその名を呼ぶ。

「リュート!」

セカイの中で最初に気づいた者。

それは彼を義理の弟と認識する、とある皇太子であった。

「何だ? 急にユイの体が見えづらくなってきている気がするが」

それは戸惑いと不安の入り混じった声であった。

彼の目の前では、いつの間にか地面が透けて見え始めていた。

そう、このセカイに残されたユイ・イスターツの肉体の裏側が。

「存在が消えつつある? まさかあの修正者の奴らに――」

「おそらく違うな、リュート・ハンネブルグ」

自らの声を遮るように向けられた言葉。

それは突然リュートの背後から発せられた。

同時に、後ろを振り向いた彼は、見知った二人の人間の姿をそこに見る。

「アズウェル先生。それにエインスも……どうしてここに」

「ふん、あのバカにプログラムの下書きを創ってやったのはこのわしだ。最後を見届けに来るのは、やむを得ん責務だろうて」

「とはいえ、深夜に急に道案内を命じられた方はたまりませんよ。最初から言っておいてくださればよかったのに」

アズウェルの言葉を受け、エインスはやや不満げな口調でそう呟く。

だがそんな彼の言い分は、あっさりと老教授によって切り捨てられた。

「女と遊んでいる暇があるのなら、少しは働くんだな」

「ああ……なるほど。ならばエインスが悪い」

「うん、エインス君が悪いね」

リュートに続く形で、アレックスも迷わず一つうなずく。

途端、エインスは首を左右に振りながら抗議の声を上げた。

「なんでですか、先輩たち。深夜ですよ、深夜。急に押しかけてきて、無理やり出発させられたのは」

「他の時間なんてありえん。何より気取られるわけには行かなかった。万が一にも修正者の連中にはな」

「いや、それはわかりますけど……」

「宗教を隠れ蓑にしている連中を敵に回すのだ。用心などいくらしすぎても問題はない。ともあれ、そんな事を議論している場合ではないな」

正論を告げられて口ごもるエインスに対し、最初からそんな些細なことなど気にもしていないアズウェルは、その視線を半透明となった肉体へと向けた。

「魔力不足だな。この日のために魔石からの抽出魔力結晶を用意していたようだが、やはり足りなかったか」

「どうすればよいのですか、アズウェル先生」

「理屈としては簡単じゃ。足りなければ補えばいい」

あっさりとした口調でアズウェルがそういい切ると、途端にエインスは戸惑いの言葉を彼へと向けた。

「補う……ですか」

「そう、補う。どこかの誰かが得意にしとったじゃろう。人の魔法を勝手に書き換えたり、上乗せしたりする誰かが。同じことをやればいい。幸い、ソースコードとの触媒は目の前に存在する」

それだけを口にすると、アズウェルはその視線を再び半透明の肉体へと向け直す。

途端、リュートの瞳には理解の光が灯った。

「ユイの体? なるほど、そういうことですか」

「そう、現在このセカイとあのソースコードの空間のいずれにも存在するもの。それはこの不肖の教え子にほかならない。だとすれば、そこを介入点として魔力を注ぎ込めばいい。ただし必要魔力が足りなければ、やつとともにその存在が消えてしまうかもしれないがな」

アズウェルのその言葉が発せられ、場は一瞬で静まり返る。

そして最初に言葉を発した者、それは銀髪の男であった。

「貴方を誰が連れてこようが、そして方法がどうであろうが、そして命をかけることになろうが、それはどうでもいい。それよりも具体的にどうすればこいつを……ユイを救える?」

「見た目は透き通り始めているが、まだ体には触れるはずだ。そこから本人に向かい呼びかけ魔力を注ぎ込む。先日あいつにテストさせられた魔法はわかってるな。しかしただ一つ問題があるか……」

「問題? 一体何だというのですか?」

「おそらく必要となる魔力は貴様のものだけでは足りんじゃろう。そしてワシの魔力を加えたとしてもな」

その意味するところは二人の死。

それ故に、その場は一瞬で凍りつく。

だが救いの手は……いや救いとなる無数の手はゆっくりと彼らの元へと歩み寄った。

「つまり我らが帝国魔導士兵の出番というわけですな」

言葉とともにノインはゆっくりと背後を振り返る。

そこには決意を固めた千名を超える魔法士たちの姿があった。

リュートは彼らに対し頭を下げ、そしてかつての恩師を見つめる。

すると、アズウェルはゆっくりと首を縦に振った。

「始めるとしよう。リュート」

「はい……」

言葉とともにアズウェルはリュートの肩を、そしてリュートは半透明となったユイの肩に手を当てる。

そして彼は呼びかけた。

「ユイ、何をしている。このオレに勝った男がただの文字列程度に負けるのか。再戦のためにも、さっさとセカイを救って戻ってこい! インフリクト!」

呪文とともに彼は一気に魔力を注ぎ込む。

それはアンナとエミリーによって試験された魔法。

セカイに対し一切干渉を行うことなく、ただ魔力だけを他人へと送り込むただそれだけの魔法。

だがそれがクラリス最高の魔法士の手によるものであれば、いやそれどころか四大賢者と帝国魔法士たちの集団の魔力さえも注ぎ込まれれば、神域とも呼ぶべき領域へと辿り着く。

そして帝国魔法士たちからアズウェルへ、そしてアズウェルからリュートへと一気に魔力が流れ込んでいった。

リュートでさえ、思わずめまいがしそうなほどの魔力の奔流。

そして……セカイは白く瞬いた。